16、ハナは河童に遭遇する
次の休日、朝から土砂降りの雨となり、箒競争に向けた練習は中止になった。そこで、ハナとセイは傘を差し、いつもの小川に集合していた。
人前では決して話すことができないハナとセイが、会う約束をどうやって取り付けているのか。それは実にふたりらしいやり方だ。
三日月一族の畑は、桜一族の当主一家が暮らす五階建ての洋館から良く見える位置にある。その洋館についた窓のうち、三日月一族の敷地の方を向いている窓は、たった一つしかない。その唯一の窓は、なんとセイの部屋にあるのだ。
このことに気づいて以来、ハナから誘う時は、収穫した植物を使って、畑に大きな二重丸を書き、セイから誘う時は、窓に二重丸を書いた紙を貼っておくようになったのだ。
この方法は気づかれる可能性も少なからずあるため、細心の注意を払う必要がある。そのため、やりとりをする時間は、朝の六時だけと決めてあった。
スマートフォンは二人とも持っている。最も、ハナは持ち歩くのを忘れがちではあるが。
中学校入学と同時にスマートフォンを持った時、ふたりは真っ先にお互いと連絡先を交換したいと思った。そうすれば、いつもどんな時も話をすることができるようになる。しかしすぐにそれはできないと気付いた。スマートフォンの名義は当然自分たちの両親だ。万が一、スマートフォンの中にお互いの連絡先が入っていることが両親や親族に知られてしまったら。雷が落ちるどころの騒ぎではなくなってしまうに決まっている。そのため、ふたりともこんなにも声を聞きたいお互いの電話番号すら知らないのだ。
苔が絨毯のように敷き詰められた森の中は、雨に濡れると氷の上のように滑りやすくなる。ここまで来るのに、ハナもセイも三回は転んでしまい、ハナの赤色の袴は、緑色の汁でぐっしょりと汚れてしまった。
「――ねえ、セイ。わたし、考えたんだけど、自作の箒なら飛べることがわかった、っていう設定にするのはどう?」
「自作の箒?」
「うちの『緑の薬草箒』を使うの」
「きれいな響きだな。どんなものなんだ?」
「細くて短い竹に、収穫した薬草を巻きつけて保存することがあるんだけど、それが箒みたいに見えるから、わたしたち家族は『緑の薬草箒』って呼んでるんだ。長さは大体わたしたちの足と同じくらい」
セイは自分の足を見下ろして、「ちょうどいいくらいだな」とつぶやいた。
「でしょう。だから、わたしが薬草箒を使ったら飛べて、その光景をたまたまセイが見かけて真似したってことにするはどう? セイの部屋からうちの畑が見えるから、偶然見えたってごまかせると思うんだ」
「それいいな! 緑の薬草箒は話を聞く限り軽そうだから、ふつうの竹箒よりずっと楽に持っていられるんじゃないか。すごいよ、ハナ! 天才だ!」
「セイが昨日、良い案を出してくれたおかげだよ」
「俺たちって、ふたり一緒にいたら最強だな。箒競争の選手になった時は地獄だと思ったけど、ハナのおかげで今じゃ楽しみになってきた」
セイがニッと歯を見せて無邪気に笑うと、ハナも歯を見せて笑った。
「本当だね。わたしも、セイのおかげで怖くなくなった!」
ふたりは傘をトンッとぶつけて、笑いあった。
「……なあ、ハナ。俺とハナの仲が良いことまでは、言わない方が良いよな。俺たちが仲が良いって知っても、一族同士のいざこざは無くならないよな」
ハナの心臓がドキリと跳ねた。ハナもずっと、この緑の薬草箒の案を考え付いた時から、どうするべきか考えていたのだ。
本当のことを言えば、もっと早く、堂々と、セイと一緒にいられるようになりたい。
家族に対して、秘密にしていることやウソが増えていくのも悲しい。
しかし、自分たちが一族から認められることと、三日月一族と桜一族の不仲を解決することを、同時にうまくやれるとは思えなかった。どちらの問題も、山を動かすのと同じくらい難しくて重たいのだ。
「……一つひとつ、焦らずにやった方が、いいか。ごめんな、焦って」
ハナが何も答えられずにいると、セイはそう言って、作り笑いを浮かべた。その顔を見たハナは、セイもきっと寂しいんだ、と思った。
雨は相変わらずザアザアと音を立てながら木の葉を滑り落ち、ふたりの傘に降り注いでくる。小さな声で何かを言っても、聞こえない程だ。
「……セイ、わたし、本当はセイと大親友だって、言いたいよ」
そう呟いた時だった。
バッシャーッと水が割れる音が鳴り、ふたりはバッと小川の方を見た。
小川には、河童がいた、それも寿郎父さんと同じくらい大きな背をした。
ふたりは初めて見る河童に、声も出なければ、動くこともできない。
全身で雨を浴びる河童は、黒く縁取られた人間よりも大きな黄色い目をきらりと光らせ、ふたりを見つめている。
どちらとも動かずに見つめ合う。
「……こんな日に川に立ち寄るとは、悪い子どもだ」
沼の中で声を出したら、こんな風に聞こえるだろう。河童の声は、そんな声だ。
河童は一歩、ハナとセイに歩み寄った。雨で水量が増え、速さもいつもの倍はある川を、畳の上を歩くかのように真っ直ぐに歩いている。
「泣きを見なければわからないほど愚かなのか」
また一歩、河童が歩み寄る。ハナとセイは河童から目をそらさずに互いの手を握った。
「よし。では、わからせよう」
膝の高さまで垂れる河童の長い手が、ゆらゆらとふたりの方に伸びてきた瞬間、ハナは声を振り絞って叫んだ。
「ご、ごめんなさい! 悪いことだって、わかってます!」
河童の手がピタッと止まる。同時に、雨がピタリと止んだ。
「で、でも、わたしとセイは、ここでしか、会えないんです!」
「ここは、俺とハナが、三日月でも桜でもなくいられる、自由でいられる場所なんです」
セイも声を震わせた。
「……三日月?」
河童は目の縁をピクッと動かすと、伸ばしていた手をスルスルと戻した。
「そうかあ。それなら仕方がないな」
河童はくるりと後ろを向いた。そしてシュリシュリという布が擦れるような音を立てながら、川の中へゆっくりと沈んでいった。
首まで浸かった時、河童はふり返った。その顔は、笑っていた。ノイバラのトゲのように鋭い歯がチラッと見える。
「ここに目をつけるとは、三日月の子だな」
「えっ? み、三日月一族のこと、知ってるの?」
河童は答えないまま、川の中へ消えていった。
ハナとセイはしばらくポカンとしたまま立っていた。手から滑り落ちた傘が、シャシャンと音を立て地面に落ちると、ようやくふたりはハッとした。ゆっくりと顔を見合わせる。
「……助かったのか?」
「……そ、そうだね、きっと」
ふたりはフーッと長いため息をつき、その場に座り込んだ。どろどろの水たまりの水が、じわじわと袴に染みていく。その広がりのように、ふたりの中にもじわじわと安心が広がった。
「……まさか本当に、河童が出るなんてな。大人が子どもを怖がらせるためについてるウソだと思ってたよ」
「……他の妖怪は見たことあるけど、河童はないもんね」
「あー、びっくりした!」
セイはどんどん泥の色がうつるのも気にせず、その場に寝転がった。
「……なんか、驚きすぎて、俺の悩みとか、どうでも良くなっちゃったな」
セイは泥で汚れた手を袴で拭いてから、ハナの手を取った。その仕草は、まるで宝物に触れるようだった。
「言おう、俺たちが大親友だってことも」
「……わたしも、同じこと言おうと思ってた」
「さっき言ってくれてただろ、小さい声で。すごいよ、ハナは。ちゃんと言葉にできて」
「聞こえてたんだ」
ハナが赤くなった頬を掻くと、セイはゆっくりと起き上がり、ハナの手を強く握った。
「空を飛べることも、俺たちが三日月も桜も関係なく仲が良いことも、堂々と言おう。それで何か起こったら、その時はその時だ」
「そうだね。セイと一緒なら、大丈夫な気がする」
「俺も、ハナがいれば怖いものなしだ」
ふたりはにっこりと笑い合った。ふたりの胸の深い場所にあった不安も悲しみも、雨とともにどこかへ消えていったような気がした。
「よおしっ、それじゃあ、さっきの話の続き! わたし、次にここで会うまでに、緑の薬草箒を作っておくね。それでまた練習しよう」
「頼んだぜ、ハナ。目指せ、一等だ!」
「うんっ。目指せ、一等!」
ハナとセイはギュッと手を握り合った。
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