思い出のバースデーケーキ

下東 良雄

思い出のバースデーケーキ

「パパの作ったケーキ、スッゲェー!」


 ぽっかりとお月様が浮かぶ夜。住宅地にある一軒の家から元気な男の子の声が響いた。

 その家の居間には『HAPPY BIRTHDAY』という大きな文字の装飾品が壁に飾り付けされていて、カラフルな電飾がピカピカと点滅を繰り返している。

 そして、何よりも目を引くのがテーブルの上に置かれた大きなバースデーケーキ。普通とはちょっと違うそのケーキに、男の子は興奮しているようだ。


「これ全部パパが作ったの!?」

「あぁ、そうだよ」

「スッゲー! 超キレイで、超美味しそう!」

「あ~あ、ママも駅前のケーキ屋さんで美味しいケーキ買ってきたのになぁ~」


 微笑みながら拗ねる振りをしたオレの隣に座っている妻。


「それはパパのケーキの後で食べようよ! ママもパパのケーキすごいと思わない!?」

「思う~」


 楽しそうに笑顔を交わす妻と息子。

 そして、妻はそっとオレの手を握ってくれた。


「……これがあなたの思い出のバースデーケーキなのね……」

「……あぁ……」


 オレが作ったケーキは、オレにとっての『思い出のバースデーケーキ』。忘れることなんてできない愛情いっぱいのケーキだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 幼い頃の記憶の中に、父と母が仲睦まじくしている姿はない。

 オレは父の実家で祖母と三人で暮らしていた。母とは毎月公園で会っていたので、親子というのはこういうものなんだと思っていた。

 この頃、オレにとって育ての親は祖母。しっかり叱る厳しさと、しっかり褒める優しさを合わせ持ったひとだ。


 そして、オレの五歳の誕生日。

 この日の前後の事は、今もはっきり覚えている。


 いつもオレを放ったらかしだった父が、この日はケーキとプレゼントを買ってくると約束してくれていたので、オレはこの日を大はしゃぎで迎えたのだ。

 母からも例年通りプレゼントが送られてきた。中身は、もうすぐ小学校に上がるからと文房具のセットだった。当時、絵を描くことが好きだったので、二十四色の色鉛筆とスケッチブックも入っていたことをよく覚えている。喜ぶオレを見て、祖母も顔をほころばせていた。

 あとは父が帰ってくるのを待つだけだ。


 でも、何時になっても父は帰ってこない。祖母は何度も父の携帯に電話していたが、父は電話に出なかったようだ。


「しょうがないよ。きっとお仕事忙しいんだね」


 オレはそんな風に祖母に笑いかけた。

 祖母は一瞬泣き出しそうな表情になりながらも、オレに笑顔を向けてくれた。


「よし! ばあちゃんがスゴいケーキ作ってやるからな!」

「ケーキって作れるの!?」


 ケーキはお店で買うものだと思っていたオレは驚いた。

 台所へ向かったばあちゃん。父を待ち疲れていたオレは、台所から聞こえるばあちゃんの料理の音を子守唄に思わず寝てしまっていた。


 午後九時くらいだったと思う。


「おまたせ! ばあちゃんの特製ケーキだよ!」


 そんな声で目を覚まして、ガバッと起き上がったオレ。

 居間のちゃぶ台の上には、立派で大きなケーキが置かれていた。


 それは、ちらし寿司で作ったケーキだった。


 錦糸卵、桜でんぶ、いんげんが入っていて、とてもカラフルなケーキだ。イチゴの代わりにプチトマトが乗っている。

 ケーキの周りはレタスで彩られ、たくさんの唐揚げや、うずら卵とウインナーの串が添えられていた。


 それは幼いオレが見ても、冷蔵庫のもので急いで作ったものだと分かった。色々な思いがオレの心の中を渦巻く。これが嫌なんじゃない。嫌なわけがない。でも、ばあちゃんがオレのためにわざわざ作ってくれたことを思うと、胸が破裂しそうだった。

 笑顔を浮かべる祖母に抱きついたオレ。


「……ばあちゃん、ごめんね……」


 自分の胸の中で声を震わせるオレを強く抱き締めてくれた祖母。きっと祖母は泣いていたと思う。


 この後、このちらし寿司のホールケーキをオレがカット。オレがわがままを言って包丁を使わせてもらったのだ。ハラハラしている祖母の顔が面白かった。そして、今日は特別ということで母とビデオ通話でつなぎ、三人で楽しく、そして美味しい誕生日を過ごしたのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 この日の夜、祖母のケーキを待つ間に眠ってしまったオレは、目が冴えてしまい、中々眠ることができなかった。


 ガラガラガラ ガラガラガラ ピシャン


「こんな時間までどこほっつき歩いてた」


 深夜に帰ってきたのは、おそらく父であろう。

 玄関から静かに怒る祖母の声が聞こえてきた。


「あぁ? 仕事に決まってんだろ」

「酒臭い息吐いて、女の匂いをまとわせながら『仕事』だ? いい加減しな」

「うるせぇ! 俺が仕事って言ったら仕事なんだよ!」


 酔っているのか何なのか、父は大声を上げる。


「……今日は何の日だい」

「何の日? 何の日って何だよ」

「アンタ、今日は仕事の予定は入れない。ケーキとプレゼントを買って帰るって言ったよね」

「!………………」

「ほら、早くケーキとプレゼントを出しなよ」

「………………」


 父は言葉もなく沈黙している。

 自分で言い出した息子の誕生日の約束を反故にしたのだ。

 何も言えるわけがない。


「……こんな馬鹿に育てた私の責任だ……」


 祖母は大きくため息をついた。


「じゃあ、代わりにオマエへプレゼントをやるよ」


 何のことかと、オレは柱の影からそっと玄関を覗く。

 祖母は父に茶色い封筒を手渡した。


「……何だよ、これ……渡辺法律事務所……?」

「開けてみな」


 封筒を開ける父。

 中に入っていた書類に目を通しているようだ。


「なっ!……こ、これって……」

「親権者変更の調停を家庭裁判所に申し立てることにした」

「こ、こんなことしたら息子が――」


 パンッ


 祖母は父の頬を平手打ちした。


「何が息子だ! 父親らしいこと何もしてねぇくせに!」

「い、いや、母さん、待ってくれ……」

「親ってのはなぁ、金運んでくりゃいいってもんじゃねぇんだ!」

「母さん……」

「今日なぁ、あの子はずっとオマエの帰りを待ってたよ。それはオマエのケーキやプレゼントが欲しかったからじゃない」

「…………」

「あの子が欲しがっていたのは、親からの愛情だ。親から愛されているっていう実感が欲しかったんだよ」

「オ、オレは……」

「ケーキの代わりに、豪華な具が入っているわけでもない貧乏くさいちらし寿司を私は作った。あの子、何て言ったと思う?」

「え……ありがとう、とか……」


 パンッ


 ふたたび父を平手打ちした祖母。


「あの子はねぇ『ごめんね』って言ったんだよ! 小学生にもなっていないあんな幼い子が私に気を使って、声を震わせながら『ごめんね』って! もっとわがまま言ったっていいあんな幼い子に、私とアンタが気を使わせているんだよ!」


 父はうなだれた。


「今日が最後のチャンスだったんだ。今日、オマエがきちんと約束を守って、あの子の誕生日を祝ってあげられたなら、この申立はやめようって、沙世子さよこさんと話をしていたんだ」

「えっ! 俺が別れた後もアイツと……」

「当たり前だろ! あの子の母親だ!」


 手にした書類をもう一度目にする父。


「でも、オマエは約束を破った」

「ま、待ってくれ!」

「オマエに親の資格はない。出ていけ」

「か、母さん……」

「この家から出ていけ! 二度と帰ってくるな!」


 祖母の剣幕に、父はすごすごと家を出ていった。

 微動だにしない祖母。

 でも、その目には涙が光っているように見えた。

 オレはそっと自分の布団に戻る。

 この夜以来、父の姿を見ることは二度となかった。


 翌朝、家にいたのは母だった。


「誕生日おめでとう」


 笑顔の母に、オレはなぜか涙が止まらなかった。

 母と祖母は、そんなオレを優しく抱きしめてくれた。


 そして、居間のちゃぶ台には、昨日の残りのちらし寿司のケーキがあったのだが――


「わぁっ! スゴーイ!」


 そのケーキの上や周りには、たくさんのバラの花が飾られていた。

 母がスモークサーモンを使って花を作ってくれたのだ。

 さらにサーモンの花の間にはイクラが散りばめられ、キラキラ光っている。


「さぁ、みんなで食べましょう!」


 この日から祖母と母とオレの三人での暮らしが始まったのだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「……そっか、そんなことがあったんだ……」

「……その当時、母はオレを養うだけの収入がなくて、泣く泣く親権を手放したらしい……」

「……でも、お義母さんにとってのお義母さんが味方になってくれたのね……」

「……いくらだらしなくても、自分のお腹を痛めて産んだ息子に見切りをつけるのは、相当辛かったと思うけどね……」

「……それだけあなたのことを第一に考えてくれたのね……」

「……祖母も、もちろん母も、本当にオレにたくさんの愛情を注いでくれたよ……」


 テレビゲームで楽しそうに遊んでいる息子を見つめながら、オレと妻は話を続けていた。


「……その後、お父さんは?……」

「……さぁな、どこで何しているのやら……」


 突然振り向いた息子。


「ねぇ、まだかなぁ」

「予定だと、もうそろそろだと思うから、もうちょっと待ってな」

「はーい」


 ぴんぽーん


「おっと、噂をすれば……はーい」


 ガチャリ


 オレは玄関を開けた。


「ご招待ありがとう」

「お義母さん、いらっしゃいませ!」

「あら、元気そうね!」


 笑顔を交わす妻と母。


「それからスペシャルゲストよ!」


 母は車椅子を押していた。


「私まで招待ありがとね」

「ばあちゃん、いらっしゃい!」


 ばあちゃんがあの時作ってくれたケーキ。オレも作ってみたんだよ。ばあちゃん、覚えてるかな。母さんと一緒に懐かしいねって言ってくれるかな。

 オレは、祖母と母がどんな反応をするのか楽しみにしながら、ふたりを家に招き入れた。



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