2.reunion - 2

 私が胸の傷跡に痛みを覚えている間にも、中央の広場では事態が進んでいく。

 ノエルらしき少年がこちらに気づいていないように、私を気にしている人はラズラピス以外には数えるほどだけ。


 当然だ。仮面をつけない仮面舞踏会マスカレイドなんて、私もラズラピスも聞いたことがない。

 だから伝統を重んじる大人たちにとって、一人の少女の不調なんて些事さじ同然。


 一つ、また一つと少年に視線が集まっていく。

 同時に笑い声も増えていくが、どれも良いものは思えない。


 わらっているのだ。

 常識知らず、田舎者、作法無き道化など三流以下。


 今まで余裕の仮面に隠れていた本音が、下を向いたことでこぼれ落ちている。


「……姉様、もう行きましょう。体調が優れない時に、こんなことへ付き合う必要はありません」

「行かないよ」


 腕ごと引っ張り、中心から私を遠ざけようとする少年に反抗して、私は体に力を込めて居座ろうとした。

 既に目も心も捕らわれて、胸の痛みは杭となって足をその場に打ち付けている。


「本当にアイツなのか、確かめるまで」


 そう、確かめるのだ。

 十年前に離れてしまったあの手と同じか。


「──ノエル・サンライト。準備はよろしいか」

「はい、いつでも」


 舞台の中心に立ち、始まりの合図を待つ少年の前に、突如身長が二メートルも超えた黒ずくめの男が現れた。


 それはフードを目深にかぶり、足先まで隠れるローブを来た一人の男。

 だが、今まで姿を隠していたのではない。


 字義じぎ通りに現れた。瞬間移動と呼ばれるものだが珍しくもなく、証拠に少年と会話を続けていても誰も疑問を感じない。


 現実的な法則を無視することなんて、日常茶飯事さはんじなのだ。


「ならば宣誓せんせいをここに。なんじは魔法を用い、何をせ、何を求める」


 男の問いに対して、沈黙が流れた。

 少年は太陽のようにまばゆい天井を見上げて逡巡しゅんじゅんする。

 次に顔を下ろし、黒の男を見据みすえた彼はかすかに笑っていた。


「剣を見せます。できれば、知り合いが欲しいですね」


 まばらにだが噛みしめた笑いが聞こえてきた。

 主役の少年に不快を見せていたラズラピスだが、これにはその方向を周囲の大人に変え、いぶかし気に見渡すも気配が途絶とだえることはない。


 剣を使うといった少年を、おかしく思うのは当然だ。

 姿を見た第一印象からして、彼の様相は武とはかけ離れている。


 紫水晶色の髪も、スミレ色の瞳も。

 軍服に寄せた白基調の装いに、左腕を隠す赤のペリースも。

 まとっている雰囲気すら癖が少なく、無害で、希薄で。

 強いていうなら、額の右側にある傷跡が気になる程度。


 力とは無縁、虚弱きょじゃく、花を愛でる気弱な王子とわれたら、一人残らずうなずくだろう。


承諾しょうだくした」


 しかし黒の男は、なんの意図を見せることなく頷き、その場からまたしても影ごと虚空こくうに消えていった。

 すると男に応えるように中央部の天井から一滴、無色な円環えんかんしずくれ、少年の眼前に落ちるとたちまち床が波紋はもんを作る。


 ちかいの承諾しょうだく、そして舞台の開演。

 これらを意味する事象が起きるや否や、白の空間は敵意に満ち満ちた。


 床をうは空洞くうどうの騎士甲冑かっちゅうたち。稲妻を矢とするクロスボウは独りでに飛び回り、天井をおおうのは火を噴く怪鳥の群れ。

 暗に示された、これらを退治しろとの無茶な要求。


 一対一ならやりようもあるが、出された数に無理がある。


「困ったな」


 なのになぜ、主役の彼は笑っているのだろう。

 その笑いは観客に伝播でんぱするどころか、次の瞬間には大人たちが声をらすこともなくなった。


 今まで衣装に隠されていた左手が、ここへ来てようやく動きを見せる。

 小指にめられた、シンプルな銀の指輪。

 フレアを巡らせる太陽がられたそれからは、透明質な光の枠から実体へと、段階を経て物質が作り出されていく。


 重く左手に収まった物体は、一振りの剣。

 黒く実用性のみを追求した長剣で、無駄を一切嫌った刀身には、危険だけを語る洗練せんれんさがあった。


 見た目ははかないい王子様な少年には、まったく似つかわしくない無機質な凶器きょうき

 でもどうしてか。柄を右手で握り直し、自然体で剣を構える姿からは、宝剣を携えた王の風格すら感じられる。


 無謀むぼうだ。そんな声を代弁しているかのような静けさは、同じ沈黙で肯定され、無言の少年に否定されていた。


「──これだけでいいなんて、思ってもいなかった」


 刹那せつな、少年の言葉が全ての色を反転させた。


 動いていたものは全てバラバラとなり、皆等しく淡い光となって消えていく。

 見ていた観客たちもそうだ。音も心も本当に切り刻まれ、豊かだった彩りは褪せている。

 ラズラピスだって例外じゃない。理解できずに呆けていて、良いも悪いもすら出てこない。


 そして見るもの全てを刻んだ少年も、色が違っていた。

 目に光がなく、包んでいた穏やかな空気は鈍く重いものになり、涼し気な笑みは冷めていて。


 英雄的だ。ヒーローじゃない。

 私の知っている小さなヒーローじゃない。


「あのバカ。なにやってるのよ」


 だから私は駆けだした。

 そうしないと気が済まなくて、心が決める前に足が動き、心と頭が繋がると速さが一段跳ね上がる。


 いてるややヒールの高い靴が邪魔じゃまで走りにくく、脱ぎ捨てることも考えながら目指すのは舞台の主役がひかえる下の階層の部屋。


 どれだけ貴族的ではない振る舞いと言われようとも聞こえない。

 あせる姿が幼い少女のようだと思われても知らない。


 あの頃の私には、どれもこれも無かったものなんだから──


「あれ、姉様?」


 拍手も歓声も、罵声ばせいすら起こらない舞台を置いて去っていく少年を見て、ようやく我に返ったラズラピスは、抜けきらない衝撃しょうげきを抱えたまま周囲を見回す。


 先程までいた、好いている義姉がどこにもいない。

 もう彼には訳が分からなかった。


 痛みをうったえていたはずの義姉が休まず、舞台の主役に食いついたと思ったら、即刻幕が引かれた途端、影も形もいなくなっている。


「……もしかして、彼と知り合いなのですか」


 漠然ばくぜんと思い浮かんだ推測すいそくを言葉にした。

 違う。並べられたものを一つの箱に入れて、ラベルを読んだだけ。


 だから本当に思ったことは別のもの。

 そう自覚してなのか、それとも否定の材料を見つけたがっているのか。


 昼間の星を探すように、薄暗い空間でラズラピスは義姉の姿を追おうとしていた。

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