12、ハナと黒豆は妖怪から人を助ける

 翌日、学校から帰ったハナは、さっそく紅姉さんの帯飾りを付けて袴に着替え、黒豆の散歩に出かけた。選んだ帯飾りは三日月柄のもの。やはり三日月一族として、最初はこれを選んでしまう。

「お待たせ、黒豆。今日は北の山の方に行こうか」

「わんっ!」

 ハナのしっかりした訓練のおかげで、黒豆は「待て」と「ハウス」には定評がある。そのため、リードを付けていなくても、ハナを置いて遠くまで走って行ったり、人に襲い掛かったりすることはない。むしろ黒豆はハナが大好きすぎるため、ご機嫌にシッポを振りながら、ハナの傍にピタッとくっついて歩いた。

「聞いてよ、黒豆。今日もまた学校でみんなが妖怪のYouTubeを見て盛り上がってたの。妖怪なんて珍しくもないのに、どうしてあんなに面白がれるんだろうね」

「わんっ、わんわわわん」

「わたしにとっては珍しくないだけで、みんなにとっては珍しいってこと?」

「わふう」

「でも危ないものだし、見た目も怖いんだから、『怖い』って言いながら見るくらいなら、止めれば良いのにね。ふしぎ」

 ハナは黒豆と一緒に首を傾げた。

 屋敷の裏にある山は、ヒノキの他にハンノキが生え、少し鬱蒼としている。しかし川が流れているそばには登山用の道があり、その道はハナと黒豆のお散歩コースの一つだった。

 昨晩の雨で少し勢いが増した川の音を聞きながら、緩やかな登山道を上って行く。夕方でも汗ばむ陽気なため、途中で水筒の水を分け合って飲んだ。

 やがて機械式腕時計の目覚ましが鳴ると、ハナと黒豆はもと来た道を引き返し始めた。

「あーあ。この後は箒競争の練習かあ。いやだなあ」

「わんっ、わんわんっ」

「えっ、今日も来てくれるの?」

黒豆はうなずきながら「わんっ」と力強く答えた。

「ありがとう、くろまめー! すっごく嬉しいよ!」

 ハナが屈みこんで黒豆を抱きしめようとしたその時、どこからか微かに悲鳴が聞こえてきた。ハナがパッと顔を上げると、山彦が悲鳴を真似しているのが聞こえてきた。

「妖怪だ」

 そうつぶやくと、ハナは右の袂の中を確認した。トンボ玉は数十個入っている。

「行こう、黒豆!」

「わんっ」

 途中まで登山道を上っていたが、すぐに妖怪の気配は、登山道を外れた方からすることに気が付いた。

「えっと、スマホは……」

 左の袂を確認するが、中には何も入っていない。ハナはあんぐりと口を開けた。

ただでさえこの裏山は人気がなく、登山道以外はかなり荒れている。それでも行かなければならない時は、一族の誰かに連絡をするように言われている。

「またスマホ忘れちゃった! 小糸姉さんに怒られるけど……」

 そう唸りながらも、ハナは黒豆を抱き上げて登山道から獣道へ駆けだした。

 三日月一族、桜一族の子どものうち、十八歳以下の未成年は、妖怪退治を行うことを推奨されてはいない。有事の時や、自分が現場付近にいた時だけは、現場に向かって良いことになっている。

「行っちゃおう! 人が困ってるかもしれない!」

「わんっ」

 しかし、駆け付けてみると、「人が困っている」どころの騒ぎではなかった。



「――うわあ! 助けて!」

 ハナの目の前には、四メートルを超える女郎蜘蛛。異臭を放つねばついた巣には、三人の人間が捕らわれていた。

 腕の中の黒豆は、小さな牙をむきだし、「ううー」と唸っている。

 女郎蜘蛛はハナに気が付くと、無数の足を動かして、こちらを向いてきた。足が動くたびに、蜘蛛の糸のねばついたねちゃねちゃという耳障りな音が響く。

「また女郎蜘蛛って。この辺りで大量に繁殖したってこと?」

「誰だ、お前は。お前も私の飯になりに来たのか」

「違う。わたしは三日月一族の華。その人たちを助けに来た」

 ハナが毅然とした態度で答えると、女郎蜘蛛は「ハッ」とバカにしたように笑った。

「小娘に何ができるというのだ」

「わたしにもわからないけど、そのうち応援が来ると思うから、それまでにできることをさせてもらうよ」

 自分に言い聞かせるようにそう言った。

 三日月一族と桜一族の者たちは、妖怪が人間を襲った瞬間、その気配を察知することができる。その範囲はだいたい一キロ圏内。屋敷にいれば裏山の異変には気が付くことができる。つまり直に誰かしらの応援が来る可能性が高いということだ。それまでにハナにできることは、できるだけ時間を稼いで、女郎蜘蛛が人間を食べるのを阻止することだ。

 できることを考えようとして、ジッと蜘蛛の巣を見つめた時だった。捕らわれている人間と目が合った。どこかで見た覚えのある顔だ。

「……えっ! ひょっとして理仁?」

「えっ、あ、ハナァ! よかった、助けてくれー!」

 よく見ると、捕らわれているのは理仁とその友人二人だった。しかもその手には全員スマートフォンを持っている。この顔ぶれと起動中のスマートフォンを見たハナはピンときた。

 ――あれだけ行っちゃダメだって言ったのに、妖怪見たさに山に入ったってことね。

 ため息をつかずにはいられなかった。こういう目に合わないためにも、魔術を見せてあげたというのに。

 そう思うと、腹の底からマグマのような熱い怒りが込み上げてきた。

「……もうっ! 何やってるのさ、理仁!」

 ハナが怒鳴り声を上げると、腕の中の黒豆も、理仁たちも、女郎蜘蛛すらも驚きでビクッと震え上がった。黒豆はすぐに「きゃんっ」と吠え返してきた。

「ご、ごめんって! どうしても自分でも妖怪が見たかったんだよ!」

「山の麓に行けば、山彦ならいくらでも見られるじゃない!」

「悪かったって! でも、なんかこう、もっと強そうなのが見たくて!」

 「強そう」という言葉に、女郎蜘蛛は満足げにうなずいている。

「とにかく! 説教は後で聞くから助けてくれ!」

「わかってるよ! ちょっと待って!」

 ハナは黒豆を地面に下ろすと、「鉄壁のごとく」と唱えた。すると、黒豆の周りに立方体の結界が現れた。これで黒豆は女郎蜘蛛に手出しされないことになる。

 ふうっと息を吐き、ハナは右の袂に左手を突っ込んだ。そして、中の水がたぷんと揺れる水の魔術のトンボ玉を掴んだ。

「開っ!」

 そう怒鳴ってトンボ玉を投げつけると、波のような水がザバーッと流れ出てきた。すると、女郎蜘蛛の足元が水でぬかるみ、巨体がぐらりと動いた。その水は理仁たちのいる蜘蛛の巣にも到達し、ねとついた巣を少しだけ緩めた。

「これで少しは動けそう?」

「まだ無理だ! 手が動かない!」

 理仁もグイグイ腕を動かそうとするがビクともしない。それを見た女郎蜘蛛はいっそうねばついた糸を理仁の上半身にぶつけた。すると、口元まで覆われてしまった。

 蟲系の妖怪を相手にする場合、火を使えば手っ取り早いことは寿郎から聞いている。しかし、火を付けられた妖怪が暴れた場合、辺りの森に影響があるため、使ってはならないことも聞いている。ではどうすればよいのか。

「それなら次は……」

 ハナは袂の中を探り、発光の魔術のトンボ玉を投げつけた。すると、女郎蜘蛛がうめき声を上げた。その間にハナは女郎蜘蛛を避けて巣の方に駆けよった。そして、辻斬りの魔術を使い、巣を切り刻み始めた。

「おい、アイツ、もう何ともなさそうだぞ!」

「でも、これしか方法がないでしょう!」

 辻斬りの魔術で根元から巣を切って行くと、切れ端がどんどん体に落ちてきて、体が重くなっていく。それでもハナはねとつく手を止めなかった。

「もういいよ! 俺のことは良いから、逃げてくれ!」

「映画の見過ぎ! これがわたしの仕事なんだから、逃げられないよ!」

 その時、「キャンッ!」という甲高い鳴き声が辺り一面に響き渡った。

「黒豆?」

 ハナが振り返ると、結界の中にいたはずの黒豆が女郎蜘蛛と対峙していた。四つ足で大地を踏みしめ、丸い眉を吊り上げて、凛々しい目で女郎蜘蛛をにらみつけている。その姿はまるで雄々しい狛犬のようだ。その一方、女郎蜘蛛はまるで時を止められたように静止している。

 状況はわからないが、今女郎蜘蛛が動けないのは確かだ。ハナは袂から辻斬りの魔術のトンボ玉を取り出し、「開」と言いながら巣に投げつけた。すると、巣はたちまちバラバラになり、理仁たち三人がどさりと地面に落ちた。

「やった! さあ、立って! 早く逃げよう!」

「ハアッ! アイツのこと倒さないのかよ!」

 理仁の隣に立つ佑多が信じられないという声を上げた。走り出そうとしていたハナは、ピタッと立ち止まる。

「だって、とりあえず巣から離れられたんだし。言ったでしょう、助けに来たって」

「それでもほっといて良いのかよ、こんな乱暴な奴」

「女郎蜘蛛は近寄らなきゃ何もしてこないから。ほら、早く!」

「開っ!」

 空から声が上がり、一瞬のうちに、女郎蜘蛛が火柱に包まれた。

「うそっ……」

ハナが驚きの声上げた次の瞬間には滝のような水が降り注ぎ、その場にいた全員がびしょぬれになった。その時、どこからかか細い声が聞こえてきた。

「……恨むぞ」

「えっ?」

火が完全に消えると、空から竹箒に乗った男性が降りてきた。

「その人たちは無事か」

 現れたのは、あざみの兄である楠だった。

「あ、はい。まだ危害は加えられていませんでした……」

 ハナが焼け焦げた女郎蜘蛛を見つめると、楠がズイッと詰め寄って来た。

「それはよくやったな、ハナ。でもお前、今コイツを野放しにしたまま逃げようとしたな。どうしてだ」

「そ、それは……」

 もう悪いことをしていない妖怪を不要に傷つけたくない。

 そう答えたらどんな反応が返ってくるかは、わかり切っている。ハナが黙りこむと、楠は呆れたようなため息をついた。

「もう良い。コイツの処理は俺がしておくから、お前はそいつらを連れて家に帰れ」

「……お願いします」

 ペコッと頭を下げると、ハナは黒豆を抱き上げ、理仁たちの方に歩いて行った。腕の中の黒豆は、もうすっかりいつものかわいらしい黒豆に戻っている。その姿に、ハナはホッとした。さっきは黒豆のおかげで助かったが、黒豆にはかわいいままでいてほしいのだ。


 理仁たちを連れて三日月一族の家に帰ると、事情を聞きつけた一族の人々に取り囲まれることになった。

「あんたが倒したの? 女郎蜘蛛を? 一人で?」

 あざみは信じられないものを見るような目で、ハナを上から下までなめるように見た。

「いや、わたしは倒したって言うか、助けただけで。倒したのは、楠兄さんだよ」

「やっぱりね! 変だと思ったのよ!」

 「そりゃそうか」と言い、あざみは家に帰って行った。

「でもハナもかっこよかったぜ」

 理仁にそうささやかれ、ハナはニコッと笑い返した。

 今日の出来事はハナと黒豆の胸の中と、理仁のスマートフォンの中だけに秘められることになった。

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