奔放 社遥 中編 因縁

 放課後の静かな教室周り。すぐに出るからと開けたままにしておいた教室後方側の出入り口の引き戸。そのおかげか、それなりの距離を感じたその声を、まぁまぁしっかりと捉えることができた。


 何かの揉め事か? 触らぬ神にたたりなしなんていうけど、聞こえてきた声、あれはさっきすれ違った黒島の声だった気がする。そして、方向と距離からするとあたしの教室の辺りかもしれない。


 知り合いが何か大声を出した。あたしの足は既に動いていた。


『本当に言うの?』


 白柳が黒島に言っていた言葉を思い出す。何を? 誰に?


 いた教室を後方出入り口からハーパンを持ったまま出る。


 すると、一つ別の教室を挟んだ先の教室、そこがあたしの教室なわけだけど、その後方出入り口から誰かが入っていくのが見えた。もう体半分入っていたため、おそらく向こうはあたしに気が付いていないだろう。


 あれは、多分——。


 あたしもその教室へ向かう。一応、途中の教室の中を、引き戸にある窓から覗いてみたが、誰もいなかった。続く廊下にも黒島の姿はない。あたしの教室にいる可能性が高いことになる。


 教室には美並しかいなかったけど。あの二人に何か接点があったか?


 そんなことを考えている内に、教室の前方出入り口まで来る。引き戸が少し開いていたため、隣の壁に背中をつけて、そこから中の様子をうかがうことにした。


 あたしから向こうは見えても、向こうからあたしは見えないはず。


 自分の席に座っている美並。その机の前に立っている黒島と白柳。そして、美並の後ろには本陣が立っている。


「さっきの声は黒島か? 白柳も揃って、何なんだよ」


 本陣の声が聞こえてくる。引き戸が開いているので、感度は良好だ。


 やっぱり、さっき見た奴は本陣か。黒島もここにいた。さて、あたしはどうするか。すぐに乗り込んでも構わないけど、状況が全く分からない。部外者だとしたら、あたしが出ていってもな。とりあえず、本陣もいるようだし、本陣のお手並拝見とでもいくか。


 念のために隣の教室の後方出入り口の引き戸を開けて、元の位置に戻る。


 後は、まぁ、ことの成り行きを見守る。



「もう、いいから」


 美並のその言葉で、この場の話は完結を迎えた。

 黒島と白柳がこちらに向かってくる。


 やばい。けど、対策済み。


 話の聞き始めに開けておいた隣の教室の引き戸。そこから隣の教室に入り、廊下側の壁伝いに真ん中ぐらいまで行く。


 教室に入ってこない限りは、引き戸の窓からも見えないはず。というか、見る余裕もないと思う。

 まぁ、対峙してあたしからも圧をかけてやってもいいけど、本陣があそこまで言ったのなら、必要ないだろうしな。むしろ過剰に追い詰めてしまうかもしれない。


 足音が壁の向こうで響き、段々と遠くなっていく。いずれ聞こえなくなったところで、あたしは一息ついた。


 ふと、ハーパンを未だに握り締めていることに気付く。何だか、無性におかしかった。


 そうだ。こいつを取りに来ただけだったな。戻るか。


 隠れていた教室を出て、部活へと向かうことにする。


 あたしの教室前の廊下を通過する際、もう一度その教室の中を、歩きながらちらりと見る。本陣と美並が何やら楽しそうに話している。


 美並、頑張ったな。本陣、自分のためだとは思うけど、少し見直したぞ。惚れたりはしないけどな。


 その内に教室を離れると、思考を切り替えた。


 それにしても、悠子か。



 悠子。


 姫川悠子とは小学校が一緒だった。

 悠子と呼んではいるけど、特別仲が良かったわけじゃない。低学年の時に一緒のクラスになったのだけど、小さなころは同級生に対して、仲の良さや呼びやすさ関係なく下の名前で呼ぶことがほとんどだったから、それが定着しているだけだ。


 悠子は低学年のころからかわいい容姿をしていたけど、そのころは誰も特別扱いはしていなかったように思う。あたしも、特別な仲でなくても、ごく当たり前に話していたし遊んだりもしていた。


 それが、小学五年生になったあたりだろうか。悠子はかわいいに綺麗も兼ね備えるようになり、美少女と言って差し支えないような成長をした。『美少女通り越して天使』なんて話もあった気がする。


 女子からは『姫』として、男子にとっては『憧れの女子』として、それぞれに大切にされる存在となった。

 あたしはもちろん、今までとなんら変わらなかったのだけど。


 そんなとき、男女混じってドッジボールをする機会があった。あたしと悠子は敵同士。

 二人とも各自の内野に残る中、味方あたしのチームから悠子に向かってボールがあまり投げられていないことに気が付く。男子も女子も気を使って投げないのだ。


 悠子のチームの男子からあたしにボールが投げられる。でも、運動神経の良さに加えてあたしの身体の成長は早く、まだ成長未熟な小学五年生の男子に劣るものではなかったため、簡単にキャッチする。


「おい、社の奴、取りやがった」

「下がれ。あいつ、結構速い球投げてくるぞ」


 センターラインぎりぎりまで走り込み、目標を狙う。外野とのラインぎりぎりまで下がっていた、誰も満足に狙わない悠子を。


 あ。


 ボールが浮いた(軌道が少し上にずれた)と感じた後、あたしが投げたボールは悠子の顔面に直撃した。


 周りがしんと静まりかえる。お姫様の美しいお顔に当てやがった、という感じだろうか。


 悠子の顔に当たったボールが、バウンドしながらこちらに戻ってくるのを、悠子のチームの男子が拾って防ぐ。

 一方で、顔を抑える悠子に内野に残っている女子たちが駆け寄る。


「姫、大丈夫?」


 悠子は手の平を前に出して大丈夫と言わんばかりの合図をすると、前に歩き出した。


「ボールくれる?」


 ボールを拾った男子が、その言葉通りに悠子にパスをする。

 パスを受け取った悠子は、センターライン間近まで歩いてきた。あたしは動かずにいたため、センターラインを挟んで、ものすごく近くにいることになる。


 悠子があたしを見る。顔が赤い。あたしのボールを受けたんだから当然だ。

 悠子も運動神経はいいから、取れてもおかしくないはずだったけど、自分に全然ボールが投げられないことで油断していたというところか。手は出しかかっていたし、ん?


「顔面は、セーフよね?」


 そう言うや否や、悠子はあたしの顔面にボールを思いっきり投げ付けた。さすがのあたしも、この距離ではかわせない。


 顔、特に鼻に強い痛みが走る。痛みというか、痺れか。けど、あたしは泣かないし怯みもしない。


「てめぇ」


「おあいこ」


 何がおあいこだ。お前のはその気になれば取ることも避けることもできたはずだろうが。いや、あたしもセンターライン近くでぼうっと突っ立ってしまってはいたけど、いたけども。


 一触即発の空気を感じたのか、周りの連中が止めに入ってくる。

 結局、このことで勝負は中断した。


 その後、あたしは悠子に近付かなくなった。いや、近付くのが面倒臭くなったと言った方が正しい。


 姫に危害を加える不成者ならずものは許さないとでもいうような取り巻き、言わば親衛隊が無言の圧力をかけてきていたからだ。

 そんな圧力なんのその、近付くことが出来ないわけではなかったけど、元々そこまでの仲ではなかったので、もうどうでもよかった。



 今でも、お姫様は健在か。


 報復でボールを顔面に投げ返す奴だからいい奴とも言い難いけど、悠子自身は決して悪い奴ではない。ただ、周りが放っておかず、障害を排除しようとする動きをすることもある。


 あたしのように、悠子に近付かせない程度なら害はあまりない。無理に仲間あの中に入る必要もないのだから、他の誰かがそうなったとしても『却って良かったんじゃないか』ぐらいの気持ちだっただろう。だけど、今回の黒島が美並にしたことは、さすがにやり過ぎだし、見過ごせない。


 あたしはどうするか。


 黒島(と白柳)は放っておいても大丈夫、というか下手に触れない方がいいとして、悠子には言っておいた方がいいかもしれないな。他の誰かが同じことをしないように、何か対策をしてもらおう。

 後は、美並にフォローを入れておくか。本陣がいる以上、いらない世話かもしれないけど。



 部室に戻って、ようやくの着替えを済ませると、あたしはバレーコートに出た。


「しゃあっす」


 お願いしますの掛け声と共に、練習に入る。みんながこちらを振り向く。人気者は辛いぜ。


「ちょっと、随分と遅かったじゃない。何してたのよ?」


 望が文句を言う。まぁ、確かにハーパンを取りに行っただけにしては時間が掛かったわけだけど。


「あたしだって、お花を摘みにくらい行くさ」


 トラブルに遭遇したけど、ただ見学して帰ってきましたでは格好がつかないので、適当に言っておく。


「はぁ?」


 望は回答に不満のようだ。


「何だ? ひょっとして意味が通じてないのか? うんこだよ、うんこ」


「ばっ、直接的すぎるでしょ。意味なら分かってるよ。それ、大小限定じゃないけどね」


「お疲れ様でーす!」


 望とトイレ談義していると、他の部活メンバーの声が響いた。この言葉が出るのは、目上の誰かが来たとき。引退した三年生の可能性もあるけど、まぁ先生だろう。それも、おそらく——。


 コワモテの顔と立派な体格が見える。


 ほら、鬼先だ。


「お疲れ様でーす!」


 今度は、気が付いた個人ではなく全員で揃ってあいさつをする。部の恒例だ。


「おう。ん?」


 こっちを見てやがる。ヤバい。


「社ぉっ! お前、また練習着を忘れたな! 忘れ物は心の乱れだと、いつも言っているだろうが!」


「さぁっせん」


 大声で謝っておく。効果があるかは分からない。いや、ないな。


 明日の行動の前に、今日は厳しい練習になりそうだ。はぁーあ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る