第10話 白と黒の世界


「はあーーー、何もないなあ」



 イトは瓦礫の隙間を覗き込みながら、ため息をつく。



「死んでないと思うんだけど。まさか吹き飛ばしちゃった?」


 粉々になった建物をしらみつぶしに捜索していたのだが、いっこうに手がかりが見つからない。



「どうしたの?」



 突然声をかけられ、イトは振り向く。



 そこには女の子がいた。

 

 赤い髪に、赤い瞳。少し癖のある髪は腰まで伸び、ノースリーブのワンピースを着ている。13、4歳くらいだろうか。 

 左目はケガをしているようで包帯を顔に巻きつけており、他にもところどころにすり傷があった。



「ケガしてるね?」


「うん」


「ひとりなの?」


「うん。大事な人は、死んじゃった」


「そっか。悲しい?」


「悲しかったけど、今はわからない」


 女の子は困ったように笑った。



 イトは考えていた。

 もしあのときゼンタが死んでいたら――。



 イトはもとの世界のことを思い出そうとしていた。もしかしたら自分も、誰かの大切な人を、殺したことがあるのではないかと。

 そのことを考えると、地面がぐらっと揺れるような感覚に陥った。



「何か探してるの?」


 女の子にまた話しかけられて、イトは我に返った。


「魔王だよ。さっきまでここにいたんだけど」


 イトはあたりをキョロキョロする。


「いるよ」


「えっ?」



「ここに、いるよ」



 そのときイトは気がついた。

 シアンが片っ端から街中の人々を治癒していたにもかかわらず、ケガをしている人間。



 つまりそれは――。





「私が、魔王だよ」







 女の子、魔王がそう言った瞬間、イトはリングから小さな銃を取り出し、銃口をむけた。

 だが先に魔王にシールドを張られてしまった。



「それじゃ、遅いよ。私には届かない。あと、私を殺していいの? 殺してこいって言われたの?」


 それでも引き金を弾こうとしたが、魔王の言葉に手が止まる。



「言われて、ないけど」


「じゃ、まだやめておいたほうがいいんじゃない?」



 イトは考えた。普通に考えれば、殺すべきだ。だが、今イトは魔力がほとんどない。銃を出したのはいいが、おそらく打てても威力の弱い弾1発のみ。弾かれれば打つ手はなくなる。



 魔王も今は戦う気はないように見える。

 自分が魔王を刺激して、またここが戦場になれば、今度はみんな死んでしまう。

 

 イトだけでなく、ロウもシアンもゼンタも、もう魔力は残っていない。



 考えても考えても、イトにはどうするべきかわからなかった。

 シアンがいてくれれば、心からそう思った。



「はあ、やっぱり死んでなかったかー」


 イトは攻撃を諦め、銃をリングへ戻す。



「死なないよ。あれくらいじゃ」


 赤い唇がにやりと気味悪く笑う。



「自分でケガは治せないの?」


「私の役目は破壊すること。治癒は、止血するくらいしかできない。治すことはできない」


「そうなんだ。黒髪じゃないんだね。目も。魔王は黒髪黒目って聞いてたんだけど」


「色を変えてるだけだよ。すぐにバレちゃうからね。ここは『赤の国』属国の街だから、今は赤色にしてるの」


 女の子は髪の毛先をクルクルといじる。



「あのさ、きみ、このままだと逃げるよね?」


「逃げるよ。さすがに疲れたし、休みたい。ここまで追い詰められたのは初めてだ」


 魔王は顔の包帯をそっと触る。



「そしたらきみがどこいったかわからなくなる。せっかく見つけたのに」


「あなたの仲間ならわかるよ」


「どういうこと?」


「あなたの仲間の一人が、私の居場所を特定できるの」


 イトが目を丸くする。



「そんなわけないよ、そんなことできるなら、とっくにやってる」


「嘘ついてるから、彼」


「……誰のこと?」


「ナイショ」


「なんでウソついてるの?」


「さあ、それは知らない」



 イトは探るように目を光らせるも、魔王が嘘をついているようには見えなかった。



 すると、魔王が少し目を細め、イトの後ろを見る。



「あなたのお迎えがきたみたい」



「……お迎え?」



 イトは魔王の視線の先を見た。


 そこには、白い服に身を包んだ者たちがいた。



「じゃあね、今度会ったときは、あなたのこと殺しちゃうと思うから、覚悟してね」


 

 イトは魔王の言葉が入ってこなかった。

 それよりも、まっすぐイトのもとへ歩いてくる白い集団から目を離せないでいた。



「ご無事でなによりです」



 先頭にいる男がイトに頭を下げる。

 イトと同じく、白髪に白い瞳。見たことのある人物だった。国にいたとき、イトの周りを世話していた男性であり、イトの素顔を知る数少ない人物だった。



「ぼくも複製体を操れてたら、もっとみんなと一緒にいられたのかな。いっぺんにいろんなことするの苦手だから、できなかったんだよね」



 イトは諦めたように空を仰いだ。



 逃げることはできない。もう魔力も体力もないのだから。



 イトは国へ戻らなければならないのだ。










「おれ、行ってきます」


 ロウはコートを脱ぎ、中に来ていた薄い黄色のシャツの袖をまくる。



「どうするの?」


「とりあえず本当にイトさんか確認します。おれたちがイトさんが捕まったことを知っていると伝えられれば、イトさんも安心すると思います。おそらく以前のようにドアでイトさんに会いに行くことはできないでしょうから」



「確かにな。見張りは昔より厳重になるだろう」


「だけど、うまくいくかしら。ちょっとでも近づく人間は容赦なく拘束されそうだけど。イトの視界に入れる?」


「おれに考えがあります。たぶん大丈夫です。すぐに行ってきます」


「無茶すんなよ?」


 ロウは体を半分ほど廊下に出したところで振り返り、ニコッと笑ってそのまま出ていった。



「おい、あいつ『はい』って言ってねえぞ」


「言ってないわね」


「あーーー、くそっ」


「迎え? あたし行くわよ?」


「干からびた魚に行かせられるかってーの」



 枕がシアンの顔を直撃した。









 ロウはできる限りの猛スピードで走った。

 まだイトがいてくれることを願って。



 幸い、街の出口付近でイトの姿を確認できた。


 イトは前後左右を4人の白装束に囲まれながら歩いていた。両手を後ろで縛られ、さらには目隠しまでされていた。

 これでは視界に入っただけではイトに気づいてもらえない。




 やるしかない。


 ロウは建物の陰に隠れ、深呼吸する。



「大丈夫」



 そう自分に言い聞かせ、髪をほどきメガネをとった。



 直後、視界が白黒になり、見るものすべてがグニャグニャと変形する。

 地面も建物も人も、すべてがいびつな形となり、動く。


 ロウは吐き気を抑え、イトのもとへと走り出した。

 まっすぐ走ることすらできず、足がもつれそうになる。



 白の集団の前に出たところでロウは転げ、我慢できず地面に吐いた。


 視界が歪むロウには彼らの反応を見ることはできないが、声は聞こえてきた。



「なんだ?」

「魔王の攻撃でケガをしたのかも」

「避けて進みましょう。今は一刻も早く戻るべきです」



 これだけでは止まってくれないか。ロウは注意を引くために、重たい顔をあげた。



「!? その目は!?」


 ロウの瞳を見て、彼らは動揺する。



「金色!?」

「もしや『黄の国』の実験体か…!?」



 やはり知っていたか。

 ロウは心のなかで薄ら笑いを浮かべた。



 イトのことを見つけられるのは、『白の国』でも地位の高い者だけのはず。その人物なら、この金色の瞳のことも聞いたことがあるはずだ。



 彼らの足が止まったのがわかった。おそらく4人ともロウの瞳を見ているに違いない。

 イトもロウがいるのだとわかっただろう。

 


「すまない。何もしてあげられないんだ。本当にすまない」



 誰かがロウそう言うと、ロウの横を通り過ぎる足音が聞こえた。



「ごめんね、ありがとう」



 イトの声だ。

 その声を聞いて、ロウは一安心した。



 彼らの足音が遠ざかり、ロウはほっとするのと同時に、また吐いた。



 メガネをかけようとするが、震えて力が入らず、そのまま地面に倒れ込んだ。



「もどら、ないと」



 ガンガンと目の奥が痛み、頭も割れるようにズキズキする。

 メガネがないと、何もできない。




「せっかく、自由に、なったの、に……。なんにも、見えない、なあ」



 遠のく意識のなか、空を見た。

 白黒の空を。




 ロウはこの世界に来たときのことを思い出した。



 無機質な部屋で目覚めたロウは、硬いベッドなのか、ただの台なのかわからないなにかに寝かされ、手足を拘束されていた。



 夢か現実か、自分がどこにいるかを寝ぼけた頭で考えていると、数人が自分を見下ろしていることに気がついた。



 何やら話しているようだったが、ロウの体はまるで麻酔が効いているかのように体の感覚が鈍くなっていて、何を言っているのかわからなかった。



 誰かがロウの目を触り、何やら処置をしている。痛くはないが、目の中に何かを押し込まれているのはわかった。


 そしていつのまにか意識を失った。



 次に目を覚ましたとき、またしても寝転ぶロウを見下ろす大人たちが何と言ったか、ロウははっきりと覚えている。



「やったぞ! ついに『金の瞳』は成功した! 魔王を倒せる人間の誕生かもしれない!!」



 魔王に怯える世界を救うため、『黄の国』は長年『金の人』を生み出す研究を続け、ついに『金の瞳』を作ることに成功した。



 金色は彼らにとっては希望の光であったが、ロウにとっては絶望の色でしかなかった。

 メガネをかけたところで歪みが補正されるだけで、色を見分けることはできなかった。



 白と黒の世界――。



 ロウは、この魔法の世界の空や森や魔法がどんな色でできているのか、1度だって見たことはなかった。


 

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