第三話   ナウシカ

 

 ・謎の存在


 いよいよ主人公のナウシカについて書いていくのですが・・・さて困りました。

 ナウシカってなに? って考えてみると、意外に何も出てこない。

 ナウシカはナウシカとしか言いようが無いように思えます。

 劇場版アニメを100回以上。原作漫画だって何回読み直したか分からないほど読み込んだつもりですが、「ナウシカって何? 」と聞かれたら「分かりません」としか答えようがないのが正直なところさんです。

 皆さん。ナウシカって何なんですかね?

 その疑問に答えるべく。出来ることからやっていきましょう。




 ・分解


 まずナウシカは女の子です。

 年の頃は16~17歳ぐらいかな。非常に可愛らしい感じ。

 風の谷の族長ジルの一人娘。風の谷は小規模ながられっきとした独立国ですので、ナウシカもクシャナと同じ姫君に当たります。

 エンジン付き凧「メーヴェ」を駆り、腐海の森を一人で探検しています。

 腐海を探検する理由は、この世界の理を見つける為、父や村人の石化の病を治すヒントを探す為です。

 現代風に言えば超ハイレベルのフィールドワーカーって感じでしょうか。

 師匠格のユパ様が、思索系、哲学系のフィールドワーカーなのに対して、ナウシカは実地調査系の正統派フィールドワーカーに分類されるでしょう。

 非常に知的で学者的な気質を持っています。


 実は十一人兄弟の末っ子で、上の兄妹は全員死亡と、壮絶極まりない境遇でもあります。




 ・役割


 ナウシカは「姫巫女」と呼ばれるような、シャーマニズム的な役割を持った人物です。

 劇場版でも漫画版でも、ナウシカは「風」という、本来であれば目に見えないものを見れると言いますか、感じ取れます。だからあれほど縦横無尽に、空を飛び回れる事が出来るわけです。

 ナウシカは初めから明確に、超常の力を持って描かれています。

 興奮していたキツネリスのテトを落ち着かせたのもこの力です。

 劇場版を見ていると、おおらかな心と我慢強さで乗り切ったように見えますが、凡人の所業ではなかったってことですね。

 ユパ様はハッキリと不思議な力と呼んでいました。

 



 ・ムシの声が聞こえる


 超常の力の最たるものが、オームなどのムシの声が聞こえるところです。

 この世界のムシは超巨大ですので、我々が知っているムシよりも脳の容積が大きいのでしょう。

 彼らが言語を持っている可能性は十分にありますが、ナウシカは彼らの声が聞こえます。何なら会話もできます。

 うーん。チート能力。


 今思ったんですけど、ナウシカの世界ってムシも腐海の植物も超巨大じないですか、これは大気中の二酸化炭素の濃度でも高いんかな?

 高度科学文明が化石燃料を消費した結果、地球の温暖化が進み二酸化炭素の濃度が激増した世界がナウシカの世界であるのですれば、1980年代にこの世界観に達した宮さんの先見性には脱帽するばかりです。

 この頃はまだ地球温暖化なんて言われてなかったんじゃないですかね。知らんけど。


 まぁ、腐海の植物がでっかくなるのは毒素を取り込んでいるかららしいので、これは考えすぎか。同様にムシが大きいのも毒素が原因でしょう。




 ・最強の戦士


 ナウシカは無茶苦茶強いです。

 鉄パイプや剣で人を殺せます。それだけでもえげつないのに、相手は訓練を受けた職業軍人だったりします。

 ナウシカより強い剣士は、作中ではユパ様だけでしょう。クシャナですらナウシカには負けると思います。

 

 銃の扱いもお手の物です。

 私は彼女が的を外したシーンを見たことが無い。

 メーヴェを駆りながら、弾道の安定しないであろうマスケット銃で機動狙撃します。

 何と言うか正に主人公って感じです。

 ガンダムの主人公の弾が、的確に敵のMSに当たるのと同じです。


 また、パイロットとしても超一流です。

 普段使いのメーヴェだけではなく、風の谷のガンシップの扱いにも長けています。

 操縦技術だけではなく、超常の力で風と言いますか気流を目視できるので、技量的には互角のクロトワを超えるパイロットとなっています。




 ・弱点


 能力的には完璧超人のナウシカですが欠点と言いますか、弱点も存在します。

 この人の弱点は激情家な点です。

 とにかく感情の起伏が激しい。

 怒ったり泣いたり笑ったりと、あらゆる感情を露骨に表現します。

 特に怒ると怖い。

 頭に血が上ると、周りが見えなくなって人殺しも厭いません。ってか考えてもみてください。16~17歳ぐらいの女の子がいくらキレたと言え、大の大人を撲殺できるのかってことです。

 若者らしい感情の起伏を持っています。

 ここがナウシカ唯一の弱点でしょう。




 ・劇場版と原作は全くの別人になる


 劇場版は宮崎作品らしいジブナイル作品の主人公として完結いたしましたが、原作版ではそんな甘っちょろいものではありません。

 何と言えばいいのか、絶望の向こう側に達した人とでも言えばいいのか、決して一般人が踏み込めない領域へと達してしまいます。

 ここ辺りは長い長い原作版を追っていただくしか理解できないのですが、最終的には巨神兵の力を持って、人類の希望を粉砕します。

 そして、歩んでいこうと言います。

 いや、今しがたお前さんは人類の未来を自分の意志だけで粉砕したんですけど、その辺りはどうなんですかね。

 ナウシカは信念の人と言えばその通りの人物でした。決してほかの人の意見を聞き入れてバランスを取るタイプの人ではありません。かなり独善的な人です。

 劇場版では物わかりのよさそうな女の子だったんですけどね。


 なんとなくですがナウシカって、今の風潮からは嫌われる確率の高い人のように思えます。

 ただ、私も物書きですけど、主人公ってある程度独善的でないとお話が進みません。ガンダムのカミーュぐらい独善的なキレッキレの人物が私は好きです。




 ・そもそも女の子である必要があるのか


 ナウシカの謎の一つです。

 私は作品を見るに「こいつ、女の子である必要あるか? 」って気分になります。


 仮にナウシカがナルセスみたいな名前の男の子であったとしても、物語は一ミリもぶれません。画面の華やかさが陰りますけど。

 では、なぜ女の子にしたのか? クシャナとの対比でありば、どちらかを男にしてもいいはずです。しかし、両方とも女性。

 もしかしたら、宮さんの中では、ベジテのアスベルに何かもっと大きな役割を与えたかったけど、うまくいかなかった結果がこれなのかなと思ったりもして。

 原作版では後半になると、アスベルの出番と活躍が少なくなるので余計にそう感じます。




 ・予言に出てくる存在


 ナウシカの登場は、はるか昔のエフタルの預言書に描かれています。

 失われた大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地へと導きます。

 簡単に解釈すると、腐海の毒のない世界へと人々を導くって事でね。劇場版はこの路線で話が進み終結しました。

 奇跡と救世主による救済です。

 似たような伝説はドルクにも存在していたようで、この世界に生きる人たちの共通の理念のようなものです。


 原作版も最終的には人々を、青き清浄の地へと導くんでしょうけど、それは決して人類の為にはなりません。ナウシカの導きにより人類が清浄の地へと達した瞬間に、人類史そのものが終了するからです。

 人類を滅亡へと誘う存在ですので、預言書による終末を司る存在と言えるでしょう。

 原作のナウシカには常に死の匂いが付きまといます。




 ・二大勢力の狭間で


 原作でのナウシカはトルメキアとドルクの間で苦悩しますが、もう一つの巨大勢力の間での葛藤もあり、こちらの方がより深刻です。

 その二大勢力とは旧時代に世界を二分したであろう、「巨神兵勢力」と「墓所勢力」です。

 どちらも旧時代の超科学文明なのですが、明確に違う勢力として存在していたようです。


 巨神兵は人類社会の調停役としての機能が与えられたものに対し、墓所は地球環境の再生に重きを置いた勢力です。

 現状をできるだけ維持したまま状況をコントロールしようとする巨神兵勢力と、問題点の根本的解決を図らうとする墓所勢力は、決して相いれないものです。

 ナウシカはこの両派の間で苦悩します。

 因みに巨神兵のパーツには「東〇工店」なる、日本語の商標が打刻されており、日本は巨神兵勢力だったのかなと、想像を巡らせる事が出来ます。

 巨神兵がメイドインジャパンだったら、ちょっと嬉しいです。


 ナウシカの時代には超科学文明は崩壊し、調停者であった巨神兵たちも化石と化しています。一方で墓所は元気いっぱいに稼働していましたので、この時代では墓所勢力が優勢となっていました。




 ・ナウシカは、なぜ墓所を破壊したのか


 原作版ナウシカ最大の謎は、ここに集約されるでしょう。

 ナウシカは色々考えたうえで、墓所の人工知能とその制御システムを巨神兵のプロトンビームで薙ぎ払います。

 この判断は、マジで賛否が分かれるでしょう。

 墓所は多くの問題を抱えていましたが、同時に新世界への希望となるテクノロジーも詰め込まれていました。それらをまとめて吹っ飛ばしました。

 うーん。もっと他の手段はなかったんですかい。


 ナウシカの時代に墓所がいくつ存在するかは謎ですが、それほど沢山ある代物でもないでしょう。もしかしたら唯一無二の存在だったかもしれません。

 それを完膚なきまでに薙ぎ払ったのです。この行為はこの時代の人々の未来を薙ぎ払ったことにもなります。そして、そのことを知るのはほんの一部の人。と言うか、トルメキアのヴ王と、森の人の若き長セルムだけ。

 クシャナもアスベルも、その他の多くの人々は何も知りません。

 ヴ王は途中で死にますので、完全に理解しているのはナウシカとセルムの二人だけとなりました。


 この二人が、人類の希望となるかもしれない「可能性の卵」を焼き払いました。

 ただ、墓所の人工知能は明らかに誤作動、もしくは恣意的なプロトコルで稼働している様子だったので、焼却処分は致し方ない決断とも言えます。

 とは言え、自分の決断で人類の未来を吹っ飛ばしたのです。あの時のナウシカの心境はいったいどういったものだったのか、私の理解の範疇を超えています。

 このナウシカの決断により彼女は私の言う、「主人公の向こう側」へと去っていったのです。

 お陰で私は置いてけぼりを食らいました。




 ・ナウシカ=高畑勲説


 もしかしたら、どなたかが既に言っているかもしれませんが、私はナウシカ=高畑勲説を提唱いたします。

 高畑勲氏とは宮崎駿監督の先輩で、スタジオ・ジブリの創設者の一人でもあります。

 代表作は「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」劇場版「風の谷のナウシカ」ではプロデューサーを務めた人で、スタジオ・ジブリを語る上では外せない人です。

 私は宮さんは無意識に、ナウシカと高畑勲を同列視していたと思います。

 これだと、ナウシカの意味不明さが理解できるからです。

 高畑勲の作品を観ると、どれも難解でスッキリとした感想を持つか事はできません。こいつは何がしたいんだと、頭をひねる作品が多いです。

 そういった意味でもナウシカと高畑勲は似ています。二人とも私より目線が高いというか、見ているポイントが違う感じがするんですよね。


 この理屈で分類するのであれば、宮さんはクシャナですし、この二人を等間隔で見ているジブリの総合プロデューサーである鈴木敏夫氏がクロトワって感じ。



 高畑勲とナウシカ。

 この二人の共通点は「地に足が付いていない」所です。

 現実社会からややもすると超越した視座を持つ高畑勲と、空ばっかり飛んで未来に向かって進んでいくナウシカ。


 宮崎駿とクシャナ

 この二人の共通点は「地面に足は付いているけど、空の高みにあこがれを持っている」所です。

 ヒット作を作りスタジオ・ジブリの屋台骨を支える宮崎駿と、高い理想を持ち、現実の軍事、統治において優秀なクシャナ。

 二人とも理想と現実の間で苦悩しています。


 鈴木敏夫とクロトワ

 この二人の共通点は「才能ある人を使って、何かしてやろう。ウッシシ」ってところです。

 高畑勲は置いといて宮崎駿を使って、この世界に一花咲かせてやろうと考えていそうな鈴木敏夫氏と、クシャナに賭けて栄達してやろうと狙っているクロトワは、似た者同士と言えます。


 こう設定すると、三者の関係性が理解しやすくなりました。三者三様共によくできた構成です。




 ・劇場版と原作版の落差


 劇場版アニメのラストは、「いずれ腐海は青き清浄な大地へと生まれ変わり、人類は瘴気の楔から解放される」というハッピーエンドに対し、原作漫画版は、「決して逃れられぬ滅びの道に向かって、これから人々はどのように歩むのか」という、何とも言えない結末です。


 劇場版ではナウシカが腐海の役割に気づき、それを人々の間に知らしめる伝道師としての役割を持って終わります。

 原作版では、人類の希望の光の一つを粉砕し、絶望の時代への扉を開いた張本人として終わります。

 ここまで違う終わり方をする作品が、同じタイトルであることに、驚きを超えて恐怖すら感じますね、あたしゃ。

 原作改変ってレベルじゃねぇ。全くの違う作品へと変化しています。同一の作者の手によって・・・

 昨今の原作改変問題を、一人でやっているのか宮崎駿と言う人です。

 どちらも素晴らしい出来栄えなので、どこからも苦情は来ませんけど。


 原作が劇場版と違う結末に至った理由の一つは時間です。

 劇場版公開後の何年か後に原作は完結いたしました。この期間に物語が変質したのでしょう。

 もう一つは、劇場版の結末が奇跡の物語じゃないかという批判。この為に原作の結末は、奇跡によるどんでん返しに出来ませんでした。

 この奇跡批判は、「風の谷ナウシカ」のプロデューサーだった高畑勲監督からの指摘だったそうです。だからこそ、私はナウシカ=高畑勲説を提唱するわけです。

 宮さんが作品を作るときに視聴者としてターゲットするのは、子供と高畑勲だと思います。

 かくして、ナウシカと言う存在は、非常にわかりにくい人物となってしまったのです。




 ・ナウシカの魅力


 さて、最後にこの難解な人物の魅力についてですが、「俺たちにできない事をやってのける。そこにしびれる。憧れる」って感じではないでしょうか。

 ナウシカの真似って、何一つできる気がいたしません。


 大空を自由に飛び回り、世界の隠された理について解明し、超常の力を操り、悪夢のような現実に抗い、人々に奇跡と絶望を与える。


 それが16~17歳の女の子に詰め込まれています。

 このアンバランスさ。

 ここまで複雑怪奇で、設定モリモリの主人公が他にいただろうか。


 ナウシカの深部へと迫るべくいくら思索を重ねても、スッキリとしたインスタントな答えは見つかりません。

 きっと彼女はあと何年も、あーでもない、こーでもないと私を悩ませてくれるのでしょう。

 悪い女につかまったもんです。




 ・ナウシカと私の創作性


 「風の谷のナウシカ」と言う作品は、私に多大な影響を与えました。

 ちびっ子の頃に刷り込まれたので、今更自分ではどうしようもないほどです。

 複雑怪奇な主人公による壮大な物語。この超大作のお陰様で単純な物語を書くと、尻の座りが悪い性格になっちまったよ。

 こんな単純でいいのか。これって面白いのか。もっと含みを持たせた方がいいんじゃないか。コンセプトは何か。テーマは何か。本質とは何か。考えても仕方のないことが、頭をよぎります。


 試しに何の裏表もないプリキュアに、ナウシカの設定を埋め込んでみましょう。どんな作品になるでしょうか。

 きっと血反吐を吐きながら、それでも前進を止めない少女たちの壮絶な作品となるでしょう。最期は東京が壊滅して終わり。アキラか。

 これは毎週欠かさず見るな。

 今唐突に思ったのですが、「ベメセルク」って「ナウシカ」に似ているような気がしました。

 観たことないけど「魔法少女まどか☆マギカ」も近いコンセプトを持っているのかも。

 何の証拠もないんですけど「風の谷のナウシカ」は多くのクリエイターに、無視できない影響を与えていると思います。




              終わり

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私の創作性の半分は「風の谷のナウシカ」で出来ている 加藤 良介 @sinkurea54

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