月華の舞 08


       8


 街の最も高い塔で、鐘が鳴った。

 夕陽が地についたのだった。


 最後の喝采が起きた。

 十人目の決勝進出者が決まったのである。


 舞台上にいるのは男性五人、女性五人。

 アイナの姿は、その中にはなかった。


 かなりの技量を示したものの、審査員の厳しい目にはかなわなかった。

 当人は少しも悔しいとは思っていない明るい顔で、壇上のジールに手を振ってくれている。


 貴賓きひん席もこの時刻になると全て埋まっている。

 ジールの父が中心にいる。

 その隣にはアイナの父親、タランドンの名を持つ旧家の長。

 他にも、このラファラン県の有力者や大商人、王都からわざわざここジランファを訪れてくれた貴族もいる。この地の民にアピールするために派手な衣装を身につけ、背後には美々しい甲冑の護衛騎士を立たせているのでわかりやすい。家柄を示す旗も高々と。


 決勝の舞台を囲んで、ゆらめく篝火かがりびとは別に、魔法のともしびが光を放ち始める。


 日没後の夕闇に沈みはじめる市街をよそに、舞台の上はきらびやかな光に照らし出された。


 そこに、ジールたち男性五人と、相手の女性五人が向かい合って並んだ。


 着飾った指揮者が現れ、楽団全員での気合いのこもった演奏が始まる。


 まずは『ドリュム・クウェレ』。

 落ちついた二拍子だが、横に並んだ男女が、ひとしきり舞った後に相手を入れ替えるというもの。その入れ替わりのスムーズさが重要なダンス。自分の動きだけではなく周囲の全てを感知しつつ、どこまでも優雅、明るく振る舞って見せねばならない。入れ替わってゆくにつれて男性と男性、女性と女性が組むことも起きる。その時の動きもまた注目ポイントだ。


 そこは決勝進出者だけあって、全員が見事に入れ替えをこなした。


 これは『月華の君』『月華の姫』を争う者たちの顔合わせでもある。全員がそれぞれと一度組み、互いの技量を把握できるようにという目論見だ。


 その次はやや速めの『トリュス・アレ』。三拍子だがほとんど飛び跳ねるように動き続け、途中で隣の組と入れ替わる。これもまた全員が巧みにこなした。


 ここで突然、男女が組むのではなく全員が横一列になって踊る『リッツ・トゥト』が始まった。

 十人すべてがすぐさま、腕を組み見事にそろったステップをこなす。このダンスで最後に必ずやらねばならない、横一列を乱さないまま回転する大技を披露。事前に練習しているならまだしも、初顔合わせも同然でこれをこなすのはきわめて難しい。ジールは最外縁に位置して、他の者たちとの位置関係を崩すことなく最速の移動をやってのけた。一周すると、最後に十本の片脚をいっせいに天に伸ばし、床面に戻す。その靴音が完全に一致した。

 大歓声と猛烈な拍手が浴びせられた。


 意地悪く、その直後に基本的な『トリュス・プレ』が来る。

 それぞれ異性を見つけ組んで踊らなければならないものゆえに、横一列になっていた十人の視線と判断が飛び交い、一瞬の間にものすごい駆け引きと移動が行われ――。


 ジールは、五人の女性の中で最も『月華の姫』に近いと見た相手に手をさしのべ、手を重ねてもらうことができた。


 それはそれで喜びだったが――。


(あの方には及ばない……)


 踊り始めてすぐに、理性ではどうしようもないところで、そう感じてしまった。


 表情は一点の曇りもない笑みをたたえたままで、動作にも一切そのようなものはにじませなかった――はずだ。


 ゆるやかな三拍子の動きに、高度な技術をこめた様々なステップや動作をちりばめ、高々と飛び上がる者もあらわれた、決勝ならではのダンスを各組が披露し――。


 完全に太陽が姿を消し、周囲に闇が降りてくる中で、輝くような舞台上、いよいよこの月華祭の勝者を決める『カラントペンティラン』の前奏が始まった。


 この国で最も格式の高い五拍子のダンス。


 そしてジールは、これまでで最も気の乗らない、物足りない舞踏を演じることになってしまった。


(あの『カルナリア姫』こそ…………女神だった……!)


 確信した。


 自分と組んでいる女性は、すばらしい力量の持ち主だ。

 だがそれはどこまでも人間の範疇はんちゅう内でのものだ。

 ジールには相手の力量がすべて読み取れた。

 どう動いてくるか、完全に予想できた。したがって一切驚きも焦りも感じることなく対応できた。


 その万全な技量に賞賛の視線が浴びせられるが、ジールの内心は物足りなさにさいなまれるばかりだった。


 あの姫君は、まるで違う存在だった。

 人に属するものではない、女神だった。

 月華祭のきっかけを作った名手、カルナリア女帝その人がよみがえりなさったというのであれば、むしろ納得できただろう。


 女神様と踊りたくはありませんの。

 アイナに火をつけられた強烈な欲求は、これではもう満たされることはない。

 あの時、カルナリア姫の手が離れていった瞬間に、今後はどうしようもなく続けるしかなくなってしまったのだった。


 それでも、自分の技量を示したいという目的は失われることなく、ジールは華麗に、格調高く、優美に踊り続け――。


「月華の君は!」


 全ての舞いが終わり、審査員たちの下した結論が伝えられ、場を盛り上げる打楽器の効果音と共に、ジールの父が高らかに宣言する。


「4番! ディオン・ディール!」


 ジールの偽名が呼ばれた。


 それと共に、偉大な女帝にちなんだ鏡球が、内部に魔法の光が点されて小さくまばゆい無数の光を周囲に投げかけ始める。


 きらきらした光の下にジールは立った。


 見下ろしてくる父の目には、事前にすべてを知っており立腹してはいたが、その上でなお息子を誇らしく思う、泣き笑いに似たものがきらめいていた。


 大歓声の中、ジールもまた、目を潤ませて父を見上げ、それから深く一礼した。


 身を起こし振り返る。

 観客席の最前列に、涙目の婚約者の姿があった。


 自分の夢がついにかなった、晴れがましい、人生最高の瞬間…………のはずだった。


 だが、きらきらした光が撫でる、会場を埋め尽くし歓声をあげながら自分を見てくる無数の顔、顔、顔――その中に、あの女神の姿は見あたらなかった。


 ジールは、作っているという自覚のある満面の笑みで、群衆の歓呼に両腕を振って応えた。





 ――そしてその後、全員が参加を許される、一切の審査も評価もない、大群舞が始まった。


 ジランファの街の月華祭のみで見られる光景である。


 楽団は、先ほどまでとは違うリラックスした、時には音も外す野放図な演奏で聴衆に楽しさを広める。


 予選の時間帯にそこら中で演奏していた庶民的あるいは流しの楽士たちも、ここぞとばかりに最高度の楽団と共に演奏し経験を得てゆく。


 華やかな音曲ときらきらする魔法の光の下で、集った人々が笑みを弾けさせながら舞い踊る、年に一度の特別な空間。


 審査も評価もないとは言うが、やはり『月華の君』『月華の姫』は特別で、吊されている鏡球にも似たきらきらした冠を頭に乗せられたジールは、周囲から憧れの目で見られ、同時におそれおおいとばかりに距離を置かれてもいた。


 そんな中で、進み出てくる女性がいて。


「おめでとうございます、我が君、ジール様」

「……約束を、果たしますよ」


 涙目のアイナに、ジールは手を差し伸べた。


 歓声と冷やかしの指笛などの中で、二人は手を重ね、踊り始めるべく立ち位置を整えて――。


「……どうなさったのですか?」


 アイナに悟られた。


「何かご不満のよう…………心を曇らせる、何かがおありだったのでしょうか?」


「いや、そういうわけでは」


「あのご令嬢ですね?」


 さとい相手に、見抜かれないはずもなかった。

 ジールも、見苦しくうろたえたりはせず、しっかり認めた。


「ああ。もちろん女性としてではなく――舞踏の相方として、信じられないほどの技量の持ち主だった。あの方こそ女神様その人だったのかもしれないと――途中からお顔を出されておられたけれども、あなたにはどう見えた?」


「とてもお美しい……でもそれだけではない、どこかの国の王族が素性を隠して参加なされておられるのかもしれないとは感じましたが……」


「ただ者ではなかったよ。それは間違いない。正体を知ったら、私では顔もあげられないお方かもしれないと、恐ろしくすらなった。……しかし、もう二度とお会いすることはないだろう」


「ナオラルの良き風の吹かんことを」


 婚約者が口にした常套句の祈りは、ジールへの許しの言葉のようでもあり、その通りに二度と私の夫の前に現れないでくださいという呪詛のようでもあった。真意を追及することは一生かなうまい。


「では、約束通り、踊っていただけますか、我が唯一の姫君?」

「ええ、お願いします、ただ一人の我が君」


 二人の手と手は重なり、つながって、律動に合わせて共に情愛に満ちた時間を始めようと――。


 その時だった。


 場が揺れた。

 楽曲が止まった。

 全ての人々が止まった。


「!!!!」


 ジールの目は限界まで見開かれた。


 あの『カルナリア姫』がその先にいた。


 傍らに、もうひとり、立っていた。


 ジールは理解した。


 カルナリア『姫』は、その言葉通り姫すなわち人、高貴きわまりないにしてもまだ属する存在だったのだ。


 この街に降臨したという女神は、彼女ではなかった。


 至高の存在が、長い黒髪をゆらめかせて、姫君の傍らに立っていた。

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