10章 運命の秒針は進む

 一拍おいて、記者たちに大きなどよめきが走る。


『何ソレ!?』

『そんな情報回ってきてないぞ!』

『至急、局に連絡しろ!』


 どよめく記者たちをしり目に、アマネ様に質問してきた男性は、自信たっぷりに言い募る。


「まさか、我が国の“正式な”王位継承権を持つ第二王子が市井に紛れていたとは……。アマネ王子はそれをご存じだったはずですよね。一言、お願い致します」


 表情を強張らせて答えにきゅうしているアマネ様に対し、記者は更なる追い討ちをかける。


「第二王子はプライバシーの徹底配慮をとのことで、マスメディアには顔出ししたことがありません。しかし、かつてヴァンリーブ王室に仕えていた方数名から証言が取れています」

「――私はブルダム王国の人間です。ヴァンリーブ王室内のことは――」

「アマネ王子とエメリー王子は従兄弟同士のため、旧知の仲だという証言もあるのですが」


 アマネ様の顔が思い切り強張った。


『ドゥーガルド警部、それは真実なのでしょうか!? あなたが、エメリー王子なのですか!?』

『お答え下さい、ドゥーガルド警部!』

『身分を偽って警察官という職についていらっしゃったのですか!?』


 矢継ぎ早に浴びせられる質問に、ダリオさんは舌打ちした。


「ダリオ……彼女を連れて逃げろ」

「……それじゃあアマネが」

「適当にあしらってから行く。ここは一先ず逃げてくれ」


 こうしている瞬間にも、過熱した記者の大群がマイクを突き出していて。それをアマネ様のSPたちが必死に止めていた。


 ダリオさんは小さく頷き、私の手を取ると踵を返して走り出した。




 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-




「お邪魔しまーす……」


 私は小声でそう言うと、ソロリとドアを開けた。


「いやいや、誰もいねえよ」

「一応です、一応」

「あーマジ疲れた」


 ダリオさんはズカズカと靴を履いたまま部屋の中へ入る。

 カムジェッタ国では靴を脱ぐタイプの部屋が大半だ。私は脱いだ靴をコソコソと履き直し、ダリオさんの後に続いた。


「主要ホテルも押さえられてたし……マスコミのヤツらうぜえことこの上ないな」

「ですね」


 マスコミから逃れるためにあの場を逃げ出した私たち。

 最初はルヴァンソン・ホテルに雲隠れしようとしたのだが、ホテル前には情報を嗅ぎつけたマスコミがうじゃうじゃいて。

 それを目の当たりにした私たちは、当初の予定を変更してここ……ダリオさんの家でやり過ごすことにした。


「お母さん……大丈夫でしょうか……」


 私と一緒に母がヴァンリーブ王国にいるという情報を記者たちが掴んでいるんだとしたら、病院へも突撃する可能性は高い。


「大丈夫だ。あの病院は国営だしな。セキュリティがめちゃくちゃ厳重だし、オマエの母親は……王妃と知り合いだから。何が何でも王妃が庇護するはず」


 確証があるかのように、はっきりと言い切ったダリオさんが頼もしく思える。


 ……と、ポケットに入れていた携帯が鳴った。ディスプレイを確認すると『クリストファーさん』の文字が浮かんでいる。


「ダリオさん、クリストファーさんからなんですけど、出てもいいですか?」


 ダリオさんが頷いたと同時に、私は通話ボタンを押した。


《マドカさん! 大丈夫!? 今どこにいる!? ダリオも一緒だよね!?》


 質問の嵐を受け、私は思わずのけぞった。


『クリストファーさん、落ち着いて……。ダリオさんも一緒です』

《良かった……さっきから、マドカさんとダリオのことが大々的にテレビで放映されてるものだから、2人とも大丈夫か心配で……。ごめんね、マドカさん》


 涙声でクリストファーさんは謝罪してきた。


《やっぱり、ちゃんと尾行しとくべきだった。ダリオに顔向けできないよ……》

『クリストファーさん……』


 二人してしんみりしていると、ヒョイッとダリオさんが私の携帯を取り上げる。


『クリス、オマエ男だろ? 情けねえ声出してんじゃねえよ!』


 ダリオさんは一喝した。


『オマエがオレに連絡を入れたおかげで、倉間を逃がすことができたんだ。謝罪する必要はどこにもない。そうだろ?』

《ダリオ~……》

『だーかーらー! 泣くな! 今日は倉間と一緒にマスコミの連中を巻くから、オレの事務仕事、代わりにやっとけ』

《えー!?》

『じゃあな』


 問答無用でダリオさんは電話を切る。

 そんなダリオさんを通り越して、私は部屋の様子をぼんやりと見つめていた。


「……? どうした?」

「い、いえ! なんでもないです!」


(言えない……。緊張してるなんて……絶対言えない!)


 適度に散らかっている生活感のある部屋は、私や家族の部屋とは違う――清々しい香りに包まれている。


「ふーん、『うっわ、めっちゃ散らかってる』とか思ってたんじゃねえのか?」

「まあ、確かに散らかってますね」

「オマエ……。……まあいい。…………っと、これだ」


 何やらクローゼットの中を漁り出したと思ったら、ダリオさんはバスタオルを差し出してきた。


「先に風呂入れよ。走り回って汗掻いてるだろ。あ、そのタオルは結婚式の引き出物でもらってから一度も使ってなかったヤツな。綺麗だから安心しろ」

「え……いや、でも……」


 ダリオさんの家でお風呂を借りるシチュエーションに出くわすとは思いもよらず。

 恋人同士でもないのに、こんなことって……。


 ダリオさんは私がまごついていると、心得たように大きく頷いた。


「安心しろ。シャツとズボンは貸してやるから。ほら」


(そんな問題じゃなくて!)


 ダリオさんから差し出された着替え一式を受け取りつつも、私の頭の中はグルグルしていた。


「わかると思うが……一応、どれがシャンプーとボディソープなのか教えておく。ほら、来いよ」

「!?」


 当然のことのように手を引かれ、バスルームへ連れて行かれる。

 彼は私のことをこれっぽちも意識していないんだろう。だから、こんな容易くバスルームを案内できるに違いない。


「その白いヤツがボディソープで横にある透明のヤツがシャンプーな。で、その横の銀色のがコンディショナー。わかったか?」

「は、はあ……」

「よし、じゃあ入れ。バスタブに湯張った方が良いならそうするが……」

「いえ、結構です!」

「? じゃあ、ゆっくり入れよ」


 ダリオさんは私をバスルームに残したまま、リビングへ戻っていく。

 私はダリオさんから貸してもらった部屋着とバスタオルをぎゅうっと抱きしめた。




 お風呂から上がってリビングへ戻ると、ダリオさんはソファに座って難しい顔をしていた。

 ダリオさんが凝視していたのはテレビだった。アナウンサーの言葉により、私とダリオさんのことが大々的に報道されていることがわかる。


「お風呂、ありがとうございました」


 声をかけると、弾かれたように彼はこちらを振り向く。


「おう、上がったのか……って、オマエ……前から思ってたが、夜更かしせずに早く寝ろよ。いっつも濃いクマこしらえてるようじゃ、女としてやばいぞ」

「な……っ。余計なお世話です!」


 きっと、メイクを落としたからクマが目立っているのだろう。

 本当に失礼極まりない男だ。歯にものを着せずに言ってくる。


「てか、髪の毛まだ半乾きじゃねえ?」


 ダリオさんはすっと髪に触れてきた。


「ちゃんと乾かさねえと風邪引くぞ」


 言葉が湧いてこない。

 恥ずかしくて耳から湯気が出そうだ。

 私を赤面させた元凶であるダリオさんは大して気にも留めていない。それが悔しくて堪らない。

 私は何とか平静を装い、「失礼します」と言ってソファに腰を下ろした。

 テレビのニュース番組では、の身柄を警察当局が拘束しているのは間違いないこと。ダリオさんの所属部署と次期警察長官の呼び声が高いことについてなどが、市警察署前から生中継で報道されていた。

 ぷつん、とダリオさんはテレビの電源を切った。


「……こんな時間まで騒ぎ立てるとは、マスコミはクソだな。さーて、オレも風呂入ってくる」

「はい……あ、ご飯どうしますか?」

「ん? ああ……そういえば夕飯まだだったな」


 お腹に手を当てて、ダリオさんは苦笑した。


「オレは夕飯抜きでも良いけど、オマエは無理そうだし……なんか作るか」

「本当に、ダリオさんって一言も二言も余計なこと言いますよね」

「事実だしな。待ってろ、余り物になるが――」


 彼は冷蔵庫を開けて、フリーズした。


「どうかしました…………うっ」


 フリーズしているダリオさんのもとへ駆け寄ると、冷蔵庫の中身を意図せず見てしまった。

 ……冷蔵庫の中にあるものが、ほっとんどすべて…………腐 っ て い る で は な い か 。

 ダリオさんは、バタンと冷蔵庫の戸を閉めた。


「一人暮らしあるあるだろ?」

「いや、ちょっと酷すぎです」

「あー……どうするべきか……パンとかの買い置きもねえし……」


 少しクセのある栗色の髪を掻きむしりながら、ダリオさんは瞑目した。


「大丈夫そうなもの使って良いなら、私作りますよ。腐ってるのは全部捨てときます。ダリオさんはお風呂入ってきたらどうですか?」

「いいのか?」

「泊めて頂くことになりますし、それくらいはします」

「助かる。キッチンにある調味料とかは勝手に使っていいぜ。じゃ、オレ風呂入ってくるな」


 カオスな冷蔵庫の中身と格闘しなくて済むのが余程嬉しかったのだろう。

 ダリオさんはキラッキラな笑顔でそう言い残し、バスルームへと繋がるドアを開けた。

 まだ食べられそうなもの以外ゴミ箱へ捨てると、冷蔵庫の中は幾分スッキリした。

 ……スッキリしすぎて、ほとんど材料が残らなかったというのは言うまでもない。

 結局、残ったのは缶詰類とヌードルのみという……。

 何とかそれらの材料を駆使してヌードルスープを作ったは良いものの、味見の段階からして微妙だった。


「お、うまそう」


 リビングのローテーブルに、その微妙な出来のヌードルスープを並べていると、お風呂から上がったダリオさんがヌードルスープを見てそう言った。


「言っときますけど、味微妙ですから」

「そうか? うまそうだけど」


「いただきます」


 ズズッとヌードルを二人してすする。

 間々あって……。


「微妙」

「結構いけると思うけどな」


 ダリオさんは本当にそう思っているのいないのか。ガツガツと食べてくれる。


(いつもは率直で失礼なことばっかり言うくせに)


 さりげない優しさが嬉しくて、私は自然と笑顔になった。






 何とかあり合わせのもので夕ご飯を作り、お腹も膨れたところで……。

 私とダリオさんは顔を突き合わせ、“とある問題”について話し合っていた。

 明日からどう動くかについては、とりあえず休息を摂ってから明日以降に決めようということに決まった……までは良かったものの。


 一つの問題が発生した。

 ――寝る場所についてである。


 ダリオさんの部屋にはベッドが一つしかない。ダブルサイズではあるものの、しかないのだ。

 来客用の簡易ベッドもなければ、余分な毛布さえない。ブランケットくらいはあるだろう、と思っていたのだが、それもなかった。


「もう、一緒に寝たらいいんじゃねえ?」


 めんどくさそうにダリオさんは嘆息した。


「……ダリオさん、ここは男性なら“オレは床で寝るからオマエがベッドで寝ろよ”っていうところなんじゃないでしょうか」

「あ? なんでオレが床で寝なきゃなんねえんだよ。起きたときに体が、ガチガチになるだろ!」

「じゃあ、私に床で寝ろと?」

「それはさすがにあれだから、オマエもベッドを使うことを許可してやる。オレに感謝しろ」

「もう……いいですよ。私が床で寝ますから。取り敢えず、毛布だけは貸して下さいね」

「だから、オマエもベッドに――ああ何だ、オレが何かしでかさないかって心配してんのか?」

「別に、そういうわけでは――……」

「安心しろ。グレゴリウスじゃあるまいし、何もしねえよ。もうグダグダやり取りするのは疲れた。文句言わずにサッサと寝ろ」


 ダリオさんは有無を言わせずベッドに私を追いやると、毛布を頭から被せてきた。

 これ以上言い合いをしてもダリオさんの強引さに勝てる気がしない。


(……仕方ない)


 大人しく布団へ潜り込んだ私に続き、ダリオさんもベッドに横たわる。

 とてつもなく気恥ずかしい。私はくるりと体の向きを変え、壁側を向いた。

 その拍子に、毛布やベッドシーツからダリオさんの匂いが香り立つ。


(……何だか落ち着く…………って、グレイさんみたいなこと言ってるよ私。…………変態みたい……)


 ダリオさんの匂いが落ち着くとか……どうかしてる。


「じゃ、じゃあ……おやすみなさい」

「ああ……」




 数十分後――……。


(眠れないんですけど……)


 セミダブルのベッド。少しでも身じろぎすれば、ダリオさんと肩や手が触れ合ってしまう距離感。

 どうしようもなく緊張してしまい、目が冴えてしまっている。

 ……暗がりに目が慣れてしまった私は、壁際に飾られたロックスターやらスポーツ選手やらのポスターに書かれたヴァンリーブ語の文字の解読をして時間を潰していた。


(何やってるんだろ、私……)


「…………なあ」

「は、はい!?」


 やばい。思わず声が裏返ってしまった。


「なんだ、その反応」


 暗がりの中、ダリオさんの笑いを含んだ声が響く。


「ダリオさんがいきなり声をかけてくるからでしょ! どうしたんですか?」

「なんか寝付けねえから、もしオマエが起きてたら話し相手になってもらおうと思った」


 彼も――私と同じように、緊張しているのだろうか。


(いやいや、ないない)


 私は自分の考えを即座に打ち消した。


「仕方ないですね~」


 いつもの調子でそう言い、ダリオさんの方へ体を向けた私は――悲鳴を上げそうになった。

 距 離 が 、 め ち ゃ く ち ゃ 近 か っ た の だ 。


「オマエってさ」


 私の動揺を全く察してくれないダリオさんは、唐突に切り出した。


「パフュームショップを開くって夢、いつから持ってるんだ?」

「え? そうですね……気づいた時には、です。調香をしていると幸せだったから」


 途切れ途切れの記憶。それを結んで優しく慰めてくれたのが、“香り”だった。記憶の中にあるセロシアの花畑で、私は母に一生懸命調香師になる夢を語っていた。

 それが唯一の、自身のアイデンティティ。

 ――私がそれを伝えると、ダリオさんは深く頷いた。


「そうか。……オマエはさ、アホだよな」

「は!? ちょっと待って下さい、結構しんみりすること言ったつもりなんですけど」


 ふくれ面になると、ダリオさんは微笑した。


けなしてねえよ。アホみたいにひたむきだなと思っただけだ」

「……ダリオさんの方が、ひたむきですよ。私は、国のために命を賭けることなんてできない」


 私は知っている。

 ダリオさんがどれだけ仕事に打ち込んでいるかを。ヴァンリーブ王国のことをどれだけ大切に思っているかを。

 ダリオさんは私から視線を外し、頭の後ろで手を組んで天井を見つめた。


「オレには、それしかねえから。……この国のためにできることが」

 ――父さんの価値は、この国を守ることくらいだ――


 おぼろげな父の姿と、ダリオさんの横顔が重なる。

 ……父はどうして死んだのだろうか。私はそれすら覚えていない。

 ブルダム王室の悲劇。それを引き起こしたのは父ではないとアマネ様は言っていたが、本当のところはわからない。

 もしかしたら、私が喪失した記憶にその答えがあるのかもしれない。

 でも…………その記憶を思い出してはいけない、と悲痛な叫び声が警鐘を鳴らす。


(ダリオさんも……いつか、お父さんのように…………)


 胸の奥にものがつっかえたように苦しくなった。

 ダリオさんは警察官だ。しかも、記者たちの話が本当であれば王子でもある。……そのことも、彼が“国を守りたい”と強く思う要因であることは間違いない。


「ダリオさん、私はあなたの決意とか、覚悟とか、すごいと思います。そんなにも国を思ってくれている人がいるのは……ヴァンリーブ王国がそれだけ素晴らしい国って証拠だと、思います。でも……死に急がないで下さい」


 私は心からの言葉を彼へと贈った。


「国のために“生きて”下さい」


 ――国のために、死ぬのではなく。生きて欲しい。

 あの草原で伝えた言葉を、私は再度口にした。


 ダリオさんは私の言葉に、目を見開いた。


「ダリオさんの命がこの国のものなんだったら、ずっと……年老いて穏やかな旅路を行く日が訪れるまで、この国で生きなくちゃだめです」

「…………」

「私は、ダリオさんに生きていて欲しい。こうやって、喋って笑って……短気なのはあれですけど……。でも、ダリオさんとこうやって過ごす時間はあったかいから」



 思っていることを全部伝えたくて。でも、半分も伝えられないこのもどかしさ。


(って、ものすごく恥ずかしいこと言ってない!?)


 思わず彼から目を逸らす。


「――オレも」


 頭上から、声が降ってきた。


「オレも――オマエと過ごす時間をあたたかいと感じてるぜ。何よりも」


 ハッとして顔を上げると、目前に――穏やかな表情をしたダリオさんがいた。


「オマエにそう言われると、国も大事だが、少しは自分の命も大事にしてもいいかもなって思えるから不思議だ」


 彼はそう言って、私の髪を一房手に取り、毛先に口づけを落とす。


(……反則だよ)


 俺様で短気な嫌な奴だと思ったら、世話焼きな一面を覗かせて。

 一般人である自分が対等なポジションで言い争いすることを許してくれるような寛大さがあって。

 …………こうやって、柔らかく笑ってくれて。

 羞恥心がムクムク湧いてくる。私はダリオさんに背を向けて体を丸めた。


「――おやすみ」

「………………おやすみなさい」




 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-




 まどろみの中、目を開くと父の姿があった。父はいつもと同じ笑顔を私に向け、踵を返した。


「行かないで、行っちゃダメ、お父さん!」


 必死に追いかけるも、距離は一向に縮まらない。

 父の姿が、ダリオさんの姿に取って変わる。彼は私に優しい笑みをくれた。大丈夫だとでも言うように。

 ――――しかし、彼が向かおうとしている先には濃い影が落ちている。


「ダメ、ダリオさん! そっちに行っちゃダメ!」


 ダリオさんは私の制止を聞き入れることなく……父と同じように――……。





 一面が朱く染まり、発砲音が響いた。







 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-


「いやっ!」


 大声を上げ、ベッドから飛び起きた。


「はっ!?」


 壁に背を預けて銀細工を手にしていたダリオさんは、びくりと肩を震わせた。


(……ダリオさん、生きてる)


 さっきのは…………ただの夢だ。ダリオさんは生きてる、と私は自身に言い聞かせる。

 同時に、一つの想いが胸いっぱいに広がった。

 もう、認めてしまわなければならない。私はダリオさんのことを大切に想っている、と。

 喪失した記憶の中に宿る父と同じくらい大切に思い…………失いたくないと思っている、と。

 ――ダリオさんを好きにならないままでいるなんて、土台無理な話だったのだ。


「言っておくが、オレ何もしてないからな。マジで」


 全く見当違いなことを言ってくるダリオさんが愛しい。

 涙が、こみあげてくる。

(良かった……夢で、本当に良かった)


「………………」


 ダリオさんは私の頭をぐしゃぐしゃと撫でてきた。


「怖い夢でもみたのか?」


 私がこくんと頷くと、ダリオさんは快活に笑った。


「夢見て泣くなんて、ガキみたいだな」

「放っといて下さい」

「……あのさ」

「…………はい」

「昨日、言うべきだったんだが……」


 そう言って、ダリオさんは躊躇したように言葉を切った。


「……?」

「オレが、王子だって言ってただろ。マスコミが」

「あ……はい」


 一晩明けてようやく、その件についてダリオさんは口火を切った。


「このまましらばっくれようかとも思ったんだけどな。オマエには……しょうがねえから伝えておく」

「…………事実なんですね」


 ダリオさんは迷いなく首肯した。


「取り繕うつもりはない。マスコミが言っていたとおり、オレはバーンハードの弟だ」

「で、でも――名前が……」

「身の安全を守るために、幼い頃から“ドゥーガルド家の子息”として育てられた。……たしかにオレはエメリー・シルヴェスター・ヴァンリーブだったかもしれねえけど。今は、王室とは無関係な……ただの“ダリオ・ドゥーガルド”だ。警察官になると決めたとき――家は捨てた」


 ダリオさんはすっと立ち上がると、カーテンを開けて空を眺める。


「…………以前話してくれた……警察学校もバイトして言ったって話は……」

「本当だ。高校卒業してからすぐに家を出て、警察学校へ入学した。……家捨てたんだから、金なんて出してもらえるはずないだろ? ま、最初から当てにしてなかったけどな」


 王族という身分を捨て去った彼。


(どうして?)


「――――――オレは、王位継承順位第一位の座にいた」

「? バーンハード王子のほうが年上じゃ……」

「兄上は非摘出子だから、オレの方が継承順位が上だったんだ。だが……。――国王は『国』そのもの。でも、オレはそうなれない。自分に近しい者たちを見てしまう。……足許を見てしまう」


 ダリオさんは自嘲するように笑みを零す。

 近しい者のこと――クリストファーさんが話してくれた歩きタバコ事件が頭によぎった。


「それじゃダメなんだ。兄上みたいに公平な人間でないと、王は務まらない。けどな、オレが王室に……王族として存在する限り、王位継承順位が変動することはない。それがヴァンリーブ王室の決まりだった。……たとえ、王位継承権の放棄をオレ自身が望んだとしてもな」


 だから、彼は家を捨てたのか。バーンハード王子が国王となれるように、王族としての地位も何もかも捨て去ったのか。


(ダメ、なのかな……?)


 自国を心底愛している人が――近くにいる人へ手を差し伸べることができる優しさを持ち、まっすぐに前を向いているダリオさんが国王となればきっと、ヴァンリーブ王国は繁栄するはずと思ってしまう。

 そんな風に考えてしまうのは、私が政治の“せ”の時もわかっていない、ただの一般人だからだろうか。視野が狭いからだろうか。


「ダリオさんは、国王になれないと思ったから――政治家や警察官になりたいと思ったんですか?」


 ダリオさんは首を横に振った。


「――いいや。政治家や警察官を目指した理由は、前にオマエに伝えたとおりだ。……たとえ国王には向いていなくても、この国の礎になりたい。国王の座なんて要らない。1人でも多くのヴァンリーブ国民を救うことができればそれで良いと思って、警官を志したんだ」


 嘘偽りない、その言葉。


「…………ていうか、オマエを危険な状況に放り込んだ挙げ句、こんな騒動に巻き込んでしまって……本当に申し訳ないと思っている」


 だが、とダリオさんは私を射貫くように真っ直ぐに見つめた。


「オレは……これ以上、王室排斥をもくろむ者たちを野放しにしておきたくない。アイツらの主張は、独りよがりだ」

「ダリオさん……」

「いま拘留されている特殊犯罪組織のリーダーとかのたまってる男。アイツはきっと、真の主犯じゃない。まだ事件は解決してない。だから――オマエが持っている情報が全て欲しい。バーンハードや他のヤツらは、カムジェッタへ帰った方が良いとオマエに言うかもしれない。だが……オレはまだ、オマエに捜査への協力を頼みたい」

「私があの夜に見聞きした情報……本当に、役に立つんですか?」

「役立つどころか、最重要項目かもしれねえ。どうでも良い情報だったら、オマエを狙って爆弾仕掛けてくるなんてあり得ねえだろ。……オマエが聞いた――何かしらの言葉が、組織を暴くのに大切なキーになる可能性はすこぶる高い。必ず守り抜くと約束する。だから――……」


 彼の顔は、決意に満ちていた。……この人を信じてみようと思えるほどに。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る