1、ハナは晴天の通り雨にあう
「熱も咳も鼻水もでる風邪なら『カリン』と『ショウガ』。火傷した手が痛むなら『ヤマナラシ』。お腹の調子を整えるなら『スズナ』。手足の先が冷えるなら『ナズナ』」
セミの大合唱に合わせ、ハナは歌うように薬草園に立つ木札を読み上げていく。夏の朝日はジリジリと照り付け、茶色の長い髪から伝う汗がポタッポタッと地面に落ちる。ハナの足元をちょろちょろ歩き回る黒い豆しばも、ハッハッと呼吸を荒くしている。
「大丈夫、黒豆? 日陰にいたら?」
「わふう」
黒豆と呼ばれた豆しばは、フウフウしながらハナの足元にすり寄って来た。
「そばにいたいのね。それなら特別に……」
ハナは着物の右の袂から透き通ったガラス玉通称「トンボ玉」を取り出すと、「開」と言いながら玉を畑に放った。すると、トンボ玉が真ん中でストンと切り落とされたような形で割れ、中からあふれてきた水が黒豆の上に降り注いだ。黒豆はキャンキャン鳴きながら、大きな口を開けて降ってくる水を飲む。その間に、ハナは真っ二つになったトンボ玉を拾い上げ、土をパッパッと払ってから左の袂に入れた。
「懐妊してくたびれるなら『ハコベ』。それから、ショウガに、ネギ、セリ、ハコベ、スズシロ、スズナ、シソ畑。よしっ、どれも夕方までは水が持ちそうね」
ハナはエニシダの低木とノイバラの柵に囲われた薬草園をグルーッと見回してから、黒豆は一緒になってグーッと伸びをした。
「はー、気持ち良い! 朝の畑って空気がおいしいね、黒豆」
「わんっ」
「ハナー! 時間よー!」
竹でできた薬草園の出入口の方に、セーラー服に身を包んだ姉の小糸が立っている。ハナは黒豆を抱き上げて、小糸に駆け寄った。
「呼びに来てくれてありがとう、小糸姉さん」
「どういたしまして。ハナったら畑に行く時、スマホ持って行かないんだもの」
小糸は困ったように眉をハの字にして、ハナのスマートフォンを差し出してきた。
「ごめん、ごめん。必要ないからつい忘れちゃうんだ。……て、あれ? 小糸姉さん、割烹着付けたままよ」
両手を広げて自分を見下ろした小糸は、火が付いたようにボッと顔を赤くした。
「やだ、恥ずかしい! こんな格好で学校に行ったら、良い笑いものだわ!」
「あはは、急いで戻ろうっ」
ハナは黒豆を下ろし、割烹着を引っ張りながら先に走り出した小糸を追いかけた。その時だった。
「割烹着で出歩くなんて、恥ずかしいわね」
嫌味たっぷりな声にふり返ると、あざみをはじめとしたハナのいとこたちが、意地の悪い笑みを浮かべて立っていた。
「あんな格好でうちの敷地を出てたら、どうなってたことか」
「「三日月一族の恥よね、あざみ姉さん」」
声をそろえてそう言うのは、自称あざみの一の子分である双子の瓜と百合だ。
「で、でも、小糸姉さん、朝から忙しかったから。母さんの代わりに朝食も……」
「「ちょっと、あざみ姉さんに口答えする気!」」
ハナがもごもごと言い返すと、瓜と百合が声を揃えて怒鳴ってくる。黒豆は鼻頭にしわを寄せて、「ううーっ」とうなった。しかしあざみにジロリと一瞥されると、ビクッと震え上がって、ハナの後ろに隠れてしまった。
「まあいいわ。桜の奴らには見られずに済んだからね。でもあんたも気をつけなさい、ハナ。あんたは一族一のろまでできそこないなんだから」
あざみがフンッと鼻を鳴らすと、ハナをにらみつけていた全員が手に持っていた竹箒に跨り、「矢のごとく 宙を駆けろ」と唱えて地面を蹴った。そして、ビュンッと空へ飛びあがり、学校に向けて飛び立っていった。
あざみたちの背中があっという間に虫のように小さくなると、ハナは大きなため息をついた。
「なんか、ひどい通り雨にあった気分……」
「くーん……」
そうつぶやくと、後ろから小糸の足音が近づいてきた。
「あら、ハナ。まだそんな格好なの! 間に合う?」
ハナは手で口角をグイッと上げてニコッと笑顔を作ってから、小糸の方を向いた。
「ちょっとあざみたちと話してたの」
そう言うと、小糸の顔色が陰った。ハナに歩み寄り、そっと頬に触れてくる。
「また意地悪言われたの?」
「大丈夫よ。ちっとも気にしてないから。それよりもわたし、着替えに行かなくちゃ」
「……そうね。急いで、でも気を付けてね」
「ありがとう。小糸姉さんも気を付けて」
「行ってくるわね」と言い、小糸は竹箒にまたがると、「矢のごとく 宙を駆けろ」と唱えた。すると、小糸の体は重力を忘れたようにゆっくりと上昇していった。
「それじゃあ、また夕方にね、ハナ」
空の上から手を振る小糸は、港に向けてゆっくりと飛んで行った。
「……いいなあ。自由に空が飛べて」
「くーん」
ハナはまたため息をつき、黒豆とともに速足で家へ戻って行った。
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