解答 美並菜水 第三話 悪意

 そして迎えた、二学期中間テスト。


 一位 美並菜水

 二位 姫川悠子

 三位 本陣優


 やった。


 本陣くんとの勉強は間違いなく成果があり、例の教科も問題が簡単だったわけではないのに、他と変わらない高得点を出すことができた。総合得点は、今までの自己ベストだ。

 ただ、一つ気になる点があるとすれば。


 本陣くん、三位なんだ……。


 今回の三人は全員僅差のお団子状態で、本陣くんの点数も相当高い。本陣くんにとっても、私との勉強は意味があったといえると思う。それでも、本陣くんが姫川さんに負けて、更に私と離れたことがとても残念だった。


 いつも隣り合わせだったのに。


 順位が貼り出されたその日の放課後。


 水曜日だったので、私はいつも通り本陣くんとの勉強の準備をしていた。基本的に私は自分の席を動かず、彼が前の席を借りて机をくっつける感じなので、教科書やノートの準備をしている程度だけど。それにしても、許可は取っているようだけど、人の椅子と机を堂々と使う姿は尊敬する。


「美並、やる気満々だな。いや、姫川に負けて三位だった俺への激励か?」


 本陣くんが近付いてくるなり話す。少し落ち込んでいるだろうか。


 中間テスト終了後、これからもテストはあるのだからと、二人での放課後の勉強は続けていたけど、さすがに順位発表があった今日は休むべきだったのかもしれない。本陣くんにとっては、姫川さんに負けただけでなく、一緒に勉強した内の私だけが姫川さんに勝ってしまったショックもあるかもしれないのだから。


「あ、今日は休んだ方が良かったかな?」


「いや、気遣いは無用だ。切り替えて次に備えないとな」


 強いな。と思った一方で、少し無理をしている気もしていた。


「何だか、ごめんね。私だけ勝っちゃって」


 本陣くんが驚く顔をする。

 しまった。申し訳ない気持ちがあったのは事実だけど、失言だったかもしれない。


「何も悪いことなんてないぞ。美並が姫川に勝ったのも、一位になったのも、努力ありきのことだろう。質か量か分からないが、俺にはそれが足りなかっただけだ。だから、謝ることなんてないんだ」


 胸に衝撃を受けた。傷付けてもおかしくない発言をしてしまったと思っていたけど、そんなことはないばかりか、逆に私が嬉しくなるような言葉をもらうことになるなんて。


「う、うん。ごめん」


「また謝ってる」


 駄目だ。どうにも癖になっているようだ。


「それじゃ、ありがと」


 照れながら、そう告げる。顔が熱い。赤くなっていたりしないだろうか。


「礼を言われるようなことがあったか?」


 自分が言いたいだけで、私を気遣ったというわけではなかったようだ。本陣くんらしいといえばらしいけど。


「ああ、そうだ。俺ちょっと担任に呼ばれててさ、ちょっと行ってくるから、少し一人で勉強していてくれるか?」


 立ちっぱなしだったのが気になってはいたけど、行く場所があったからか。もしかしたら、それだけ伝えに来ただけだったのかもしれない。


「分かった。行ってらっしゃい」


 軽く手を振る。


「お、おう」


 本陣くんが戸惑ったように返答する。


 あれ? 私は今、何をしたのだろう?


「行ってらっしゃい」も手を振ることも、おおよそ私らしくない。急に恥ずかしさが込み上げてきたのと、本陣くんがおそらくは職員室に向かったのが同時で良かったと思う。今の私の顔は間違いなく赤い。

 その顔を隠すために、私は机で寝るように両腕を下にして顔を突っ伏した。


 どれだけそうしていただろうか。段々と落ち着いてきたため、私は顔を上げて、勉強を始めることにした。


 始めてものの数分で、少しばかり教室に残っていた生徒もいなくなっていき、遂には私一人になった。

 思えば、先ほどのやり取りは少人数といえど見られたり聞かれたりしていた可能性があるのか。いけない。また恥ずかしくなってくるから考えないようにしよう。


 いつもは二人で勉強しているこの放課後の教室も、一人だとなんだか寂しい。いや、私は何を考えている? 集中しよう。集中すれば気にならない。


 ややあって、教室に入ってくる二人の女子生徒がいた。このクラスの生徒ではない。その二人は、脇目を振ることもなく、私の近くまでやってきた。


「ねぇ、あんまり調子に乗らないでくれる?」


 内の一人が、怖い顔で私にそう告げた。急に嫌な緊張が走った。一体、何のことだろう。


「え、えっと、何の、こと?」


 恐る恐る尋ねると、彼女は更に怒ったような顔になった。


「一位になったからって、調子に乗んなって言ってるんだよ」


 彼女の語気が強まる。同時に、私の嫌な緊張も強まっていく。


 一位? テストのこと? でも、一位を取ったからって、別に普段通りにしているし、調子には乗っていない。気の強い人なら、「は? 私のどこが?」などとでも言うだろうか。怖くて言葉が出ない。顔も目を合わせないように伏せ気味になる。


「似合わないんだから、もう一位なんて取らないでよね」


 ズキっと、心が痛む。私にとって、唯一の誇りである勉強とその結果を否定されるのはあまりに辛いことだ。似合う、似合わないの話じゃない。


 誰なら似合うと言うのだろう? 姫川さん? ——あ。


 姫川さんのことを考えた時、何となく今の事態が想像できた。


 姫川さんに勝ったら、余所余所しくなった女子生徒たち。今までは稀に勝つ程度だったから、そのくらいで済んでいただけなのかもしれない。

 今回は二年生になって、二度目の勝ち。今年に限れば、行われたテストが三回だから現時点では勝ち越してもいる。もう、黙っていられなくなったのではないだろうか。


 ふと顔を上げる。

 先程から話している方は、依然として怖い顔を崩していない。もう一人は、困ったような表情をしていた。無理に連れて来られたのだろうか。助けてはくれなさそうだけど、相手の手助けもしそうにはない。だからといって、状況が変わるわけではないけど。


「何よ、何か文句があんの?」


 顔を上げて相手の方を見たためか、すかさず威圧をかけてくる。怖い上に、想像でしかないけど、意を決して話す。


「ひ、姫川さんに言われて来たの?」


 目の前の二人が驚愕の表情をしたと思った、次の瞬間。


「姫はそんなこと、言わないっ!」


 話している一人が大きな声でそう言った。もう一人は、私に嫌な目を向けたかと思うと、おろおろし始めた。相方の怒号までは予想していなかったのだろう。


 怒号の彼女が、私に掴み掛かってでもきそうなその時だった。


「穏やかじゃないな。何の騒ぎだよ」


 本陣くんが教室に戻って来た。ほっとはしたけど、緊張はまだ抜けない。まだ、当の二人はいるのだから。


「さっきの声は黒島くろしまか? 白柳しろやぎも揃って、何なんだよ」


 どうやら、本陣くんはこの二人のことを知っているみたいだ。一年生の時のクラスメートだろうか。怒号の彼女が黒島さん、もう一人が白柳さんというようだ。


「彼女が、姫川さんのことで変なことを言うから」


 白柳さんが言う。


 追い詰められていたとはいえ、姫川さんが差し向けた疑いを向けたのはよくなかったかもしれない。でも、可能性の一つとしては捨て切れないし、そもそも私は姫川さんのことをあまり知らないのだから、攻めるように言われたくはない。それに、あの後まだ言葉は続けるつもりだった。


「何を言ったんだ、美並」


 本陣くんの声と、名前を呼ばれたことに安心が増していく。落ち着いて話せそうだ。


「私にテストで一位を取るなって言ってきたんだけど、姫川さんに言われて来たの? って」


 本陣くんが怪訝な表情を見せる。


「美並はどうして、そう思ったんだ?」


 私が一位を取った時に、姫川さんと仲が良いであろう、一部の女子から距離をおかれたことを知らない本陣くんにとっては当然の疑問だろう。


「一位を取っていること以上に、姫川さんに勝っていることが問題なのかなって。私、姫川さんのことをよく知らないし、姫川さんからの警告なのかもって」


「だから、姫は——」


 黒島さんがそう言いながら私を睨む。本陣くんがいるおかげか、先程より怯えることはなかった。それでも少し怖いけど。


 私は、怒号のきっかけとなったあの言葉の後に続けたかったことを言う。


「でも、本当はこうも続けたかったんだ。それとも、姫川さんのために、あなたたちが勝手にやっていることなの? って」


 図星を突かれたのか、黒島さんと白柳さんの表情が曇った。


「どうなんだ? って、聞くまでもなさそうだな」


「——んで」


 黒島さんが何か言う。小さな声で聞き取れなかったけど、今度ははっきりと口を開く。


「何でよ。姫がこんな子に負けるなんておかしいでしょ。こんな子じゃなくて、姫の方が一位にふさわしいはず。少なくとも、女子の一位は姫であるべきよ。本陣、あんただってそう思うでしょ」


 もう姫川さん絡みなことを隠す気もないのか、姫川さんの名前を出しながら私を否定してくる。やっぱり、心が痛い。


「思わないな。美並が姫川に勝って一位だったのは、美並が頑張ったからだ。姫川も頑張っただろうが、美並には及ばなかった。それだけだ」


「だって、だってこんな平凡な——」


「もうやめろ、黒島。姫川はお前の理想を体現してくれる存在じゃない」


 おそらくは、平凡な子わたしがお姫様に勝つなんておかしいと言いたかったのだろうけど、本陣くんが遮るように言葉を放った。


「姫川が誰に勝とうが負けようが、一位を取ろうが取れまいが、お前には関係のないことだ。仮にそのことを姫川が気にしたとしても、それは姫川の問題であって、お前の問題じゃない」


「本陣らしいね。でも、それは冷たいだけだよ。相手のことを考えようとしていないだけじゃない」


 本陣くんの言葉に、黒島さんが言い返す。本陣らしいと言うからには、本陣くんのことをよく知っているのかもしれない。

 どちらの言い分も分かるけれど、私は本陣くん寄りだろうか。姫川さんの問題を自分のことのように解決に導きたい気持ちは尊いものだと思う。でも、姫川さんの気持ちが優先で、だからこそ姫川さんが解決するべきという思いの方が強い。


 本陣くんが溜め息を吐く。

 そして、まだ言わせるつもりかと言わんばかりに、その口を開いていく。


「黒島、本当はお前が姫川のような姫になりたいんじゃないのか? でも、それには相当な努力が必要だから、大好きな姫川に姫を維持してもらうことで誤魔化そうとしているんだ」


「は? ……そんなこと、ない」


 同一化ってやつだろうか。黒島さんは否定したけど、間が合ったことを考えると、少し思うところはあるのかもしれない。


「何にしても、姫川に姫を維持してほしいとして、他人頼み過ぎるんだよ。姫川の努力任せと、美並に順位を落とすように脅迫。姫川に近い学力を身に付ければ、サポートだってできるだろうに」


 黒島さんは特に言い返さない。先程の同一化の突き付けと併せて、大分堪えているのかもしれない。何だか、少し可哀想になってくる。


「本当に、最悪だ。姫川も美並も、お前の欲求を叶える道具じゃない」


 その言葉に、私は嬉しくなったけど、黒島さんには今までにないくらいに動揺したように見えた。


「私は、私は姫をそんな風になんて、思って」


 黒島さんが震えている。今にも泣き出しそうだ。白柳さんはそんな黒島さんの袖を、小さく何度か引っ張っている。もう行こう、と合図しているのだろう。でも、黒島さんは動かない。


「まだ足りないか。姫川がこんなことを望んでいないのなら、これは姫川のためじゃない。お前自身の——」


「本陣くんっ! もういいよっ!」


 本陣くんの言葉を遮って、自分でも驚くような大きな声で言ったのは私だった。本陣くんも、黒島さんや白柳さんも、意外なところからの言葉に驚くように私の方を見た。


「もう、いいから」


 今度はいつもの声の大きさで言う。何でだろう。仕掛けて来たのは黒島さんと(一応だけど)白柳さんだったのに、本陣くんに責められている黒島さんを、これ以上見ていたくはなかった。


 黒島さんは観念したように、遂に白柳さんの袖への合図に応じ、二人でその場を離れて行った。


 二人きりになった教室に、静寂が走る。私のためもあって話してくれていたであろう本陣くんの言葉を遮ってしまった。怒っているだろうか。勝手に気まずくなる。


「美並」


「は、はい」


「さすがに、今日はやめるか?」


 勉強のことだろう。

 本陣くんが優しく聞いてくる。怒ってはいないようだけど、いや、どうなのだろう。


「私は、構わないけど」


 本陣くんの気持ちが気になって、私はそう言った。さすがに確かめないと帰りづらい。でも、どうしてそんなに気になってしまっているのだろう?


 本陣くんは頷いて、机を移動するなど、準備を整える。それが終わると、今日の私たちの勉強はようやく始まった。


「ねぇ、本陣くん」


 始まって、しばらく無言でそれぞれの勉強をしていたのだけど、気まずい空気、いや、あるいは気まずい私の気持ちを変えるために、私は本陣くんに話し掛けた。


「何だ?」


 問題を解いている途中なのか、下を向いたまま本陣くんは応えた。


「怒ってる?」


 私の問いに、本陣くんは手を止めて私に向かって顔を上げた。


「怒る? 何で?」


「その、さっき、本陣くん、私のために色々言ってくれたのに、その、止めちゃって」


 本陣くんはきょとんとした。何だ、そんなことかと言わんばかりに。


「別に、美並のためじゃない。俺が言わずにはいられなかっただけだ。むしろ、少し熱くなっていたからな。あそこで止めてくれて良かったくらいだ」


 ああ、何となく、私のためではなくて自分のためって言うような気はしていた。意外だったのは後半部分だ。


「本陣くんでも、熱くなることがあるの?」


 失礼かと思いながらも、思い切って聞いてみた。


「あるさ。何だと思ってたんだ」


「もっとクールかと」


「否定はしないが」


「しないんだ」


 言葉がぽんぽんと出てくる。楽しい。

 このまま、あの嬉しかったことを言ってしまえ。


「ああ、そうだ」


「何だ?」


「ありがとね。道具じゃないなんて言ってくれて。嬉しかった」


 想いを口にするのは恥ずかしい。照れて、少し伏せ目がちになる。


「そんなことか。当たり前だろ、道具じゃないなんてことは」


「ううん。それでも、ありがとう」


 二度続いた感謝の言葉に、本陣くんは照れたように微かに笑った。


「さ、続けよう」


 本陣くんはそう言って、下を向いて勉強を再開した。

 その本陣くんを少しだけ見つめた後、私も再開した。


 『姫川も美並も、お前の欲求を叶える道具じゃない』


 姫川さんの名前が先に出たことを、少し気にしている私がいた。

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