店長の動揺 110話~112話

110話

 妻と出会ったのは学園の3年生の時。


 その頃僕は出来の良い兄と弟と2人の兄弟に比べられ、将来を考えることが嫌になっていた。兄が領を継ぐ。弟はその才を買われ婚約者がいる。では私は?

 法衣貴族になれるのか? 婿入り先があるというのか? 何ができる? 


 そんな時出会ったのがクウ、君だ。

 聖女候補として学園に入れられた元庶民の君は、貴族との付き合いに辟易へきえきとしていたっけ。


 それでも頑張る君は、徐々に聖女としての力が弱くなり学園に居場所が無くなっていった。庶民で貧乏な家の君は、無料で学園に通っていたため周りの生徒からも距離を置かれるようになった。


 就職先が見つからない君と、貴族として残れそうもない僕。僕が下手に家に戻ろうとすると、兄との家督争いが起こりかねない。領の中も一枚岩じゃない。家族のために、領をまとめるために、僕は戻るわけにはいかなかった。


 僕は、貴族として生きていくのをやめることにした。クウ、君と一緒にいたい。そのためならなんだってしよう。そういって、僕たちは結婚を約束した。


 もともと、片手間で騎士コースを受けていた僕は料理の魅力に取りつかれていた。騎士コースは騎士冒険者コースと言われているほど冒険者志願者が多い。野戦のための料理も実技に入っている。騎士も冒険者も料理人を連れて野営する訳にはいかないからだ。

 料理に目覚めた僕は、喫茶店でアルバイトを始めた。将来を見据えて。


 僕たちは、学園を出たら結婚しよう。そして、庶民として暮らそう。そのための資金を手切れ金として実家からもらい受け、卒業後すぐに『黒猫甘味堂』という喫茶店を開いた。



 店はそれなりに上手くいっていた。資金は充分にあったため、喫茶店としてはかなり広い店構え。愛想のよい君の接客と僕の料理は評判がよく一定の常連がついた。


 実家とも仲が悪くなったわけじゃない。ちょくちょく仕送りという資金援助も来た。もっとも、そんなものは要らないくらいに売り上げはあったのだが、ありがたく貰っていた。返すのも角が立つから。


 そんなささやかな幸せな日々は……、長くは続かなかった。



 元聖女候補の君が聖女の力を使えなくなったのは魔力が薄くなったから。そして、『魔力欠乏症』という症状がでた。結婚して、店を開いて一年足らず……。


 君は神の国へ旅立っていった。



 君を失い、何もできず三ヶ月が過ぎた。


 このままでは駄目だ。君との思い出の店、黒猫甘味堂。せめてそこは守らないと。君の思い出までなくせない……。


 そんな思いがあふれ出し、店を再開することにした。



 独りで行う店舗経営は惨憺たるものだった。


 君の素敵な接客がなくなった今、常連さんも離れてしまった。わずかに残った常連さんと、たまに来る新規のお客様。続ければ続けるほど、君の存在の有難さが身に染みた。

 君との思い出の店は残したい。君の存在の大きさが苦しい。


 そろそろ、店をやめようかな……。そう思っていた時、一人の少女が店に入ってきた。


111話


 この店をもう止めてしまおう。


 そんなことを思っていた閉店間際のあの日、学園の制服を着た少女が店に入ってきた。


「いらっしゃいませ。もうじき店は閉まりますがそれでもよろしいですか?」


 少女はコクンと頷くと、カウンターに座った。


「メニューです」


 僕は精いっぱい愛想よく言うとメニューをわたした。

 その子は、おすすめと書いてあるティーセットを注文した。


 クッキーを一枚食べた時、


「甘い!!」


 と言うとポタポタと涙を流した。


「どうしました?」


 僕はあわてて声を掛けた。


「甘いんです。クッキーが。甘いんです」


 そういえば、妻もクッキーが甘すぎるといつも言っていたな。


「君は、辺境の出かい? 僕の妻も、最初に出会った時同じような反応していたよ。……なにか辛い事でもあったのかい? 話してごらん?」


 僕は、学園の制服を着ている女の子に、出会った頃の妻の姿を重ねていた。

 話を聞くとこの子は奨学生。学生時代の妻の事を思い出してその子の話はちゃんと聞いていなかったかもしれない。それでもつらい立場で頑張っているその子に、僕は妻に言っていたように声を掛けた。


「そう、奨学金で学園に……。えらいね」


 目の前の少女がボロボロ泣き出した。声も立てず、表情も変えず。付き合う前の妻の様に……。


 僕と付き合う前の妻は、独りで何かと戦っているみたいだった。誰にも頼らず、誰も信用せず。僕まで泣きそうになる。だめだ、彼女の今を邪魔しては……。


 僕は急いで厨房に引っ込んだ。学生時代の妻の事を思い出しては涙があふれる。気を紛らわすため、妻が好きだった『ふたりの失敗パン』を作り始めた。




 『ふたりの失敗パン』 それは僕が学生時代、料理下手なのを知らなかった彼女つまが、僕に自慢げに作った料理。パンを作ろうとして水加減を間違え、さらに塩と間違え重曹をいれたパンのようなもの。妻は「誰にもこの失敗を教えないで!」と涙目になって言っていたのだが、出来上がったパンのようなものは気に入ったみたいだった。

 その後、僕は食器を洗うための重曹が何かの害がないか調べた。帝国では、山菜のあく抜きで使うらしく、人体に害はない。苦みを気にしなければ食べても平気だということが分かった。だからといって、他人に出すようなものではない。だから『ふたりの失敗パン』は僕たちだけの内緒の食べ物だった。





 僕は泣いている少女に、失敗パンと紅茶を与えた。甘いのが苦手な妻の面影を感じたのだろうか。少女は一口食べて固まってしまった。


「口に合わなかった? うちの妻が失敗してできた不思議な料理だからね。妻は最高! って食べていたんだけど……」


 ブツブツいいながら食べ終わった少女は、ものすごい勢いでこう言った。


「もう1枚、いえ、2枚焼いて! あと、はちみつとバターを下さい! お願いします!」


 おいしかったの? お腹すいているのか? 言われるまま2枚焼いては少女の前に出した。


 少女はさっき食べたお皿に1枚乗せて2人分にした。その2つのお皿のパンそれぞれに、にバター一切れずつのせはちみつをたらした。


「食べてみて!」


僕は言われた通り食べてみた。


「おいしい! なんで……」


 いつも食べていたパンがまるで違う。これは立派なお菓子。いや、そんなものでは言い表せない。なんだこれは!


「アツアツの生地にバターを塗ることで、いい感じの塩分とコクが出たの。そこに、砂糖とは違うはちみつの甘さを足すことによって、たんなるパンではなく、甘味、お菓子として成立したわ。思った以上に良い出来ね」


 少女はここで働きたいと言い、勢いにまけた僕はひと月後閉めるつもりだと言いながらもバイトとして雇うことにした。




……………………まさか、あんなことになるとは思いもせずに。



112話

 翌日店に行くと、昨日の少女がもう来ていた。少女はきれいな挨拶で、レイシア・ターナーと名乗った。


 ………………そこからの行動がおかしかった!


 一瞬で着替えたかと思うと、ありえない速さと正確さで掃除を終え、失敗パンの改良点をあげ始め、クリームでお皿に芸術的な花の絵を描いていた。


「じゃあ店長、毎回この飾り付けで作って下さいね」


 彼女の無茶な注文に、僕はただ一言「無理」と答えるのが精一杯だった。


「簡単ですよ。ほら、ここで手首をひねりながらクルっと……」

「ごめん、クリームはかけるだけにして! でなければ無しで!」


 僕は店長として彼女の提案を却下した。


「仕方がありませんね。ではお茶の入れ方を」

「は?」

「店長のお茶の入れ方では、お茶の葉の良さを殺しています」


 そう言うと、丁寧な手つきで紅茶を入れ、僕に差しだした。


「どうぞ、お確かめください」


 これでも、学生時代にバイト先のマスターから厳しく仕込まれた僕に味を確かめろだと? 少しむっとしながら紅茶を飲んだ。


「旨い……。なぜ?」

「店長の入れるお湯の温度は少しだけ高いのです。それと、注ぐときはより空気に触れさせるようにすると味が柔らかくなると言われています」


「そうか。僕もまだまだなのか」

「いえ、充分できていますわ。しかし、メイド道には終わりがないのです。紅茶道にも」


 そんなことをしているうちに開店時間になった。


 …………

 …………


 お客が来ない。

 紅茶の入れ方をレクチャーされた。

 どっちがバイトなのだろう。そんな気分になった。


 …………

 …………


 いや、クリームの花の描き方はレクチャーしなくていいから! 残念そうな顔しない!


 …………

 …………


 紅茶の入れ方、及第点もらえた。って、いいのかそれで。


 カラン。 ドアベルが鳴った。彼女、レイシアが厨房から店へ向かった。


「いらっしゃいませ、お嬢様。どうぞごゆっくりおくつろぎ下さいませ」


 どこ? 高級レストランでもしない挨拶をバイトのレイシアが始めた。

 戸惑っているよ、常連のメイちゃん。彼女は本を読むためにティーセットで2時間居座る子。それでも大切なお客様なんだけど、お嬢様? 大丈夫メイちゃん。


「本日は黒猫甘味堂へようこそいらっしゃいませ。こちらがメニューになります。わたくしからのおすすめはこちらの『ふわふわハニーバター、生クリーム添えセット』でございますが、いかがでしょうか」


 さり気なく、新商品押し付けている! その子いつもティーセットだから! 高いのダメ! あ~ 頼んじゃったよ。


 ◇


 なんか、気に入ったみたいだから良しとするか。

 メイちゃん、本読まなくていいの?

 レイシアとメイちゃん、なにか話をしている。


「お気に召しましたでしょか?」

「はい! こんな素晴らしい料理初めてです。あの、あなたはいつからこのお店に?」

「今日からですわ」

「毎日いるの?」

「いえ、私は学生のアルバイトですので土日だけですね。でも……」

「どうしたの?」

「もし、ひと月お客様が増えなければ、このお店閉店してしまうのです。あ、すみません。お客様に話すことではありませんでした」


 なにしれっと閉店とか言っているの?


「繁盛すればいいのね! このメニューは平日も出せるの⁉」

「はい。紅茶は店長が入れるので少しだけクオリティは落ちますが」


 えっ、ディスられている? さっき及第点貰ったよね。まだなの?


「呼ぶ‼ お客さんを連れてくる! あなたは心配せず私をお嬢様にして!!」


 どういうこと⁉ お嬢様? メイちゃんは本も読まずに駆け出して行った。


 ◇


 すぐに次のお客様が来た。若いカップル。仲よさそうに手をつないで入ってきた。


「いらっしゃいませ、お嬢様」


 レイシアは女性をエスコートして、女性だけに見える様に笑顔でイスにすわらせた。


「どうぞ」


 男性にはそっけなく、女性の向かいのイスに案内した。

 接客は、常に女性には笑顔で、男性にはそっけなく対応していた。デレとツン? デレツン?


 ◇


 閉店間際、僕はレイシアに聞いた。


「どうして女性にばかり笑顔で、男性には笑顔を見せないの?」

「メイドの基本ですわ」


 レイシアは、なにをいまさら、と言う感じで答えた。


「男性がメイドを注視すれば、相手の女性は不機嫌になります。また、立場の弱いメイドは男性に色目を使われると仕事がスムーズに動かなくなるのですよ。メイドの仕事の中心は、奥様方、お嬢様方に、心地よく過ごして頂くことです。そうすれば男性も安心した社交が出来るのです。ですから男性は放っておくのが最適解なのですよ」


 よく分からないが、なんとなく筋が通っているので好きにさせていた。



 この時は一か月後、土日は男性が怖がって来なくなるほど、女性であふれる店になるとは思いもよらなかった。やがて、黒猫甘味堂は男性は入れない店と評判が立つようになる。





 どうしてこうなった?

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