14、ハナは決心する、それでも揺らぐ

「ハナァ! 起きないと遅刻よ!」

「……うわあ! 大変!」

 ハナはバサアッとかけ布団を蹴り上げた。

 結局、昨日は夕食の直前まで箒で飛ぶ練習と箒競争の練習があり、貴重な日曜日はあっという間に終わってしまった。すっかりくたびれてしまったハナは、泥のように眠り、結果寝過ごしてしまった。

 バタバタとダイニングルームへ飛び込むと、出かける支度の済んだ小糸が待ってくれていた。

「蒼志はもう出たわ。お茶漬けでササッと食べちゃいなさい」

 小糸はお椀によそった白米を差し出した。

「あ、ありがとう、姉さん!」

 お椀を受け取ると、ハナは梅干しを一粒乗せて、上から急須のお茶をかけた。たちまちお茶碗がカッと熱くなる。ハナはひいひい言いながらお茶碗をテーブルの上に置いた。

「いただきますっ」

「慌てて食べてむせないようにね。わたしは先に出るから」

「うん! いってらっしゃい!」

 味わう暇もなくお茶漬けを平らげ、大急ぎでローファーに足を通す。

「あっ、水やり!」

 ダダダッと薬草園に駆けていくと、寿郎が水をやっているところだった。その隣には、守路もいた。

「父さん、ごめんなさい! 寝坊しちゃって」

 寿郎はすぐに顔を上げ、にっこりと笑った。

「昨日の練習が大変だったんだろう。気にしなくて良い。それよりも急ぎなさい」

「気を付けるんだよ、ハナ」と守路。

「ありがとお! 行ってきまあす!」

 二人に見送られ、ハナは駆け足で門を出た。

「もうっ、飛んでいけたら早いのに!」



「――セイ! 遅くなってごめん!」

 ドボンッと大きな音が鳴り、冠のような形の水しぶきが上がった。ハナが「わあ!」と声を上げると、岩の後ろからセイが顔を出した。

「ごめん、ハナ! 驚かせたな」

「えっ、今のってカエルか何かが飛び込んだんじゃないの?」

 ハナが息を切らせながら歩み寄ると、セイはスイッと目をそらし、下唇を親指と人差し指でつまんだ。

「……おれが、石を投げたんだ」

「なあんだ、そうなの。そんな顔することじゃないよ。わたしが遅かったから、退屈だったんでしょう? ごめんね」

「違うよ。……いや、でも、ハナに、早く会いたかった」

 セイは唇から手を離すと、ゆっくりと歩き出した。

「学校遅れるとまずいから、歩きながら、話してもいいか?」

 初めて聞く種類の声だった。少なくともセイの口から出る声の中では初めてだ。

ハナはゴクッとツバを飲み込み、「うん」と答えてセイと並んで歩き出した。

「……昨日、ハナたちも練習してただろ、箒競争に向けて」

「うん。たくさん走って大変だったよ。魔術が失敗すると怒られちゃうしね」

「……おれは、辻斬りとか、突風とか、あんまり使いたくないような魔術ばっかりやらされて。うまくいかないと、殴られてさ」

「殴られたの!」

 ハナの大声に、セイはビクッと体を震わせた。

「だ、大丈夫だよ。大したことない。うちじゃしょっちゅうあることだから」

 よく見ると、半そでのシャツの裾から覗くセイの腕には、青いあざがあった。

ハナはセイの手をそっと取り、優しく握りしめた。

「慣れて良いことじゃないんだからね」

 セイは「うん」と答えると、チラッとハナを見た。

目が合うと、ふたりの歩みは自然と遅くなった。

「……まあ、俺のことはいいんだ。ケガも、そのうち治るし。何より嫌だったのはさ、練習中、ずっと、三日月一族の悪口を聞かされたことなんだ」

 ハナは胸がズキッと痛んだ。それなら三日月一族も練習の間ずっと、桜一族の悪口を言っていた。悪口を聞いているだけのハナは、頭がズキズキと痛んだ。

「俺は、三日月一族の人のうち、ハナとしか話したことがないんだぞ。そんな何も知らない相手を、どうやって悪く言えばいいって言うんだよ。服装がだらしないだとか、話し方に品がないだとか、誰にだって当てはまる悪口で、三日月一族を悪く言ってた。話に乗らないと、それでもまた怒られて、ハナの家族のこと、無理やり悪く言わなきゃならなくて……。それが、本当に嫌だった」

「そんなの、つらいに決まってるよ。誰だって」

 ハナは一層強くセイの手を握りしめた。セイは「ありがとう」と言って、弱弱しく微笑んだ。

「……でもだからこそ、決心したよ」

「なにを?」

「俺は、飛ぶ。みんなの前で」

 ハナが「えっ!」と叫ぶと同時に、鳥が二羽、北に向かって飛び立った。

「そ、そんなことして、どうするの?」

「一位になって見返すんだ、俺のことをできそこないだって思ってる桜一族を。それで二度と、三日月一族の悪口を言わなくて済むように、俺がちゃんとやれる魔術師だってわからせてやるんだ」

 セイはハナの手をギュッと握り、そっと離した。そして一歩、ハナから離れた。

「そんなことをしたら、ひょっとすると、家を追い出されるかもしれない。だから、ハナに会えるのは、箒競争の日までかもしれないんだ。ごめんな、急に」

「待ってよ! どうして勝手に離れようとするの!」

 ハナはバッと距離を詰め、もう一度、今度は少し強くセイの手を取った。セイは固まったまま動かない。

 遠くの方で学校の鐘の音が聞こえる。

「……それなら、わたしもやる。一緒に」

「……ハナには、大好きな家族がいるだろ」

「セイだって、同じくらい大事だよ。それにね、わたしも、この間ちょうど考えたの。もうすぐ生まれてくる赤ちゃんも、わたしと同じようなつらい思いをするかもしれないんだって。それは絶対に嫌だって。だから、箒競争で役割を果たして、認めてもらえばいいんだって思ってた。誰にも文句を言わせないくらい、しっかりやればいいんだって。だから、セイが飛ぶって決めたなら、わたしも一緒に飛ぶ。飛ぶってやり方で、わたしを認めてもらうんだ」

 セイは同じ背丈のハナの肩に頭を預けた。

「……いいのか。村八分にされるかもしれないんだぞ」

 セイの声は震えていた。ズズッと鼻をすする音が聞こえ、ハナも、鼻の奥がギュッと締め付けられるような感覚に襲われた。ハナはふうっと息をついて答えた。

「……セイと一緒なら、怖くないよ」

 「ありがとう」と答えたセイの声には、涙が混じっていた。



 学校の休み時間になると、ハナはまたクラスメイトに囲まれ、輪野村三年祭の箒競争に出ることを称賛された。

「一族の代表なんてかっこいいよな。俺、絶対に応援に行くから!」と理仁。

「ハナのお姉さんも昔出たことがあったわよね。あの時の三日月柄の袴、すごく素敵だったあ。あれを着たハナを見るのも楽しみだわ」

「あ、ありがとう、雪」

 みんなが期待している、楽しみにしていると口にする度に、ハナの心は痛んだ。応援されるようなことをするわけではないからだ。

 セイと一緒に何も持たずに空を飛び、一族から不気味がられ、一族から追い出されたら、学校の友達ともお別れだ。

 むしろ、今こうしてハナを好いてくれている友達も、ハナを気味悪がって、嫌いになるかもしれないのだ。

 盛り上がる友達の輪の真ん中で、ハナは一人きりな気がした。

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