19、ハナは逃避行しかける

「人食い鬼の騒動は大変だったな」

「本当ね。あんなに妖怪に驚かされたのは久しぶりだったよ」

 妖怪騒動から数時間後、ハナとセイは秘密の待ち合わせ場所にいた。

 言葉を交わさずとも、ハナもセイも今日はいつもより早く家を出た。一秒でも早く互いの顔が見たかったのだ。ハナは忘れずに緑の薬草箒を二本、瓶に入れて持って来た。

「ハナの家、屋根が壊れてたもんな」

「でも父さんたちが護ってくれたから、ちっとも怖くなかったよ。母さんも無事だし、緑の薬草箒も壊れてなかったし。運が良かった」

 ハナがニコッと笑うと、セイの両手がそっとハナの頬を包み込んだ。セイの熱が、頬から伝わってくる。

「どうしたの、セイ?」

「そうやって、無理に笑わなくていいんだぞ、ハナ」

「えっ?」

「ハナは時々、無理して笑うから……。妖怪が怖かったって言って良いし、家壊されて悲しかったって言って良いし、泣いて良いんだぞ。……おれは、ハナがそういうのを全部、飲み込んでるような気がするんだよ。でも、ここではおれしか見てないんだから、言って良いんだ」

 ふたりは一瞬も目をそらさず、瞬きもせずに見つめ合う。

 やがてハナの目に涙がにじんできた。笑顔が消えたハナの唇が、フルフルと震えだす。

「……で、でも、でも。……言ったら、止まらなくなるから」

「終わらないものはないよ、ハナ。雨だって、夜だって、命だって、いつか終わるんだから」

 セイが一言一言を確かめるように言うと、それに合わせて、ハナの瞳から涙がこぼれた。

「話しだしてもいつか止まるから、大丈夫だ、ハナ」

「……ほ、本当に?」

「本当だ」

 ハナはセイの手を取って握りしめ、ますます涙をこぼした。

「……本当は怖かった、すごく。……父さんは、何があっても、出て行かなきゃならないのに、今は、母さんのお腹に赤ちゃんがいるから、母さんを、絶対に護らなきゃならない。でも、いっつもできそこないって言われてるわたしじゃ、ちゃんと母さんを護れるか、不安で、怖かった。小糸姉さんと蒼志兄さんがいても、怖かった」

 セイは優しく「うん」と答える。

「……屋根が、壊れてるのも、悲しかった。大好きな、お家なのに。直せてよかったって、心から思った。それに、もし、屋根だけじゃなかったらと思うと、怖かった」

 とめどなく溢れる涙を、セイがそっと拭う。

「……でも、なによりも、わたしは、昨日よりも前から、ずっと、セイと一緒にいられないのが、つらい。セイたちの悪口を聞くのも、つらい。大好きな人を、どうして敵にしなきゃならないの? わたしは、誰のことも嫌いじゃないのに。嫌いになんて、なれないよ。だって、嫌うほど、知らないんだもん、桜一族のこと……」

 ハナは「ううー」と唸りながら、セイの胸に頭を預けた。セイはハナの肩を、ポンッポンッとゆっくりした音頭で叩いた。

「……ずっと、誰かを嫌って生きるなんて、いや。それが、その相手が、セイだなんて、もっといや」

 喉を押しつぶしたような声で、セイは「……おれも」と答えた。

「……いっそのこと、逃げちゃうか、ハナ」

 ハナはゆっくりと顔を上げる。

「……どこに?」

「三日月一族と桜一族を知ってる人がいない場所。きっと三つも県を超えたら、おれたちを知ってる人なんて一人もいなくなるぞ」

「……そう、かな」

「そうだよ。ちっぽけだよ、おれたちなんて」

 セイは緑の薬草箒が入った瓶を手に取った。

「ハナが作ってくれたこの箒で、飛んで行っちゃうか」

「……ふふふ」

 ハナは弱弱しく笑い、すぐにまた不安そうな顔になった。

「……逃げる勇気もないって言ったら、セイはわたしを嫌う?」

 セイは筒を置いて、ハナに向き直った。

「まさか」

「……それじゃあ、別の勇気ならあるって言ったら、聞いてくれる?」

「もちろん」

「……今日一日、とまではいかなくても、しばらく、一緒にいたい」

 セイはにっこりと笑って、「おれもそうしたいと思ってた」と答えた。

 その時、バッシャーッと水が割れる音が鳴り、ふたりはバッと小川の方を見た。

「「あっ、河童!」」

 河童は、ぽたぽたと雫を垂らしながら、ふたりをジッと見ている。怒っているわけではなさそうだ。

「……我は一刻の後、再び現れる。その時は、お前たちを川に沈める」

「えっ?」

「河童の仕業だ。誰もお前たちを咎めはしない」

 そう言うと、河童は階段を降りるように、一歩一歩川の中へ沈んでいき、やがて消えた。

「……二時間は、ここで一緒にいていいよってこと?」

「……そうだな、たぶん」

 一瞬の間をおいて、セイが「ああ!」と声を上げた。

「河童に襲われて、学校に着くのが遅くなった、ってことにしろってことじゃないか! そうすれば、俺たちが一緒にいられるって考えてくれたんだ!」

 ハナとセイは顔を見合わせ、「それだ!」と叫んだ。

「う、うれしいけど、どうしてそんなことを言いに来たんだろう。まるでわたしたちをかばってるみたい」

「本当だな。まあ、相手は妖怪だし、全部信じて、本当に沈められたらまずいから、一応注意はしておこう」

「そうだね。でもひとまずは、河童さんを信じて、ここにいさせてもらおうか」

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