10、ハナは箒競争の練習をする

 日曜日、ハナは手早く朝食を終え、柄のない無地の袴に着替えた。

「今日からいよいよ箒競争の練習ね。ケガにはくれぐれも気を付けて」

 小糸はハナをギュッと胸に抱きしめた。

「ありがとう、小糸姉さん。家事の手伝いできなくてごめんね」

「そんなこと気にしなくていいの! とにかくケガ無くね」

「はーい!」と答え、ハナもギュッと小糸に抱き着き返した。

「黒豆、ハナのことよろしく頼むわよ」

「わんっ」

 黒豆は丸い眉をキリッと吊り上げ、勇ましく答えた。


 朝の風には初夏の暑さはのっていない。ハナは両手を広げて、草木の香りを運ぶ涼やかな風を、胸いっぱいに取り込んだ。

「うんっ、目が覚めたわ!」

「わんっ」

「本当に一緒に来てくれるんだね、黒豆。正直すごく嬉しいよ、心強い」

 ハナがにっこりと笑うと、黒豆は得意げに胸を張って「わん!」と鳴いた。小さな体を張って、本当にハナを護るつもりのようだ。その健気さに、ハナは胸がキュンッとした。

「ありがとう、黒豆! 黒豆のおかげでがんばれそう!」

「わふ? わんわーんっ」

 黒豆のしっぽがはち切れんばかりにブンブンと揺れた。


 練習場所である中央の庭へ行くと、約束の時間の十分前にも関わらず、まだ誰もいなかった。庭を囲うように立つ家々からは、朝食のおいしそうな匂いと、楽しそうな話し声が聞こえてくる。

「あれ。確かに八時からだって言ってたけど」

 さんざん遅刻をしないように言ってきたあざみの姿もない。

 ハナはふうっとため息をつき、池の傍に座り込んだ。黒豆もその隣にちょこんと座る。

この三日月池には、三匹のカメが住んでいる、と言われている。

「一回も見たことないけど、本当にカメなんかいるのかな」

 黒豆は「わふ?」と首を傾げる。

「おーいっ、甲羅干ししなくて大丈夫?」

 池に向かってささやいたが、カメがにょきっと顔を出す気配はなかった。


 それから一時間後、ハナと黒豆が暑くてふうふう息をついていると、宋生とあざみと千恵が現れた。

「ハナ。お前、何時からここにいたんだ」

 ハナは赤くなった額の汗をぬぐいながら、「八時です……」と答えた。

 すると宋生は目を見開き、大げさに肩をくすめてこめかみに手を当てた。

「九時からだろうが! まったく練習の前に疲れるようなことを……」

「えっ、でも、あざみが八時だって……」

 チラッとあざみの方を見ると、あざみは心底驚いたような顔をした。

「まあ、人のせいにするなんて! わたしはちゃあんと九時だって言ったわよ。だいたい、学校が始まるのも、仕事が始まるのも九時なんだから、練習だって九時に始まるって考えるのが普通でしょう」

「……それは、そうだけど」

 ――ウソをついたんだ、あざみは。

 この状況では、ハナの話が真実だと認められる見込みはない。

 ハナは両こぶしを握り締め、黙り込んだ。その足元で、黒豆は「うーっ」とうなっている。あざみににらまれても、今日はひるむ様子もない。

 宋生は、すねる子どもに吹きかけるようなため息をつき、「まあいい」と投げやりに言った。

「ハナは主戦力ではないからな。とにかく私が指示する魔術さえ使えればいい。さあ、練習だ」


 箒競争の会場は、村の中央の広場だ。選手たちは広場を出発して、村の外周を一周飛ぶことになる。村の外周には三日月一族と桜一族が配置され、飛んでくる選手への妨害が行われる。

「妨害行為は、煙幕や突風の魔術、制御不全の魔術をはじめ、単純に卵や石を投げてきたり、野次を飛ばしてきたりする」

「あーあ、目立てるのは良いけど、痛い思いをするのはいやだわ。ねえ、お父様、防具とかつけちゃだめなの?」

「多少は良いだろうが、魔術師の一族としては、魔術で攻撃を防ぐことが好まれるぞ」

 宋生はハナが見たこともないような優しい顔で、あざみの頭をなでた。

「えー、妨害から護るのってハナでしょう。本当に大丈夫なの?」と千恵。

「そのための練習を今からするんだ。ふたりはいつも通り飛んでみなさい。ハナ、お前は箒で飛び回るあざみと千恵を『走って』追いかけながら、守護の魔術を使う練習だ」

「えっ、走るんですか」

「それならお前の魔術の射程はどのくらいだ。見せてみなさい」

 ――射程って、どのくらいの距離まで魔術を飛ばせるか、ってことか。

 ハナは黒豆に「ついておいで」と声をかけ、三人から少し離れた。

「空を割く稲光を ここに表せ」

右手をブンッと前にふる。すると、胸木門のあたりで、細く鋭い稲妻が起こった。ハナが想像していたよりもずっと遠くまで届いた。驚いた黒豆がコテンッとしりもちをつく。

 チラッと宋生の方を見ると、口をうっすらと開けて、呆気にとられているようだ。

「あ、あそこまで、届くのか……」

「できるだけ遠くへって、言ってたので……」

「フンッ。あのくらいお父様だってできるわ。ねえ、お父様?」

 あざみが着物の袂を引くと、宋生はハッとして「そうだな」と答えた。ごほんと咳ばらいを一つ。

「それでは、ハナはできるだけ距離が開かないように、可能な限り走って魔術を使いなさい。今の時点でそれだけの距離へ飛ばせるのなら、練習次第ではもっと遠くまで飛ばせるかもしれん。そうすれば、走らずに済むぞ」

「はい。がんばります」

 走らないことになるかもしれないなんてついてる、と思えたのは、最初の五分だけだった。

「わふう?」

 顔をのぞきこんでくる黒豆を、ハナはハアハア言いながら優しくなでた。

「だ、大丈夫、だよ、くろまめ」

「ハナ! 早くしろ!」

「は、はい」

 走っているだけでも疲れる上に、呼吸が乱れている中で呪文を唱えなければならないのは骨が折れた。しかもただ魔術を使えばいいのではなく、常に動き回る離れた対象に向けて魔術を使わなければならないのだ。距離が開けば開く程、失敗する確率は上がってしまい、その度に宋生から怒鳴り声が上がった。

「集中しろ、ハナ! 魔術がまったく安定してないぞ!」

「……す、すみません」

 頭上からクスクスとわざとらしい笑い声が聞こえてきた。

「三日月の子じゃないのかもね」と千恵。

「きっとそうよ。あんなできそこないなんだもの。きっとできそこないの桜の血が入ってるんだわ」

 あざみの言葉に、ハナの頭は火をつけられたようにカッと熱くなった。

 自分のことを悪く言われるのは我慢できる。もう慣れたものだ。しかし、セイがいる桜一族を悪く言われたことに、はらわたが煮えくり返るほど腹が立った。

 それでも、ハナがあざみと千恵に言い返すことはできない。そんなことをしたら、宋生にもっと怒られるに決まっているのだから。

 ハナは強く袴を握りしめ、キッと顔を上げた。

「……つ、次は、ちゃんとやります」

 ハナをジッと見つめた宋生は、鋭く細めた目をスッとそらした。

「……よし、わかった。では続きだ」



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