03

 食料品のフロアを作業着のままでカゴをぶら下げて見て回る。この時間のスーパーはまだ人が多い。前の仕事なら帰宅時間でも営業しているのはコンビニか飲み屋ぐらいだった。あれこれと買い込んで、マンションに戻る。

 夕暮れ時の駐車場にはセミの声が漂っていた。少し離れた丘陵に視線を投げる。セミの声はきっとあの緑地から流れてくるのだろう。

 エントランスの前に、今朝の女が立っていた。あちらも帰宅したばかりなのか、今朝と同じ服装だった。女性のブラウスが夕方になっても着たばかりみたいに清潔そうに見えるのはなぜだろうと昔から不思議に思う。

 エントランスに向かって歩きながら、おれのほうから声をかけた。

「大丈夫でした?」

「はい。ありがとうございました」

 女はおだやかな表情で頭を下げる。やはり普通の、というようよりはどちらかというと大人しい印象の女性だ。

小さな手提げの紙袋を差し出された。

「助かりました。あの、これよかったら」

「いいのに、そんなこと」

「でも、私も困ってしまいます」

「じゃあ、ありがたくいただきます。かえって悪いですね」

 受け取った紙袋には、おれにも見覚えのあるロゴが印刷してあった。前の職場の近所にもあった洋菓子店だ。しばらく都心にも行っていないな、と思う。

 会話に奇妙な間ができて、「あ、あの」と声を出したのは二人同時だった。おれたちは苦笑した。

「あの、運送屋さん? なんですよね」

 思いがけない問いかけにおれは一瞬、言葉に詰まって「はい、一応」と答えた。考えてみれば作業着の胸元には社名の刺繍が入っている。唐突というわけでもない。

「おれはちっちゃいトラックしか乗れないですけどね」

 彼女はちらりと自分のクーペの方に目をやった。

「聞きたいんですけど、車を運んでもらうのって結構お金がかかるんですか?」

 おれは首を傾げる。

「どうだろうなあ。うちの会社はガスボンベとかそんなのが専門だから」

「そうですかぁ」と彼女は少し声を沈ませた。

 職場のメンバーが何人か思い浮かんだ。営業所には元々よそで運送業に携わってきた転職組も多い。

「おれはよくわかんないですけど、会社に知ってる人がいるかもしれないから聞いてみましょうか?」

「せっかくなのでお願いできたら」

「運びたいのってあの?」

 おれは駐車場のクーペを振り返った。彼女は「はい」と小さくうなずく。

「何かわかったらどうすればいいですか? スマホでメッセージ送るとか?」

「電話でもいいですか?」

 女がスマートフォンを取り出した。無防備すぎる気がしておれは少しうろたえたが、それだけ困っているのかもしれない。教えられた番号を押し、女のスマートフォンに着信を残した。

「そういや、名前を知らないんだった。向井といいます。ここの402号室」

 おれは自分から名乗った。彼女も特に警戒する様子もなく「鮎川です。203号室です」と答えた。そして、あらためてお互いに少し大げさな会釈をした。

「すみません。ヘンなお願いで」

 いっしょに階段を昇りながら彼女はまた頭を下げた。

「届け先を言っていませんでした。青森県なんですけど、自分で運転していくのはちょっと自信がなくて――」

そんな言葉をつけ足すと、彼女は2階の共用廊下を歩いていった。


 自分の部屋に入って、キッチンのカウンターに買ってきた酒や総菜を並べた。受け取った手提げ袋には生菓子の箱が入っていた。小さな冷蔵庫の中身を押しのけるようにスペースを空けて、そこにしまった。

 スマートフォンが胸ポケットで振動した。はっとしたがさっきの彼女がすぐに連絡をしてくる理由もないだろう。

 画面には美咲の名前が表示されていた。

 あいつにしては時間が早い。そう思いながらアプリを開く。

 美咲のメッセージは短かった。おれには怒っているように見えた。

 ――ぜったい連絡ください。

 そして次のひと言で、今回は彼女を無視するわけにいかなくなった。

 ――加賀くんが亡くなりました。

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