第4話

 ***




「パパ、こう?」

 慎はビュンとラケットを振る。

「お、ええやん。慣れてきたな」

「うん! ボールうつ!」

 満面の笑みで慎はボールを持ってくる。

 俺はボールを軽く投げた。すると、慎のラケットはボールを見事に捉え、それは放物線を描いて生け垣を超えた。




 ***




 周囲の大歓声を浴びながら、車いすテニスプレイヤー・瀧野慎が入場してきた。

 水色と白の、慎に良く似合う爽やかな色合いのTシャツがそよそよと風になびく。

 今、俺たちはたまたま来てくれた葉山のタブレットで試合を見守っていた。

『間もなく、第一セットが始まります! 全米の栄冠を手にするのは日本のホープ・瀧野慎か、それとも、地元の大歓声を受ける前回王者であるライアン・ウォーカーか?!』

 第一セットの第一ゲームは相手のサーブで始まった。と、慎は一気に上から叩きつけるようなスマッシュで畳みかけ、先制した。

「よっしゃぁ!」

「勝つぞ、これ!」

 テニスのルールをよく理解していない奴も、立ち上がって手を叩く。

『瀧野のサーブ、ウォーカーが打ち返す。そこでさらに瀧野が返し、ウォーカーが打ち返す、あぁっ! ラインの外に出てしまいました。瀧野が二ポイント目です』

 結局、第一ゲームは慎が勝ち取り、それどころか、六ゲーム全てを取って第一セットは慎の手に落ちた。


「瀧野が空へ向けてガッツポーズ、亡き母、ホームレスの父のために、絶対に勝利を届けて見せます!」


 俺には何か、鼻の奥からグッとこみあげてくるものがあった。それを誤魔化すようにそっと腕で拭った。


 だが、第二セットに暗転した。

 第一ゲームで一気に四点を失うと、第二ゲームではフォルトにより失点。自信をみなぎらせる前回王者の球に対応できず、第二ゲームも一点も取れずに落とした。

「カシラ、神戸市の方が」

「うるさい、適当にやれ!」

 カッとして俺は野中に怒鳴ってしまった。

 そして、第三ゲームも、一点を取っただけで終わった。


 第二セット、さらには第三セットを慎は落とした。あと一セット失えば、敗退が決まる。

「カシラ、役人は早く立ち退いてもらわないと、工事の着工が遅れると憤っています」

「あぁ?! こう言っとけ。いつになったらホームレスに人権をくれるんか、ってな!」

 俺は地面を思い切り蹴とばした。

 それでも慎は第一セットが嘘のように、第一、第二ゲームを立て続けに落とした。

「カシラ、慎君、大丈夫そうですか?」

 と、何気ない若いホームレスの問い。それが俺の心の火を途端に大きくした。


「は? お前、慎を信じろや! あいつはなぁ、父親が逮捕され、そのせいでいじめられ、足を骨折し、母を亡くした。それでも車いすテニスで活躍して、悲しみを乗り越えてコートに立ち続け取るんや。俺はあいつを信じる」


 若いホームレスは一瞬ビクリと固まったが、やがて真剣な表情でこくりと頷いた。


 第三ゲームの一ポイント目、慎は車輪を猛スピードで回して外側のボールに追いつき、鋭いスマッシュで久々の先制点を獲得した。

「よっしゃぁっ!」

 テント中の空気が一気に開けた。

 さらに、またもや後ろ向きで打ち返して二点目を取り、鋭いバックスピンで三点目、そして相手の球がネットに刺さったため四点目。

「よっしゃぁ! 行ける!」

「これが慎君の底力や!」

 みんなが口々に叫んだ。

 息を乱す慎だったが、それでも涼しい顔で、第五ゲームを取る。しかし、相手も一段ギアを上げ、第四セットは三対二となった。


「瀧野選手頑張れ! お父さん見てるぞ!」


 と、これまで黙っていた則本が叫んだ。

 この声援に押されたのか、慎はここに来て増した球威で第六ゲームを取った。さらに第七、第八ゲームも球威でねじ伏せた。

「っしゃぁっ!」

 慎は、俺たちは勢いよく拳を突き上げた。


 そして、いよいよ運命の瞬間。

 慎は胸を数回叩き、ここまで見せてこなかった鬼の形相。大きく吠える。

『さぁ、両者一歩も譲らぬ決勝戦! 頂点に立つのは瀧野か、ウォーカーか?!』

 第一ゲーム。両者魂の乗ったボールで一歩も譲らず、デュースでウォーカが取る。

 第二ゲームは慎がデュースで取り返した。

「慎君! 行け!」

「俺らを助けてくれ!」

 この声に引き寄せられたのか、見知らぬ老人や子供、犬までテントの中で叫んでいた。

『第三ゲーム、三対二、瀧野がリードしています。さぁサーブ、からの……スマッシュで行った! 前回王者を唖然とさせています!』

「頑張れ! あと少しや!」

 さらに第四ゲームも取り、第五ゲームは接戦の中、ウォーカーにやられるも、声は一段と大きくなる。

「まだある! あと三ゲームや!」

「大丈夫、勝ってる勝ってる!」

 俺は空気が大きく揺れているのを感じていた。

 幼い頃に分かれ、恐らく記憶の中にはぼやけた顔した無いのであろう息子が、無実の罪とはいえ最悪の父親のために今、歯を食いしばり、懸命にラケットを振り、車いすを動かしている。

 その事実だけで、俺は――。

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