二部 過去編

遡る過去

 誰かが頬を舐めている。そんな感覚で意識は浮上した。


 うちにペットなどいない。誰が舐めているのか。それも、しつこいほど舐めてくる。


 視線が開かれた先に一匹の獣がいた。それもドアップで。


「うわわわ!」


 食べられると思ったが、柊稀が気がついたのを知ると獣はあっさりと引いていく。


「ここ、どこ?」


 身体を起こして周囲を見れば、見たことがあるような、けれどまったく違うような石造りの建物内であると気付く。


(巫女殿……じゃない。なんか、違う)


 同じ素材なのはわかるが、同じではない。巫女殿は開放的で明るい神殿だったが、ここは薄暗かったからだ。


 腕の中を見れば、柏羅が気を失っている。外傷がないことにホッとした。朱華は傷つけなかったのだと。


(朱華……)


 幼馴染みのことを考えれば、あれが夢であってくれと願いたくなる。彼女が敵だなんて、とてもではないが信じられない。


 とにかく、今はどこにいるか知ろう。柏羅を抱き上げ、柊稀は歩き出す。


 あのとき柏羅は行くぞ、と言っていた。ここがその場所なのだろうが、なぜこんなところに連れてきたのか。わからないことだらけだが、聞ける相手もいない。


 陽の光を感じ、表へ出て驚く。


 まず気温が違う。巫女殿があるベル。ロードは寒い土地だったが、今いる場所は暖かい。厚着であるため、柊稀は汗ばむほどだ。


 深夜に襲撃を受けたが、おそらく昼は過ぎている。それだけ気を失っていたとも考えられるが、そうではないかもしれない。


 風景は一面が草原。見たこともない草原に、遠く見えるのは巨大な建物。後ろを振り返れば、よくわからない三つの塔。


「ど、どこなんだー!?」


 見たこともない風景に呆然とする。少なくとも、ここは巫女殿の周辺ではない。それだけはわかった。


「迷子かぁ? こんなとこに?」


「不思議な迷子もいたものですね」


「誰?」


 気配などまったく感じていない。けれど、その声は唐突に聞こえてきた。彼の背後から。


 振り返った先には、そっくりな二人の青年が立っていた。


 一人は赤混じりの黒い髪を肩につかないぐらいの長さで切りそろえ、右目は黒だが左目は紫の変わった青年。雰囲気は穏やかで、丁寧に話したのは彼だろう。


 もう一人は赤混じりの黒い髪を短く切りそろえ、右目は紫だが左目は黒の青年。最初に話しかけたのが、おそらく彼だろう。


 同じ顔だが雰囲気は真逆と言える青年。柊稀はなぜか知っている気がした。左右色違いの目が、どこかで見たような気分にさせる。そんなことあるはずがないのに。


「俺、嫌な予感がしてきた」


「明日から休みでしたね」


「家族サービスだよ!」


「はいはい」


 にこやかに笑う青年と、嫌そうに怒鳴る青年。どちらも目の前にいる柊稀が、普通ではないと察していた。


 なによりも気になったのが、腕に抱かれた少女だ。感じたこともない力が、本能をざわつかせた。


「聞きたいことはあるでしょう。僕達も聞きたいことがあります。ですが、まずは場所を移しましょう。ここは誰か来る可能性がありますから」


 穏やかな青年が言うと、柊稀は同意するように頷いた。


 塔の一室へ場所を移す。そこは柊稀が出てきたばかりの塔。闇の塔と呼ばれていると二人は言うが、聞き覚えはない。


 自分が知っている範囲ではないのだろう。ならばどこだ、と再び思う。


「さてと、ここならいいだろ」


「あとで飛狛ひはくが来るぐらいですからね」


「飛狛? …て、まさか……いや、でも……」


 情報には疎いが、彼ですらその名前は知っている。火竜族の行う大会で、歴代の猛者に名前を連ねる存在だ。


 本来なら火竜族しか参加できない大会ではあるが、数年に一回行われる他種族混合大会がある。


 そこで火竜族最強と言われ続けた、当時の族長と互角に戦ったという黒竜族の青年。それが飛狛という名前だったということぐらいは知っていた。


「飛狛を知っているのですか?」


「あ、いえ、知っているというか。名前を聞いたことがあるだけで……」


 すでに死んでいる。生きているはずがないのだ。彼は、聖なる王に仕える魔法槍士なのだから、時代が違いすぎる。


 誰かが同じ名前をつけただけ。柊稀はそう考えることで、無理矢理納得しようとした。


 けれど、なんとなく気になった。だから聞いてみたのだ。


「あ? 王の名前だ?」


「はい」


 バカな質問だとわかっている。そんなことも知らないのかと、目の前の青年が思っているのもわかっている。王の名前など、田舎に暮らしていても伝わってくるのだから。


聖鳳せいほう王だよ。ちなみに、聖鳳歴二百四十二年な」


 柊稀を絶句させるには十分すぎた。王が違う。王の称号ぐらい彼でも知っている。つまり、時代が違うということになる。


「それで、あなたはどこの時代から来たのですか?」


「えっ」


「まぁ、普通なら信じませんがね。あなたの反応を見る限り、別の時代から来たのはわかりますよ」


 なぜと聞けば、服装だと言われた。この地で厚着をする者はいない。真冬であっても、ここまでの厚着は必要ない地なのだ。


 どこか寒い地から来たことがわかれば、一瞬で来たのだということもわかる。今いる場所は、寒い地から距離があるからだ。


 そして、柊稀は飛狛を知っていると言ってしまった。


「未来、ですね」


 現代で飛狛の名を知るのは限られている。魔法槍士とは、本来なら名前や容姿は広がらない。広がらないようにしているのだ。


(もっとも、大会に出ているから絶対ではないですが)


 それでも、自分達が把握していないのはおかしいと思う。


「飛狛を知ってるなら、そうなるな。未来からの客か。休みがなくなったなぁ」


 青年は盛大にため息をつく。久々の休みだったのに、と愚痴りながら。





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