狛守さんと猫又さん

飾りっ気ない、と出会い頭に言われ紹は目を丸くした。

「猫又さん」

「その山伏衣装はいい加減およしなさいませ。色気が限りなくないですわ」

本来持つ長く尖った爪を隠した猫又の指は、ツン、と紹の袂を摘む。

「これしか、俺が着れそうなものがないんですよ」

困った顔で、しかし笑うほかない紹は眉を下げて笑う。

男の紹が着れるものはこれしか確かになく、後は女性の着物しかなかった。

「着物は着物。男も女も気にしなきゃいいんです」

「気にはしますよ」

束が言うこと猫又の見た目は女で、銀の毛を銀の髪に変え江戸の粋な女性のような髪型にし、着物を着ている。

耳と尾はギンの自慢だからの前に出る時以外、基本的に隠したりはしない。

「ワタシをごらんなさい、奥方様」

その上、“ギン”ほど尾を増やした猫又は姿を変える事は造作もないのか、気分によって完全に女にも男にもなり、時には子供に老人になりと楽しんでいた。

今を持っても紹は本当の性別を知らない。


「猫又さんみたいならそりゃ、ね?」

「つまらないわ。まあ、そもそもが犬神様は男の嫁を迎える時に考えも確認もせず用意し──────」

「黙れ、ギン」


紹を通り越した場所に視線をぶつけながら、何やら暴露しようとした猫又に首をかしげた紹の後ろから、紹の旦那様が現れた。

「色気が無いと思いません事?」

「ふん、お前の言うは下品でならん時がある。私は好かぬ」

ぴしゃりと一刀両断した束にギンは嫌な顔をするが反論しない。どうやら心当たりがあるようだ。

「それに私は紹の魂で妻にしたいと決めたのだ。外見なぞ、どうでも構わん」

臆面なく言う犬に紹が一人で顔を真っ赤にする。

紹は男が好きだとか言う性はないが、男だろう犬神に嫁ぐと知れた時からだからと受け入れた。

そこにきて彼は自分から「束を好きになり、妻になる」と言った上に、束も答えるように諱を教え、を目指すと言う。

そんな変化が生まれてこちら、束は変わらず妻に優しい夫だが、受け取る妻の気持ちの変化が大きいためにこうした言葉に弱くなった。

「紹、顔が赤いな。風邪か?」

「あら、奥方様、犬神様に惚れ直したのかしら?」

「だからお前は黙れ。黙らぬなら黙らせるまでだが?」

何かと利口で束になんて特別に呼ばれる猫又だが、話をややこしくしたりうるさくするのもお手の物で束は睨みつけ、猫又は「にゃん」とひと鳴きして銀の毛並みの猫──尾の数はだけれども──に戻るとさっと駆け逃げていく。

庭に残されたのは夫婦だけだ。


「紹?」

「や、あ、あの、束様が恥ずかしがらず恥ずかしい事を言うものですから、照れて」


はたはたと手で顔を仰ぐ。冬めいた気候で、木々を彩りよく飾っていた葉を落としてきたのに、紹の顔は熱を一向にひかない。

「束様はすごい事を言います」

束は首を傾げた。

「普通、魂を見て妻にすると決めたのだから外見なんてどうでもいい、なんて、言えませんよ」

頬が赤いまま紹は言う。

二人のいる日本庭園に流れる川の音が、束に反応を急かしているようだ。


「ふむ。しかし人には魂が見えぬからな」


仕方あるまい、と真顔──犬の顔だが、これがまた表情が意外と解るのである──で言うから紹はがっくり肩を落とす。

「そうかも知れませんけど、そうではないんです」

「参ったな、私にはそこが難しいようだ。うむ、だからこそ言えるのだろうの」

「はい?」

ざり、と束の草履が地面を擦った。紹の目の前に大きな束が立つ。

「魂は今も見える。神の私にとって、魂が見えるのはごく自然な事だ。だからこの、私の守る場所はいつも平和であろう。猫又もだが魂は清い」

「考えてること、わかるとか、言ったり、しますか?」

「それは別だ。心が読める事はない。それは神の域でもできぬことだ。ただ、私の守るもの守る場所に、それが害をなすかなさないかは、魂で判るものだ」

はあ、と感心しきりの声で返すしかない紹の手を、無骨な束の手が優しく包んだ。

「お前の魂はいつでも、ここを好きになろうとつねに輝いておる。そんな紹、お前とならやはり“素敵な関係”になりたいと自然と思う。その思う気持ちが大きくなるばかりで、小さくなる事が一瞬たりとでない。ただただ大きく膨らむばかりで縮める術を知らぬし、けれど私は知らぬままで良いと思う。これがまたどうして、長く生きてきた私には新鮮でかつ、心地が良い」

束が身を屈めるように紹の首に自身の鼻をつける。ひんやりとしているから、だけではないもので紹の身体がピクリと震えた。

何かが流れ込んできて、紹の、言うなればが震えているのだ。


「紹、お前が愛おしく思う。紹が私を知ろうとし、ここを受け入れ過ごそうとする健気さに、私は確かに惹かれているようであるな。私はお前が愛おしく思うぞ、紹」


途端ガクン、と紹の体が崩れて地べたに座り込みそうになる。しかし一歩手前で束の腕が紹を抱えた。

「私のに当てられたのか。すまぬな。人が相手であると、そうした事があるのを忘れておった」

「き……?」

優しく抱き上げられ、そのまま大きな岩に腰掛けた束の足の上に紹は座らされた。

「私はこれでも神であるからなぁ。その気がお前にはまだ重かったのであろう」

「は、はあ」

「ふむ、これはまた、困った事になるようだ」

「はい?」

するり、と束の指が紹の頬を撫でる。近づくのは犬の顔なのに、その端整──犬の顔に端整な、なんてあるのか紹は知らないけれども──紹はドキドキとした。そのドキドキの出所は、紹でさえ不明だ。兎に角ドキドキと身体中が騒がしい。

そんなドキドキに翻弄される紹の頬を優しく撫でながら、束はふるりと尾を揺らした。

「紹の言う“愛しい妻”へ向ける感情の行き着く先を私は知らぬ。長い事生きてきたのに、私は唯一に向ける唯一の感情を正しく知らぬ。なのに、それなのに今のお前はこの通りだ。私と紹、お前が“素敵な関係”となったその時に、紹を食らう時はこの比ではないであろう。お前を食らう前にお前には、私の気を受け止めるようになってもらわねばならぬな」

「……は?」

「解らぬだろうな。これは一層の事実感してみるのもまた一興。さて──────言ったであろう?お前はうまそうだ、と。このところ、紹を食ろうてみたくて仕方がないわ」

束の口が閉じた瞬間、紹は自分の体を包み込むを感じ、同時に身体の奥の奥、紹も知らない何か大切なものが大きな何かで掴まれたのを感じる。

言葉を発しようにも手を動かそうにも何も出来ず、気を失った紹を抱え、束は笑う。


主人の楽しそうな笑い声に周囲の者たちも幸せそうだ。

この世界は、いや少なくとも、束の守る世界で生きるにとって、束の幸せは全ての幸せ。

名ばかりの神として適当にぞんざいに過ごし、守るべき場所を守らず生きる神もいるのに、束は世界を大切にした。見守り包み込み安息の地にした。

慕う事あれどその逆なんて、ありはしない。

そんな束が楽しそうに笑う。

こんなに楽しそうな声、聞いた事がないのだから誰だって笑顔になる。


「子を宿す定めしかなかった妻たちへも、慈しむ心を持てればよかったのか、すれば妻たちは死ななかったのか。さてはて、私には解らんし、とうの昔の事。今振り返る気にはなれぬ。あまりに昔の事だ。しかしこれからはさて、変われるものだろうか。お前はどう思う、ギン?」


にゃぁと鳴いた銀色の猫は、束の足元で楽しそうに目を細めた。

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