9、ハナはトンボ玉をもらいに行く

 三日月一族のお屋敷の北西には、大きな平屋と二階建ての洋館が建っている。平屋の扉の隣には、「三日月一族トンボ玉工房」と書かれた看板がかかり、常に扉がうっすらと開いている。その名の通り、トンボ玉を作る工房だ。

 セーラー服から着物に着替えたハナは、寿郎の袋を手に、黒豆を連れて工房へやって来た。

「守路さーん、こんにちはあ」

扉に顔を入れて叫ぶと、「入っておいでー」と落ち着いた優しい声が聞こえてきた。

「おじゃましまあす」

「わんっ」

 奥まで伸びる両側の棚のうち、左側には木箱が、右側には十二色の細長いガラス棒が、立てた状態でずらりと並んでいる。この飴細工のように鮮やかなガラス棒を熱で溶かして、トンボ玉を作るのだ。

 その棚伝いに奥へ進んでいくと、広々とした鉄製の長机が六つ見え、その一番西の机に、一人の青年が座っていた。

「やあ、ハナ、おかえり。それから黒豆も」

「ただいま、守路さん」

「わふ!」

 黒豆は守路に駆けて行き、その両手にピョンッと飛び込んだ。

 守路は、銀色のように見える白髪と黒髪の混じった頭と、空のような瞳が魅力的な青年だ。

「あれ、みんなはいないの?」

 いつもならば守路の他に三人のガラス職人と、三日月一族の魔術師が三人いるはずだが、今日は姿が見えない。

「仕事が早く終わったから、みんな出かけて行ったよ。港の方に、おいしいお酒とおつまみを出す店ができたんだって」

「守路さんは行かなくてよかったの?」

「俺はまだお酒は飲めないし、雨が降り出しそうだし、ハナが訪ねてきて誰もいなかったら困るでしょう?」

 守路はパチンと片目をつぶった。守路がよくする不思議な魅力を持ったこの仕草は、ハナのお気に入りだ。

「うん。守路さんがいてよかった。父さんのトンボ玉がずいぶん減ってたから、もらいに来たんだ」

「オーケー。特別出来の良いのをあげよう」

 守路は黒豆を床に下ろすと、左側の棚から、漆喰が塗られたつややかな木箱を取り出して来て、机の上に置いた。

 ハナは袋をひっくり返し、中に入っていたトンボ玉を手の平に出した。残っていたのは、水の魔術と風の魔術、それから雷の魔術が入ったトンボ玉だ。それぞれ光にかざすと、中の魔術が揺れ動いているのが見える。

「守護の魔術は必須だね。最低でも十個」

 守路は袋の中に、守護の魔術が入ったトンボ玉をコロコロと入れた。ガラス玉がぶつかり合う、カツンカツンという音が鳴る。

「それから、火の魔術と発光の魔術もたくさん。妖怪は明るいところが苦手なものが多いから、火はうってつけだね」

 火の魔術のトンボ玉は、全部で十二個入れられた。中で火が揺らめくトンボ玉は、見ているだけで熱く感じられる。

「あとは水の魔術かなあ」

 守路は箱の中の青く塗られた区画から、水色のトンボ玉を取り出した。ハナは、水の魔術が入ったトンボ玉を袋から取り出し、手の中でコロコロ転がした。ガラス玉の中で水がたぷんたぷんと揺れる。

「未だに信じられないなあ。ガラス玉の中に入れるだけで、魔術の威力が強くなるなんて」

「ガラス玉だけじゃないよ。西の国では、木製飾りや金属製の指輪に、魔術をこめてるんだって。魔術っていうのは、美しいものと共鳴しやすいんだよね」

「へえ! おもしろいね! どんな風に使うのか見てみたい!」



 明治維新と文明開化は、欧州の文明と共に、魔術に関する驚くべき事実を日本の世に知らしめた。

 それは、「魔術及び魔法は、美しいものの中に入れると、威力が増す」という事実だ。

 欧州でも、妖怪のような怪奇的な生き物は数多く存在し、人間の脅威となっている。その存在に対抗できるのは、聖職者か魔法使いだけだ。彼らの数が限られているのに対し、怪奇的な生き物は日々組織化したり、進化したりしている。

そんな中、アイルランド人で魔法使いのカリスタ・マリーがこの驚くべき事実を発見した。それはこんな経緯だった。

 何の事故か、カリスタ・マリーは、グラダリングという金属製の指輪に水の魔法を入れてしまった。正しく言えば、グラダリングのそばで水の魔法を使ったところ、水の魔法が吸い込まれてしまったのだ。慌てて取り出そうとしたカリスタ・マリーは、とっさに「Open」と唱えた。すると、グラダリングから滝のような水が放出され、家中が水浸しになるという珍事が起こったのだ。

 それからカリスタ・マリーは家族や友人と共に研究と検証を重ね、「人を魅了するほど美しい人工物の中に魔術及び魔法を入れることで、その威力が十倍に膨れ上がる」ということを発見したのだ。

 この発見が文明開化と共に日本に入ってくると、各地の魔術師が様々なもので検証をした。その結果、日本ではトンボ玉が使われることになったのだ。

 やり方はとても簡単で、通常の作り方をしたトンボ玉に、魔術師が魔力を押し込めるだけだ。その感覚は、ラムネのビー玉を落とす感覚に似ている、と勇は言った。勇は、寿郎父さんの兄の一人で、このガラス工房でトンボ玉の中に魔術を入れる仕事をしているのだ。



「――カリスタ・マリーさんに感謝しなきゃね。トンボ玉術が無かったら、女郎蜘蛛みたいな強くて大きな妖怪の退治には一晩かかるって、父さんが言ってたから」

「そうだね。彼女のように常に思考し、試行することは大切だね」

 守路はにっこりと微笑むと、新たに木箱を持って来て、中身を物色し始めた。

「それってつまり、考えを改めるってことだよね?」

「そうそう。これが良いのか、悪いのか。正しいのか、正しくないのか」

 ――わたしとセイが何も持たずに飛べることも、良いことだって思ってもらえると良いんだけどな。

「それから治癒の魔術だね。人間だけじゃなくて、動物や虫、植物にも効く万能魔術だから」

 また一つ、カツンとガラス玉がぶつかる音が鳴る。

「少しくたびれちゃった薬草も、すぐに元気になるもんね。すごいなあ。あ、そうだ。水の魔術のトンボ玉、ありがとう。おかげで畑の水やりがうんと楽になったよ」

「それならよかった。ハナたちだけであんな広い畑を管理しているって知って、何かできないかなと思ってたから」

 ハナが薬草園の水やりに使っているのは、水の魔術が入った欠陥品のトンボ玉だ。少しひびが入ったガラス玉や、魔術がすべて入りきらなかったガラス玉は、退治用として使うことができない。そういう不出来なトンボ玉を、守路はこっそりハナに分けてくれているのだ。

「守路さんが優しいんだよ。……わたしたち家族はみんな、一族からあんまりよく思われてないから」

「それは、寿郎さんたちが竹箒で飛ぶのが苦手だからでしょう」

「それと、わたしが、空を、飛べないから……」

 ハナはぼそぼそと答え、シュンと肩を落とした。

 優しい守路にもウソをつかなければならないことが、ハナにとってはつらいことだった。

「でも、ハナも寿郎さんたちも、他の魔術は問題なく使えるでしょう。仲間外れにすることないのにね。大勢と少しでも違うところがある人を排除しようとするのは、どういう考えなんだろう」

「……気味が悪いんじゃない? 父さん、言ってたよ。妖怪が妖怪たる所以は、『普通じゃないこと』だって……」

 一言口にするごとに、袋にトンボ玉を入れるように、お腹の中に重たい石が入るような感覚に襲われた。

 ――自分で自分を傷つけて、守路さんにも心配かけて……。何がしたいんだろう、わたし。

 こんな自分が嫌になり、ハナはお腹を両腕で押さえながらため息を鼻から逃がした。

 すると、守路の温かい手が、ハナの頭を優しくなでてきた。

「俺にとっては、ハナはかわいくて愛しいお嬢さんだよ。気味が悪いって思ったことなんて一度もない」

 ――本当は何も持たず、呪文も唱えずに飛べると知っても?

 今度は守路を疑う自分が嫌になり、ハナは弱々しく「……うん」と答えた。

「でもっ、ハナが自分を気味が悪いと思って、悲しんだなら、俺のところに来て、こうして話をしてね。そうしたら、俺がハナを慰めるから」

 守路は顔にしわを作って、ニッと笑った。目を細くして笑うキツネのような顔がかわいらしくて、ハナはフフッと笑った。

「……ありがとう、守路さん。それじゃあ、悲しくてどうしようもない時は、また来るね」

「そうして。俺はハナと黒豆とこうしてまったり過ごす時間が好きだから」

 最後に、守路は水の魔術が入った出来の悪いトンボ玉をたっぷりくれた。着物の袂に入れると、カシャンカシャンと涼やかな音が鳴った。

「なにからなにまでありがとう」

「どういたしまして。またいつでも来てね」

 ハナは心からにっこりと微笑んで、守路と別れた。

 三日月一族のお抱えガラス職人として働く守路たちは、当主に衣食住を賄ってもらっている。このガラス工房の裏にある洋館が彼らの住処だ。しかし守路だけは、この平屋の奥に布団を敷いて、寝起きをしている。ここの方が落ち着くそうだ。

 時々、小糸が作りすぎてしまった食事をハナが届けると、守路はまるで雪に飛び込む狐のように飛び跳ねて喜ぶ。昨日のイワシのかば焼きのような魚料理は、特にお気に入りだ。

「また持っていてあげようっ。今日のお礼に」

 ハナは心と体をウキウキさせながら、家に向かって歩いて行った。

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