ぐうたら剣姫行after 月華の舞

月華の舞 01


※「ぐうたら剣姫行」最終話より後の時代の物語です。





     1


「縁談だ」


 父親に言われて、ジール・ディオルはありとあらゆる表情筋を総動員したを作った。


「黙れ。お前は今年で二十になった。すでに成人して五年経つというのに、自分自身でふさわしい相手を見つけてこなかった以上、これに反対する道理はお前にはない。この先も独身のまま過ごして、お前にどのような将来があるのか、具体的な見通しを誰もが納得できる形で提示してみよ。できぬのならばこの縁談を受け入れよ」


 頭脳明晰な父親に退路を断たれて容赦なく迫られては、無官無職、放蕩息子でしかないジールには抗うすべは何一つなかった。


 やりたいことはあった。

 踊りである。

 ジールは、舞踊の名手だった。

 体を動かし、楽曲に合わせて舞い踊ることが誰よりも上手い。若い頃から親への忖度そんたく抜きで才能を認められほめたたえられ、何よりも自分自身が踊ることを心から好んでいた。間違いなく自分にはそちらの才能があった。

 しかしその才能は、このカラント王国に五十五存在する「県」のひとつをまかされた『知事サーヴェ』である父およびその後継という立場からすると、瑣末さまつな趣味のひとつにすぎなかった。美しい文字を書ける、特定の学問分野に長けているというようなものと大差ない。知事の息子に求められる才能はそれではない。


「相手は、アイナ・ファウ・タランドン。タランドン家の血を引く聡明な女性だ」


 旧家の娘だった。


 このカラント王国は、かつては貴族と平民が厳しく分けられ貴族のみが富貴を独占する体制であったそうだが、ジールが生まれるずっとずっと前、父親どころか祖父が生まれる前に平民の蜂起が起きて、国王こそ残ったものの、それ以外の貴族階級というものは実権を持たない単なる名前だけのものに変えられていったそうだった。

 だが時が経つにつれて、三百年前までもさかのぼれる由緒正しき血筋というものが尊重されるようになってきて、せいぜい祖父の世代に功績をあげて昇進した程度の元平民たちは、貴族の末裔まつえいと婚姻を結びその一族に名を連ねることに価値を見出すようになってきていた。


 ジールのディオル家も、奴隷だった曾祖父がある戦いで指揮官を身を挺して守ったことで平民とされ、その子である祖父が兵士として実直に勤め続けたことでまあまあの立場になったという程度のもの。母方も含めて、それ以前の先祖のことは何もわからない。

 ディオル家が県の知事サーヴェという今の立場を得たのは、ジールが生まれる前に起きた『グライルの裁き』と呼ばれる帝都消滅事変の後、優秀だが後ろ盾も何もないので田舎の役人をやっていた若き日の父が、当時の女帝に抜擢され治安維持部隊の長を経て知事へと昇進することによってである。

 すなわちディオル家は、今でこそ父の優秀さによって尊重されそれなりに裕福な暮らしをできているが、成り上がりにすぎない。


 父が、息子の結婚相手に可能な限り由緒正しき貴族の女性を選び、ディオル家の格を高めようとすること自体は、ジールにも容易に理解できた。


 なので、会うだけは会ってみた。


「アイナ・ファウ・タランドンです。ジール・ディオル様、初めまして」


 十八歳。肖像画通り、絶世のとまではいかないが穏やかな雰囲気の美女で、これからの日々を共に過ごすことに何の問題もなさそうだった。


 タランドン家というのは、かつては王国の西の方に広大な領地を持っていた、王家そのものとすら並ぶほどに古い一族である。

 かつては偉大なる女帝の後ろ盾となっていた時期もあり、もしかするとカラント王国はタランド王国あるいはカラント王国タランドン朝となるかもしれないというところまで栄華を極めた名家。

 しかしある時、当主が女帝に取って代わろうと蜂起したことから、攻めこまれ滅ぼされ、当主および一族は処刑されその領地は分割された。

 とはいえ古くから続く家、傍流が大量に存在していたため、タランドンの姓を持つ者たちはカラント各地に散り、それぞれ血縁を残してゆくこととなった。

 目の前にいる女性、アイナもその流れの中のひとり。

 時が経ち世代がふたつ変わって、タランドン家が反逆者の家系と冷遇されることもすでになくなっている。

 今ではむしろ、カラント王国創立以前から脈々と続いてきた名家ということで、その姓の価値は高まっているとすら言えた。


 タランドン家の側からしても、優秀ゆえに女帝に抜擢され、女帝亡き後も有力な知事サーヴェとして国政に関わり続けている人物とつながるのは、実に望ましいこと。

 それぞれの家の思惑は完全に合致し、ジールとしても相手に対する不満はなく、そのまま順当に結婚することに決められた。

 文句を言い反抗するほど子供ではなく、もののわからない無能でもなかった。


 だがやはり、ジールの胸のうちには落ちつかないものがあり続けた。


「次の、半年後の月華リューエ祭まで、どうか結婚はお待ちいただけないでしょうか」


 二人きりの時、アイナに告げた。


 聡明な女性は、悲しげに眉を伏せて問うた。


「……それは、他に心に決めた方がいらっしゃるということですか?」


 月華リューエ祭。


 元は、満月の夜に若者たちが踊り明かして結婚相手を見つけるという、どこの街でも色々な形で行われるにぎやかな催しにすぎなかった。


 だが、容姿端麗にして踊りの名手でもあった女帝が、気まぐれに街に出てこっそり参加したところ、髪に月華リューエの花を差して舞った姿の美しさに誰もが魅了され、相手を女帝と知らず主催者が表彰台に引っ張り上げ無数の男たちが求婚に群がったという事件が起きて。


 それ以来、特定の時期のダンスパーティーは月華祭と呼ばれるようになり、様々な類似の催しの中でも最も格式の高い、単なる恋人探しではなく最も優れた舞い手を選び出すコンテストとなっていったのだった。


 今では、各地の月華祭のうちでも大きな街で行われるそれには、王都から舞踊の教師を務める家柄の者たちが派遣され、優秀者を中央へ推挙しあるいは自家に取りこむことがよく行われる、舞踏で身を立てたい者たちにとっての登竜門となっていた。


 ジールたちのいるこのラファラン県の県都ジランファも、月華祭の時期が近づいて、街全体が浮ついた空気の中にあった。


 ――婚約者に悲しげに見られたジールは、真剣に答えた。


「いえ。あなたに何一つ不満はありません。私にはもったいないほど聡明で、学問も深く修めていらっしゃる。あなたの方がよほど父の後継者にふさわしい。私など父の名を辱めるだけの愚物にすぎません」


 ですが、だからこそ――と告げた。


「こんな私がただ一つ、心からの情熱を捧げ、いささかながら才もあると自負している、舞踏……。

 知事の息子が道楽でやっているだけではない、それ以上の、それのみでも身を立てていけるものであるということを、あの最高の場において確かめたいのです」


「その道へ進みたいと思っておられるのですか?」


「いえ、それは私の立場では許されません。それもまたよくわかっております。祭の後は、あなたと結婚し、父の後を継ぐために働くつもりです。ゆえに、もし『月華の君』に選ばれたとしても、王都へ赴くことは辞退するつもりです」


「まあ。選ばれる自信がおありですの?」


「その自負なくして、このような無礼なご提案を、婚約者の方に告げたりはしませんよ」


 アイナは――いずれ賢夫人と呼ばれるようになること疑いなしの、若年でありながら深い思慮に満ちた眼差しをジールに向けた。


「わかりました。そういうことでしたら、結婚は待ちましょう。ただし――」


 年齢相応の、可愛らしいものが顔をのぞかせた。


「どれほど多くの相手と踊り、注目され大人気となったとしても、最後はわたくしと踊ってくださいまし、ジール様」


 ああ、自分は間違いなくこの女性と結婚し、ある程度尻に敷かれつつ幸せな人生を送るのだろうとジールは確信した。



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