「エリーレア冒険譚」の成立過程とカルナリア時代のカラント


【注意】「ぐうたら剣姫行」の世界を正史として、その世界で広まった「騎士令嬢エリーレアの冒険」という物語についての解説という形のものです。

「エリーレアの冒険」をお読みいただいてからの方が、より楽しめると思います。







 本作「騎士令嬢エリーレアの冒険」は、いわゆる「エリーレア冒険譚」「エリーレアもの」と呼ばれる説話のうち、もっとも人口に膾炙かいしゃしたいわば標準形のものである。その元は大陸暦四〇三年発行のランヌ・ギーレル編「カラント伝承集」による。ギーレルが各地の伝承を収集し統合して戯曲の形としたものであり、その後のものはすべてこのいわゆる「ギーレル本」を底本とした亜種である。


 しかしギーレル本の編纂へんさん以前には、酒場での芝居や街角で子供たちに物語を聞かせる講談師などにより多種多様な「エリーレアもの」が語られ演じられていた。

 三六〇年のレイマリエ消滅事変により大図書館をはじめ膨大な史料が失われてしまったことは大変惜しむべきことであった。

 史料自体はもちろん、数多くの研究者、芸術家、物語の作り手、演じ手が失われてしまったことにより、文化的にも大断絶が起き、それ以前の時代についての史料は、それ以後に比べるときわめて少ない。

 ギーレルの民間伝承収集と編纂事業も、消滅した史料の再収集と復元を目論んだことから始まったものであり、現代に生きており過去に戻るわけにはいかない我々はその恩恵にあずかるより他にない。

 ここでは、ギーレル自身の残した資料や、ラエリオ・ミルグ、ゴーチェ・ヌヌーなどその前の時代の著述家たちの手になるもの、各地に残されていた文献あるいは貴族や商人の日記などの断片的な記述を元に、ギーレル本とそれ以前のエリーレアもの、あるいは史実とされていることとの差異を解説しておきたい。


 まず、主人公の女騎士エリーレア・アルーランは、完全に架空の人物である。

 エリーレア・アルーランという女性が存在したことは事実である。三〇八年のガルディスの乱勃発時、その時はまだ十二歳だったカルナリアの侍女として名前が残っている。しかし十数人いたうちのひとりにすぎず、このエリーレア自身が剣の使い手、あるいは武芸に長けておりカルナリアの護衛をつとめていたというような記録は存在しない。

 ガルディスの乱に際してカルナリアはダルタシアを脱出したものの、厳しい追跡にあって、奴隷に扮して逃れた。その際に付き従ったのがエリーレア・アルーランと、同じく「冒険譚」に登場するレント・フメールだったことはカルナリアが幾度となく語っているが、どちらも身の回りの世話をさせるためであり、護衛として期待していた、あるいはそのように働いたということはどの発言録にも見あたらない。カルナリアの護衛をつとめたのは逃避行の最中に出会った剣士フィン・シャンドレンであり、エリーレア・アルーランとレント・フメールの両名はカルナリアがフィン・シャンドレンと出会う前に反乱軍兵士により殺害されてしまっている。カルナリアは三一二年にガルディスの乱における功労者の顕彰碑や慰霊碑を各地に立てさせているが、この二人のそれは「カルナリアの逃亡を助けた従者」に対するものにすぎず、エリーレアのものには「我が親しき姉」、レントのものには「我が最高の忠臣」と記されてこそいるものの、どちらも「冒険譚」にあるような剣を振るい王女を守って戦った者に対する評価ではない。

 すなわち、「男を翻弄する軽やかな剣技を披露するおてんばな女剣士エリーレア」という主人公は、名前だけを実在の人物から借用した、完全に創作の人物であると断言してよいであろう。作中におけるレントも同様である。


 ではなぜ、そのようなキャラクターを創作し物語の主人公とすることとなったのか。

 ガルディスの乱に呼応して蜂起した平民たちからカルナリアを守ったのは、その当時『剣聖』という異名で呼ばれてもいた女剣士フィン・シャンドレンである。ならばそのフィン・シャンドレンを主人公にした物語が広がる方が自然である。事実「エリーレア冒険譚」にはフィン・シャンドレンが何かにつけ助けてくれる重要な役どころとして登場している。なのになぜフィン・シャンドレンではなくエリーレアという架空の人物を主人公に据えた物語が語りつがれてきたのか。

 それには大きく二つの要因があると考えられている。


 まずは外見である。カルナリアの数々の発言をはじめ同時代の記録によれば、フィン・シャンドレンは大抵の「エリーレアもの」で描かれている通り、常にぼろ布をかぶって姿を隠している、見た目に難のある人物であった。すばらしい美貌の持ち主であったこともまた記録に残されて様々な絵画として残されているのだが、それゆえにこそ、また女性であるがゆえの無用なトラブルも避けるために、普段は美しいとはとても思われない格好をしていた。しかしそのために、主人公として舞台や芝居で演じるには見栄えが悪く、別なかたちの主人公が求められた。

 もちろん、ぼろ布を取り払った時にあらわれる最強の美女という設定、キャラクター像の魅力は大きく、本作はもちろん様々な「エリーレアもの」が舞台で演じられるに際しては、フィン役は実績のあるベテラン女優がつとめることが多い。布を取り払い正体を現す瞬間の演技のみについての品評集すら残っているほどである。しかし「エリーレアもの」は、「冒険」とつけられるように、立ちはだかる困難に健気に立ち向かい仲間と共に姫を助け出すという基本構造の物語である。この点において、完成された大人かつ様々な伝承からも同時代人の証言からも卓越した技量の持ち主であったことは疑いないフィン・シャンドレンは、「立ち向かう」構造の物語の主人公に据えるには向いていない。当時の記録にも、「エリーレアもの」は主人公に自分を仮託して没入する年齢層の低い子供たちに人気を博し、一方で「フィン・シャンドレンもの」は社会の不条理をたっぷり味わっている成人が理不尽を容赦なくぶった切る爽快感を求めて観劇していたという観客層の違いが明確に記載されている。


 そしてもうひとつの、それよりもはるかに大きな要因が、カラント西部と他地域との反目である。

 時系列的には、まずガルディスの乱の一端、タランドン城事変におけるフィン・シャンドレンの活躍――すなわち単身タランドン城に乗りこみ捕らわれていたカルナリアを助け出すという実際の事件が起きた。その様子を直接目撃した多くのタランドンの住民によって、フィン・シャンドレンの名が広められ、人気が高まった。「剣聖もの」と呼ばれる無数の芝居、戯曲、あるいは「シャンドレン冒険譚」のような物語が作られ、タランドン以外の土地にも広められていった。

 しかしそこに、カラント国内の勢力関係がかかわってきた。

 ガルディスの乱は、カラント南東部トルードン領を本拠地とするガルディス王太子によって起きたものであり、乱による荒廃はカラント東部から中央部にかけてが著しいものとなった。モーゼルの戦いをはじめとするカルナリアによるガルディスの乱の鎮圧は、カラント西部諸勢力からの兵員提供あってのものであったし、戦後の復興に際しても生産力を保持していた西部の各領に大きく頼らざるを得なかった。また支配階級が払底した東部に西部出身の役人が多く赴任することにもなった。

 それらの事情により、反乱終結後のカラント国内では西部こそが優れた地、栄えた地、上位領地という認識が広がった。西部出身者が東部の者をさげすんだ発言やそれによる争乱が発生した記録がいくつも残されている。

 その風潮への反発から、西部で大人気のフィン・シャンドレンに対抗する形で、北東部のアルーラン領出身のエリーレア・アルーランを主人公にした物語が作られ、東部や中央部において広まったのである。


 そのことはギーレル本以前、最初期の「エリーレアもの」の内容から明らかである。

 現在確認できる最も古いものとして、三〇九年のタランドン領タランドン市ラーバイ区の芝居演目に「エリーレアもの」が確認できる。美人女優にフィン・シャンドレンを演じさせるものが飽和してきた時期に、もうひとり女性主人公を立てることにより人気を博した。フィン・シャンドレンとエリーレア・アルーラン、二人の女性剣士がタランドン城でカルナリア姫を助けるために戦うという内容である。

 まだガルディスの乱は鎮圧されておらず、ともすればタランドン領に浸透してくる敵勢力の脅威が現実的であった時期のものであるため、敵役はタランドン侯爵に化けた反乱軍の者たちであり、カルナリア姫を捕らえてはずかしめを与えることで王家の権威を失墜させようともくろみ、それを助けに二人の女剣士とタランドンの騎士たちが城に乗りこむという展開になっている。ここではまだ東西対立の要素は見られない。

 しかし乱の鎮圧後、三一一年のカルナリアの成人祝賀に際して新都ナオラリエで演じられた「フィン・シャンドレンもの」の芝居の中には、カルナリア姫を捕らえたのはタランドン侯爵本人の意志であり、カルナリアと自らが結婚することにより王位継承権を得ようとしたという、タランドン侯爵自身を悪役とした筋立てのものが確認できる。もっともこの芝居自体は侯爵への不敬をとがめられ即座に上演中止とされた。

 その二年後、三一三年に、カラント国内において西高東低の風潮が強まっていた時期に、バルカニア戦役に多くの軍勢を動員していたため国内の治安が乱れていたところを、カラント北東部出身の女性剣士が野盗集団を壊滅させるという出来事が起きる。もちろん単身で行ったわけではなく盗賊の討伐に赴いた兵団とたまたま合流してのものではあるが、この女性剣士がエリーレア・アルーランと重ねられて、ギーレル本に描かれる女主人公エリーレアのキャラクターがほぼ固定された。


 敵役についても、最初期はタランドン侯爵家への配慮もあり、侯爵ジネールは悪者どもに監禁もしくは何らかの詐術によりカルナリア姫への加害を黙認するという、被害者か傍観者という立ち位置とされ、姫に害を加えるのは反乱軍に属する鞭を振るう女という、タランドン城事変における史実をある程度踏まえたものであった。主人公エリーレアの前に立ちはだかるのも、タランドン領に入りこんでいたガルディス側の工作員である。犬をあやつる猫背の男ディルゲ、屈強な弓士のバンディル、その愛人であり妖艶な南方人の美女ギリアという個性的な三人は最初期のものからすでに登場している。のちの時代のものには戦士ダガル、あるいはバンディルとギリアの娘双剣使いの少女リネアといったキャラクターが追加されたり、あるいは城の騎士たち大勢が立ちふさがったりなど様々なバリエーションが展開されはするものの、基本的な構造にはそれほどの差異がない。

 しかし、三二四年、タランドンの乱によりタランドン本家の滅亡、領の分割が行われ、忖度そんたくする必要がほぼなくなって以降は、タランドン侯爵本人を露骨な悪役としたものが数多く見られるようになった。タランドンの騎士たちも侯爵に同調して王女を推戴し自分たちが新たな王国の主となろうという欲望を示し、それをエリーレアやフィン・シャンドレンなどの国王側、中央側の人物が成敗してゆくという展開である。これはおよそ十年にわたって続いた西高東低の風潮への反発のあらわれと見るべきであろう。

 ギーレル本にある、タランドン侯爵ジネールを幼女嗜好しこう者として描くパターンもこの時期に原型があらわれる。

 余談であるが、作中ではジネールの嗜好を指して「ユルの徒」という表現が用いられているが、この表現はジネールの三男ユルリーシュがそのような性癖の持ち主であったということからの後代の造語であり、ジネールに対してその表現を用いるのは本来おかしな話である。当時の史料と称しているものにその表現が用いられている場合、それはほぼ偽物である。

 また、ギーレル本には唐突にタランドン領の秩序や騎士たちの意識の高さを賞賛する表現があらわれるが、これは西高東低の風潮への反発からタランドンの乱の後に今度はカラント西部とは下劣な土地であるとさげすむものが数多く見られるようになり、さらにその後にその雰囲気への反発と修正が行われるといういわばシーソーのような流れが続き、そういうせめぎあいの果ての、侯爵は悪役であるが西の地の者たちは悪役にしないようにという、いわばバランスを取ろうとした結果であると考えるべきであろう。


 このように三二〇年代のカラントにおける東西対立は根深いものがあり、その最も象徴的なものは、西に立った黒い剣ザグルを持つフィン・シャンドレンと、東に立った赤い剣ゼレグレスを持つエリーレア・アルーランがそれぞれ軍勢を率いて一大決戦を行うという三三〇年にナオラリエで行われた舞台公演である。結末は両陣営への観客の応援の声量により決めるとしたために、東西それぞれの出身者が大量に押しかけ死者も出る大乱闘から火災発生に到り、女帝カルナリアが激怒、あまりにも事実とかけ離れている上に国内情勢に悪影響があるものを上演したとして関係者をことごとく投獄するに到る一大弾圧事件となった。カルナリアはその治世において基本的には言論・表現・信仰の自由を認め自らへの風刺も許容する寛大さを示していたが、この件は破壊神信仰の禁止と並び数少ない例外である。

 こうした対立風潮は、三三三年、第二次ルーマ侵攻に対抗するためのカラント=バルカニア全土の締めつけと戦後の多くの領主転封いわゆる「二度目の植え替え」もしくは「カルナリアのチャフロッシュ(食材をふたつの半球状のボウルに入れて重ね合わせ、球体状のものを振り回して撹拌かくはんした上で熱した鉄板の上で焼くいわゆるごたまぜ料理)」といわれる国内権力構造の大変革まで続いた。


 その後は、およそ四半世紀にわたり大きな戦争も国内の争乱も発生せず、比較的平和な日々が続いた。

 その中で、史実ではなく娯楽としての「エリーレアもの」は、「フィン・シャンドレンもの」「ノエルもの」などと共に大衆に広められ、ストーリー展開も客層の好みに合うものへと変化してゆく。

 ガルディスの乱の原因とされる貴族制度、階級制への反発が強かった時期のものには、作中に貴族の横暴やそれへの反発を示すシーンが色々と見られる。身分を鼻にかける者に下級貴族あるいは平民という設定にされたレントが一杯食わせる、あるいはテランス・コロンブを細身の美形役者に演じさせその従者として巨漢の下層平民というキャラクターを配置しその者が貴族を散々にぶちのめすという展開である。そのような展開になると客が大喜びした、あるいは貴族への無礼として取り締まりを受けたなどの記録が残っている。

 しかし領主の「植え替え」や刑法における貴族免責条項の削減をはじめとした、カルナリアの長期在位ゆえに可能となった数十年をかけての段階的な制度変更により貴族制そのものが変質した後の時期においては、貴族の横暴ぶりは立場を鼻にかける者という程度にしか描かれておらず、むしろ責任ある者は下の者を守らなければならないというような教育的表現の方が強く見られるようになっていく。

 こういったおよそ百年にも及ぶ時間を経ての様々な変遷の集大成が、このギーレル本なのである。


 近代以前の物語というものは、口から口へ、あるいは芝居小屋から芝居小屋へと受け継がれその場その場で変質してゆくのが常態であった。

 それらを記録し文献、文章というかたちで固定する作業を経た上で現在に伝わっているものを、そのような変化、手を加えられただろう部分、そうなるに到った事情などを推測しあれこれ想像しつつ読むこともまた、このような古典作品の楽しみ方のひとつである。


 過去の偉人たちに心からの敬意を表しつつ、また読者がそのように楽しみよりいっそう想像の翼を広げてくれることを願いつつ、この解説の筆を置くこととする。




   ■    ■    ■    ■    ■



某所で、ある者たちの会話



「どうだ?」

「色々思い出します。あの頃は本当に大変でした。東と西だけじゃなくて、南と北も色々あったのですよ。本当に、レイマリエと一緒にいっぱいなくなってしまいましたからねえ」

「誰だよリネアって。しかもオレがおっちゃんの子かよ」

「懐かしいですね。あの頃はお互いに幼く、未熟で……」

「言うなよ。恥ずかしい」

「実際とはかなり違うが、どうする? まだおぼえている今のうちに、本当のことを書いておくか?」

「それもいいかもしれませんね。誰も信じてくれない偽書としてしか扱われないでしょうけど。ゴーチェを見習って少しがんばってみましょうか」

「十年ぐらいならつきあうぞ」

「やれやれ。まあ好きにしろ。その間オレたちはあちこち回ってくるから」




『カルナリアの書』。

カラント女帝カルナリアの回想録という体裁で、ルーマにおいて発行された書物。著者はカルナリアとされているが本当の著者は不明。カラントのカルナリア時代から百年以上経っている出版時期といい発行場所といいどう考えても偽書なのだが、女帝本人でなければ知り得ないことが無数に書かれており当時の史料との整合性にもまったく問題がなく、「カルナリア本人でなければこんな著述は不可能だ」とあらゆる歴史家がさじを投げることになる、天下の奇書。のちに太陽神教会より悪魔の書と認定され焚書処分を受け、原本は失われたが、筆写本が三部確認されている。



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