11、ハナは手紙を受け取る

「――お疲れさま、ハナ。お昼ごはんは……」

「小糸姉さん!」

 ハナは、玄関で待ってくれていた小糸に、ガシッとしがみ付いた。小糸の体がぐらりと後ろに倒れそうになる。

「ど、どうしたの、ハナ」

「……つかれたの、練習」

 ハナの声が震えていることに気がつくと、小糸はそっとハナの頭をなでた。

「大変よね。あざみと千恵が一緒だものね。見張ってあげられたらよかったんだけど、ごめんね」

「……ううん。小糸姉さんは、母さんの分まで忙しいもの」

 台所からは食欲をそそるトンカツの香ばしい油の匂いがしてきた。練習をがんばるハナのために、この暑い中揚げてくれたのだろう。

 黒豆はハナの足の間に挟まって、グイグイと柔らかい体を摺り寄せてくる。自分の温かみと柔らかさで、ハナを癒そうとしてくれているのだろう。黒豆がそう言ったわけではないが、その気持ちは確かに伝わってくる。

 ――わたしの周りは、優しさもちゃんとある。

 そう言い聞かせると、ハナはパッと顔を上げ、ニコッと笑った。

「小糸姉さんに抱き付いたら、元気がわいてきた! ありがとう、それに黒豆も!」

「ふふふ、元気が伝わるようにしたからね。さあ、ごはんにしましょう」

 ハナが黒豆を抱き上げて小糸と歩き出したところで、玄関の扉が開き、汗を滴らせた蒼志が入ってきた。

「ただいま。あれ、ふたりともどうした?」

「ハナが練習から帰ったから、お出迎えしてたの」

「なるほどな。あ、これ、べに姉さんから」

 蒼志は片手で持てる大きさの茶色い包みを差し出した。「紅姉さん」という言葉に、ハナの気持ちは有頂天まで舞い上がった。蒼志に駆け寄り、包みを受け取る。

「紅姉さんからの荷物!」

 ハナは包みをギュウッと抱きしめた。


 小糸のおいしいトンカツを食べると、ハナは一層元気を取り戻した。

「あー、サクサクしてておいしいね。いくらでも食べられそう!」

「ハナはいくら食べても、全然胃が荒れないものね。わたしは一個で十分だから、ハナはたっぷりお上がんなさい」

 小食の小糸は、トンカツを一口で食べられる大きさに切ってから口に運んだ。

「そういえば、父さんは?」

「今は自室に籠ってるわ」

 ハナと家族が暮らす二階建ての洋館は、全部で十一の部屋がある。二階にはハナたち四人兄弟のそれぞれの部屋と、空き部屋が一つ。ちなみに黒豆の寝床はハナの部屋にある。黒豆は家族の中で一番ハナに懐いているのだ。

 一階には、薬草園を臨む広々とした台所、八人用の大きなテーブルとイスが並ぶダイニングルーム、大きな革張りのソファが置かれた応接室兼リビングルーム、それから夫婦の寝室と、夫婦それぞれの自室がある。

 寿郎も小春母さんも子どもたちに愛情をたっぷり注いでいるが、夫婦それぞれの自室だけには絶対に近寄らせなかった。

「なにしてるんだろうね?」

「ハーブチンキとかの研究じゃないのか? 村の人にも時々配ってるし」と蒼志。

「でもそれならわたしたちだって、入っても問題ないと思わない?」と小糸。

 三人は「うーん」と唸りながら、同じ方向に首をひねった。

 もっと大人になったら話してもらえるかな、と思いながら、ハナはキュウリの漬物をポリポリと食べた。

「あ、この漬物、シソ漬けね」

「そうっ。今年はたくさん採れたから、どんどん使わないとね」


 食事と後片づけが済むと、三人はリビングルームへ移動し、紅からの包みを囲ってソファに座った。黒豆はハナの足元に座り込む。

「ハナが開けてよ。一番楽しみにしてたでしょう」

「いいの! それじゃあ、遠慮なく!」

 ハナはハサミを使って紐を切り、包み紙を丁寧に開いていった。

 中にはヒモで結われた五人分の手紙と、形の異なる小さな紙箱が三つ入っていて、それぞれのフタにハナ、小糸、蒼志、と紅の綺麗な字で書かれていた。

 三人は自分の名前が書かれた箱を手に取り、「せーのっ」と言って同時に蓋を開けた。

 贈り物の中身は、二卵性の双子であり、来年には大学へ進学する蒼志と小糸には色違いの万年筆、末っ子のハナには色も柄も異なるたくさんの帯飾りだった。もちろん三日月柄もあれば、桜柄もある。桜の花を見つけたハナは、こっそりと微笑んだ。

 紅は三人それぞれが喜ぶものをよく理解していた。全員が大満足だ。

「大学の研究室で手伝いをしてるって言ってたから、そのお給料で買ってくれたんでしょうね」

「研究室の手伝いなんて、名誉ある仕事だよな」

「かっこいいね、紅姉さん」

 ハナの姉妹のうち、長子である十九歳の紅姉さんは、唯一魔術師としての才能が長けている。竹箒で飛ぶのはお手の物で、飛行魔法を習得したのはたった三歳の時だ。学校の成績も優秀で、当主の推薦の元、東京にある有名な魔術師の大学に進学した。

大学でも魔術の実力が認められ、朗らかな性格も相まって、多くの教授や友人から信頼されているそうだ。三人にとって紅は憧れの存在であり、何よりの自慢だ。

 三人はお手本のような字で書かれた手紙を持って、少し距離を置いてソファに座った。


「ハナへ

夏が近づいてきて、海や川が恋しくなってきたわね。

あなたは元気かしら? わたしは元気よ。

そっちではシソの収穫が終わったころよね。東京に来て、うちで採れたシソが世界で一番おいしいって気が付いたわ。それってきっと、水がおいしいのはもちろん、家族みんなで愛情をこめて育ててるからよね。帰ったら、一緒に畑仕事をしましょう。土を触りたくて手がうずうずしてるの。わたしがいない間、お庭や畑をどんどん美しく、たくましくしてくれてありがとうね。

贈り物は気に入ってくれたかしら。ハナは着物や袴が良く似合うから、それと一緒に使えるように、帯飾りを選んだの。でもどれも似合いそうだから、結局十個も買っちゃったわ。どれも使ってくれると良いんだけど。それから、どれか一つは黒豆につけてあげて。あの子への贈り物も兼ねてるの。ちなみに、桜のはわたしとおそろいよ。」


 まだ数行文字を書く余白があるにもかかわらず、ここで新しい便せんに変わっている。

 ハナはハッとして、蒼志と小糸を盗み見てから、もう一枚目を読み始めた。


「清吾郎は元気? 彼とも手紙の交換ができたらいいんだけど、桜の子とやりとりするのは難しいからね。ふたりのことで何か困ったことがあったら、いつでも手紙を送ってね。授業がない日なら、最悪帰省することもできるんだから。わたしがふたりの力になるってことを忘れないでね。

もうじき輪野村三年祭ね。どうかあなたが箒競争に出なくて済みますように。

愛をこめて 紅」


「……選ばれちゃったわ、紅姉さん」

 ハナは隣に座る小糸にも蒼志にも、耳の良い黒豆にも聞こえないほど小さな声で、ポツリとささやいた。

 紅はハナとセイの仲を知っている唯一の人物だ。

ある日突然、紅が「清吾郎と仲良くしてるのね」とささやいてきたのだ。



『――えっ、な、何のこと?』

 ハナは駒の様にグルグルと目を回しながら、しどろもどろ答えた。

 紅はクスッと笑い、まだ六歳のハナの小さな頭をなでた。

『大丈夫よ、誰にも言わないから』

『……で、でも、ダメなこと、なんでしょう』

 初めて紅に怒られることになる。その恐怖で、ハナの体は小刻みに震えた。しかし紅は、首を横に振って、にっこりと笑った。

『わたしはちっともダメなことだと思わないわ。むしろお友達が増えたなんて、良いことじゃない』

 ハナはポカンとしてしまった。良いことだと言われるだなんて、考えもしなかったのだ。

ハナが不思議なものを見るような目を向けると、紅はもう一度クスッと笑って、ハナを膝の上に座らせた。

『気が合うお友達に出会うってことは、すっごく価値があるけれど、そう何度も起こることじゃないのよ。だから、大切にしなさい』

『……大切にして、いいの?』

『もちろんよ! むしろ大切にしてあげなきゃ、清吾郎がかわいそうだわ。ねえ、どうやって仲良くなったの? 教えてちょうだいよ』

 ハナは嬉しくなって、鼻息をフンフン鳴らしながらぺちゃくちゃ話し出した。

『学校で隣の席なの! 最初は桜の子だから話しちゃだめって思ってたんだけど、セイがすごく頭がよくて羨ましいから、すごいね、って言ったの。そしたら、セイ、驚いてたけど、嬉しそうにお礼を言ってくれたの。お行儀も素敵でしょう。それで、少しずつお話するようになって、わたしの薬草園の話も、たくさん聞いてくれるの』

 紅は笑顔で相槌を打ちながら、ハナの長い長い話を聞いてくれた。



 今になって思い返すと、あれは紅からの忠告だったのだろう、とハナは思った。

紅が目ざといのはもちろんだが、まだたった六歳のハナは、セイと仲が良いことをうまく隠せていなかったのだろう。ふたりの仲が周りに知られるのは時間の問題だ、と思った紅が、もっと上手に隠す様に促したのだ。

 紅の作戦通り、それからハナとセイはより一層気を付けてふるまうようになり、その結果、学校では一切口をきかず、登下校の三十分を一緒に森で過ごすようになったのだ。

 しかしそんな紅も、ハナとセイが本当は空を飛べることは知らない。

ふたりの関係の唯一の理解者である紅にまで、不気味だと思われ、退治されそうになったら……。

 だだっ広い世界に、ハナとセイのふたりきりでいるような、猛烈な不安に襲われるに決まっている。

 ハナは手紙をたたんで、チラッと小糸と蒼志を見た。ふたりも手紙を読み終え、改めて贈り物を眺めていた。

「……わたし、午後も練習があるから、そろそろ行くね」

「行けそう?」と心配そうに小糸が言った。

「うん。小糸姉さんのトンカツと、紅姉さんのお手紙ですっかり元気になったわ!」

「それじゃあ俺からはこれだ」

 蒼志はスクッと立ち上がり、ハナをガバッと抱きしめた。ハナは声を上げて笑いながら抱きしめ返す。

「仕上げになったか?」

「ありがとう、蒼志兄さん。最高の仕上げだわ!」

「それじゃあ母さんの仕上げはいらない?」

 女神さまの声がどんな風か考えた時、誰もが想像するような美しい声が聞こえてきた。

「母さん!」

 三人はソファから飛び上がり、今にも生まれそうなほど大きなお腹を抱えた小春母さんに駆け寄った。

「大丈夫なの、起きてきて?」と小糸。

「ええ。今日は調子が良いの」

「顔色も良いもんね、よかったあ」

「ありがとう、ハナ」

 小春の手が、ハナの頭を優しくなでた。働き者がようやく少し休んで、柔らかさを取り戻したような手だ。その感触を、ハナはじっくりと味わった。

「母さんの元気そうなところを見たら、元気が湧いてきた! よーしっ、がんばってくる!」

 ハナは小春の手をギュッと握り、リビングルームを出て行った。

さっきまでの悲しい気持ちは、米粒くらい小さくなっていた。


 二階の自室のテーブルに手紙と贈り物を置きながら、ハナはふと気が付いた。

「……もうじき赤ちゃんが生まれるんだ。わたしたちはうれしいけど、一族のみんなは、どうなんだろう」

 もし赤ちゃんが、うまく飛べない子だったら。

 もし自分と同じように、何も持たずに飛ぶことができる子どもだったら。

 ハナはうまく隠しているが、同じようにできるかどうかはわからない。

 突然ハナは新しい不安に襲われた。

 自分以上に未熟な存在が、悲しい思いをするかもしれないのだ。

「……護らなきゃ、わたしたちの家族になる子なんだから」

 自分と同じみじめな思いをさせたくない。

 ハナはそう強く言い聞かせ、たすき掛けの紐をギュッと結った。

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