22、ハナは輪野村三年祭当日を迎える
「うっ、痛い!」
「ハナ、あなたもう少し食べなさい。こんなに細い腰の帯を締めるのは初めてよ」
叔母の多恵は、苦しむハナに追い打ちをかけるように、箒競争用の三日月柄の着物の帯をギュウッと締めた。
いよいよやって来た輪野村三年祭当日。
突き抜けるような晴天となった今日は、朝から魔術による色付きの花火がポンポン上がっている。
窓の外からは、タコ焼きやベビーカステラ、かき氷など屋台のおいしそうな匂いが漂い、村の子どもたちが喜んでかけまわる声も聞こえてくる。
「髪型はどうするの? できれば、あとは自分でやってほしいけど。千恵の着付けもまだだし」
「ポニーテールにします。自分でやるので大丈夫です」
「それが良いわよ。どんなに着飾ったとところで、ボロボロになって走るハナなんて、誰も見てないわ」
千恵は、わたしが主役よ、という自信満々な顔を向けてきた。しかしハナは何も言い返さず、ジッと黙った。するとその反応が面白くなかったのか、千恵はブツブツ文句を言いながら、姿見の方へ歩いて行った。
「じゃあ、最後の羽織を着て。くれぐれも着崩さないでね」
「ありがとうございました」
三日月柄の羽織に袖を通すと、半ば追い出されるように部屋を出た。部屋に置かれていた大きな姿見は、ずっと千恵に占領されていた。そのせいで、ハナは自分の晴れの姿を一分も見ることができなかった。せっかく紅姉さんがくれた帯飾りを贅沢に三つもつけたというのに。
「……まあ、家で見ればいいよね」
多恵と千恵の家を後にすると、ハナは羽織の裾をヒラヒラさせながらお屋敷の中をゆっくりと歩き出した。
今日は朝から一族が総出となって、お屋敷の中をあわただしく動き回っている。
できたての料理を運んでいる人もいれば、この後使う丸型提灯を大量に運んでいる人、遠方から来た親戚の挨拶を受けている人もいる。お屋敷の中央にある三日月型の池は、人々が歩く振動が伝わって、わんわんと波が立っていた。
「あ、ところてん」
青い縦じま模様の小鉢に入った大量のところてんを運ぶ叔母の美代子が目にとまると、ハナは急に小春の顔を見たくなった。
輪野村三年祭では、三日月一族はところてんを、桜一族はようかんを、村の人にふるまうのが習わしになっている。小春は三日月一族一のところてん職人で、これまでは小春が中心になってところてんを作っていた。
「……今年は母さんがいないから、きっと味も舌触りも違うだろうなあ」
鬼が村に出没した日以来、小春の体調はまた悪くなっていた。着付けに呼ばれる前に寝室へ向かうと、小春は、今日も起きてくるのは難しいと言っていた。
――本当は、わたしが飛ぶところを見てほしいって、思ってたけど……。
ハナは出かかった言葉を飲み込み、代わりにふうっとため息をついた。
「やあ、ハナ」
優しい声にパッと顔を上げると、珍しく浴衣を着た守路が、手を振りながらこちらへ歩いて来ていた。ハナは嬉しくなって、守路に駆け寄った。
「おはよう、守路さん! 今日は会えないかもしれないと思ってたから嬉しいっ」
「ハナの晴れ舞台は見なきゃね。応援に行くから」
「ありがとう」
ハナがにっこりすると、守路は「そうだ」と言って、青い浴衣の袂を探った。
「今渡すものでもないんだけど……」
そう言って差し出されたのは、水の魔術が入ったトンボ玉だ。五つあるうちのほとんどがいびつな形をしている。
「少し前から、勇さんの息子さんがガラス工房で働きだしたんだけど、まだ失敗が多くてね。うまく丸くならなかったものや気泡が入りすぎたものは、退治には使えないって当主様がおっしゃったんだ。だから、ハナが畑に水をやる時にでも使ってもらえる? 魔術はちゃんと入っているから、水やりくらいなら問題なく使えると思うんだ」
「これから畑の様子も見るつもりだったの。ありがとう、守路さん」
ハナはトンボ玉を着物の袂に入れた。よく慣れた重みを感じると、ハナはようやく少し安心できた。ハナの袂には、いつだって水の魔術のトンボ玉が入っているのだ。
「忙しいのに呼び止めてごめんね」
「そんなことないよ。箒競争は午後の二時から始まって、その前に一族勢ぞろいの昼食会があるけど、それまでは特にすることがないから」
「そっか。それなら安心する家で過ごすに限るね。俺はお祭りを見てくるよ。甘い物がいろいろあるだろうからね」
ハナはクスッと笑い、守路と別れた。
家族の誰かが水をやってくれたらしく、畑の植物はみんなみずみずしかった。それを確認してから家に入ると、留守番をしていた黒豆がターッと駆けてきた。ハナは両手に抱きかかえられた黒豆は、着飾ったハナに興奮して、顔をペロペロなめてくる。
「褒めてくれてるの、黒豆? ありがとう!」
家の中はがらんとして静まり返っている。
「そっか。小糸姉さんは料理作りで、父さんと兄さんは会場の準備だったっけ」
小春の部屋のドアをチラッと見てから、ハナは階段を上って自分の部屋へ向かった。
サッと部屋に入って内鍵をくるっと回すと、机の上に置いた緑の薬草箒と一緒に裁縫箱を持ってベッドに座り込む。
「さて。見つからないように、うまくつけなきゃねっ」
「わんっ!」
ハナは羽織を脱いで、ベッドの上に大きく広げた。黒地に大きな三日月の絵が描かれた羽織は、箒競争の選手だけが袖を通すことを許された特別なものだ。
左脇の辺りに薬草箒を乗せ、穂先が裾から出ない位置を確認する。
「この辺りなら、裾から見えないかな」
位置を決めると、羽織と同じ黒色の糸で手早く縫い付け始めた。
「セイも上手にできてるといいんだけど……。勉強は得意だけど、手先は不器用だからね」
針に糸を通すところから苦戦していそうなセイを想像して、ハナはふふっと笑った。
糸切りバサミでパチンと糸を切り、サッと羽織を羽織る。部屋にある小さな姿見の前でゆっくりと回っても、薬草箒が縫いつけられているようには見えない。箒が軽いおかげだ。ハナは「よしっ」と両こぶしを握り締めた。
「昼食会の時と、移動中に落ちないように気を付ければ、あとは箒競争を待つだけ。がんばるよ、ハナ!」
鏡の中の自分にそう言い聞かせると、鏡の中のハナはコクッとうなずいた。
「ハナ! どこだ! 最後の練習をするぞ!」
庭の方から怒鳴り声が聞こえ、ハナと黒豆はビクッと震え上がった。この声は、当主補佐である叔父の平助だ。
ハナと黒豆は大急ぎで階段を駆け下り、庭へ飛び出した。平助とあざみと千恵が、池の傍に立っているのが見える。
「き、今日は、練習は無いんじゃ……」
ハナがブーツを履きながら片足でピョンピョン飛んで行くと、平助は細くつり上がった目で、じろりとハナを睨みつけた。
「無い訳がないだろう! 今日は箒競争の当日なんだぞ。最後の調節があるに決まっていると、どうしてわからないんだ!」
しかし確かに宋生本人からから、当日は当主である宋生が忙しいため練習は無い、と言われたはずだ。
あざみと千恵の方を見ると、ふたりもうんざりしたような顔をして、箒に寄りかかっている。どうやら平助が勝手にやる気を出しているらしい。
「フン、まあいい。さあ、練習だ!」
最後の練習は、昼食の直前まで続いた。あざみも千恵も自信満々だったが、時々箒がポンポンと跳ねて、落ちそうになることがあった。そういう時は、魔術を使って箒の上に戻すのもハナの役割だ。黒豆はハナと一緒に走るのにすっかり慣れたようで、ものすごい速さでついてきた。
「うん。あざみも千恵もいいな! ハナの魔術もまあいいだろう。さあ、昼食にしようか。今日は豪華だぞ」
昼食会が行われる大きなお座敷には、近辺から遠方まで、すべての三日月一族が集合した。大きなテーブルの上座に座るのは、現当主の宋生と、前当主の顕真だ。宋生はかわるがわる挨拶をしに来る親戚の対応に追われているが、顕真は口を一文字にして、目だけを動かして部屋の中を見回している。
三日月一族の中には、別の苗字になった人もいて、たいていは村の外に住んでいる。彼らも集まったことで、お座敷はすし詰め状態だ。
ちなみに、遠方暮らしで別の苗字になった三日月一族の者は、一族としての仕事と箒競争に参加する必要もなければ、その権利もなかった。
「一族の代表として、がんばってね、あざみさん」
「あんなに小さかった千恵が、この羽織を着ることになるなんてねえ。鼻が高いわ」
「あざみと千恵なら心配ないだろう」
一族の者たちは、あざみと千恵には期待の言葉をかけ、ハナには特に何も言わないか、競争のジャマをしないように念を押してきた。顔も覚えていないような遠い親戚にも、ハナはできそこないだと思われているのだ。
大人だけではなく、瓜やユリをはじめとした子どもたちも、ハナに真面目にやるように言いに来た。その度に、蒼志が散るように怒ったり、寿郎が席に戻るように言いつけたり、黒豆が唸ったりして追い返した。
「周りが言うことを気にするんじゃないぞ、ハナ」
「大丈夫だよ、父さんたちがいてくれるもん」
ハナはニコッと笑って答え、黒豆をなでながらグラタンの残りを匙ですくった。
今日の昼食は寿司にトンカツ、それにすき焼きなど、本当に豪華だ。ハナは、昨日の夕食を我慢して少なくした自分を褒めたいと思った。
「小糸姉さんが揚げたトンカツ、すっごくおいしいね!」
ハナがはしゃぐ一方で、寿郎たちの箸はほとんど動いていない。
「父さんたち食べないの? カツもらっちゃうよ」
「いくらでも食べていいぞ」
寿郎は自分の分のトンカツをハナの前に置いた。
「……この後は一緒に居られないだろ。心配だよお、ハナ……」
蒼志はハナの肩に手を回して、ギュッと胸に抱き寄せた。
「兄さんったら、そんな顔しないで。ちゃんと食べなきゃ、兄さんたちも持たないよ」
ハナもギュッと蒼志の腕にしがみついた。
寿郎、蒼志、小糸は、箒競争中の村の警備を、たった三人で任されている。警備の補助として、昨日のうちに村中に自動で作動する爆破型のトンボ玉が大量に設置された。そのため、三人だけでも警備は可能だ、というのが一族の主張だ。
つまりハナの家族は、ハナの勇姿を見られないことになる。
この通達が来た日、「絶対に嫌がらせだ」と腹を立た蒼志は、泥まみれになりながら庭の雑草を全部むしり取っていた。
「紅姉さんは来られるから、大丈夫だよ」
「そうかもしれないけど……」
蒼志はそれ以上何も言わず、ギリッと歯を食いしばった。
「ケガをしそうになったり、危ない目に遭いそうになったりしたら、真っ先に逃げるのよ。自分の身を護ることを優先して」
小糸はハナの手を取って、無理やり自分と指切りをさせた。
「小糸の言うとおりだ、ハナ。絶対に無理をしてはいけないよ」
寿郎もハナをギュウッと抱きしめた。
――これだけ人がいても、わたしに期待している人は、家族だけ。でも、味方がいてくれるだけで、勇気がわいてくる。それに、ここの外に出たら、味方はもっといる。母さんも、紅姉さんも、守路さんも、セイも。
「ありがとう、みんな。でも、本当に大丈夫だよ。わたし、今日はがんばるって決めてるから!」
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