26、ハナは精霊?

 ――よかった。父さん、うれしそう。

 ハナがホッとしてため息をついた、その時だった。

「難しい話は終わりですか?」

 突然、雲を突き抜けるような明るい声が上がった。

「なあなあ! ハナと清吾郎、飛んでたよな! 箒無しで!」

 そう言ったのは、人ごみからグイグイと出てきた理仁だ。

「……えっ」

 目だけをゆっくりと動かして、自分の手を見たハナとセイは凍りついた。

 二人の手は、空っぽだ。

「……彼の言う通りだ、ハナ。妖怪騒動で話が反れていたが、これはどういうことだ」

 宋生がそう言うと、意地の悪い笑みを浮かべた瓜とユリが現れた。手には、ハナの緑の薬草箒を持っている。

「確かに飛んでいたな、何も唱えず、何も持たずに」

 義雄はセイの箒を持ち、わざとらしく穂先をゆらゆらと揺らした。その穂先のように、二人は足元がフラフラした。

 知られてはならないことだった、二人が何も持たず、なにも唱えずに空を飛べることは。

 知られれば、さっき小糸を襲っていた鬼と同じ「妖怪」だと言われるかもしれないのだ。

 寿郎と紅の働きのおかげで、退治されることはないだろう。そうだとしても、ハナとセイを巨大な不安が襲った。頭が全く働かない。

「それから寿郎もだ。お前も、何も持たずに宙を舞っていたな。どういうことだ」

 宋生の言葉に、ハナはハッとした。

 確かに寿郎も何も持たずに空に舞い上がり、上空から妖怪にトンボ玉を投げつけていた。一体どういうことだと言うのだろうか。

「あのおう。よくわかんないですけど、ハナたちが飛んだことって、いいことじゃないんですか?」

 理仁は目をくりっと見開き、宋生と義雄を不思議そうに見上げた。宋生と義雄は「はあ?」と間の抜けた声を上げる。

「ハナが前に言ってたんです。飛べないせいで、村の人に何かあった時に早く助けに行けないから、自分はダメな奴なんだって。俺は魔術が使えるだけですごいと思いますけど。でも、飛べるようになったってことは、ハナはもっとすごい奴になったってことですよね。褒めてやってくださいよ。一族の役に立ちたいって、ハナ、ずっと言ってたから」

 にっこりと笑った理仁は、くるりとハナとセイの方へ向き直り、二人の肩を叩いた。

「お姉さんの危機に、ためらわずに突っ込んでいった二人、なんか精霊みたいだったぜ!」

「……せ、精霊?」

 セイが震える声でオウム返しをすると、理仁は「ああ!」と無邪気に笑った。そして、いつの間にか録画していた、ふたりが飛んでいる動画を再生し始めた。スマートフォンの小さな画面の中で、ハナとセイは何も持たずに空を飛んでいる。

「ほらこれ。身一つで飛んで行って、人を助けたんだぜ! それって精霊とか天狗がすることに似てるじゃん。ハナの親父さんも超カッコよかったぜ! 袴姿で妖怪退治とかシビれるだろ!」

 「みんなもそう思ったよな?」と言う理仁に導かれるように、ハナとセイのクラスメイトたちがわらわらと傍に寄って来た。

「わたしも感動しちゃったわ!」

「怪我しなくてよかったあ」

「ハナと清吾郎みたいな魔術師がいて、輪野村は安全だな」

 綿のように柔らかい言葉の真ん中で、ハナとセイは泣きそうになった。

「……こ、怖いと、思わないの?」

 ハナの言葉に、雪が優しく微笑んだ。

「怖いはずないじゃない。むしろ鬼が出て怖かったけど、ハナが颯爽と助けに行ったおかげで安心したよ」

「ほ、本当に?」

 雪は「ほんと!」と言って、ハナに抱き着いてきた。

 ハナの胸の中に、春のように温かい風が流れてきた。その風は、ハナの涙を胸の奥から外へ放ってくれた。

「……あ、ありがとう、雪、みんな」

 子どもたちの喜びの声がどんどん大きくなっていくと、宋生が頭を掻きながらその輪に入った。

「我が一族の子を褒めてくれてありがとう、諸君。ハナも寿郎も飛べるようになったことは素晴らしいことだ。おめでとう」

「……はい。ありがとうございます」と寿郎。ハナもペコッと頭を下げる。

「ただ、この箒競争には、一族の今後を決める意味もあるんだ。それはお前たちもよくわかっているだろう」

「そうだ。競争の結果はどうなった。お前たち、一緒にいたな。どっちが一等を獲った?」

「「……二人、一緒に、です」」

 ハナとセイが答えると、「二人一緒にだと!」と怒鳴り声が上がった。

「それなら結果は無効だな。今すぐにでも箒競争をやり直すべきだ」

「そうだ。だから、ふたりが飛んだこととは別に、一等がふたりいるのならば、競争のやり直しをしなければならないんだ」

 義雄がこれ見よがしに拳を振り上げた時、「それももうやめないか」と声が上がった。そう言ったのは、雪の父親である裕次郎だ。

「突然なんだ、裕次郎」と宋生。

「突然じゃない。ずっと考えてきたことだ。わたしたちは、三日月一族にも桜一族にも心から感謝している。どちらが上かどうかなんて、考えたことは無い。それなのに、子どもを競争させて、優劣をつけるだなんて、もうやめよう。妖怪との付き合い方も変えるのなら、人間同士の付き合い方も変えるべきだ。わたしたちなら、それができるはずだ」

 裕次郎の言葉に、宋生と義雄が唇を一文字にして黙り込む。村の役人の一人として働く世良裕次郎は、宋生とも義雄とも古くからの友人なのだ。

 裕次郎はにっこりと微笑み、寿郎と紅の方に歩み寄った。

「きっかけを作ってくれたこと、感謝します」

「いえ。わたしではありません。子どもたちです。ハナとセイのおかげです」

 紅も微笑み返し、再び友人たちに囲まれたハナとセイの方を見た。

「そうですね。ふたりにはうんとお礼をしないと」

 子どもたちの輪に入った裕次郎とハナの目が合う。裕次郎に優しく微笑まれると、ハナもにっこりと微笑み返した。

「ありがとう、ハナ、清吾郎。君たちが、輪野村が変わるきっかけを作ってくれたんだ」

「俺は、自分とハナのために頑張っただけですよ」

 セイの言葉に、ハナもうなずく。

「わたしも、たくさんの人のことなんて、考えてませんでした。自分と家族と、セイのことだけを考えていました」

「十分じゃないか。それに、自分を含めた誰かのために何かをしようと行動したことが、わたしや多くの人の心を変えたんだ。それは素晴らしいことなんだよ」

 裕次郎が「そうだろう」と周りを見回すと、また拍手が起こった。拍手は村を駆け抜け、山まで飛んでいく。どこからかやまびこの「パチパチ」という声が聞こえてきた。

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