25、ハナは手を叩く

 紅は袂を探りながら、「本当は本日、お祭りが終わってから、お時間をいただくつもりだったんですが」と言った。

 長方形に折りたたまれた文を手早く開くと、紅はじっくりと読み上げ始めた。

「これまで魔力や妖力を持った生き物『魔族』は、退治の対象と考えられ、致命傷を負わせる、もしくは殺生が当然とされてきた。しかし彼らと対峙を続ける中で、彼らにも感情があり、仲間がいることが分かった。魔族が年々組織化していることがその証拠だ。彼らを物理的にも心理的にも傷つけることは、更なる恨みを買うことになる。その恨みを元に、人間が襲われる、という悪循環を生む原因となっている。」

 ――だから妖怪は、退治された時に「恨むぞ」って言ってたんだ。

 ハナは一人で納得してうなずいた。

 紅はいつも優しさを帯びている目を細くして、ちらっと義雄を見た。義雄はきまり悪そうにチッと口を鳴らした。

「そこで、彼らに対する新しい対処法を二つ提案する。

一つは無力化。これは魔族によって効果的なものは様々だが、最も有効だと考えられるのは、『植物の粉』だ。魔族は人間よりも自然と密接な関係を持っている存在であるため、魔よけ効果のある植物の粉の効果が期待される。

もう一つは、対話による契約だ。これは危険が伴うため、魔族が興奮していないこと・無力化していることが条件である。彼らが何を求めているかを知り、可能な限りその要望を叶えることで、人間を襲わないことを約束させるのである。繰り替えしになるが、彼らも感情や仲間を持つ生きた存在だ。さらに言えば、彼らが人間を襲うようになったのは、人間が開拓と称して彼らの住処である森や海を侵害したためだ。最初の被害者である彼らを力で制すれば、当然あちらも力を持ってこちらに向かってくる。そんな争いは、我々が終わらせるべきだ。一人でも多くの方がこの考えに賛同し、実践してくれることを願う」

 三日月一族と桜一族はしんっと静まり返り、事情を全て理解できない村人たちもつられて黙り込んだ。

 ハナもすべてを理解できたわけではなかった。ただ、妖怪と人間が傷つけあわずに済むようにがんばろうとしている人がいることはわかった。

「なんだか、ハナみたいな人だな、ニーヴ・マリーさんって」

 セイにささやかれ、ハナは「そうかな」とつぶやいた。

「父さんは、これを実践しようとしたのよね」

 紅の言葉に、寿郎はハッとしてコクコクッとうなずいた。

「そ、そうだ。わたしは、もう妖怪を傷つけたくなかった。退治する度に、妖怪たちは『恨むぞ』と言っていた。わたしたちは、妖怪の恨みを買う様なことをしているのだと、いつも思った。当然だ。彼らを傷つけているのだから」

「でも先に手を出しているのは、妖怪だぞ」

 桜一族の大人が言った。

「それも元を辿れば、我々が侵略者だと、紅の話にもあったじゃないか。妖怪たちは人間が生まれるよりもずっと前から存在していたんだ。水に、土に、空に、寄り添うように生きていたんだ。ニーヴ・マリーさんもおっしゃる通り、それを、開拓と称して踏み荒らしたのは、我々人間ではないか。追い返されても、文句は言えないだろう」

「それじゃあ、村の人たちが妖怪のせいで傷つくのは見過ごせっていうの?」

 今度は三日月一族の大人が言った。

「いや。そうではない。……むしろ、人間と妖怪の間に立つことができる我々がいるからこそ、彼らとの関係を変えていかねばならないと思っているんだ。幸い、妖怪たちは我々と同じ言葉を発する。つまり、我々と彼らは会話をできるということだ。だから、わたしは彼らと分かり合い、もうお互いに傷つけあわない関係を作りたかった。……おこがましいかもしれないが、ニーヴ・マリーさんと同じだ」

 ハナはあの河童を思い出した、ハナとセイの逃避行を助けてくれた。

「あの河童さんに、お礼、言えてないね」

「今度行こう、絶対に」

 セイが答えたその時、寿郎の足元に転がった鬼が唸った。

「……うう、巣が。……子らの巣が」

 黒豆のそばから聞こえてくるか細い声に、ハナは涙があふれそうになった。

 ――やっぱり妖怪は、何かを伝えたかっただけなのかもしれない。

 寿郎はそっと鬼を抱き上げ、くるりとふり返った。

「今ここから、この輪野村から、妖怪との付き合い方を変えよう! 我々は傷つけ合うべきではない! ニーヴ・マリーに続くべきだ!」

「わんっ」

「その通りです」

 守路が人ごみをかき分けて寿郎と黒豆の間に立った。

「俺も寿郎さんの意思に賛同して、寿郎さんと共にこのヨモギのトンボ玉を作りました。そして今、その威力を実感しました。これがあれば、我々はきっと歩み寄れます」

 守路は黒豆を抱き上げ、寿郎に向かってパチンと片目を閉じた。寿郎はうなずいて黒豆をひと撫ですると、一歩前に歩み出た。

「妖怪によって心身に傷を負ったものがいることは理解している。しかしだからと言って相手を攻撃すれば、また攻撃を受けることになる。人に刃を向ける者は、刃を受ける覚悟をしなければならないからだ。しかし、そんな悲しいことは、もう少しだって起こってほしくない。だから我々が辞めるべきなのだ、そんな悪循環を。もし、わたしや守路、ニーヴ・マリーに賛同してくださる方がいるならば、ぜひ拍手を」

 最初に手を叩いたのは、この話を始めた紅だ。それに続いて、ハナ、セイ、小糸、蒼志、寿郎、守路も手を叩いた。しかしそれ以降、拍手は増えない。

 その場にいる多くが、困惑した顔をしている。それぞれに意思はあるはずだ。ただ、それを拍手で表現し、責められることを恐れているのだと、ハナにはわかった。

 ――人と違うのは、普通と違うのは、怖いことだもの。

 ハナはこっそり紅の方に近寄り、小さな声でささやいた。

「……目を、つぶるように言って」

 紅はコクッとうなずいた。

「皆さん、目をつぶってください。そして、自分の意思に従ってください。その結果、あなたが責められたら、その時はわたしが責任を持ってあなたを護ります」

 紅は人々の間を縫うように歩きながら、「さあ、目を閉じて」と何度も言って聞かせた。宋生や義雄も、紅には従わざるを得なかった。紅はここにいる魔術師の中で最も優れているからだ。

「全員が目を閉じました。わたしも閉じます。そうしたら皆さん、どうか、ご自分の意思に従って行動してください」

 ハナは目を閉じて、手を叩き続けた。まだ、ハナの他に聞こえてくるのは、十人分にも満たない。ハナはまぶたがくっついてしまいそうになるほど強く目をつぶって、願った。


 パンパンパンッ パンパンパンッ


 一つ、大きな拍手が加わった。

 それを合図にしたように、無数の拍手があちこちで鳴りだした。拍手はどんどん大きくなっていった。

「――皆さん、ありがとうございます! 手を止めて、目を開けてください!」

 紅が声を張り上げると、一瞬にして拍手が止んだ。

 全員の目線が、寿郎と紅に注がれる。

「結果は言うまでもありません。ご協力感謝します」

 寿郎は深々と頭を下げた。

「今後は皆さんの安全を護るため、このヨモギのトンボ玉が普及するよう、全力を尽くしてまいります」

 今度は大きな拍手が上がった。三日月一族も桜一族も、輪野村の村人も、隣村の村人も、その場にいるほとんどが手を叩いていた。

寿郎は目に涙をためて、何度も頭を下げ、「ありがとうございます」とくりかえした。

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