8
次の土曜日は休みだった。平日におれが回っている配送先で何かあれば出勤している他のドライバーが対応する。
青森行のスケジュールを相談することになっていた。同じマンションではあるが、お互いの部屋を行き来するわけにもいかない。駐車場で落ちあい、近所のファミリーレストランに行くことになった。
午後になってマンションの駐車場に降りると、すでにメタリックブルーのクーペの前で鮎川さんが待っていた。
彼女が丁寧に会釈をした。
「この車で行きませんか?」
ライトブルーに褪せたスリムなジーンズにカットソー、セミロングの髪はすっきりと束ねられていた。服装はいつもと印象が違うが、物静かな雰囲気は変わらない。
「よかったら運転してみてもらったほうがいいと思って」
「そうですね」
気安く引き受けた。が、運転席のドアを開けた瞬間、おれは腰が引けた。
「うは。思ったよりすごいや」
素直に言葉を漏らすと、彼女は眉間にしわを寄せて困ったように笑った。
窮屈そうに見えたバケットシートは座ってみると意外なほど身体になじんだ。
「これ、どうやって締めるんだろ」
四点式のシートベルトなんて、締めたことがない。
「その普通のシートベルトをしてくれれば大丈夫です」
助手席に乗り込んだ鮎川さんは、そう言いながら自分もベルトを締めた。
ハンドルに手を置き、あらためて車内を見る。ダッシュボードに小さなメーターが後付けで設置されている。
ブースト計というやつか――な?
聞きかじりの知識でなんとなく想像はついても、何の役に立つものなのかはよくわからない。
重い――と感じながらクラッチペダルを踏み込んだ。シフトレバーを左右に動かしてニュートラルであることを確認する。
アクセルペダルに軽く足をかけ、イグニッションをひねった。
吹き上がるエンジンに驚く。おれは思わずアクセルから足を浮かせた。
「まいったな――」
助手席に顔を向けると鮎川さんがにっこりと微笑んだ。
仕事でトラックに乗っていると普通の乗用車でもアクセルの感覚が違って感じられる。自分の車でも仕事帰りには乗り初めに違和感がある。が、このギャップはそんなものではなかった。
「じゃ、いってみますね」
シフトを一速に入れ、あまりアクセルを吹かさないようにしながら、重く浅いクラッチを静かにつないだ。
がくんと振動があってエンジンが止まる。エアコンのファンの音だけが静かな車内に流れる。エンストなんて、何年ぶりだろう。
「強化クラッチというのに変えてあるんだそうです」彼女が他人事のように言う。
「つなぐ前にアクセルを少し煽ってみてください。だいじょうぶ、すぐ慣れます」
もう一度エンジンをスタートして、言われた通りにアクセルを煽ってからすぐにつなぐようにする。
車はぎこちなく動き出した。
運転は好きだが、腕に覚えがあるというわけではない。どちらかといえば不器用で、車が変わると慣れるまでがもどかしい。いつものことだ。
低い車高が車幅の感覚にいつも以上の違和感をもたらす。おれは慎重に住宅地を抜けて幹線道路に出た。
目的のファミリーレストランの看板が見えた。減速し、ゆっくりと駐車場に左折する。店舗は道路よりも少しだけ高い位置にあり、駐車場の入口にはスロープが切ってあった。普通ならほとんど気にならない程度の角度だったが、アンダーに張り巡らされたエアロパーツはさすがに気になった。
駐車スペースに車をバックで収めた。
「古いターボ車なので一応、という感じです」という鮎川さんの指示で、しばらくアイドリングをしてからエンジンを切る。
「青森は遠そうだ」
つぶやくと、鮎川さんはまたふっと笑った。
交代でドリンクバーに行き、結局テーブルにはアイスコーヒーが二つ並んだ。打ち合わせといっても簡単なもので、話すことはそれほどなかった。
「多少道路が混むかもしれないけど、お盆休みはどうですか?」
盆ならば深夜でもサービスエリアには人が多い。その方が彼女も安心だろう。口には出さなかったが、そう考えていた。
「私もそう思いながら来ました」
「日付が変わる頃に出発すれば渋滞はないし、それほどムリしなくても朝のうちに着けます」
「眠らなくていいんですか?」
「途中ちょっとウトウトさせてもらうかも知れないけど、夜通しのドライブは初めてじゃないから大丈夫です」
下道は使わない。距離は七百キロ程度だ。彼女と車は置いて帰ってくるのだから、帰路のことも気にしなくていい。特に問題はない。
だいたいの段取りが決まってしまうと、彼女はメタリックブルーのクーペとそのオーナーのことを少しだけ話した。
同郷の男性の愛車を借りていたが、帰郷した彼に近々返すことになった。男性は親戚筋に当たるのだという。これなら自分も一緒に帰省することができるから都合がいい。そんな話だった。
帰りの運転はスムーズだった。これなら行けそうだと少し安心した。
信号で停止すると対向車線におれの会社のトラックがいた。毎日見ていると屋号を見なくてもボディのくすみ具合などで自社の車両がわかる。どの社員の車両かまで、なんとなく判別できる。妙なものだ。
そう思いながら、松本さんのトラックにパッシングした。いぶかし気にこちらを見た彼は、対向車の運転手がおれだと気づくと手のひらをこちらに向けて大きく上下に動かした。彼は仕事中にすれ違っても必ず何かしらおどけた反応をする。
「あれ、うちの会社のトラックです」
「会社はお近くなんですか?」
「そう。土曜日だと、みんなそろそろ営業所に戻ってくる」
鮎川さんは後方に去っていくトラックを振り返った。
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