6.the tower - 2

 迷子の少女と一緒に入ったお店は、とにかく店内の広さと座席数の多さが目立っていた。


 用意されているテーブルは、個人向けから複数人で囲むソファの卓まで。

 それぞれの配置の感覚は隣接りんせつするほど狭くて、十人以上座れる長机に関しては、隣人りんじんと肩がぶつかりそうなくらいに椅子と椅子の幅がない。


 そして客層も彼らが受け取っている料理のジャンルも、幅の広さと量の多少が大きくあり、その代わりにどれも値段の高さを感じさせない。


 ここはいわゆる大衆食堂。

 安く早く、そして値段相応のソコソコの味。


 そんな店舗てんぽだからか喧噪けんそうにまみれているも、上流階級が関わる物事特有の硬さと重さがなく、足取りは自然と軽くなる。


「やっぱりコッチの方が性に合う」

「何か言いましたか?」

「別に。ほら、ここで注文できるよ」


 そでを掴んだままの少女を連れて、私は人混みの中をかき分け、料理を注文するための券売機に辿り着いた。

 そこは開店時から途切れ知らずの長蛇ちょうだの列があり、ひしめく人の波に圧倒される少女は買うまで何十分もかかるんじゃと心配の声を上げるも、現実はそうはならなかった。


 並んでいる人の多くは手慣れた者ばかり。

 自分の番となるとそれほど悩まずに機械を操作し、トントンと発券を済ませる人が大半で、五分とかからずに私たちの番まで回ってきた。


 逆に不安なのはここからだ。

 まだ私のすそを掴んだままの少女は、列に着くまでにはぐれそうな挙動を何度かしており、ただ歩いただけで迷子になる理由が理解できてしまった。


 そんな子が初めての場所で、いまいち分かっていない物を扱える訳もなく。


「あのぉー」

「食べたい物言って。私がやるから」

「ありがとうございます。えっとそれじゃあ……」


 予想通り。券売機に触れようとするも、その手は途中で止まりひかえ目なお願いの気配をこちらに向けてきた。


 端から分かっていた事なので、私の注文に少女のものも含めて券売機の端末に手早く入力していく。

 その後に支払いとして端末の読み取り部分に右手をかざすと、機械からカードが出てくるので、手に持ってカウンターへ行けば注文は終わりだ。


「すごいです、お姉さん」

「何が」

「あの列に並んでいる人たちと、同じことをできるのがです。見た目からは全然想像できなくて」

「この塔にしばらく住んでいれば、貴女もその内できるようになるよ」


 そんな雑談を交わしながらカウンターへ向かうと、チラリと見えるのはおくの調理場でせわしなく飛び回る料理人と調理道具たち。

 戦場と化しているフロアからは次々と料理が運び出されており、それほど待つことなくカードと注文の品を交換した私たちは、トレーを持って席を探す。


 見つけたのは、ちょうど二人分で空いた長机の一角。

 二人組が去ったタイミングで足早に私がトレーを置き、戸惑とまどっている少女に早くと促す。


 この一連の流れに少し懐かしさを感じつつ、少女と対面で座ることになった私は、我ながらこれで良いのかと、目の前の注文した品に目を向ける。


 頼んだ物は実にシンプル。

 ラズベリーのジャムを塗った薄切りのトースト一枚と、ひかえ目にれた一杯の珈琲コーヒー

 珈琲コーヒーには角砂糖二個とミルクを溶いてある。


 食が細い方とはいえ少なすぎたかと思いもしたが、それよりも反対側の少女が揃えた光景に目が行ってしまう。


「それ、本当に食べきれるの」

「平気です。むしろこれぐらい食べないと、わたし身にならないみたいで」


 食券機を扱ったときも、二人で食事を始めてからも。

 ずっと気になっていた少女の頼んだ料理の量。


 大きめに切り分けられたライ麦パン、ふんだんに皿へ盛られた秋野菜のサラダ、具が多めの湯気立つシチュー。

 デザートにはフレジエを添えて、飲み物はハニージャンジャーティー。


 少女の持つ雰囲気からすると、私と同様に小食かと思いきや全くの見当違い。

 おごると言った手前払いはしたが、これが高級店だったとしたら一度ストップをかけるほどの量だ。


 彼女の話からすると今の丸みのある体つき以上にはなりにくい体質らしいが、ならった栄養はどこへ行っているのだろう。


「まあいいわ。それよりも貴女は──」

「マリアナイトです」


 苦みを残さない珈琲コーヒーを一口。

 温かさがのどを通り、ほうと息をついた後、店内へ入る前の話の続きを切り出そうとした所で、少女は次々と料理を消す手を止めた。


「マリアナイト……カレンデュラ。マリアって呼んでください、お姉さん」


 名前を告げる少女、マリアナイトは太陽みたいに笑っていた。

 無邪気で悪意のない朗らかな表情。

 髪色と変わらない黄金色こがねいろと白色が両立した空気感があるからこそ、一点の揺らぎが目立ってしまう。


 ラストネームを名乗る際の一瞬の迷い。

 マリアナイトの明るさがあるからこそ根拠こんきょのない憶測おくそくが生まれてしまう間に、余計な逡巡しゅんじゅんはさんでしまった私は、心の中でため息をついていた黒をきとった。


「よろしく、マリア。私はユノ・サファステラよ」

「お姉さん。ユノさんって言うんですか」

「えっ、ええ」


 この少女の何に警戒けいかいをする必要があるのだろうか。

 馬鹿な考えは捨てようと自然に努めた私の返しに、マリアナイトの反応は予想とは外れたものだった。


 食いついたのは名前の部分だけ。

 そして混じり気のない少女の瞳が私の全体を捉え、目を合わせ、そのさらに奥をのぞきこもうとしていて。


 数拍。彼女から目を離せなかった私にマリアナイトが見せたのは、爛々らんらんと輝かせたまばゆい眼差しだった。


「そうですか。ユノさん、お姉さんはユノさんなんですね。ふふっ」

「な、なに。その反応」

「会えて嬉しいです、ユノさん」


 私の名前を聞いてからというもの、嬉々として食事を再開してしまい、質問に応じてくれなくなってしまったマリアナイト。

 訳が分からず私には困惑こんわくだけが残るが、巡らせていた考えは杞憂きゆうだとして、止まっていた自身の手をまた動かしていく。


 こんな子が、仮面舞踏会マスカレイドでほくそ笑んでいた大人たちと同じな筈はない。

 そう自分に言い聞かせて、勝手に積まれていた理屈を崩し、心の奥底の泥沼に沈めて。


 ミルクを入れた珈琲コーヒーのようになるまで心の整理をした私が、ふと食事に夢中なマリアナイトを見ると、思わずほおが緩んでしまった。


「マリア。口の周りにクリームがついてる」

「んっ。──……わぷっ」


 綺麗きれいな食べ方をしているが、それでもマリアナイトの口元に残ったのはフレジエのカスタードクリーム。

 そんな彼女がつけたクリームをテーブルナプキンで拭うと、記憶の欠片がこぼれてくる。


 当時私たちにとって貴重だった安いパンを、ボロボロとこぼしてしまう食べ方が下手なノエルのことを。


 だからかな──


「ありがとう、ユノさん」

「どういたしまして、マリア」


 はにかむマリアナイトを見ていると、妹がいたらこうだったのかなって。

 もう背が伸びてしまった弟分を思い浮かべながら、つい考えてしまうのだった。

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