解答 美並菜水 第六話 二人

 十二月二十六日の午後。


 私は映画館のホールで、本陣くんを待っていた。


 私の家から映画館まで、大体徒歩で十五分ほど。学校に行くのもそれくらいで、学校と映画館の中間辺りに私の家はある。

 本陣くんの家も私の家と同じ中間辺りの場所みたいだけど、私の家と本陣くんの家も同じくらい離れているようだった。

 四つの地点を結ぶと菱形になる感じだ。

 映画館への道もほぼ共通せず効率が悪いからと、映画館のホールを待ち合わせ場所とした。


 もちろん、効率が悪いからなんて言ったのは本陣くんだ。


 ただ、外を一緒に歩くのは、クラスメートであったり知り合いの生徒に見られる可能性が上がるから、よかったかもしれない。覚悟はしていたけど、やはり見られることがないのが望ましい。


 ホールでも周りを見渡してみる。

 そういった生徒は見当たらない。

 映画を映画館にまで来て観る生徒が少ないのか、まだまだお昼どきと言っていい時間帯だからなのか。


 いや、上映時刻が近いのは例のミステリー小説の実写映画だけ。

 私の親世代が、私くらいの年齢からのシリーズ小説が原作なわけで。

 私は親の影響もあって読み始め、今ではコミカライズも含めて全巻所持と読破をしていているけど、同世代では読んでいないどころか、タイトルを知らない人も少なくないのかもしれない。


 そういえば、ホールにいるのは大人の人たちが大半だ。

 実写化で話題にしていたのは、大人の人たちであったということだろうか。


 これでよかったのかな?


 そんな作品を選んだことに少し不安になる。


 映画の提案を本陣くんにしたところ、本陣くんはあっさりと了承した。作品についても、特に文句はなかったようだ。


 ”美並が観たいやつなら、それでいいよ”


 本陣くんの言葉を思い出す。


 大丈夫、だよね?


 本陣くんの言葉で、私は不安を打ち消す。


 それにしても、私の観たい作品が甘々な恋愛映画でもそう言ったのかは少し気になる。観たいわけではないけど、冗談でも言ってみれば面白かったかも。


 待ち合わせの時間まであと五分。


 本陣くんは時間ぴったりにくるようなタイプかな。


 私は更に五分前、待ち合わせ時間の十分前に到着していた。時間に遅れるのは嫌いだし、時間前でも私の方が遅くて待たせた感じになるのも避けたかったからだ。遅刻したわけでもないのなら堂々としていればいいのだけど、性格のせいか申し訳ない気持ちになってしまう。


 そろそろ来るかなと、辺りを見回す。何度目だろうか。


 すると、本陣くんの歩いてくる姿が見えて、私に気が付いた本陣くんが私に手を挙げる。私もささやかに手を挙げて応えた。


 制服姿じゃない、私服姿の、いつもと違う本陣くん。

 特に隣を歩くのが嫌になるようなセンスの悪さは感じない。

 私の服も、変じゃないかな? 地味かもだけど。


 少しドキドキしていた。


 落ち着け、私。

 これはデートじゃない。

 友達との映画鑑賞。ただの映画鑑賞。


「早いな、美並。待ったか?」


 私の近くにまで来て立ち止まると、本陣くんはそう聞いてきた。


「ううん。そんなには」


「待ったのか」


 しまった。今来たとこと答えればいいものを、つい正直に言ってしまった。


「わ、私が勝手に早く来ただけだから、気にしないで」


「時間前だから、気にはしていないが」


 あ、そういう人だった。まぁいいんだけど。


「チケット、買っておこう」


 とりあえず、話題を逸らす。いや、チケットも入場が近付くと買いにくくなるかもしれないので、今の内にという気持ちもあった。折角、余裕を持って入場の少し前に待ち合わせしたのに、それを無駄にしたくない。


 本陣くんと二人で券売機のところまで行く。数台ある内の一台が空いていたので、その券売機で私が操作を進めた。


 座席の選択で手が止まった。


 本陣くんの意見も聞かないと。


「どこがいいとかある?」


「後ろがいいが、美並はどこがいいんだ?」


 私も後ろの高い席の方が見やすいと思うけど、後ろは大分席が埋まっていた。極力隣に人がいない方がいいから、五席は空いていてほしいけど、そんなに空いているところはなかった。


「私も後ろの席がいいけど、隣に人がいない方がよくて」


「じゃあ、ここでいいんじゃないか?」


 そう言って、本陣くんが座席を画面で指定した。後ろから四番目の悪くない列ではあった。ただー。


 確かに、私と本陣くんの隣は空いているけど、私と本陣くんが隣同士なんですけど。


 私は本陣くんも含めて言ったつもりだったけど、本陣くんはそうは思わなかったようだ。


 いや、友達だからいいのか。うん。それに、私たちが観客の最後ではないだろうから、下手に席を空けておいて、知らない人が間に入ってくるよりはずっといい。


「うん。じゃあ、このまま進めるね」


 操作を続けて、支払いの画面までいく。

 もちろん、自分の分は自分で支払う。私も本陣くんも何も言わず、自分の財布を取り出して、それぞれお金を入れた。二人ともぴったりの金額だった。

 チケットが二枚発券されると、私はそれを取って、一枚を本陣くんに手渡す。


「はい。なくしちゃ駄目だよ」


「小さい子供か、俺は」


 本陣くんが突っ込みと共にチケットを受け取った。


「ふふ」


 子供相手に対してのような言葉が出た自分と、突っ込みを入れた本陣くんに私は軽く笑みをこぼした。


 券売機から離れ、私たちが元いた場所に戻る。


「何か食べ物や飲み物買っていく?」


「いや、映画に集中できないから俺はいい」


 本陣くんは飲食しながらの鑑賞は苦手なタイプか。


「私もいいかな」


 集中力は少し乱れるくらいだけど、特に小腹も空かなければ喉も酷く乾かないし、何よりトイレに行きたくなっても困るので、私も買って入場はしない方だ。

 今回は本陣くんが買うなら合わせようかなという気持ちもあったけど、本陣くんが理由は違っても同じタイプでよかった。


 その後、私たちはグッズを見たり会話したりして過ごして、あっという間に入場の時間も、上映の時間もやってきていた。


 本陣くんと隣り合わせに座る。私たちの隣は座席指定した時のまま空席で、誰も座ることはなかった。


 二人だけを囲んだ、特別な空間に思えた。


 治まりかけていたドキドキがよみがえりそうになる。


 落ち着いて。

 集中。

 映画に集中。


 映画が始まる。

 私は何とか雑念を捨てて、映画に見入った。



 失敗した。

 実写化が失敗したパターンだ。原作の面白さが台無し。

 いや、原作を知らない本陣くんなら、あるいは楽しめたかもしれない。


 その本陣くんが、ホールに戻ったところで口を開いた。


「なんか、序盤ですぐに犯人分かったよな」


 この男子には通用しなかった。


「最後に何かどんでん返しがあるかと期待していたが、そのままだったし」


 原作ファンの私には、原作もそうだと思われるのは我慢がならない。これは言っておかねば。


「違う。違うの。本陣くん。原作は最後まで誰が犯人か当てるのは難易度高くて、しかもその後どんでん返しもあるの。映画は分かりやすくしたつもりなんだろうけど、その醍醐味が台無しで。ああ、もう。ごめんなさい。一度観てから誘うべきだった」


「面白かったとして、二度観るのは美並がつまらないだろ? 原作を知ってるとはいえ、一度目は色々な相違を楽しめるかもしれないが、二度目は最早だろ」


「うう。それでも、原作を誤解されたくはないよ」


「じゃあ、原作も紹介してくれよ。持ってるなら貸してくれ」


「え?」


 仲間ができるのは嬉しい。けど、問題はある。


「いいの? 相当巻数が出ているシリーズだよ。新刊が出たら読んでる私はいいけど、一気に読むにはちょっと」


「構わない」


 ううーん。


 いいのかなぁ。


 自分の好きな作品に興味を持って読んでくれるのは嬉しいけど、沼にはまりでもしたらと考えると少し躊躇ってしまう。


 でも、本陣くんなら大丈夫か。本陣くんが沼るところなんて想像が付かない。


「分かった。えっと、いつ渡そうか?」


「今からでもいいなら、今日がいいな」


 早っ!


 そんなに興味を惹かれたのだろうか。あの映画のクオリティで?

 それはないような気がするけど、どんな理由にしてもその興味には応えたい。


「いいよ。私、持ってくるね。本陣くんはどこかのお店で待ってる?なるべく、私の家に近いところが助かるけど」


「いや、それだと美並が大変だろ。冊数もかなりあるようだしな」


「あ、いきなり全部持ってこようとは思ってなかったけど」


「だとしても、家からまた歩くことには変わらないだろ。俺が家まで行ったら駄目なのか?」


 はい?


「俺なら、かなりの冊数も持って帰れるだろうしな。一石二鳥だな」


 話を勝手に進めないでもらえます?


「い、家に来るって、私の?」


 本陣くんがいぶかしむ。


「他に、誰の家があるんだ?」


 それはそうだ。あの話の流れで、私の家以外があり得るわけがない。ただ、私はそういう意味で言ったわけじゃない。


 私は女子で。本陣くんは男子で。男子が女子の家に来るとか。いや、友達なら普通のことなのか。私が意識しすぎなだけで。


「誰の家もないですね」


 そう言った私を、本陣くんが痛い人を見るかのような表情をして首を傾げる。


 なんで私が色々と考えているのに、この男は平静なんだ?


 今日の予定を私が一方的に任されたことも思い出して、段々と腹が立ってきた。


「本陣くんって、我侭だね」


 言った瞬間、血の気が引いた。一時の感情に任せて、私は何を言ってしまったのだろうと、一瞬で後悔した。


「ご、ごめん、私」


「そうだけど」


 慌てて謝ろうとした私に、本陣くんは何でもないことのように、冷静にそう返してきた。友達の軽口くらいにしか受け取らなかったのかもしれない。


 よかった。


 そう。友達——なんだよね。それに、家まで本を取りに来るだけで家に中に入るわけじゃない。


 気にしすぎ。気にしすぎ。


「じゃあ、我侭王子様に、家まで取りに来てもらうことにします」


 落ち着きを取り戻して、笑顔で本陣くんにそう言う。


「なら、姫を家までお送りいたします」


 合わせるように冗談で言った言葉だろうけど、姫呼びに少し照れた。



 二人で、一緒に歩いた。


 観た映画の細かいところの話だったりと、自然と会話が続いて楽しかった。


 時々、少し先に進みそうになる本陣くんが、その度に歩く速度を落とした。私に合わせてくれているようだ。

 そういうのを見せずに合わせてくれたらいいのに、それが出来ずに自分本来の速度で歩みそうになるのが本陣くんらしいと思って、少し笑う。


 遅くてごめんね。でも、ゆっくり行こうよ。


 遅いのは確かだけど、本陣くんに合わせるのは辛いにしても近付けもせず、あるいはいつもより遅く歩いていたかもしれない。それなのに、そんなことを思った。


 でも、家に着いたら、この楽しい時間が終わってしまうようで。


 この時間が、もっと続けばいいのに——。



 でも、知り合いの生徒に見られる不安も忘れるくらいの楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまい、遂には私の家に到着してしまった。


「ここが美並の家か」


「う、うん。ちょっと待ってて。本、取ってくるから」


 本陣くんを玄関の外に待たせて、私は家に入り、自分の部屋へと向かう。家族が誰かいるかもしれなかったけど、何か聞かれても面倒なので、ただいまも言わなければ足音もあまり立てないようにした。


 部屋に入り、本棚に目をやる。例の作品の小説もコミカライズも全てあるはずだ。問題は入れ物だ。


 紙袋でいいかなぁ。


 偶然にも、服を買った時の紙袋を部屋に取っておいていた。大きいし、結構丈夫だ。


 思いっきり、女性服のメーカーのだけど。


 他の男子はもちろん、本陣くんだとしても知らなそうだからいいかな。そもそも、本陣くんは知っていたとしてもこういうの気にしなさそうだし。


 そう思って本を詰めていき、終わると本陣くんのいる玄関先へと戻った。


「お待たせ」


「別に、そんなに待ってないぞ」


 それはよかったけど、他に何か言い方はないものだろうか。「いや、全然」とかでもさ。本陣くんの言い方だと「お待たせなんて言う必要ないぞ」と言われているみたいだ。


「はい、これ」


 言い方に引っ掛かりながらも、もういいやと思いながら紙袋を差し出す。


 本陣くんが受け取る瞬間、軽く手が触れた。私はドキッとしたけど、本陣くんは特に気にすることなく受け取ったようだ。


「うわ、確かにあるなぁ。これは俺が来て正解だった。美並に持ってきてもらう重さじゃない」


 いや、私はこんなに持って行こうとはしていなかったけどね。というか、持って行く話になっていたとして、私はこれを持って行く羽目になっていたのだろうか。うん、本陣くんなら要求しかねない。


「美並」


 不意に名前を呼ばれてびっくりした。


『いくら俺でも、そんな要求はしないぞ』


 心を読んで、私の心の声をそう言って撤回するために名前を呼んだかと思うようなタイミングだったからだ。

 当然、そんなことはあるはずもない。その後に続く、意外な言葉の前の呼び掛けに過ぎなかった。


「今日は、本当にありがとうな。楽しかった」

 

 不躾かと思えば、こんな言葉を言ってくる。


 本当に、参るな。


「私こそ、ありがとう。私も楽しかった。ただ——」


「ん?」


「映画の件は、ほんとごめんね」


「美並はほんと、よく謝るな。別につまらなかったわけじゃないし、美並に任せたのは俺だ。つまらなかったとしても、美並のせいだなんて思わない」


 ああ、そうか。


 本陣くんは、自分のために動く。でも、自分のためだからこそ、人のせいにしたりしないんだね。


「そろそろ行くよ」


「うん。またね」


 笑顔で細やかに手を振る。

 両手に思い荷物を持っている本陣くんは、それに頷くような仕草で応える。


 面倒臭い人で、今日は怒ってしまったりもしたけど、人として好きだ。


「そうだ」


 はっと、本陣くんが思い付いたように口を開いた。


「何?」


「年明け、冬休みの終盤にさ、また映画に行かないか?」


 不意に本陣くんが誘ってくる。今度は、自分から場所を指定して。


「う、うん。もちろんいいよ」


「じゃあ、また適当なタイトルを選んでおいてくれ」


「は、い?」


「じゃあな」


 本陣くんが後ろを振り向いて歩いていく。

 呆気に取られた私は、それを静かに見送った。

 そして、思った。


 好きじゃないかも。


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 映画館から美並の家に行くまでの、二人のやりとりの一部


「そうだ、本陣くん、カレーパンって好き?」


「は?」


「ごめん。唐突な質問で。忘れて」


「いや、脈絡もないから驚いただけで、別にいいが。……そうだな。好きか嫌いかを意識したことはないな。だから、嫌いではないってことになるか」


「そっか」


「で、何なんだ、この質問?」


「男子は好きって聞くから、本陣くんはどうかと思いまして」


「そんなデータがあるのか?」


「ないと思うけど」


「じゃあ、男子は好きと確定付けられないな。そもそもカレーが嫌いな人もいるんだから、カレーパンも全員には当てはまらない」


「はいはい。今はそっちじゃなくて、本陣くんの話。嫌いなわけではないってことでいいんだよね?」


「む。まぁ、そうだな」


「きゅ、急に誰かに渡されたらどう思う?」


「は? いや、それは、怖いんじゃないか?」


「そうですよね」


(遥さん、やっぱり本陣くんは駄目でした。後で、そうメッセージを送っておこう)

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