18、ハナは夜中の妖怪騒動にあう

 三時間も眠り、深い眠りに入った時だった。

 カンカンカンという甲高い鐘の音、人々の叫び声、箒が空を飛ぶビュンビュンいう音が、次々に聞こえてきた。

「人食い鬼が出たぞ! 複数だ!」

「女と子どもを逃がせ!」

「トンボ玉をあらかた持ってこい!」

ハナはガバッと布団を蹴って起き上がった。

「人食い鬼!」

 黒豆が「わふっ!」と飛び起きると同時に、着物がはだけた小糸が部屋に飛び込んできた。

「ハナ、黒豆、大丈夫!」

「う、うん。人食い鬼が出たの?」

 小糸は黒豆を抱えたハナの肩を抱き、ふたり一緒に階段を駆け下りた。

「村の方にね。ひとまず母さんのところに行きましょう。今は蒼志が護ってくれてるけど、わたしたちも行かなきゃ」

 廊下を走りながら、ハナは何度も後ろを振り返った。部屋にはハナとセイの緑の薬草箒があるのだ。しかし取りに行くわけにはいかない。ひょっとしたらすぐそこに鬼が迫っているのかもしれないのだから。


「母さん! 無事?」

 両親の寝室に入ると、守護の魔術の結界が張られていた。蒼志の魔術だ。その真ん中で、小春と蒼志は抱き合って座っていた。

「ああ、小糸、ハナ、それに黒豆も。大丈夫よ。蒼志がすぐに来てくれたもの。あなたたちこそ大丈夫?」

「わたしたちは何とも。父さんは退治に行ってるのよね?」

「ええ。すぐに出て行ったわ」

 ハナと小糸も小春にしがみ付き、四人で丸くなった。

ハナは震える黒豆を優しくなでながら、家族の顔を順に見た。みんな黒目が震えているように見える。それは自分の目が震えているからだろうか。ハナには答えがわからない。

「……倒せるかしら、父さんたち」

 小糸がポツリと、糸が切れる音のような声でつぶやいた。

「大丈夫だよ。三日月の魔術師はみんな優秀だろ?」

「でも、鬼が何体もだなんて……。しかも女性は狙われるから、出られていないのよ。人手が足りるかどうか……」

「桜一族もいるよ」

 全員の目線が一斉に注がれ、ハナはハッとした。

 ――桜一族の名前を、こんな緊急事態に出しちゃうなんて……。

 ハナは怒られる覚悟を決め、グッと唇を噛みしめ、黒豆を抱く手の力を強めた。

「……そうね。桜一族は頼りになるもの」

 小糸の言葉に、ハナは思わず「えっ」とつぶやいた。

「ハナもそう思うんでしょう?」

「え、あ、う、うん……」

「ご近所に魔術師の一族がいてよかったわ」

 小糸が強張っていた肩をおろすと、蒼志も眉間のしわを消して、ため息交じりに言った。

「こんな時くらいは協力してるはずだよな、いくら頭の固い大人たちだって」

「そうね。きっと、寿郎さんが率先してるわ。寿郎さんは、誰よりも頭が柔らかいんだから」

 小春はそう言って笑った。

「わわんっ!」

 三人は、もちろん黒豆も、ハナが想像していたよりもずっと朗らかだ。むしろ桜一族の話をして、強い緊張感から解き放たれたように見える。

 ――ひょっとして母さんたちは、桜一族を嫌ってないのかな。そういえば、家族のみんなからは悪口を聞いたことがないかもしれない。

 ハナの胸の中に、希望の温かい火がポッと灯った。

 その時、石と石をこすり合わせたようなギュリギュリという耳障りな音が鳴り響いた。次の瞬間には、あちこちから歓声が上がり始めた。どうやら形勢が良くなったらしい。しかしその後はまた嫌な騒がしさが辺りを包んだ。ハナは目をつぶって、早く終わるように願った。


 それから一時間も経った時、玄関から守路の声が聞こえてきた。

「おーい、誰かいる?」

 ハナは黒豆を抱いたままパッと立ち上がり、「行ってくる」と言って、誰かが止める前に廊下を駆けて行った。

 守路は玄関のノブを掴んだまま立っていた。

「守路さん、大丈夫だった?」

「うん。もうじき終わりそうだよ。もう人食い鬼の姿は見えなくなったからね」

「そっか。よかったあ」

 ハナが大きなため息をついた時、蚊のような小さな声が聞こえてきた。

「……恨むぞ」

 ハナはハッとして顔をぐるりと動かした。

「どうしたの、ハナ?」

「何か、聞こえたような気がして……」

 ふたりと黒豆以外に玄関には誰もいない。家の外にも人はいないはずだ。

「……気のせい、かな。寝ぼけてるのかも」

 守路は優しく微笑み、ハナの肩に手を乗せた。

「寿郎さんたちはもう少し対処に追われるだろうから、帰りはまだだと思う。ハナたちは明日も学校があるし、小春さんはもうじき生まれる子を持つ妊婦さんでしょう。寿郎さんの帰りを待たずに、あとは朝まで寝た方が良いよ。寿郎さんのことは俺が待つから」

 守路はそう言い、パチンと片目を閉じた。

確かに守路の言う通り、無理をして待っていても、帰ってきた寿郎父さんに飛びついて、あれこれ聞いて、さらに疲れさせるだけに決まっている。

「寿郎さんのこと、お願いできるかしら」

 新しい声が上がると、廊下の先に小春たちが立っていた。

「悪いわね、守路さん」

「いえいえ。小春さんも早く横になった方が良いですよ」

「ありがとう、お言葉に甘えさせてもらうわ。子どもたちみんな、わたしたちの寝室で寝ましょう」

 そこで、ハナと小糸は守路をリビングルームに通し、蒼志は小春を寝室に連れて行った。

「守路さん、ほうじ茶で良いかしら?」

「お気遣いなく。ぼんやり待ってるから」

「そういうわけには行かないわよ」

 小糸は「魔術でちょちょいだから」と言い、手早くお湯を沸かして、お茶を淹れた。その間に、ハナはもらい物のカステラを切って、三日月型のお皿に乗せた。

「よかったら食べてね。手を付けなくてもいいから」

「なんだかむしろ良い思いをしている気がするなあ」

 守路の頬は嬉しそうに赤く染まっている。守路は甘いものにも目がないのだ。黒豆が羨ましそうに「くーん」と鼻を鳴らすと、守路は「ごめんね」とかわいらしい笑顔を向けた。

「待ってもらうんだから、当然よ。何かあったら遠慮なく声をかけてね。それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ、小糸、ハナ」


 守路と別れて小春の寝室に向かうと、小春はベッドの上に、蒼志は扉のすぐ隣に椅子を持ってきて座っていた。

「二人は母さんと一緒に寝な。父さんのベッドは開けておいた方がいいからな」

「蒼志は体、大丈夫なの?」と小糸。

「ああ。念のため守護の魔術も使っておくから、俺はここで良いよ」

「いらっしゃい、ハナ、小糸、黒豆も」

 手招きされたハナと小糸は少し照れながら、小春のベッドに入った。

「ふふふ、三人と一匹で寝るのは初めてね」

 小春は両隣に寝転がる娘たちを、優しくなでた。ハナはうっとりと目を閉じて、小春の手にすり寄った。

「でも、これじゃあ狭くない、母さん?」

「大丈夫よ。この方がむしろ安心だわ」

 小春は「もう寝ましょう」と言って、蒼志にランプを消させた。

「みんな本当にお疲れ様。直に朝が来るから、それまでゆっくり休みましょうね」

 ハナは「うん」と答え、窓の外をチラッと見た。

夜は妖怪の力が日中の十倍にもなる危険な時間だった。しかし今、窓の外はもううっすらと白んでいる。もうじき朝日が昇って来るのだ。これで鬼が再び力を強めることは無くなった。

 久しぶりの夜の大騒動に、身も心もくたくただ。ハナはおやすみを言う前に、いつの間にか眠りについていた。


 それから一時間も経った時だった。控えめに扉を開ける音が聞こえ、ハナの意識はうっすらと浮上した。

「……や、守路さん……か」

「……れさまです、……郎さん。子ども……入ってますよ」

 寿郎と守路の会話がとぎれとぎれに聞こえてくる。

「……か。ありがと……」

「そち……大丈夫ですか?」

「ああ、……るが、…………」

 ふたりの足音が遠ざかっていく。リビングルームか寿郎の自室に向かったのだろう。

 よかった、父さん無事なんだ、と思うと、ハナは再び目を閉じた。




「――うわあ! 屋根が!」

「わんっ!」

 家から出たハナと黒豆は大声で叫んだ。

桟瓦の屋根の端がボロボロになって崩れていたのだ。破片は納屋のある裏口にまで飛び散っている。

「うちの方にも来てたのか……」

 ハナの隣に立つ蒼志もあっけにとられ、ポカンと口を開けたまま、ぐるりと敷地内を見回した。

「変だな。うちだけ狙われるなんて」

 ハナたちの家は、お屋敷に建つ八つの洋館の中で一番背が低い。狙うならば背が高い建物の方が容易なはずだ。それにもかかわらず、他の建物の屋根や壁には目立った損傷は見られなかった。そのため、他の三日月一族はみんな、被害が出た村へ出払っていた。

「裏山の方から降りてきたのかもね。それなら一番近いのはうちだもの」

 小糸は竹箒を三人分とブリキの塵取りを持ってやって来た。眉間にしわが寄り、いつも優しい目は、キッとつり上がっている。

「とりあえず、落ちてる瓦を集めましょう。屋根を直すのはその後ね」

「瓦の欠片が上から降って来るかもしれないから、十分気を付けないとな」

 小糸と蒼志がテキパキと動き出す一方で、ハナは屋根から目を反らすことができなかった。

 ――瓦を粉々にするような鬼が、すぐそばまで迫ってたなんて……。

 ハナはぎゅっと袴を握りしめ、小糸の背中にぴったりとくっついた。

「……小糸姉さん、ヨモギを取って来ても良い? 魔除けに良いでしょう?」

 小糸はにっこりと笑った。

「いい案ね。行ってらっしゃい、ハナ」

 ハナはコクッとうなずき、黒豆と共にターッと薬草園に駆けて行った。心臓は走り出す前から、走った後のように大きな音を立てていた。


 薬草園に着くと、目だけを上げてセイの家の方を見た。すると、ちょうどセイが顔を出したところだった。「大丈夫か?」と口が動いている。ハナは小さくうなずいた。

セイの部屋からは、ハナの家の屋根が壊れているのはよく見えるだろう。

 次に会った時、しょんぼりしすぎて心配かけないようにしなきゃ、とハナは思った。

 それから手早くヨモギの葉を摘み取り、急いで家の方へ戻ると、寿郎の姿があった。蒼志の肩を借りて立っている顔は、少し疲れているように見える。

「おはよう、父さん」

「ああ、おはよう、ハナ。昨日は驚いたな」

 寿郎はくたびれた顔を無理やり笑顔に変えた。ハナもできる限りの笑顔を作る。

「父さんたちのおかげで、安心して寝られたよ」

「そりゃあよかった。でも、屋根だけは護りきれなかったよ。ごめんな」

「ううん。ここまで来たんだね、鬼」

「ああ。焦ったよ」

 寿郎の大きなため息がハナの髪を揺らした。その風に、ヨモギの若々しい匂いがうっすら感じられ、ハナは首を傾げた。胸の高さでヨモギを持っているせいだろうか。

 しかし確かに寿郎の方から香りが感じられた。なぜだろう。

「ねえ、父さん、家の周りにヨモギを蒔いてもいい? 魔除けになるでしょう」

 ハナはわざとらしくヨモギを寿郎の前に突き出した。寿郎は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニコッと微笑んだ。

「ぜひ頼むよ。これでもう襲われずにすむな」

「……うん。そうなるように、お願いしながら蒔くね」

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