第2話

 帽子を深く被り、俺は電車に揺られていた。

 ――あれから十五年も経つんか。

 選手契約は解除され、金も無い状況で、俺は何のあてもなく我が家へ向かっているのだ。

 降車駅の名前が機械でアナウンスされる。

 俺はいつの間にやら生えていた無精髭をざらりと撫でた。


「ウソやろ……?」

 俺は目を見開き、口を大きく開けて立ち尽くした。というのも、懐かしい神戸の一軒家は表札が別の苗字に変わっていたのだ。

「なんでや……?」

 呼吸を止めてあっけにとられる俺。

 十五年前のスマートフォンには、「傷害致死で逮捕の剛田氏の妻・離婚を決断」という明朝体の見出しが載っていた。




 ***




 一夜が明けた。


 俺にとっては目がバキバキに開き、喉の奥に黒い霞がかかった気持ち悪い一夜だった。

「おはようございます」

 丸眼鏡の丸顔、野中聡のなかさとしが俺を揺さぶる。

「あぁ、おはよう……」

「ご来客が」

「……はぁ? 今何時やねん。早ないか?」

「今はちょうど八時ですが……」

 俺は目をパチッと開けてテントを飛び出ていった。空は全く都会に似合わぬ曇天である。

「あ、あの方です。あの背広を着た……」

 と、それは見覚えのある男二人組だった。

「あーっ、やっと来ましたかー。待ってたんですよ」

 例の犬顔若年警察官が、天気に合わない晴れやかな笑顔でササッと近寄ってきた。


葉山はやま、止めておけ。病原菌がうつる」


 普段以上のしかめっ面で、取調官だった男がとても受け入れることが出来ない発言をした。

「えぇー? ノリさん、ホームレスってそんな汚くないんですよ。ホームレスになりたかった人、この中にいると思います?」

「それでも、ゴミはゴミだ」

「……何度も言いますけど、俺らなりたいと思ってなってないんで。ゴミだと思うなら、ゴミが日用品として住まえる家をいただきたい」

 この男の言動に体中が熱くなり、俺は一歩前に出て言い放った。

「それは役所の仕事だ」

「まあ、とりあえず自己紹介だけ。僕は強行犯係巡査、葉山です。コチラは同じく強行犯係巡査部長の則本のりもと。この人は、実はホームレスに息子を殺されていまして」

 則本は、チッと舌打ちして唇を噛んだ。

「それは言わなくても良いことだ」

「まあまあ。で、何があったかっていうと、ホームレスを『汚い』って当時小学生だったこの人の息子がホームレスに殺されたって言う事件なんです」

 このしかめっ面にそんなことがあったとは。しかし、それなら俺も似たようなものだ。


「……それなら、俺も無実の罪を擦り付けられて苦労しましたよ。傷害致死で」


 吐き捨てるように俺は言った。

「無実の罪? あ、コーチ殺害の事件で……」

「……そういうことです。まあ、それで俺はなぜか刑務所に入れられ、やっと出てきたら妻と息子に見放され、それで金も無くて、この状態ですよ。こんなこと許されることではないですよね」

「しかし、神戸の一等地のような場所にタダで住めるとは、いかがなものでしょう」

「タダって、テントの中で四六時中生活する暮らしを体験したことがあるんですか? そもそも、今はそのテントすら焼けて無い」

「だからと言って人を殴ることは筋違いだ」

「それはそうですが、ここまでの事件で被疑者に同情できるものもあるでしょう?」

「そんなものは無い」

 ずんと重い沈黙が流れる。俺は雰囲気に耐えかね、思い切り舌打ちをした。

「もういいですよ。あんたのような頭でっかちに話しても無駄や。出てってください」

「いや、ちょ、ま……」


「出ていってください」


 有無を言わせぬ口調で迫ると、葉山は渋々背中を翻し、則本を追って歩いて行った。




 あれから三日が経った。


 久々に今日は広々とした青天が広がっている。

「いやぁ、カシラも大変ですよね。三年くらい経ちましたけど、家を無くして金も無い状況でここに流れ着いてきて」

 退介が肩をポンポンと叩きながら言った。

「ここに来たのは運命みたいなもんやったからな。たまたま帽子がここに飛んで……」

「ご来客です」

 絶妙なタイミングで野中が入ってきた。

「お久しぶりです。剛田さん」

 出ていくと、目の前にいるのはまたもや晴れた笑顔の葉山といつもの顔の則本だった。

「剛田さん、ニュース、見ました?」

「見ようにも見れへんからな」

「真犯人、見つけましたよ」

「……は?」

「見つけたんですよ、剛田さんが傷害致死で逮捕された時の真犯人」

「え、ほ、本当に? からかってません?」

「いやいや、本当です。犯人は食堂で働く女性でした。被害者に痴漢を繰り返され、ネット上で相談して計画を立てたそうです」

 俺は瞬きを繰り返しながら、退介と顔を見合わせた。

「汚名返上ですよ、剛田さん。ノリさんもちょっとは剛田さんのこと、理解してくれたみたいですし」

「……ホームレスはまだまだ嫌いですが、まあ、理不尽なこともあるんだなとね」

 と言いつつ、則本は顔をしかめながらも、丁寧に頭を下げてきた。

「ところで、なんでそんな、俺のこと助けてくれるんですか」

「いやぁ、最近、車いすテニスで活躍している僕と同い年の選手がいまして。その人が『優勝したらホームレスに家を与えたい』って言ってて。それに刺激されたんですよ。まあ、警察なので、これは当然のことですがね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る