第61話 森の賢者
ゴリラが……話しかけてきた?
ってことはもしかしてモンスターではないのか?
「あ、あの……」
「何だ、人間よ」
問いかけると、ちゃんと言葉が帰って来る。
なんでゴリラと意志疎通できるんだろう。
ゲームだしそういう仕様ということなのであればそれまでなのだろうが。
まあとにかく、
「ありがとう、助かったよ」
「助けたわけではない。元々スカルスプリングは我々の敵。いつもの討伐作業をしたに過ぎん」
正面のゴリラはフンと鼻を鳴らす。
「早く質問に答えるのだ、人間。ここでいったい何をしていた?」
「えっと……カレーを食べていた」
「カレー?」
「これだよ」
俺はゴリラに鍋の中身を見せる。
食べかけのカレーだ。
「むっ……凄まじいほどの香辛料の香りだな」
「えっ、香辛料を知っているのかっ!?」
思わず喰いついてしまう。
まさかゴリラからスパイスに言及されるとは思ってもみなかった。
しかし当のゴリラは心外そうに、
「当たり前だ。我らは"森の賢者"ぞ。植物の知識においてお前ら人間に後れを取るとでも?」
そう言って小指を鍋の中身のカレーに付けるとペロリと舐めた。
そしてその目を見開く。
「……! 驚くほど美味いな。それに体に力も溢れる」
ゴリラは自分の手を繰り返し握ったり、後ろ脚で大きく立ち上がってドラミングしたり、ウロウロ歩き回ったりしてバフを実感しているようだ。
「これがカレー……これをお前が作ったのか」
「まあね」
「この森へは香辛料を採りに来たのか?」
「いや、遭難した……って、ここで香辛料取れるのっ!?」
「なんだその喰いつきは。森なんだから当然だろう」
「ぜ、ぜひ採れる場所を教えてほしいな。何があるんだ? シナモンの木か? ペッパーか?」
「遭難したんじゃなかったのか、お前は……」
ゴリラは腕を組み呆れたように俺を見る。
「とはいえ、お前から"嘘"の空気は感じぬ。悪しき者のニオイもしない。香辛料の場所をというなら教えてやってもいい」
「マジで!? ありがとうっ!」
「ただし、交換条件だ」
ゴリラは鍋を指さして、
「このカレーとやらの作り方を我らに教えろ。そうすればいくつかの香辛料の自生地を教えてやる」
「なるほど……」
なんだか予想外にもおもしろい展開になったな?
恐らくこれはゴリラへと料理レシピを渡すというミニイベントだ。
その鍋の中身にあるカレーについてならすぐにレシピには起こせるし、それでミッションは完了だろう。
だけど……
「スマン、今すぐにそのカレーの作り方を教えるワケにはいかないんだ」
「なぜだ?」
「あんたが美味いと言ってくれたそのカレーは……俺の中では"未完成"品なんだよ」
今のカレーじゃ味にインパクトが無いのだ。
不甲斐なさに、思わず俺は唇をかみしめてしまう。
俺がもう少しカレー欲を我慢して、スカルスプリングの骨を煮込めていれば結果は変わっていたかもしれない。
でも、そうはならなかった。
俺はカレーをいち早く食べたくて、出汁抽出をおろそかにしてしまったんだ。
「もう一度改めて、材料も充分に集めてから作り直してからじゃないとレシピには起こせない。不完全なカレーを不完全なままにはしておけないんだ、俺は」
「よくは分からんが、つまりもう一度作り直すことさえできれば良いということだな?」
「え? まあそうだけど」
「……よし、分かった。ならば我々について来い」
ゴリラはそう言うと踵を返す。
「"里"で作り直せばいい。材料集めも手伝おう」
「里って、もしかして……」
「我々の住処──"賢者の里"だ」
* * *
俺は森の賢者の案内に従って森を進む。
道なき道、茂みの中を突っ切るようにして。
「あの、もっと他に道とかないの?」
「あるぞ。スカルスプリング共に狙い撃ちされるがな」
「……諦めます」
茂みの中、無言で森の賢者の後をついていく。
他の個体たちも俺を四方から囲むような位置で歩く。
しかし……このままじゃみんなの見分けがつかないな。
せめて名前が知りたい。
「そういえば自己紹介がまだだったよな。俺はカイ。あんたは?」
「俺はリンデン」
俺の前を行く森の賢者がそう名乗ると、NPCの表示名がまた変わった。
"森の賢者"から"森の賢者:リンデン"へと。
「カエデ」
「サルスベリ」
「クヌギ」
他の四方の森の賢者たちも名乗ってくれ、それぞれの表示名が変わる。
「ありがとう。じゃあリンデン、さっそく聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「森の賢者ってさ、"ゴリラ"とはまた違う種族なのか?」
俺が軽くそう訊ねると、
──ビシッ。
空気がひび割れる音が聞こえた。
リンデンたちは立ち止まり、怖い顔で俺の方を向く。
「今、"ゴリラ"と言ったか……?」
「う、うん、ごめん。気分を害したか……?」
「……カイよ。ソレは我々にとっての"蔑称"だ。間違っても里に入って使うな」
「分かった。ごめんなさい」
「構わん。無知は罪ではない。知ろうとしないことが罪なのだ」
リンドウは再び前を向いて歩き出す。
「……我々森の賢者は、遥か昔はもっと人間の集落の近い場所で暮らしていた。だがな、悪しき"ウェルズーン帝国"が興り、我々を"ゴリラ"と名付けて毛皮を目当てに狩猟し始めたのだ」
「……そうだったのか。ごめんな、人間が」
「今を生きるお前の罪ではない」
リンデンは大きく鼻息を吐き出した。
「それに、我々は人間それ自体を憎んでいるわけではない」
「なんでだ? 事実として、人間には酷い目にあったはずだろ?」
「悪しき人間がいれば反対に善き人間もいるということを我々は知っている。帝国が興る以前、人間は我々の良き隣人だった。それもまた事実だったからな」
当然といった表情でリンデンは言い切った。
周囲のカエデ、サルスベリ、クヌギの面々も同調するようにウホッと頷いている。
すごいな……。
人間って種族を恨んだって仕方のない事件だろうに。
「歴史の表層だけを掬い取って感情をただ喚き散らすだけでは本質には至れぬ」
そう話すリンデンの姿からはまさしく賢者の風格がにじみ出ていた。
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