第1章
人は生まれながらにして平等ではない。
誰もが生まれた時から、それぞれの「ギフト」をもっている。
そして、その逆も然り。
それぞれが、何かしら「負」をもっている。
そして僕は、それがあまりにも大きすぎた。他人とのかかわりを断ってしまうほどに。生きていたくないと願ってしまうほどに。
人生を、狂わせるほどに。
――僕、高野涼太は、『日食病』を抱えてこの世に生まれた。
◇ ◇ ◇
『日食病』――それは、日の光に当たることで痣を発現させ、死に至らしめる病。
そして、僕の心を殺した病。
それは中学生の時のことだった。
炎天下で行われた体育祭。
おそらく、リレーか何かだった。
中学生らしく、一心不乱に駆けていた。
ゴールテープが体に触れようとしていたとき。
視界が暗転した。
◇ ◇ ◇
――この世界は何もかもが灰色だ。
僕は、誰からも認めてもらえない人間だ。
高校の同級生は、『日食病』の僕を異質なものと思って嫌悪している。
そう、この人生に楽しいことなんて何一つない。
今を楽しむ同級生を冷めた目で見ているうちに、僕は、生きる理由を見失った。
日中は外に出られないから、僕は夜が好きだ。
学校が終わって日が沈むと、ランニングをするのが僕の唯一の日課だ。
そして今日も、月が照らす道を進んでいく。山をぐるりと回って最後に浜辺を通る、5キロほどのコースだ。
慣れた道を迷うことなく、導かれるように走る。流れる汗が、一滴一滴アスファルトに染みていく。
砂浜にたどり着いたところで、ペースを落とした。
この砂浜を走り切ったら、今日はもう終わりだ。
砂浜に入ると、足にアスファルトとは違う感覚が伝わる。なんだか歓迎されているようだ。
心を落ち着かせる波の音。それを聞きながら砂浜を進んでいると。
――少し先に、《《なにか》》が倒れているのが見えた。
「なんだ、あれ……?」
少しずつ近づいていく。白っぽくて、丸いもの。
人間ほどの大きさがあるそれは――人間だった。
◇ ◇ ◇
スッと通ったその瞼が、わずかに開かれる。
「ん……」
月が眩しいのか、焦点が合っていないようだ。
「大凪さん、大丈夫……!?」
「…え?」
「僕だよ、同じクラスの高野涼太!大凪さん、独りで砂浜に倒れてたんだよ、怪我もしてるみたいだし!」
仄暗いその瞳が、大きく見開かれる。
「え、どっ、どうしてここに…」
それは同級生がここにいることに対する疑問なのか、それとも彼女自身がここにいることに対する疑問か。はたまた、僕が助けたことを訝しんでいるのか。クラスでは挙手もしなければ発言もしない空気同然の存在だし、彼女と話したのも一、二回だから、そう思うのも当然か……。
などと、斜め下の方に思考を進めていた僕は、いきなり右手を掴まれて、目の前のことに引き戻される。
「あ、ありがとうございます、すみませんっ」
彼女は何故か、そう謝った。別に、怪我人を運んで寝かせてあげただけだというのに。
それが彼女の人付き合いのなさからきているということが、僕には分からなかった。
「いや、大したことはしてないよ。驚いてて気が回らなかったけど、どこか痛いところを触ってなかった? 今痛いところはない?」
「はい。……大丈夫、です」
「そっか」
とりあえず、彼女の無事は確認できた。
でも一つ、大きな気掛かりがある。
――彼女の肌を覆っていた、あの黒い痣。今はもうほとんど引いているようで、頬に少し残っているくらいだ。
それでも、僕としてはやはり放っておけない。あの黒い痣は、僕の「日食病」とひどく似ていた。彼女もあまり事情を聞かれたくないのだろうけど、胸の内で燻っている気持ちを抑えることはできなかった。
「それで、その……黒い、痣は」
僕の手を握りしめていた両手が、開かれる。その手からは、人肌の温もりというものが一切感じられなかった。
彼女は俯いて、自分の手に目を落としていた。その様子はどこか神秘的で、儚げで、僕の目を引き付けて離さなかった。
「こっ、これは……、えっと」
眉が少し寄って、困っているような、焦っているような顔になっている。
やはり、触れられたくないことだったのだろうか。再び口を開くことはなさそうだ。悪いことをしたな、と思いつつ、立ち上がる。
「もう遅いから、気をつけて帰ってね。じゃあ」
そう言って、何事もなかったかのように立ち去ろうと背を向けたようとしたとき。
「待って!」
切羽詰まった声に引き止められ、動きを止める。まだ何か、あるのだろうか。
「私の話を、聞いてくれますか?」
思わず目を見開く。しばしの硬直の後、再び彼女と向き合い、ストンと膝を落とす。
「何?」
彼女は僕と目を合わせ、一瞬迷うような表情をして、口を開いた。
「私は……」
彼女を思いとどまらせる何かがあるのだろうか。その呟きは、波の響きにかき消されそうなほどにか細いものだった。
「いいよ、ゆっくりで」
そう声をかけた。彼女との勇気を振り絞って話そうとしているのなら、僕にはそれを聞く義務があるだろう。
すると、何か決意をしたかのように、グッと口を固め、言ったのだった。
「私は、月の光に当たれないんです」
◇ ◇ ◇
息を呑んだ。
――月の光に当たれない? 月の光に、当たれない?
脳が理解を受け入れていなかった。しばらくの間、呼吸することさえも放棄していた。
その言葉が、脳内で数回繰り返された後、ようやく頭が動き始めた。
信じられない。「月の光に当たれない」なんて、そんなことがあるのか? あったとしても、何故? それに、あの黒い痣。思い出されるのは「日食病」だ。
困惑と驚きが入り混じった意識を差し置いて、気づけばこう口にしていた。
「どうして……」
それは様々な解釈ができる言葉で、彼女はおそらく、僕とは違う捉え方をしてしまった。
「分かりません。ただ一つわかるのは、月の光に当たると黒い痣が現れて、死に近づいていくということだけ……」
僕はそこで口を挟まず、彼女が語るのをただ聞く。
「初めて症状が出たのは、中学生の時でした。帰りが遅くなったある日、家まで一人で歩いていたら突然、体が激しく痛んでその場に倒れ込みました。そこからどうなったのかは覚えていなくて、目が覚めたら病院のベッドで寝かされていました。そして、私に駆け寄ってきた母から知らされたんです。
――あなたはもう、月の光に当たることができないそうよ……。
あのときの母の悲壮な表情を、今でも覚えています」
その両手が強く握りしめられる。一呼吸おいて、彼女はなおも語り続ける。
「症状が落ち着いて退院した後は、ほとんど元の生活に戻りました。日が落ちる前に家に帰ればいいので、学校から帰る時間が早くなったのと、夜に外に出られなくなったこと以外、変化はありませんでした。もちろん、学校生活にも」
そこで話を区切り、フイと顔を海に向けて言う。
「だから私の病気は、両親と一人の友達しか知りません。同じクラスの子にも、先生にも伝えていません。ガラスのように扱われるのが嫌で、腫れ物扱いされるのが怖くて……。でも」
顔を僕に戻し、胸に手を当てる。
「高野君の病気を学校で知らされたときに、打ち明けてしまいたいと思う自分もいました。高野君は、私なんかよりもっとつらい生活をしているのに、自分を憐れむことなく生きている。だけど、私は弱かった。自分の殻に閉じこもって、他人と自分との間に線を引いた。いつまでも『月食病』を、誰にも打ち明けられずにいる……」
「でも」
考えるより先に、口にしていた。自分を否定し続ける彼女を肯定してあげたくなった。
「でも、大凪さんはこうして僕に話してくれた。ただの同級生の僕に。それに、僕だって最初は病気のことで塞ぎ込んでいたんだ。これからどうしたらいいんだろうって、抜け出せない闇の中で、立ち止まっていた。生きる意味なんてものは、いつの間にかなくなっていた。だけど」
だけど。
「この人生を、諦めきれなかった。いつか、『日食病』を忘れてしまえるほどに、一緒にいたいと思わせてくれる誰かに出会えるんじゃないかって」
そう思うのは、思ってしまったのは、きっと僕が弱いからだ。「日食病」が僕の心を巣食っていても、他人から関わりを絶たれても、誰もが僕を認めてくれなくても。この心の叫びが聞こえてしまう。
――死にたくない。生きていたい。
「どんなに辛くたって、『日食病』には負けたくないんだ。この病気に、僕の人生を狂わせられたくないんだ」
『日食病』が理由で、これからも灰色のつまらない人生なんて、嫌だ。
「だから、大凪さんにも、『月食病』なんかに負けてほしくない」
「……」
彼女はぽかんと口を開けて、やがて困ったような顔になった。
「……はい」
月の光さえも届かない暗闇の中で、彼女の口元が緩んでいるのがはっきりとわかったのはなぜだろうか。
「ところでさ」
伝えたいことは伝えられたが、さっきからずっと気になっていたことが一つあった。
「どうして砂浜なんかにいたの?」
純粋な疑問だ。彼女は、月の光があるこの夜に、危険だと知っていながら外に出たことになる。
「今日が満月だったからですよ」
僕から目をそらし、どこか恥ずかしげな声で答えた。
「今日が満月だって、テレビで見たんです。私の部屋はカーテンで光が入らないようにしてありますが、それでも光が見え隠れするんです。久々に月を見たくて、最近は症状も出てないから大丈夫、と外に出てしまいました……」
どうやら彼女には、少々抜けてるところがあるらしい。でも、確かに今日は、月がきれいだった気もする。暗い海に浮かんだ月が、やけに目立っていた気がしないでもない。
「でも、こうして私は助けてもらえたわけですし」
月の導き、か。全然そんなことはないと思うけど、彼女がそう言うならそれでいい。
「そういえば、まだ名前を言ってませんでした。私は、大凪一花です。同じクラスの」
大凪一花。それがこの、『月食病』の少女の名前だった。
「僕は高野涼太。『日食病』の」
ひと際強い風が僕らの周りをビュウッと吹いて、彼女の髪を揺らした。
「よろしく、大凪さん」
波の音にかき消されないように、彼女へ――否、一花へ、そう返す。
「はい」
その二文字はよどみなく紡がれ、まっすぐに僕の耳へと届いた。
◇ ◇ ◇
静かに揺れる海が、淡く儚い光に照らされていた夜。
――月と太陽は、こうして出会ってしまった。
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