07
日が暮れ切るのを待って駅前の居酒屋に出かけた。加賀や美咲のこと、青森行のことなどを考えているうちに、ひとりで家にいるのが落ち着かなくなった。
駅前といっても地元の住民にとっては生活の中心という感じではなく、商店街からも少し離れている。駅自体も素っ気なく、後からこの町につけ足されたような雰囲気があった。それでも一応はコンビニがあり、いくつかの店舗が並んでいる。どれも個人経営のこぢんまりとした店だ。
その中の一軒に、たまに通っている居酒屋があった。古臭い店構えに反して大将は思いのほか若く、年齢はおれとそう変わらない。自分で店をやってみたくて居抜きで入ったらしい。他の客とそんな話をしているのを耳にしたことがある。
店の引き戸を開けると、いつもとは少し雰囲気が違った。賑やかな声が圧になって向かってくるような感じがする。
「今日忙しそうだね」
おれは自分が悪いことでもしたみたいに大将に声をかけた。彼はひとりで店を切り盛りしていた。時々どうやら大将の彼女らしい若い女性が手伝いに来ていることもあるが、今夜はそれもないようだ。
「ぜんぜん大丈夫よ。寄ってって」
手前に5席分のカウンターがあり、そこを抜けると奥は6畳間ぐらいの小上がりになっている。その小上がりでは珍しく6、7人の客が詰め込まれるようにして飲んでいた。
おれはカウンター席に腰かけると、いつも通り生ビールを頼んだ。選んだ肴もいつも通りだった。
奥の団体の幹事役らしい男性がカウンターまで来ると、少し声をひそめるように「今日の予算5万ぐらいまでなんだけどまだ大丈夫かな?」と訊いた。成り行き上、駅前のこの店で飲むことになった一見さんなのだろう。ここから離れた商店街までいかないとほかに飲み屋はない。
大将が忙しく手を動かしながら「了解でーす」と答える。オーダーにも彼はいつもそう返事をする。口癖みたいなものらしい。
ジョッキと突き出しの小鉢をおれの前に並べながら大将が苦笑した。
「うちで5万とか飲もうと思ったらもう大変よ?」
おれも苦笑いで返す。
実際、安くて気軽に入れる赤ちょうちんだった。それでいて近所にはギャンブル場やら大学のキャンパスやらがなく、タチの悪い酔客と居合わせるようなこともまずない。商売としてやっていけるのかどうかは知らないが居心地がいい。
「珍しいね、団体さん」
「向井さんもどんどん連れてきてよ」
ここにはまだ誰とも来たことがない。いつもひとりだ。
「おれ友だち少ないもん」
「またまた。前に駅のとこでいっぱいでつるんでたじゃん」
年が明けてすぐの頃か。まだ冬の話だ。前の職場の連中がおれの家に来たことがある。彼らを駅まで迎えに来た時にたまたま大将が通りかかって軽く挨拶をした。
「あれ会社の連中。誰かの家で鍋パーティーやろうって言い出したのがいてさ」
もう2、3年ぐらい前のことのような気がしてしまう。
「結局、ひとり暮らしでいちばん歳いってるのがおれだったから」
「ありゃりゃ会場にされちゃったんだ?」と笑いながら、大将は出来上がった料理を何品か小上がりに運んでいった。
あの頃もう仕事にうんざりはしていたが、同僚たちとの仲は悪くなかった。ただ、加賀が入院してあまり時間が経っていなかったし、美咲の不倫の件が露呈しつつあった。会社に何か澱んだ感じを抱いていたのはおれだけではなかったのかも知れない。たまには誰かの家で飲もうという話になった。
気心が知れた20代の4人が、広いとは言えないおれの家に集まった。その中には美咲もいた。
あいつ大丈夫かな――小鉢の酢の物をつつきながら美咲のことを考える。
加賀の葬式の後、彼女からは何も連絡がない。それまではとにかく加賀の状況を伝えようとしていたのだろう。心の中に異物をねじ込まれるように、今さら後悔の念が広がる。こういう鈍さには自分でもうんざりだった。
小上がりの客が上機嫌でざわざわ帰っていくと、店はいつもの雰囲気に戻った。
「お代わりどうしましょっ」
厨房が落ち着いて手の空いた大将が声をかけてくる。
「ああ、うん。もうひとつ同じの」
新しいジョッキが置かれる。二杯ぐらい前からサワーに替わっていた。
「これでお勘定お願い。最近朝が早いからすぐ眠くなっちゃうわ」
われながら少しろれつが怪しい。
もう美咲が連絡してくることはないだろう――おれはそう決めつけることで、逆に後悔の念から逃れようとする。だが、思いのほか大きな欠落感のようなものに捉われて、今度は自分の感情を持て余した。
――まあ、おれなんかじゃどうしようもないって。
本当はもっと正直になるべきなのだ。どこかで気づいているのに、おれはまたその欠落感を酔いの中に放置してしまう。
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