解答 美並菜水 第八話 氷解

 私たちは三年生になった。最上級生であり、受験生。


 本陣くんと遥さんは、三年生でも同じクラスだった。


「美並、また同じクラスだな。よろしく頼む」


 うん。


「菜水、本陣とも一緒じゃないか。今年は進展の話を期待してるぞ」


 何のことだか。


 仲の良いこの二人と一緒なのは、嬉しい限りだ。



 あの学年末テストの反省から、私と本陣くんは切り替えをしっかりとするようにして、勉強にもしっかりと励んだ。

 あの小説の既刊分を読み終わり、考察もそこそこになった本陣くんは本来の調子を取り戻しているようにも見えた。


 一学期中間テスト。


 一位 姫川悠子

 二位 美並菜水

 三位 本陣優


 結果として、お決まりの上位三名に戻った。


「本陣くん、やったね。一位二位じゃないけど、並んでるよ」


『並んでいたいの』なんて言葉を既に言ってしまった後だ。素直にそう言うことはもう何ともなかった。


「三位の俺に言うな」


 冗談か本気なのかよく分からなかったけど、少しは悔しかったのかな?


「ふふっ」


 その姿が面白くて、私はつい笑ってしまった。


「何だよ?」


「いえいえ。残念でしたね。三位で。私に負けて」


 更なる面白さを求めて、私は本陣くんに追撃してみる。


「ちっ、次のテストを見てろよ」


 かわいいところもあるなぁ。



 一学期末テスト。


 一位 姫川悠子

 二位 本陣優

 三位 美並菜水


 しまった。挑発しすぎたかもしれない。


「ん? どうした、美並。俺は何も言わないぞ。誰かさんと違ってな」


 思わぬ反撃もくらってしまった。


「それはもう言ってるんだよ!」


 言い返しの口調は強くなってしまったけど、別に怒っているわけじゃなかった。このやり取りも楽しいと思っていた。


 本陣くんが私を見て、無言で微かに笑みを浮かべている。


 やっぱり、少し怒った。


「次のテストを見ていなさい!」


 前のテストの本陣くんの真似をして、怒りをぶつけながら言った。



 夏休み前、部活を引退した遥さんと遊びに行った。


「面白いって。新しいことに挑戦してみろよ」


 遥さんにそう言われて、私は一緒にボウリングをやってみた。

 遥さんの心遣いでガターなしにしてくれたのだけど、柵(バンパー)に大して当たることもなく、悪くないスコアが出た。


 調子に乗って、夏休みに入った後で本陣くんとも行ってみた。


「ガターなしで面白いか? あれが許されるのは幼稚園児までだろ」


 いいですとも。私の力を見せて差し上げましょう。


 惨敗した。


 遥さんとの時は何だったのだろう。柵がなければガターにガンガン吸い込まれていった。


 プレッシャーなのかなぁ。


 悔しい思いをしたことを遥さんに報告したら『今度は、あたしも連れてけ。菜水を泣かした本陣は許さん』なんて言ってくれた。


 別に泣いてないけど。


 それで夏休み中、三人で行った日があった。


 マイペースにプレイしている私と打って変わって、二人は白熱していた。


「本陣、その程度でよく菜水に色々としてくれたな」


「別に何もしていないが。お前こそ、変な投げ方するんだな。合理的じゃないぞ」


 二人がバチバチする中、私は二人のストライクに静かにパチパチ(拍手)していた。



 二学期に入る。

 一学期で部活も終了した私と本陣くんは、学校がある日の放課後は、用事がない限りは全て一緒に勉強するようになっていた。


 二学期中間テスト。


 一位 美並菜水

 二位 本陣優

 三位 姫川悠子


 取った。


 本陣くんと並んで一位と二位。しかも、私が一位だ。


「やるな、美並。久し振りの一位じゃないか。見事だ」


 珍しく本陣くんが褒めることを言ってくる。

 一学期末テストの時のお返しに、本陣くんに対して無言で笑みを浮かべてやろうと思っていたのに、その気を削がれてしまった。


「あ、ありがとう」


 戸惑いながらも、感謝の言葉を口にした。


「どうした? 嬉しそうじゃないが」


「本陣くんの反応が意外だったもので」


 本陣くんが何やら考える仕草をする。


「次のテストを油断させようかと思ったが、失敗だったようだな。残念だ」


 感謝は撤回しよう。



 テストの順位が貼り出されてから数日後。


 本陣くんに用事があったことで、私はこの日の授業が終わって一度帰宅しかけたのだけど、忘れ物をしたことに気が付いて、教室に戻ってきていた。


 まだそんなに遅い時間ではないけど、教室には誰もいなかった。受験勉強もあってか、最近のみんなは帰るのが早い。

 そう考えると、普段は学校に残って一緒に勉強している私と本陣くんは一体。


 忘れ物を回収し、さあ帰ろうと思った時だった。

 教室に、一人の女子生徒が入ってきた。


 それは、あの黒島さんだった。


「あ、あのさ」


 黒島さんが話し掛けてくる。

 私は警戒していた。あの時と同じように一位を取った直後だ。また何か言われるかもしれない。


 どうしよう? 今日は本陣くんはいないし。


「あの時はごめん。虫が良すぎるとは思うけど、どうしても謝りたくて」


 意外な言葉が返ってくる。

 とりあえずは油断させてという腹づもりだろうか? でも、その表情は真剣そのものだ。


「本陣に色々言われてさ、白柳からも諭されて、私も勉強してみたんだ。頑張ったけど、十位以内にもとても入れなくて。だから、三位以内に入り続けて、ときに一位を取るなんてことは本当に頑張らないと無理なことなんだって分かって。だから、本当にごめん。ごめんなさい」


 そう言って、黒島さんは頭を下げた。


 謝って、許してもらって、楽になりたいのだろうかと思う私は、性格が悪いだろうか。


「ごめん。あの時のことは、許せない」


 黒島さんがゆっくりと頭を上げる。

 その表情には、謝ったのに許してくれないのかというような憤りは感じない。納得しているような、悲しんでいるような、そんな顔だった。


「そうだよね。急にあんなことされて、急に謝られて。謝りたいなんてのも、私の勝手だよね」


 ああ、この人は、そういうことを分かった上で謝っているのか。だったら、私の取る行動は——。


「嘘」


「え?」


「許せないなんてことないよ。そこまでのことをされたなんて思ってない。ごめんなさい。少し意地悪をした。試したというか。もし、黒島さんに誠意を感じなかったら、あのままにした」


 黒島さんは呆然としていたけど、やがて事態を把握したかのように口を開いた。


「許して、くれるの?」


「うん」


 黒島さんが優しい笑みを浮かべる。とても、してやったりの笑みには見えない。


「ありがとう」


 そう言うと、黒島さんは少し涙を流した。色々と堪えていたものがあったのだと思う。


「泣くほどのことじゃないよ」


「うん。うん。ごめん、ほんと」


 黒島さんが涙を袖で拭う。

 もしかしたら、いつのころからか、ずっと後悔して自分を責めていたのかもしれない。


 だからといって、許す私は甘いだろうか。でも、やはり許せないほどのことではない。許すことで、黒島さんが受験に、今後の人生に影を落とすであろう一つのわだかまりが消えるのなら、安いことだと思う。


「何か、色々といきなりでごめんね」


「いいよ」


「美並さんは、本当に凄いね。あの本陣と付き合えてるのも分かる気がするよ」


 ん?


「べ、別に付き合っているわけじゃ」


「そっちの付き合いじゃなくて」


 やってしまった。


 二人で顔を見合わせると、お互いに少し笑った。


「本当にありがとう。美並さん」


「ううん。大したことしてないよ。大丈夫」


 黒島さんが教室を後にしようとする。

 教室の外に出ようというところで、こちらに手を振った。私もそれに振り返す。


 教室に一人残され、会話の余韻に少しだけ浸ると、私も教室を後にした。


 帰り道に、思った。


 本陣くんに言われたこともあって勉強した。


 黒島さんはそのようなことを言っていた。


 一年前のあの時も、黒島さんは本陣くんに対して悪い印象は持っていなかったような気がする。むしろ良い印象を持っているような。


 ひょっとして、黒島さんは本陣くんのことを好きとか?


 まさかね。


 私は考えを振り払う。


 それにしても、どうしてそんなことを考えてしまうのだろう。

 黒島さんが、誰が本陣くんを好きでも別にいいじゃないか。


 いや、それで本陣くんが誰かと付き合ってしまったのなら、私はもう一緒にいてはいけないんじゃないか。

 一緒に勉強することも、遊ぶことも、何か言い合うことも、全て終わりにしなきゃいけないんじゃないか。


 そんなの、嫌だ。


 いつの間にか、本陣くんとの時間は私の中で、失いたくないかけがえのないものになっていたことに気が付く。


 そして、もう一つ。


 そうか、私は——。



 本陣くんが、好きなのか。

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