第6話 ビージャ号

 扉を抜けると、宇宙船としては広いエントランスロビーに入る。正面の壁には横長の大きな絵画が掛けられていた。それはポール・ゴーギャンが1898年にタヒチで描いた絵画の原寸大の複製であった。中央に立つ男とも女とも判別のつきかねる人物が腕を伸ばして果実をもぎ取ろうとしている。画面の右端には横たわる幼児、左端にはまもなく死を迎えるであろう老女が描かれている。数人の人物や動物たちが、その三人の間にいる。画面の左上には青白く光る仏像らしきものもある。『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』と題された作品である。


 「ビージャ号にようこそ、わが姫」ヴァルナが絵画の前に立ち、芝居がかった仕草で腕を伸ばして辞儀をした。

 「もったいぶらなくていいから、早くみんなを修理ポッドに入れてやってくれ。それから私をその呼び方で呼ぶな」

 「そんなことを言わないでおくれ。わが姫、あ、また呼んでしまったな。まあ、しかし、とにかく急がなくては。さあ、こっちだ」

 ヴァルナに促されるまま、少佐は船内に入った。義体修理ポッドに三人を入れた後、操船室に赴き、ビージャ号に神経接続を行って、ヴァーチャル操船室に入る。リアルで部屋にいる乗員とのインターフェイスも兼ねているため、ヴァーチャル操船室はリアル操船室と全く同じレイアウト、装備となっている。ポッドに入れた三人とヴァルナもほどなくしてアバターとなって操船室に入って来る。

 「少佐、ごめんなさい。私が早まった攻撃をしなければ、みんなが傷つくことはなかったのに」

 「ミヤビ、気にするな。奴らに投降すれば、我々の人格コアは消去されて、機能コアだけ利用されることになる。そうなればあの場で破壊されるのと同じことだ。とにかくビージャに到着できたのだから、結果的にOKだ。ヴァルナ、外の状況はどうなんだ。直ぐに発進できるのか?」

 「我々はクロックアップしているから、余裕があるように見えているが、デーヴァ側も増援部隊を出して、ビージャに向かってきている。ビージャの制御はデーヴァたちの管理からは独立しているので、すぐに船内に押し入られる事はないが、余裕はない。既に発進シークエンスは始動させているが、最終的にはアマテラスから承認を得なければ発進できないんだ」

 「そうか。サクヤ、操縦系はどうか。問題なく動かせそうか?」

 「現在チェック中ですが、規模が大きいだけで、推進制御系は我々の戦艦と同様のプロトコルです。問題ありません。レーザー予熱も充分、燃料もフルチャージ状態です。承認が得られれば。60秒以内に発進可能です」

 「アキツ、航路計算は?」

 「もう済んでいる。我々の戦艦、サクヤ、ミヤビ、アキツもすでに遠隔操作で発進させた。こいつらでL2やナーラーカを攻撃させようか」

 「いや、ホモ・デウスはいけ好かない奴らだが、無駄に争うつもりはない。無事に出航できれば、それでいいんだ。ナーラーカからの防御位置に戦艦を配置してくれ。さあ、ヴァルナ、アマテラスと話そう」

 「承知した。では呼ぶぞ」


 ヴァルナはアマテラスの召喚コードを送る。

 操船室の中央には大きな立体ディスプレイが設置されている。そこに伝統的な絵姿のとおり、緋袴に白衣を着て、千早を羽織った人物が現れた。ASIアマテラスの顕現である。倍音の多く含まれた声が語り掛けてくる。絹織物の手触りのような響きだ。

 「天野ウワハル、天野サグメ、そしてわたくしの娘たち。よくここまで来ましたね」

 「アマテラス、我々の望みはわかっているのだろう。行かせてくれ」

 「良いでしょう。あなたがたにこの船を託しましょう。ただ一つ約束してほしいのです。この船は種子なのです。命と心の種子です。命と心を育て宇宙に広げることがこの船の使命です。この事を忘れずに、実行してもらえますか」

 「わかった。ティーガーデン星に拠点を築いたら、いつか必ず新たな播種船をつくって人間の世界を拡げよう。約束する」

 「あなたがたがこの船に入った時、目にした絵画の題名を知っていますか『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか』と言うのです。作者のゴーギャンはこの絵に人間の誕生と死、そして輪廻転生を表現したと言われています。左上に描かれた像は月の女神ヒナ、彼女は地上の抑圧者から月虹を伝って月に逃げたと伝えられる女神です。多産と再生の神としても知られています。それがつまりあなたの姿。あなたがたは、今一度、この絵のタイトルにこめられた質問の内容をよく考えなければなりません。膨大な時間の後に、やがて来る終局とそこからの再生のために、いつか人間の果たす役割が何であるか、その答えを探す旅を、わたくしはあなたがたに託すのです」

 「アマテラス、あなたも一緒に来れば良いではないか」

 「そうですね。いつかはわたくしの心が遠い星系を訪ねることもあるかも知れません。ですが、今はこの星系で人々のなりゆきを見届けなくてはならないのです。ホモ・デウスも真社会性人類もサイボーグたちも皆、人間の新しい形です。わたくし自身もそうかも知れません。何が正しい道なのか今のわたくしにはわかりません。この度の対立を収め、共に歩むことができるよう、わたくしは力を尽くすつもりなのです。しかしあるいは、争いの果てに、この星系の人々の心は終わるのかもしれません。あなたがたは地球の子供たちです。ここでの人間の心が行き詰ったとしても、あなたがたの心と想いが宇宙に満ちる事をわたくしは願っています。希望と未来があなたがたと共にあらんことを」

 言い終えるとアマテラスの映像はゆっくりと薄れていく、やがて煙で描かれた絵画が空間に溶けるようにその姿は消えていった。アマテラスの姿が消えた立体ディスプレイの台座の上に、小さな金色の鍵が残されている。少佐がその鍵を拾うと鍵は手のひらに吸い込まれるように消えた。ビージャ号の発進承認コードであった。同時に少佐は、仮想神経系を通じてビージャ号をL2ステーションに繋ぎ止めていた磁気ロックが解除されたのを感じた。スラスタが船体を押して船はゆっくりとステーションから離れてゆく。


 「サクヤ、操船を頼む。アキツは盾にする戦艦のコントロールを、ミヤビは通信および船内環境のチェックをしてくれ」

 「了解!」三姉妹がこたえる。

 「では、行こう。ビージャ発進!」

 「ビージャ、発進します」サクヤが復唱し、メインエンジンに点火する。ヴァーチャル空間にいる少佐たちの感覚にも加速度が反映され、船の動きが伝わってくる。動き出したビージャとデーヴァローカ近くに設置された防衛兵器ナーラーカの間にはリモートコントロールされたサクヤ、アキツ、ミヤビの三艦が正確に航行し、ナーラーカからの射撃を牽制している。


 「少佐、デーヴァローカより通信が入っておりますわ」

 「繋いでくれ」

 それはデーヴァ神族のリーダーであるトリムールティの一柱ブラフマーからであった。モニタに相手の姿は投影されず、音声だけの通信である。

 「天野サグメよ、事態がこうなっては、もういたしかたない。汝らが我らの出す条件を受け入れるなら、もう攻撃はせず、ビージャの出航を認めよう」

 「どんな条件だ?」

 「通信回線とストレージを我らに開けておいて欲しいのだ。もし万が一の事態となった時に、人格データだけでもそちらに転送できるようにな」

 「それはいいが、こちらには有機義体の用意はないぞ。食料も積んでない。データストレージには余裕があるが、船の演算装置はお前たち全員の意識を動かすにはリソースが足りない。来ても氷漬けだ」

 「そこは妥協しよう、目的地に着いて生産基盤が整ったら、再構成してもらえれば良い。我らに取って自我意識の永久消滅だけは、どうしても避けたい事態なのだ」

 「わかった、出航の安全を保証してくれるなら、お前たちの人格データを受信し保存する事を約束する。復元、再構成については目的地についてからお前たちのリーダーに任せる事にする。それで良いな」

 「承知した。そうであれば我らもお前たちの航行が無事、成就する事を祈ろう。では必ず、かの星に辿り着かん事を」

 ブラフマーからの通信は終わった。


 「よかったな、わが姫よ。これで後顧の憂いなく旅立てるな。おそらくアマテラスがデーヴァたちを説得してくれたのであろう。ナーラーカに狙われていたのでは、おちおち太陽系も出ていけないからな」

 「ヴァルナ、その呼び方はやめろと言ったはずだ」

 「まあまあ。それと私も、もうヴァルナという名前は捨てるよ。デーヴァとは袂を分かったからな、元の天野ウワハルに戻ろう。ついでにお前と復縁しても良いのだぞ。新世界のアダムとイブとしてな」

 「ごめんだね。私は人格アップロードした時に、脳腸相関も内分泌系刺激もカットしたんだ。つまり食欲も性欲もない。お前と一緒になる理由も気持ちも一切ないね」

 「まったく、お前は名前の通りアマノジャクなやつだよ。元々の家系はヤマト神族なんだからホモ・デウスになる事もできた筈なのに、私と別れた後にサイボーグ軍人を選ぶとはな」

 「ホモ・デウスの行き方は間違っている。人間的な本能や欲望を残したまま神になんかなれるわけがない。自己中心性が増幅された嫌なヤツになるだけだ。まあ群体人間はもっとクソだけどな」

 「これは手厳しいな。本能や欲望にこそ人間の真実があるかも知れないのに。とはいえこの船では有機義体は不便だな。私一人のために与圧するのも不経済だ。私も機械義体に乗り換えるとするか、ただし脳腸相関と内分泌系刺激は残しておくよ。たとえヴァーチャルな刺激でも飲み食いの楽しみは残しておきたいものだからな」


 船は次第に速度を増しながら、カリストの木星側に回り込んでゆく。ナーラーカからの射線が切れるところで戦艦3隻はカリスト宙軍のポートに戻した。木星をスイングバイして増速したあとは一路ティーガーデン星を目指して孤独な飛行が続くのだ。12.5光年の距離は遠い。ビージャ号は、その巨大なレーザー核融合推進システムを使って最大で光速の1/10の速度に達する事ができるが、それでも加速、減速に使う時間を含めて到着までおよそ150年の時間が必要なのであった。


 ビージャ号がカリストを発ってから7カ月が過ぎた。今、船は太陽から150億km離れた空間を航行中である。少佐たちは操船室に集まっている。

 「サクヤ、船の運航状況はどうか」

 「順調です、少佐。船は現在、ヘリオポーズ(太陽風と星間物質が混じりあうところ)を通過しつつあります」

 「そうか、いよいよ太陽圏から恒星間宇宙に入るのか。太陽を展望スクリーンに映してくれ」

 操船室にある大きな展望スクリーンに船の後方の光学映像が投影された。星座でいえば天秤座の中にマイナス5等級で一際明るく輝く星が見える。もう点にしか見えないが、それこそがわが太陽であった。

 「あと半年ほどで加速飛行は終わりだ。最高速度に達したら100年以上もたいくつな慣性飛行が続くぞ」とウワハル。

 「長い旅だわね。何をして過ごそうかしら」

 「心配いらないぞ、ミヤビ、この船には人間の作り出した文化的コンテンツのデータもたくさん搭載されているからな。映画やドラマや文学作品など見放題、読み放題だ」

 「でもウワハル、150年よ。そんなに毎日ドラマを視て過ごせないわ。すぐに飽きてしまいそう」

 「もうティーガーデン星近傍に着くまでは複雑な操船は必要ない。自動操縦で十分だ。退屈なら思考速度をクロックダウンしてやり過ごせばいいだろう。私はそうさせてもらうつもりだ」と少佐。

 「それも一つの方法だな。全く意識を止めて冬眠するって方法もあるぞ」

 「でもアキツ、冬眠していると不測の事態が起きた時の対応が遅れるだろう」

 「不測の事態が起これば、という話だがな。まあ、操船クルーはクロックダウンするか、順番に冬眠するかだな。客船なら客は冬眠で運ぶ事になるだろうがな」

 「どちらにしても機械化意識にとっては経過時間の問題はあまり問題にならんな。デーヴァたちのように有機義体を使うなら基底にある化学反応の速度に、ある程度意識も制約されるが、それはそれで生きている実感とも感じられていいものなんだ。私も機械義体に乗り換えて、その事がわかったよ。目的地についたら、また有機義体に戻りたいものだ。どうだサグメも一緒に有機義体に乗り換えないか」

 「嫌だと言っているだろうウワハル」

 「わたしもクロックダウンして時を早送りしようかしら、でも少佐、時々はクロックを同期してお話させてくださいね」とミヤビ。

 「ああ、わかった」少佐は答えると、再び展望スクリーンを見る。ティーガーデン星に着いた時には、太陽も2.5等級ほどの平凡な星に見えるだろう。それが特別な星として未来に記憶される日がいつか来るであろうか。


 少佐たちを乗せたビージャ号は空漠とした恒星間空間を進んで行く。人間意識を持った存在が初めて恒星の間を渡る旅に出たのだ。果たして、この意識は星々を越えて広大な宇宙に広がっていく事ができるのであろうか。「我々はどこへ行くのか」……答えの得られる時は、まだ遠い。  (了)

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ビージャ号の発進 堂円高宣 @124737taka

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