2章 学院

5.the tower - 1

 雲をかすめるほど高く、大空に伸びる塔があった。

 建材の外観は石やレンガだが、強度は鋼鉄以上の不可思議なもの。

 上部は空の果てを目指し、下部は根を張るように地下へ広大に。


 その様はまるで世界に生えた巨大な樹木。

 無機質な建造物であるにも関わらず生物的で、けれども枝も葉もないが為に一つの柱にも見える。


 これが私の住んでいる国の──大国ウィルリングの象徴で、首都そのもの。

 ふもとに広がる大都市群はいわば衛星都市で、中枢機能のほとんどは塔の中。


 城下町を取り込んだ円柱状の城と言ってもいい。


 そんな大仰おおぎょうな場所の、ほんの一区画。

 食事処が集中している階層で、廊下を私は一人で歩いていた。


 そこは歩くだけで、西へ東へ渡れる料理の国境線。

 数えられない程の人が行き交う廊下は、ただよう食べ物の香りが熱を与えて、太陽にも負けない温度でひしめき合っている。


 今日は何を食べようか。胃はどういう気分で、何を欲しているのか。

 求めるのは量、質、それとも稀有けうか奇抜か。

 悩みに悩むか、それとも衝動に身を任せるか。


 ──なぜこの場所に、これほどの人と食欲が煮詰まっているのかというと、答えは簡単だ。

 強化ガラスで出来た外壁から見える空は、既に陽が昇りきった正午の青。


 ようはお昼時なのだ。


「……決まらない」


 この人だかりに足を踏み入れて、三分と経たずに私は心境を口にした。

 ポロっと零した声は雑踏の中に消え、当然誰も気にすることなく振り向くどころか見向きもしない。


 私はハーフコートに仕立て直してしまっているが、右も左も似たり寄ったりの黒いローブを着た集団に、ここにいる以上は同じ言葉を抱いている人は多数いる。

 だから誰も私を意識することはなく、この言葉の本意を捉える人もいない。


「次、ノエルに会うときにどうすれば」


 ずっと、ずぅっと。


 昨夜、仮面舞踏会マスカレイドの控え室からノエルと別れた後。

 部屋に戻りベッドに横になって、空が白んで鳥が朝を告げるまで。


 頬の火照りと心臓の高鳴りで、寝れない夜を過ごしてしまった。


 彼を意識すると眠気と目覚めが波を作り、限界が来て記憶の糸が途切れると、気がついたらお昼前。

 しっかりと寝不足になった上に朝食を抜いてしまったが、食堂の前を歩いても食欲より睡眠欲と昨日の名残りが強く主張している。


 目のくま化粧けしょうで隠した。でも作った表情は今にも気持ちに負けてしまいそうで、私の立場的には奥歯をみ締めてでも無表情を貫きたい。


 やりたいこと、考えたいこと、すべきこと。

 どれもこれも方向性がまとまらず、だからいつまで経っても決まらないと右往左往して──


「──……きゃっ!」


 ぶつかった衝撃と、群衆の賑わいに消されそうなか細い悲鳴。


 ぼーっとしていて前を見ていなかった。

 すぐに謝らなければ。そんな意識で我に返るよりも先に、華奢きゃしゃで白い腕が見えた途端、思わず体が一歩を踏み出し、両手が相手に向かって伸ばされていた。


 片手は相手の二の腕に、もう一方は転ばないように背中側へえて。


 後方へ飛ばされそうになった相手をしっかりと受け止めた私は、謝罪の言葉を並べていった。


「申し訳ありません。こちらの不注意です。お怪我はありませんでしたか?」

「だ、大丈夫。なんともないよ、ノエ……く……」


 ぶつかってしまったのは、細身で私よりも背の低い少女。

 ポンチョのように仕立て直された黒いローブに、淡い白と青の衣装を着る彼女は、一言で表すのなら箱入り娘。


 じゅくしたチェリーの瞳は快活かいかつさを持っているも、それ以外がはかなさを強調しているせいか、見ているだけでもその目に吸い込まれそうになってしまう。


 だから少女の言いかけた名前は耳に残らなかった。

 たったの二文字。綺麗きれいという言葉だけが私の思考を染めていた。


「あの、えっと。ごめんなさい。ひ、人違いでした」


 抱えた少女が声を発するまで、私は彼女の瞳に引き込まれ続けていた。

 身じろぐ感触が伝わり、やっと自分が捕まえたままなのだと理解した私は、慌てて手を離して一歩引き、軽く頭を下げる。


「……お気になさらず。ご無事のようで何よりです。それでは失礼いたします」

「ま、待ってください」


 こんなことをしている場合ではない。

 寝不足と朝食を抜いたことが招いたこの事故は、紛れもなく自分自身のミスだ。


 気を引き締めて、今はひとまず食事をとろうと早々に少女の前から去ろうとしたところで、弱々しい力がローブのすそを引っ張った。


 嫌な予感がすると思いつつ後ろを振り返ると、捨てられた子犬のような顔をした少女が遠慮えんりょしがちに、そして離さないと私の服を掴んでいた。

 そんな彼女が告げたものは、張り直した私の緊張の糸を、容易く叩き切るものだった。


「ここって、いったいどこですか?」

「……はぁ?」


 つい出してしまった困惑の声。


 どこと言われても、ここは一目でわかるレストラン群の区画。

 本気でここが食事できる場所だと分からないのか、それとも単純な迷子なのか、または私の理解できない意味を含んでいるのか。


 あまりにも意図が掴めない少女の質問に、すそを掴んだ手を払うどころか答えにも迷っていると、クゥーと可愛らしい鳴き声が聞こえてきた。


 空いた片手で焦るようにお腹を隠そうとする少女。

 照れながらも上目遣いでこちらを見てくる彼女に、飛び交っていた様々な選択肢を深いため息とともに吐き出す。


「ひとまずお店に入ろうか。話はそこで」

「はい!」


 否応なく頷くしかなかった空気に流されてしまった。

 でも悩んでいたから丁度いいかと諦めもあり、妙にスッキリとした気分で出した答えに返って来たのは、明るい満面の笑み。


 変な迷子を拾ってしまったと思いつつ、彼女の手を外そうとしたら、今度はすそからそでへと掴む場所が移り変わった。

 これではぐれませんと自信あり気な少女に、適当な相槌あいづちを打ちながらも私は、目についたすぐ近くの店舗てんぽへ足を向けた。

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