27、ハナは妹に結と名付ける

 裕次郎の提案の元、箒競争はハナとセイの同着で結果が決まり、やり直しにはならなかった。どちらの一族もこの決定に口を出さず、黙ってそれぞれのお屋敷へ帰っていった。


 箒競争は催しの一つだったため、輪野村三年祭はその後も続き、夜には予定通り花火が上がった。

 日が落ちて少し冷めた夏の夜空を彩る花火を、ハナと黒豆は初めてセイと一緒に見た。

「あ、見て、セイ! 今の柳花火だよ!」

「本当だ! きれいだなあ」

「わんわんっ」

 ハナは興奮してかき氷を口いっぱいに入れた。上にかけたしそジュースの味と氷の冷たさにうっとりと目を閉じる。

「寿郎さんは見当たらないけど、鬼の手当か?」

「うん。今までもずっと退治の後にこっそり連れて帰って、怪我を治したり、話を聞いたりしてたんですって。しょっちゅう自室に籠ってるのは、そのせいだったみたい」

「それじゃあ、俺たちの逃避行に協力してくれたあの河童も、寿郎さんを通して三日月一族を知ったのかもな。優しい人なんだな、ハナのお父さん。今度話してみたいよ」

「それならこの後行こうよ! 父さん喜ぶよ、きっと」

「清吾郎なら大歓迎よ」

 背後に現れたのは、四人分の味噌田楽を持った小糸と、ラムネを持った守路だ。

「わたしの恩人の一人だもの」

 セイは「そんな……」と照れくさそうに言いながら、甘辛い味噌がたっぷりかかった味噌田楽を受け取り、がぶりとかぶりついた。

「これからはきっと毎日だって遊びに来られるようになるわ。三日月一族と桜一族が歩み寄れるようにするのも自分たちの仕事だって、世良さんが仰ってたもの」

「わたしもセイの家に行けるようになる?」

「きっとね。……そういえばね、ハナ」

「どうしたの、小糸姉さん?」

 急に改まった態度の小糸に、ハナは首を傾げる。

「さっきは言えなかったんだけど、わたしね……」

 小糸が一度口を閉じた瞬間、ひときわ大きな花火がドーンと上がり、あちこちで歓声と拍手が起こった。小さな子どもたちは手で耳をふさいで、きゃあきゃあはしゃいでいる。ハナはその中に、精霊や妖怪が混じっていることに気がついた。

 ――きっと今までもどこかでこの花火を見てたんだ。今年からは、みんな一緒に見られるんだ。

 ハナは木の葉天狗に気がつくと、小さく手を振った。よく見ると天狗は、ハナの靴下に似た靴下を履いていた。ハナはフフッと笑ってから、小糸に向き直った。

「ごめん、姉さん。何か言った?」

「……ううん。何でもないわ」

「ハナ、ラムネ飲む?」

「わあ! ありがとう、守路さん」

 ハナはお礼を言って、守路からラムネを受け取った。ポンッと音が鳴り、続けてシュワシュワという小気味よい小さな音が鳴った。ビー玉の音に驚いた黒豆はピョコッと守路の腕の中に飛び移った。

「今日は本当にお疲れさまだね、ハナ」

「守路さんこそお疲れ様。まさか父さんと守路さんが一緒に新しいトンボ玉を作ってたなんて、ちっとも気がつかなかったわ」

「寿郎さんなら聞いてくれると思ったんだ。俺の、妖怪たちの声を」

「えっ、それってどういう……」

 ハナはハッとして口を結んだ。草の上に腰を下ろす守路の浴衣の裾から、ふわふわの白いしっぽが出ている。雫のような形をした豊富な毛の立派なしっぽだ。

守路は片目をパチンと閉じて微笑んだ。その瞬間に、しっぽは陽炎の様にすうっと消えた。

「その通りだったよ。寿郎さんに出会ってから、良いことばかり。ハナっていう素晴らしい友人もできたしね」

 すべてを理解したハナは、にっこりと微笑んだ。

「……それは、わたしの台詞だよ」

「おーいっ! ハナ! 小糸!」

 寿郎が血相を変えて走ってきた。

「どうしたの、父さん」

「あ、蒼志と、紅はどこだ?」

「友達と一緒じゃないかしら。どうしたっていうの、そんなに慌てて」と小糸。

「う、生まれそうなんだ! 小春の子が!」

「「えー!」」

 ハナと小糸が声を上げると、セイはスクッと立ち上がった。

「おれ、蒼志さんと紅さんを探して連れて行きます! みんなは先に、小春さんのところへ行ってください!」

「ありがとう、セイ。あ、守路さんも来て!」

「いいの?」

「当然だよ!」

 ハナは笑顔で、黒豆を抱く守路の手を優しく引いた。


 寝室に飛び込むと、顔を真っ赤にした小春と、宋生の妻である美竹、小春の姉である琴乃がいた。部屋の中は言い表せないムワムワとした熱気に包まれている。

「小春、子どもたちが来たぞ」

「ああ、寿郎さんと紅、それから小糸は残って手伝って。他の人は出て行ってちょうだい」

 琴乃は誰の顔も見ずに冷たくそう言った。しかたなくハナとセイ、蒼志と守路と黒豆は寝室から出た。ひんやりした廊下に並んで座り込む。黒豆は守路の腕の中でうとうとしている。

「いよいよかあ。緊張するな。五人目でも、母さん自身も緊張するもんかな」と蒼志。

「小春さんなら大丈夫だよ」

 守路は蒼志の肩をポンと優しく叩いた。

窓の外では、ひゅるるーどんどんっと花火が絶えず上がっている。ハナは赤色、青色、緑色と変化する空を見上げて気持ちを紛らわせた。

 ――どうか、無事に生まれてきますように。

「大丈夫だよ、ハナ」

 隣に座るセイを見ると、セイは落ち着きを払って微笑んでいた。

「……わたし、不安そうな顔してる?」

「ううん。心配そうな顔。でも、きっと大丈夫だ」

「オギャーッ」

 四人と一匹はバッと顔を上げ、競うように寝室の扉に飛びついた。扉が開くと、空気を割るような産声が響き渡った。

 寿郎は目に涙を浮かべながら、にっこりと笑った。

「生まれたぞ。女の子だ。母さんも元気だぞ」


 産着に着せ替えられた生まれたての三日月家の四女は、枕に背を預けてベッドに座る小春の腕でスウスウと寝息を立てた。その頃には三日月一族のほとんどが家に詰めかけていて、玄関から寝室の廊下、二階に続く階段まで人でいっぱいになった。

「おめでとう、小春さん」

「ありがとうございます、当主様」

 小春が赤ちゃんを差し出すと、宋生は慣れた手つきで抱き上げた。途端に赤ちゃんは泣き出し、すぐに琴乃によって小春の腕に戻された。

「お母さんのところが良いわよね」

 琴乃はじろっと宋生をにらみつけた。

 琴乃は、しきたりの多い三日月一族に妹の小春が嫁ぐことを誰よりも心配していた。そのため、寿郎以外の三日月一族に対しては横柄な態度を取るのだ。

宋生はきまり悪そうに咳払いをした。

「それで、名付け親は誰に?」

 小春と寿郎は目を合わせて小さくうなずいた。

「ぜひ、ハナに頼みたいと考えています」

「えっ、わたし!」

 出窓に腰を下ろしていたハナは飛び上がった。周りの人々の驚きの目が、一斉にハナに向けられる。

「ずっと楽しみにしていたでしょう、赤ちゃんが生まれてくるの。それに、ハナがとびきりがんばった日に生まれた子ですもの。ハナに名前をもらったら、さぞ喜ぶと思うわ」

 小春はハナを手招きし、ベッドの縁に座らせた。

「お待ちかねの妹よ、ハナ。なんて呼んであげましょうか」

 赤ちゃんの顔をジッと見つめる。妹だからか、どことなく似ているような気がした。

 ほっぺたはまん丸で、柔らかそうだ。見つめ返してくる目もまん丸で、黒曜石のようにきらめいている。まるで宝物のようだ。

 ハナが人差し指を差し出すと、赤ちゃんは小さな手で握り返してきた。

「……結って書いて、『むすび』はどうかな。今日っていう素晴らしい日に生まれた子だから、これからもたくさんの素晴らしいことと結びついていられますようにっていう願いを込めて」

「とっても良い名前だと思うわ。ねえ、寿郎さん」

「ああ。今日からその子は結だ」

 すぐに結の名前は一族中に広がり、家のあちこちから拍手が聞こえてきた。宋生も納得したようにうなずきながら、パシパシ手を叩いた。

「さあ、ハナ。結を抱いてやってちょうだい」

 「うん」と答えると、ハナは両手両腕にしっかりと力を入れて、小春の腕から結を受け取った。

 ハナは腕にかかる重みから、結が生きていることを感じた。

 これから結は、ハナと同じ三日月一族として生きていくのだ。

 結が生まれるまでに、少しでも一族から向けられる家族への態度を変えたかった。

 もし自分と同じように、何も持たず、何も唱えずに空を飛べる子だったとしても、生きやすい世界にしたかった。

 もし自分と同じように、桜の子と仲良くなっても、隠さずに、一緒に過ごせるようにしてあげたかった。

 ハナが妹のために叶えたかった望みは、今日、ほんの少しだけ叶った。

 しかしまだまだ足りないこともある。

 ハナの心の中に、大地深く根を張り、空高く枝を伸ばす大樹のような意思が生まれた。

「……結のために、わたし、もっともっとがんばるね」

 ハナが結の額に自分の額を当てると、結は答えるようににっこりと笑った。

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