恋という名の希求

@NataaNichizyo

全章

(1)

「恋がしたい。」

彼女は強い表情をしてそういった。軽くいったつもりかもしれないがかなり切実な思いが出ていた。


彼女は生まれつき目が見えない。先行きを心配して母は彼女を厳しく育てた。自分と父が先に死ぬだろうことは確実なのでそのあとは自力で行けていけるように深い愛情を込めて厳しく教育した。

教育は学問だけでなく日常に関わること全てに教えようとした。まだ幼い頃から登校するときに自分でいけるようにした。最初は付き添いながら、途中とちゅうの危険そうな場所を伝え次からは一人でここを歩くんだよと緊張感を持たせるように話した。幼いながらも彼女はその意図を汲み取って甘えることなく真剣に聞いた。

彼女はそもそも聡明だったのだろう。健常であれば難なく学業を進めることができただろう。ただ聡明さはハンディキャップが完全に抑えることはできないことを彼女は証明している。学業と常識の範囲で彼女はとても真面目で優秀で思考の表明が明確に行えた。

私がインタビューをするときも、こちらの意図をできるだけ正確に読み取ろうとして注意深く聞き耳を立てた。その中で自分の主張を言いすぎないように聞くときはちゃんと聞き、発言するときはしっかり話し、なんというコミュニケーション能力の高い人だと思ったことだろう。

時々、私の質問の趣旨がブレることがあって、その際は質問の意図を正しく理解しようと問うこともあった。私の方が緊張して話す内容の正確さに気が行ってしまって口ごもることがあったくらいだ。話し言葉は話す途中でうまく誤魔化しながら意図を修正していくことが可能だ。私もその頃はもうペーペーではなかったのでそのくらいのテクニックは持っていたつもりだ。しかしそんな小手先の技を使わせないほどに彼女の真剣さはこちらの心に響いた。それゆえに会話は引き締まり濃密なものとなった。話すことがあれほど頭頂に血を集結させ熱くさせるということはしばらくなかった。中学生の頃に集中して数学を学んだとき以来かもしれない。そのときは頭から湯気が出るくらいだった。友人は本当にそう言っていた。今はもうそんなことはないだろうが髪の毛の何本かは確実に抜け落ちるくらい集中度は高かったと思う。


(2)

その人は私に問いかけるときに、最初は、リラックスしてもらおうという配慮だと思うが、極めて普通に、健常者にインタビューをするのと別に違うことはないよという発話が見え見えだった。通常私はこういうとき、逆手をとってそれを私のアドバンテージにしようとする。それは自分に与えられた特権のようにも思うからだ。置かれた環境は有効に使ったほうがいい。これは甘えではない。いわゆるクレバーな処世術なのだと母は教えてくれた。学問だけでなくこのような身の処し方も教えてくれたことに母にはとても感謝している。母は厳しく私にあたろうとしていたが、そこには私のことを真から慮って、底には深い愛情があることはひしひしとわかった。最初それがなんという感情なのか、表現する言葉があるのかどうかも知らなかったが、成長して多少の言葉を知ったとき、愛という言葉が一番近いのではないかと理解した。愛にはさまざまな形態があることはもはや今ではわかっている。愛という言葉が占める大きな意味が母のその行為だということが今ではわかる。

インタビュわーは、私と会話を交わすにつれ、少し緊張してきたみたいだ。最初私の境遇を気にするしていないふりをして始めたものの、次のフェーズではそれを隠すことができず悪気はないだろうが露骨に出してきた。しかしその次の最後のフェーズでは、ハンディキャップについて本当に意識せずに話をしているように見えた。見えたというのは感じたということだが。

この人は普段はこんなに熱く、汗くさいくらいに、たどたどしくも真意を伝えようとする真面目な人なんだろうかと思った。私の直感が正しければ彼の真摯な姿勢は私にも十分伝わった。

人は視覚による情報取得が90%だと言われている。それ以外の情報は伝えるための役目を果たしていないと。ルッキズムとかいう言葉もある。しかし私にはその情報把握手段がない。だからこそ他の感覚取得の手段は研ぎ澄まされて健常者とは比べ物にならないくらい性能が良いものになっていると自負している。そしてそれを相手の立場を考えずにひけらかすことが自分にとってメリットはないことも知っている。全てのハンディキャップを持っている人がそうかどうかは正直わからない。どんな境遇の人間だって、同じ境遇の中にいるからと言って皆同じわけではない。それに境遇というのは全てが同じ領分と重きを持っているわけではなく、その広狭、軽重でさまさまなものがある。つまり境遇は一見同じように見えて実はそれぞれ違うのだ。サラリーマンは皆同じというわけではないというのは誰だって一緒なのだ。人によって思考や振る舞いは違う。

自分の特性のため、私は世間とは違う学校に通ったが、旧友でも話が通じないことはあった。興味を持っている領域が違うことも多かった。普通の生徒や学生のようにK-POPが好きな娘はいたしそれはおかしなことではない。だってそういう年頃なんだから。逆に違うことのほうが奇妙だ。中には偶然を装って体を触ってくる男子もいた。彼も同じ境遇なのに、それを利用してやってくるのだ。私は私で、同じ境遇だからと言っておかしなこととそうでないことの区別がつくくらいには知恵はあったのでそんなときは毅然として振る舞った。大きな声で、これは自衛手段でもあるのだが、周りに聞こえるように振る舞った。中には偶然触れてしまったということもあるだろうが、その区別もわかった。それは普通の人も同じだろうと思う。直接的にセンサが得る情報は単に末梢神経が処理するだけでなく一旦大脳皮質に送られて総合的な判断が冴えるのだ。明らかに下心があるものを除いて。

インタビュワーの彼にはここまでくらいは話した。これは彼の真摯さに対する私のアンサーでもあった。あなたの熱心さは私にも伝わっていてだからあけすけに話すところもあるんだよ、という、これも胸筋を開く、開かせる手段だ。

そうやって彼から得られる私のメリットはなんだろう。私の思考には直感というか第六感のようなものもあって、すぐさま明文化するできるものだけではなく、きっとその先に良さげなものがありそうだという予見もできる。まあ外れることもあるがこの時は有望だったということだろう。私もご要望に応じて対峙した。


(3)

彼女はかなり胸襟を開いて接してくれたと思う。日常のエピソードなどデリケートなところも話してくれたと思う。

話してくれた内容からは、けっこう普通の人なんだということがわかった。そうでありながら、マジョリティから少しブレたところが彼女にもあって、それが面白いエピソードを生じさせるということだ。インタビューの醍醐味はそこにあってそこが面白いのだ。普通の人が普通のことを話すのを聞いてもなんら面白いことはない。そしてブレるところがあるのは彼女だけでなく誰も同じ、そこを引き出すのが上手い聞き手というものだろう。今回どれだけできたかわからないがかなりいいせん言ったんじゃないか。かなりあけすけに話してくれたように思う。

彼女の家庭は決して裕福ではなく、むしろ少しても裕福ではなく、彼女のような特別人間がいたとしてもそのために金や手間を費やすことは許されなかった。だからこその彼女の母は彼女を厳しく育てたということがあるだろう。一生近くに面倒を見てくれる人がいるなどという大金持ちなら、彼女を甘やかせて、資産家であるなしに関係なく、結局はそれは彼女のためにはならないことになるのだが、限られた環境に閉じ込めることになっただろう。

幸いなことにというのは逆説的な言い方だが、彼女の家庭は彼女の聡明さを育て活かすことにつながったといえよう。そうでなければ彼女の聡明さは次第に廃退し存在価値を失っていたことだろう。正直なところ、彼女のその聡明さが、直接的には興味深いものではあるものの、社会にどのように役に立つのかはわからない。そんなことは考えないのがルポルタージュなんだろうとはいえるが、興味を持つ人が読むのであってその人がなぜ興味を持つのかは書き手には知り得ないところという割り切り方もできる。書き手の興味のおもむくまま、こんな人がいましたよ、私も興味があったので取材しましたよというのでもいいのかもしれない。ある意味その時だけの、無責任な姿勢。きっかけにして生涯向き合うことをしない。他に興味が移ることはあっても絶対忘れな姿勢。そんなものは私にはまだなかった。そういう意味では手練は覚えたがそこまでの覚悟を持っていない若造だったのだろう。


(4)

彼にはどんなことを話しただろう。結構長い時間だったし日を重ねて話もしたので内容の細部を詳しく覚えていない。インタビューの結果がもし世に出るようなら原稿を読ませてもらうことは当然言ってある。それが契約条項だ。

話したことの中に似た境遇の人についての思いも聞かれた記憶はある。

得た知識の中で、いろんな人の物語があった。

私は幼い頃読んだヘレンケラーだって、中学生の頃に聴いたスティービーワンダーだって知っている。高校生の頃に少し背伸びして読んだ大江健三郎が、こちらは知的障害だったと思うが、その息子の話だって知っている。盲目のピアニストも知っている、なんという名前だったかは忘れたが。

彼らの父母や養育者が自分の死後に、彼らが生きていけるように努力していることも少し知っている。そのような人の中に私の父母もいるのだとわかっている。健常者の子供の父母もそうだろうがより一層思いが強いことを知っている。

しかし私は思う。彼らはみんな彼らの父母の努力もあって少し有名になったから世間に知られているのであって、そうでない盲目の人もいっぱいいる。そちらのほうが多い。有名人ばかり世の中に蔓延っていたら気苦しい世界になってしまう。なんてことない人たちばかりだから気楽に生きていけるのだ。ちょっとスーパーに買い物に行ってこようかしらなんてことができるのだ。

そういう特別なことはないことも彼には話した。


(5)

【思春期になって母親が父親の性器を触らせるエピソード。】

ちょっとデリケートな話をしよう。正直これは彼にはその時話せなかった。いろいろな意味で彼がどんな人なのかがわからなかったから。

私が思春期になって、世の中の女子と同様に性教育を受ける年頃になると、学校で教わる以上のことを母はなんとか私に教えようと努力してくれた。それは私の体とか人生を防衛するために重要なことだった。無知や強制が女性を悲惨な目に合わせることは私たちにはより一層わかっていないといけないことだ。

そのような教育はだいたい視覚で与えられるものだ。最大でも視覚を翻訳した聞く情報だ。中には模型を使って教える授業もあるだろう。私の頃にはなかった。そんな教材がなかった。

母は悩んだ挙句、父親の体を使って教えた。だいたいの知識は知っているので最後のトドメくらいの思いで伝えたかったんだと思う。

ある夜、夕食をとって入浴後に母親に茶の間に呼び出された。そこには父もいて何やら神妙な面持ちが漂っていた。言葉を発したのは母だけで私の体を触ってくるのも母だった。

女の子は大きくなると胸が膨らんで初潮があってというところから切り出したので、ああそういう話なんだなということはすぐ理解した。でも父がそこにいることが少し恥ずかしかった。学校でもその頃は女子と男子を分けて教えた時代だった。

口ごもりつつ、母は、それがどんなものかを私に触らせて教えた。つまり父の性器だ。父は唸るくらいはしたかもしれないが終始黙っていた。少し泣いているような感じもした。男の人はね、という話を母は続けて話していった。

その時の母と、今は泣き大好きな父に私はとても感謝している。それは大事なだいじな教育だった。私にとっては特にとてもだいじな教育だった。思い出してもありがとうと言いたい気持ちでいっぱいだ。

以前読んだ富岡多恵子のエッセイで、知的障害を持つ息子にダッチワイフを買い与えた母親をその夫が強く殴打したという話があった。その是非は私にも判断がつかない。長期的視点で見たら意義のあることだったかもしれない。そのエッセイはその人形を作る人たちにスポットを与えたものだったように思うが、私はそれをあてがわれた息子さんのほうに関心を持った。知的障害者とはいえ彼はどんな気持ちを抱いただろう。動物的な快楽の獲得だろうか、それとも禁忌の感情だろうか。母親の気持ちはどんなものだっただろうか。不憫な思いにいたたまれずとった行動だろうか。父親の感情はどうだろうか。母親のそのような短絡的な行動に憤慨しただろうか。そんなことをしなくても俺が責任を持つという堅持だったろうか。センチメンタルな受け取り方をすればいくらでもできるか、それぞれに思いを馳せるととてつもなく深い人間の行動の原点が見えてくる。

高校を卒業してから父が事故で死んだ。衰弱死なら忌の際にそれまでの感謝を伝えることができたものの横死ではそれも叶わなかった。私は静かに泣いた。杖を掴んだ手に涙がいっぱい溜まった。なかなか乾かなかった。


(6)

ついでにその後の話もしよう。

だいぶ大人になって、私の体の特性上、読むことのできない漫画について知ることになったエピソードだ。漫画という文化があって、それがどんなものかは知識として知っていたが、映画ほどには私たちに伝える方策はあまり取られていなかった。何せ世には漫画が溢れている。本屋は漫画本屋というくらいに大きなエリアを占めている(らしい)。

情報を伝える手段としてなら、何も漫画でなくていいし、そうでなくてもスポーツ物の感動は味わえる。漫画を原作にしたアニメは音声がついているのでそれでも内容は知ることができる。

ある時期に私には悪い友達がいた。不良ということではなく、健常者だが、私を神聖な者としては扱わない友人だった。世の中の清濁を区別せずに話してくれる友達だった。どうもきっかけを覚えていないのだが、気づくと彼女の部屋で一緒にコーヒーを飲んだりしていた。友人は女性だ。ちゃんと訊いたことはないがたぶん同じ歳か少し歳上だった。お姉さん的な思いもあって付き合ってくれていたかもしれない。

清濁と書いたが、それは若い年頃の女性が興味を持つ領域にも当然及んだ。視覚以外の感覚が先鋭になっている私にはそれまで知らないことが多すぎてとても興奮した。

漫画には過激で不道徳で現実世界では到底受け入れらない鬼畜なものがあって、そのネームを知ることで頭が爆発するくらいの経験だった。もしかしたら鼻血が出たかもしれない。覚えてないが。そんな自分に後ろめたい思いも持ちながら昂る感情が抑えられなかった。

それはそれまでなんとなく知っていたポルノをはるかに凌駕するもので今まで学んだその手の知識が江戸時代の春画(見たことはないが)とか昭和時代のエログロ写真とか(これも見たことはないが)程度のものでなんら興味が持てないものだったものとは大きく違っていた。人間の本質的な行動には際限がなく、健常者はここまで突き進めている、ある意味求道者なのだということを知った。脳天が雷を受けたみたいだった。私が健常な体だったらこんなことは容易に知り得ただろうか。そしてそれに刺激を受けてその後の人生を変える可能性を持っただろうか。

私は目が見えないからこそとても興奮した。実は私は普通の人となんら変わりなく、人とは違う不感症気味の人などではなく、歳相応に(相応とはいえないかもしれないけど)大胆かつエロい(という言い方は合っているいるだろうか)人間であることが嬉しかった。私にも性に関してこんなに興奮することがあるのだということが嬉しかった。生きている感じがした。

事細かに説明してくれる(口述してくれる)友達に感謝している。だからと言って彼女に恋愛感情を抱くことはなかったがとてもかけがえのない人になってしまった。世間に対して、それが知られたら恥ずかしい思いをすることを共有できる人がいることはとても貴重なことだ。ある意味親友と言ってもいいかもしれない。こんなことをするのが親友というのはちょっと違うかもしれないが。


(7)

そんな経験をしたからこそ、私は恋をしたいのだ。いろんなことをしてみたい。大袈裟にいえば一種の自分の可能性というか、そんなものがあるのか発見したい。誰もが全部のことを経験することはできないことは私だって知っている。しかしそこにそんなものがあることを知っていることは悪いことではない。自分の良いことのためにだけでなく、自分にとって危険なことを防ぐためにも。

思春期の頃の父と母には感謝している。あんなに愛情を持って接してくれたことには頭を深く下げるしかない。しかし世の中にはあなたたちが教えることのできない、たぶん知らないことがいっぱいあるのだ。私はもうあなたたちの手から飛び出している。多くの親子がそうであるように、現在により近い時代をコアな年代として生きている者として、もう自立してあなたたちの想像外のところにいる。ありがとうそしてさようなら。


(8)

彼女から聞いたことはそのうちまとめるつもりだ。多くの興味深い話がきけた。

しかし、ほんの少しだが、彼女はまだ出し惜しみをしている印象がある。

長いことこの仕事に携わっている者としての直感だが、もっと聞き出す余地があるように思う。そのためにはもっと親近感を得る必要がある。これは聞くものと聞かれるものが歳の近い男女だとデリケートなものになる心配がある。クリニックに通う患者がホスピタリティの良い精神医に勘違いした感情を抱いてしまうみたいに。互いの間には礼節を持った距離があることを意識しながら臨む必要がある。距離を保ったまま親近感を深めるのはなかなか難しい。

今後どれたけ聞く機会があるかわからないがチャレンジしたいところだ。そしてその時、今回から時間が進んだその時、変化が彼女にあったかどうかもとても知りたいところだ。


(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋という名の希求 @NataaNichizyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ