1章 reunion

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 そこは白と黒に分かれたモノクロームな塔だった。


 中央は強い照明で白く染まり、あるべき支柱が存在しない空白の広間。

 誰の姿も認められず、白一色であることが美しいとまで言える場所は、誰かが来ることで色づくことを待っているキャンバスとも表せる。


 そんな無を持ってデザインされた中心とは真逆に、円柱状に囲む幾層いくそうにもなった黒の部分は、古今東西の豪奢ごうしゃな造りと人の多さがあった。

 最低限の明かりの中、白の広間に注目を向けるまばらに散った人の群れ。

 飾った装いも顔を隠す以外の共通点が少なく、多様な色を混ぜ合わせた結果の黒と言えるだろう。


 ここは一種の仮面舞踏会マスカレイド

 そして、ある種の円形闘技場だ。


「本当、嫌な場所」


 三階層目の最内側。中心との境界に当たる場所で手すりに寄りかかりながら、私は本音をポツリとこぼした。

 周りには権威けんいで着飾った大人たちが談笑しているが、その笑いはひどく薄っぺらいものばかり。


 全員、本音は仮面の下。


 だからこその空気の重さがあり、ここへは来たばかりだというのに、足が帰路きろへのかじを取りたがってしまう。


「──姉様。ここに居たんですね」

「ラズ。……何か用?」


 本当に帰ろうかな。

 そう心に従いかけたとき、聞き慣れた声が後ろから聞こえた。


 振り向くと、そこにいたのはグラスを二つ手にした青の少年。

 フォーマルスーツを着こなしている彼は、私よりも年下だというのに立ち姿だけでも紳士的で、仮面越しでも分かる笑顔には温かさが見え隠れしている。


 義理の弟にあたる男の子、ラズラピス。

 彼から飲み物の入ったグラスを受け取りつつ、ふといた疑問を口にしたら、苦笑を含んだ答えが返ってきた。


「何か用って。こういう公の場に出るときは二人一緒だと、父様から言われているじゃないですか」

「ずっとはいなくても良いでしょう」

「なら僕が姉様の隣に居たいんです。駄目でしょうか」


 マスクをつけていても分かる、少年の無害なはにかみ。

 聞いていて恥ずかしい台詞を吐いているのに、彼からは照れている様子が一切見えない。


 余裕とはまた違う。

 本心からの言葉であり、また別の思いが乗っているみたいで、それは私の隣に立った時にかすかにれ出ていた。


 大人たちを背にした瞬間にこぼれた、欠片ほどのため息。


 同じだ。

 程度の差はあってもこの薄ら笑いの空間は疲れるもので、ようは居心地のいい場所に来たのだろう。


「……ありがとう」

「僕、何かしたでしょうか」

「コレのこと。丁度ノド渇いてたから」

「それは良かったです。姉様の好きな飲み物を探した甲斐かいがありました」


 隣に来てくれて。


 ラズラピスを前にそんな一言を足せなかった私は、言えなかった部分をグラスの内のラズベリージュースに溶かし込む。

 一口含むと酸味と控え目の甘さが広がり、溶いた言葉が心の中に戻っていく。


 改めて気恥ずかしい言葉をよく言えるなと思いつつ、横目で彼を見ると、私と同じようにラズラピスも気泡の浮くジンジャーエールを見ていた。


「姉様?」


 紺青こんじょうの髪、ライトブルーの瞳。

 私と彼はどちらも似ている色合いで、姉弟と云われてもう九年。


 家名も、義理の弟も、立場も。

 色々なものを与えられてから馴染なじむのに充分な時間が経っているはずが、どうしても彼の立ち位置だけは違和感いわかんぬぐいきれない。


 弟みたいな子。そう思うたびに視界に映るのは、目の前の頼れる笑みではなく、気弱な微笑ほほえみ。

 今でもずっと、いつまでも引きずっている。

 手に残ったままのあの子の感触。


「姉様、大丈夫ですか」

「えっ……。うん、平気だよ。ラズ」


 耳元に届いた声に驚いて我に返ると、ラズラピスの青い瞳に私の顔が映る。


 ひどい顔だった。

 マスクに隠されたサファイアの瞳も、サイドをヘアピンで控え目に飾ったミッドナイトブルーの短髪も、夜空をデザインに入れたカクテルドレスも。

 全てをもってしても隠せない、取りつくろそこねた崩れた表情。


 後悔こうかい。なんて一言で表して欲しくはない心中は、自分ですら分かってしまうのだから、心配そうに見ている少年には相応に分かるだろう。


 だからそれ以上のことを言わせないために、私はひじで彼の脇を小突き、無理にでもさえぎろうとした。


「それよりも、私のところに居たいのなら退屈させないで。何もないのなら帰るから」

「なら……。この仮面舞踏会マスカレイドの主役は誰か、姉様はご存じでしょうか」

「知らない。あの人に言われて来ただけだから」

「姉様、父様のことを──。いえ、そうですか」


 仮面舞踏会マスカレイドの主役。

 それは私たちのいる薄暗い観客席ではなく、中心の照らされた広場で踊る演者たちのこと。


 それがどこの誰か、何を見せてくれるのか。

 本来ならば知った上でこの場に足を向けるのが常識だが、今日の私のように家の命令や知人に連れられてと、事前情報もなく来る人も珍しくはない。


昨日さくじつ、ここへ来た方たちのお披露目です。予定としては今日から数日。僕と姉様のときと同じものですよ」

「もうそんな時期だっけ。それ、わざわざ見に来る必要があるの?」

「僕もそう思っているのですが、父様の命令ですから仕方がありません」


 新参者のお披露目ひろめといえば聞こえよく思えるが、実態は観客たちによる選別だ。

 ほとんどの人は見向きもされず、運良く声をかけられたとしても、それは価値を見出したのではなく気まぐれによるもの。


 ここはそういう場所なんだ。

 価値を決め、選び、売買のように手を取るか振るかは、高みの見物をしている者たち次第。

 そもそも既に力量を認められている人はここには来ず、舞台に上がることは、大きく分けて二種類の意味がある。


 背後関係の都合による才能の宣伝、もしくは繋がりを持たない人たちの売り込み。

 この時点で出し物に期待はできず、楽しめるのはこぼれ物を探しに来た博打ばくち好きだけ。


 だから少年の父親が何を以って注目しているのか理解できず、詰まらなげにグラスを傾けながら私は広場を見下ろす。


「……っと。始まるみたいですよ、姉様」


 結局、ラズラピスとの雑談も退屈をしのぐにはイマイチだった。

 しかしそろそろ飲み物が空になるといったところで、周囲のざわめきが中央に集まり、少年の意識も一旦私から外れる。


 広場の両端──対角線になるように設置された出入り口の片側から、影が伸びてきた。

 それは十代後半の一人の少年。淡々と、面白みに欠けた登場をする彼に、しかし観客たちは喧噪けんそうを強めていった。


 ここは身分を問わず、貴族と庶民が入り乱れた仮面舞踏会マスカレイド

 仮面を被ることは主役の彼らも例外ではなく、必須の条件。


 なのにどうしたことか。

 少年は素顔をさらしていることで、散っていた意識の群れは更に真ん中へ集まっていく。


「ふざけているのでしょうか。いくら何でも無作法すぎます」


 ラズラピスは生まれつきの貴族の側。

 見せている反応は周りの大人たちに似ていて、嫌悪けんおとまではいかずとも苦言をていするくらいには不快さをにじませていた。


 むしろ好ましく思っている人は、この場にどれだけいるのだろうか。

 仮面を被ることで、ようやく平等という物差しを手に取れる彼らにとって、彼は異質そのもの。


「まさか父様はこれを承知で僕たちに? むしろこれを見せたいが為ですか」


 常識にとらわれるな、当たり前を疑ってみせろ。

 現状をそう受け取りつつあるラズラピスは、本当に優秀な子だと思う。


 でも今の私には、それを気にする余裕なんてなかった。

 隣の少年の声が遠く聞こえ、手に持っていたグラスは床に落ち、破片を散逸さんいつさせる。


 胸が痛かった。

 心臓を押さえる形で震える両手を胸元に当てると、そこにあるのは十年前の古い傷跡。

 痛みは傷から足元の赤い飲み物と同様に広がって、鼓動が早まる度にあふれたものが次々と肌を伝っていく。


「嘘でしょ」

「姉さ……っ、大丈夫ですか!?」


 痛くても、ううん痛いから。

 私は広場に静かにたたずんだ人物に目を奪われる。


 私よりも背が高くて、細くともしっかりと立ち、堂々としている正面を向いている彼に。


「どうして今更、私の前に現れるの。──ノエル」


 それはずっと一緒だよって、手を繋いでいたはずの私の小さなヒーロー。


 でも、もう離れてしまっているから。繋ぎ直すことなんて出来ないから。

 そう思って諦めて、空いた手を握り締めていたのに。


 どうしてと、私は合わさらない感情の色々を言葉に塗りつけた。

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