6

「気分悪いや」

 礼服姿の美咲がしゃがみこむ。

 太陽がぎらついたかと思うと、また重苦しい曇天に戻る。そんな空模様が繰り返されていた。

「ロビーで座れるとこ探そう」

 斎場の外で出棺を見送ると、美咲を連れて再び建物の中に戻った。

 顔見知りはみんな昨夜の通夜に出席していたし、親族とはほとんど面識がなかった。どこか場違いな場所に居合わせてしまったような気分だった。

 トイレの近くにソファを見つけて彼女を座らせた。

「夏物じゃないんだよね、これ」

 一息ついたのか、美咲は立ったままのおれを見上げ、礼服の襟元をつまんだ。目元が涙で紅く腫れていた。

 加賀は前の会社の同僚だった。美咲とはデザインの専門学校時代からの友人で、彼女は加賀の紹介で途中入社してきた。おれが辞める半年ほど前に入院するといって休職した。

「落ち着いたっぽい」

 美咲が立ち上がる。おれたちは、斎場を後にした。

 加賀とは飲みにも行ったし、音楽や映画の話などもよくした。向こうも友人とまでは思っていなかったろうが、仲は悪くなかったと思う。

 美咲にとって加賀がどういう存在だったのかはよくわからない。けれど、加賀の方は美咲に好意を持っていた。それはおれも感じていた。

 また彼女の不倫騒動のことが頭に浮かび、おれは記憶をたどるのをやめた。

 美咲が歩きながら上着を脱いで訊いた。

「仕事これから?」

「今日は休みもらった。今の仕事は朝からいないと意味ない」

「あたしも帰る。なんかイヤになった」

 そして、吐き捨てる。

「最低だよ――仕事でお通夜も行けないとか」

 斎場の提携駐車場にはおれの古ぼけた車だけがぽつんと残っていた。

「駅まで乗っていきな」

「うん」


 美咲の口数は少なかった。今にも降り出しそうな空が息苦しい。

「加賀ちゃんの病気、ここまで重かったとは思ってなかった」

「向井さん、返信とかくれないから。電話も出てくれないし」

「――悪かった」

 また沈黙が続く。ふだんはトラックの運転席で聴いているラジオ番組が、本州に接近中の台風の話をしている。

 美咲が急に話し始める。

「治ったら旅行に行きたいって言ってたんだ」

「加賀ちゃん?」

「そう。まだそんなに悪くなかった頃」

 おれの話をいつも「ヘンな人だな」といいながら聞いていた彼を思い出す。一人でふらりと旅行に出かけることがよくあった。加賀には何度かそんな旅の話をした。

 そうして精神的な安定を図っていたのだ。生活が変わった今だから、自分でもよくわかる。

「向井さんはどうしてるかな。まだヘンな旅行にいってるかなって――」

 美咲が声を詰まらせる。

「――ムリにいなくなろうとか、しなくていいじゃん」

 また泣き出しそうだ。

「そういうつもりはなかったんだけどな」

 美咲はバッグからハンドタオルを取り出し、口元にあてた。

「あたし、佐山さんと会うの、もう止めたよ」

 美咲の不倫相手の名前を久しぶりに聞く。

「おれもそれがいいと思う」

 駅前のロータリーに車を入れる。どうやら一般車両が進入禁止らしいのには気づいていたが、投げやりな気持ちでバス停の手前に停車した。

「今度、ふつうの時に会おうね」

 美咲が言いながら車から降りていく。

「おれもちゃんと連絡返すようにする」

「うん」

 後ろでバスのクラクションが鳴る。

「またね」彼女はあわただしくドアを閉めた。


 首都高のスロープを上がってから、締めたままだったネクタイを引き抜いた。車が混みあって流れる環状線から離脱し、カーブもなだらかになったところで上着も脱いでしまいワイシャツの腕をまくった。

 加賀のことを考えるが、どこか実感がない。

 一年近く会っていなかった。

 これからも、これまでと同じ状況が続く。まだ彼はどこかで生きていて、ただそれだけのことのように錯覚しそうになる。向こうから連絡がなければ、自分も連絡をするのは遠慮し続けるだろう。次第に関係は薄れ、やがて消える。

「薄情なんだな、お前」

 自分をなじってみる。

 しかし、たぶんそうではないことは分かっている。冷徹な性格なら、もっといろいろなことがうまく行っているだろう。

 要するに、鈍いんだ。

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