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 作業着のままカゴをぶら下げて食料品のフロアを歩く。この時間、スーパーはまだ人が多い。以前の仕事なら近所で帰宅時間に営業しているのはコンビニか飲み屋くらいだった。

 あれこれと買い込んで帰宅した。夕暮れ時のマンションの駐車場は蝉の声に包まれている。おれは、少し離れた丘陵を覆って生い茂る緑地に視線を投げた。蝉の声はきっとあそこから響いてくるのだろう。

 エントランスの前に、青いクーペの女が立っていた。あっちも帰宅したばかりなのか、今朝と同じ夏物のニットを羽織っていた。

「大丈夫でしたか?」おれはエントランスに向かいながら声をかけた。

「はい。ありがとうございました」

 女が笑顔で頭を下げる。やはり普通の、というかどちらかというと大人しい印象の女性だ。

「助かりました。あの、これよかったら」

 遠慮がちに小さな手提げの紙袋を差し出された。最近話題になっている洋菓子店のロゴが目に入った。前の職場の近所にも支店があった。

「いいのに。そんなこと」

「でも、私も困ってしまいます」

「じゃあ、ありがたくいただきます。かえって悪いですね」

 受け取った紙袋を見ながら、都心にもしばらく行っていないな、とふと思う。

 会話に妙な間ができて「あ、あの」と二人が声を出したのはほぼ同時だった。おれたちは苦笑した。

「あの。運送屋さん、なんですよね?」

 おれは「え?」と言葉に詰まり「はい。一応」と答えた。唐突な問いかけだったが、考えてみれば作業服の胸元には社名の刺繍が入っている。

「おれはちっちゃいトラックしか乗れないですけどね」

「聞きたいんですけど。車を運んでもらうって結構お金かかるんですか?」

「どうだろう。うちの会社はガスボンベとかそんなのばっかりだから」

「そうですか」と女は微かに表情を曇らせる。

「おれはよくわかんないけど、会社に知ってる人がいるかもしれない。聞いてみましょうか?」

 おれは職場のメンバーを思い浮かべた。営業所には元々運送業に携わってきた転職組が何人もいる。

「お願いできれば」

「運びたいのってあの車?」

 おれは駐車場のクーペを振り返る。彼女は「はい」と小さくうなずいた。

「何かわかったらどうすればいいですか? SNSとか?」

「じゃあ、電話で」

 女がスマートフォンを取り出した。無防備な気がしておれは驚いたが、それだけ困っているのかもしれない。自分の番号を教え、女から着信を受けた。

「そういや、名前を知らないんだった。向井といいます。ここの四〇二号室」

 おれは自分から名乗った。

 女も笑いながら「鮎川です。二〇三号室です」と答える。

 あらためてお互いに少し大げさな会釈をした。

「すみません、ヘンなお願いで」

 女は済まなそうにまた頭を下げると、ふと思いついたようにつけ足した。

「届け先、言ってませんでした。青森なんですけど自分で運転していくのはちょっと自信がなくて――」


 部屋に入って、キッチンのカウンターに買ってきた酒や総菜を置く。女からの手提げ袋には洋生菓子の箱が入っていた。小さな冷蔵庫の中身を押しのけるようにスペースを空けてそこにしまう。

 スマートフォンが胸ポケットで鳴った。はっとしたが、さっきの女がすぐに電話をかけてくる理由もない。

 ディスプレイには美咲の名前が表示されていた。あいつにしては時間が早いな、と思いながらメッセージを開く。

 美咲は怒っているように見えた。

 ――ぜったい連絡ください。

 そして次のひと言で、今回は彼女を無視するわけにいかなくなった。

 ――加賀くんが亡くなりました。

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