狛守さんとひやおろし
紹と束が暮らす束の縄張り一帯で、一番の博識だと言われる妖は白い烏だ。
だから紹は酒瓶片手に白い彼に聞いてみた。
今までも、壁一つで隔てられた不可思議な世界の疑問は、この白烏に聞けば解り易く簡潔に教えてくれている。
「こういうのって、どこから手に入れているんですか?」
白烏は酒瓶を見つめ鳥居の向こうの街に顔を移す。
「奥方様が今まで出会った妖に限定いたしますと、それこそ、狐や狸の出番でございます」
「は?」
「彼らには化ける事が可能。ご存知ないかと思いますが、それはもう古くから彼らが必要なものを下より調達する役目でございますよ」
へえ、と感心した紹は
「凄いなあ。仕事して、お買い物して、みなさん凄いですね」
と白烏に倣い鳥居の向こうの街を見る。
(あやつらが仕事とは……疑わぬとは、ほんに純じゃな……。今まで最も純な奥方様よ)
そんな一羽と一人を、酒瓶片手に出かけたままの妻を探し出て来た束が見つけ、耳に入る会話に思わず唸った。
彼らは犬神がここを守るからこそ、人間の言うところの物の怪や妖らしい事をする事が出来る。
彼らが紹と話が出来るのも、狸や狐が化ける事が出来るのも、猫又と呼ばれるほど長く生きる化け猫が存在するのも、黒い烏や白い烏──黒い烏とはあの椎茸の彼で、彼は白い烏と対のように存在している──や自然の力を少し借りる事ができることも。またそれらを利用し館を明るく灯し続けたり、風や雨を起こしたりする事が可能なのだって、神と言われる束がここにいるからだ。
そして束がここを守るから、心を闇に囚われた本物の物の怪が現れず人が神隠しに合わずに過ごしていける。
それを知る狐や狸──主に狐の方だが──は人に化け、束や紹の必要なものがあれば失敬してくるのであった。彼らの言い分は
(『護られてるんだから、これくらいなんだってんだよ!』なんて、奥方様に言えるはずもない)
である。
それを感じ取った束も真実は言わずにいようと心に留め、妻の名を呼んだ。
「紹、シロとなんぞ面白い話か?」
束が特別な呼び方をするのは白い烏と黒い烏、そして銀の毛を持つ猫又と金の毛を持つ鼬──紹の知る限り、は──だ。
特別と言っても彼らを彼らの色で呼ぶだけで、けれども紹はいつか自分もそう呼んでみようと密かに考えている。
「狐さんたちや狸さんたちが働き者だったって話ですよ」
「──────もっと面白い話を聞けばよかろうに、何をつまらぬ事を聞いておるのか」
「つまらないと思うのは、それを知ってるからですよ」
「そうか」
「束様にとっては慣れっこでも、俺は慣れてないからなんでも新鮮ですからね?」
ふむ、なるほど。と顎を撫でた黒い犬の頭を持つ束は、楽しそうに羽を動かすシロを一瞥した。視線の意味は『何か言いたい事でもあるか?』だろうか。
シロはそう、取り
「犬神様とて妻の前では夫であるのだ、と。これは私の中に残しておかなくてはなりませぬ」
「消しされ」
「言霊を使い言われないところがますますおかしく。いやはや、これ以上言いますと本気で使われそうですな──────奥方様、また」
言って白い烏の彼は「失礼を、奥方様」と言い紹の手から酒瓶を大きな足で掴み取ると、上空へと飛んでいく。
烏と言うが白と黒の特別な彼らの大きさは、羽を広げれば百六十は悠にある大きさだ。一般的な他の黒い烏とあの黒い烏を見間違えるはずもないから、紹は大きさに悲鳴をあげた。
しかし今となってはただの烏と間違えることはないな、とあの大きさであることに安堵している。
同じ大きさであれば、もし紛れられたら、間違わない自信が紹にはない。
「束様、陽が暮れますね」
束の黒い毛並みに、オレンジがかった夕焼けの光が当たる。
湯を浴びほかほかとした体になった紹は、楽しそうな声で隣を歩く束に「一層、陽が落ちるのが早くなりましたね」と言った。
屋敷の中にある日本庭園──屋敷の中庭、のような感じだ──が見れるように作られた、まっすぐに通った縁側は紹の気に入っているところで、束は時々ここで酒を飲む。
移ろう季節を感じ取れる屋敷内部の庭を、束も気に入っているようだ。
「束様?」
「いや、なに、暮れると言うだけのお前の顔がやけに幸せそうだ、と思うてな」
じっと見られて聞いた紹は、言われた事に瞬き
「白烏さんが『犬神様はひやおろしもお好きだから、今晩あたり狸が持ってくるでしょうな』って言っていて、どんな顔をするのかなって思ったからでしょうか」
言う。それに束は目を細め、立ち止まっていた足を動かす。
目的の場所は勿論、今頃二人の食事を誰かが並べているだろう部屋だ。
心なしか、束の足取りが早い。
「シロも口の減らぬ。あやつは昔からああだ。いや、紹を気に入っているから余計にか。飛べぬよう縛り、どこぞかへ括り付けてくれようか」
ざわりと風が館を通り抜けていく。紹はそれに撫でられた首を竦め束を追いかける。
「突風なんて珍しいですね」
基本的に雨が降ろうが穏やかなものばかりの、この“鳥居の向こうの世界”には、突風なんて滅多にない。
だから珍しい突風に紹は驚いた気持ちを素直に言う。
「束、様?」
珍しい現象の理由を聞かせてもらえると思っていた紹だが、束は何も言わず歩くだけ。
どうしたのかと名前を呼んでも束は答えない。
それはそうだ。
紹を束の嫁だからではなく、紹として気に入っているシロの発言に束はムッとした。
隠さなければならない疾しい事はない。態々言わなくてもいい事は言わないけれど、疾しい隠し事はなかった。
それに当てはめるのなら「ひやおろしが好き」という事は、話しても問題ない事である。
けれども束は思う。
自分の趣味趣向は自分で教えてみたかったな、なんて。
(くくく、これが愛すると言う事なのだろうかの)
愛するからなのかどうかは束には解らないけれど、なんとなく嫌だと思う。
嫌だなと思う気持ちで思わずムッとして、束は風を起こしてしまった。
だから原因が「腹を立てた自分のせいだ」なんて束は言えず、代わりに返事を待つ紹に適当な言葉で話し、濁す。
「紹、湯冷めせぬようにな。これからますます寒い季節になる」
「そう言えば、束様は風邪を引くのですか?」
「ひいたら神の名を捨てねばなるまい。しかし紹は如何様に変わってもそうはならん」
「そっか、俺は引くんですね。気をつけなきゃ」
なんてへらりと笑う紹の頬を撫でたのは、どうやら束も無意識だったようで二人足を止めた姿が縁側にある。
「お前、この調子だといつか本当にそう言う意味でも消されるかもしれぬ」
「いやいや、奥方様がいらっしゃる限り、なにを言っても安泰さ」
「図太いやつめ」
「お互い様であろ」
同じ頃、白と黒の烏は楽しそうに大きな大きな赤い鳥居の上で話をしていた。
笑いあった二羽が麓から鳥居へ伸びる道に目を向ける。
「賑やかなのが手土産を持って帰ってくるな」
「ああ、どうやら大量のようだ」
二羽が感じた気配の持ち主、狸と狐がたくさんの荷物を抱え鳥居を潜るのももうすぐだ。
酒に舌鼓を打つ束の顔を見た紹は、また一つ束の事を知れるだろうか。
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