第3話

 その日の夜は俺の無実証明の祝賀会が行われた。派手なことは無いが、神戸の公園の中心で、自分たちでおこした火を囲んで踊るのは最高にクレイジーだった。


 次の日の朝は空一面が真っ黒だった。

「やっぱ段ボールは目覚め悪いなぁ。しかも、天気悪いなぁ、最近」

「昨日は晴れましたけどね……台風かな」

 空を見上げながら野中と話す。

「まあ、ひとまず今日も頑張ろうや」

 だが。十時になると悪いモノが流れてきた。

「カシラ! カシラ!」

 見張りをしていた仲間が走ってくる。

「どうした」


「背広を着た男三人ほどがやってきます!」


 ヒィ、ハァと息を切らしながら、見張りが喋る。

「……やぶさかじゃないな」

「ですね……。どうします? 追っ払います?」

「……ひとまず、迎え入れよう」

「しかし……」

 そうこう話している間に、ザッ、ザッという音が近づいてくる。

「……畜生」

 やって来たのは無表情な男女五人だった。


「通告に来ました」


 ホームレス側と役所側の視線が空中でバリバリと衝突していた。

「この公園のちょうどこの辺りを県と市で協力して開発することになりましたので、五日以内に退去してください。以上です」

「はっ……」

 反論の余地も与えず、リーダー格の男が強い視線をこちらに送り、五人はくるりと背中を翻し、スタスタと帰っていく。俺たちはその大きな黒い背中をただただ見つめるしかなかった。




 俺はただ一人、恨めしいほど蒸し暑いコンクリートの道を歩き続け、神戸市役所に着いた。

 階段を上り、ホームレス関連で好くしてくれる福祉局くらし支援課へ向かう。

「誰かいませんか?」

 数分待たされてやっと、係の若い女性が出てきた。

「どうされましたか?」

「あの、さっきね、市と県の役人から公園開発するからって立ち退きを命じられたんですが、どうにかできません?」

 と言うと、女性は目を伏せた。

「……その件ですか……。実は、私共も抵抗したのですが、建設局の人たちには敵わなくって……すみません」

「……そうですか。じゃあ、建設局に殴り込んできます」

「え? ちょ、待ってください。無理ですよ」

「いや、俺はやります。やらないと、奴らに顔向けできないじゃないですか。なりたくないのにこうなって、それでも一生懸命這い上がろうとしている奴らにね」

 彼女は口を半開きにさせていたが、コチラに気圧されたのか、キュッと口を結んだ。

「……分かりました。健闘を祈ります」


 建設局の公園部管理課。しんと静まっていて、妙に緊張した雰囲気が漂っていた。

「……あの、俺、ホームレスなんですけど、ちょっと公園開発の係を呼んでいただきたい」

「私ですが」

 と、目の前の三白眼に下がり眉と言う、いかにも悪そうな顔をした男がずいと顔を近づけてきた。

「この公園の建設計画、どうにかしてもらえませんか。我々ホームレスの住処が無くなってしまいます」

「そんなこと知ったことではありません。公園の開発は市民のためになります。そんな、脳が無くて路上生活してる人の得よりも、市民の得を優先するのが役所です」

 のっぺりした口調で最悪の返答を寄こしてきやがった。

「我々は何の罪も犯していない。能無しもいない」

「まあそれはどうでもいいんで。ひとまず、市民の憩いの場所にゴミがあるのはよろしくないと思いませんか」

「誰がゴミだと?」

 思わず拳を上げそうになったところで、俺は歯を食いしばった。

「せめて我々の新しい住処さえいただければ」

「そんなことをする金の余裕はないもんでね。さぁ、帰った帰った」


「……畜生!」


 思わずテーブルを思いっきり叩いた。職員全員がコチラを向くが、その視線は気にかけず、俺はズンズンと歩いた。


 役所のテレビではお昼のニュースをしていた。今は車いすテニスの話だ。


『明日、全米オープン準決勝に臨む瀧野慎たきのしん選手は幼いころ両親が離婚し、小学校の時、友達のいじめで足を骨折。その後、車いすテニスを始めました』


 一瞬、心臓が大きく跳ねた。この名前、どこかで来たことがある。瀧野と言えば、妻の旧姓。そして慎という名前は……。

『今回の大会で優勝すれば、元テニス選手の父が現在ホームレスということで、賞金でホームレスの支援をしたいとのこと。父を救う準決勝、決勝での勝利となるのでしょうか?』

 これまでの慎の活躍が流される。俺は思わず前にかがみ、華麗なボール捌きに魅了されていた。




「え、本当ですか?! 本当に息子さんなんですか?!」

 退介が息を荒くして言った。

「全米オープンってすごいじゃないですか! さすがはテニスプレイヤーの息子」

 野中も声を高くして言う。

「やろ? 俺が捕まったんが、あいつが三歳の時やから……二十一歳になっとるんか。懐かしいなぁ……」


 次の日の夕方、俺はホームレスを引き連れてコンビニに入った。みんなが慎の結果を見たいというからだ。

「……勝ったぁっ!」

 スポーツ紙をパラパラとめくると、派手にこぶしを突き上げている車いすの男。大きく変わってはいるが、つんとした鼻立ちに、澄みきった瞳は紛れもなく息子だった。

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