9章 ゆびきりの約束


 ヴァンリーブ王国の朝はカムジェッタにはないスタイリッシュさがある。

 カフェもたくさんあるし、コンビニエンスストアも数十メートル単位で軒を連ねていて。

 非常に残念なことに、私は市警察署内にてクリストファーさんやルイスさんが持ってきてくれる朝ご飯しか食べられなかったが――今日は違う。


「ちょうどカフェに行きたかったんだ。オマエも付き合え」


 そう言って公休にも関わらず市警察署へやって来たダリオさんは、私を強引に外へ連行した。




 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-




 ――カフェ


「どうして私が……」

「いつも朝食はストアでパン買ってんだけど飽きたんだ。オマエも毎日警察署の飯なんて飽きるだろ」

「たしかに、それは間違いないです」

「ちなみにオマエが毎日食ってる飯、囚人たちと同じメニューって知ってたか?」

「ええええ!? 本当ですか!?」


 ああ、と軽く頷くダリオさん。

 私はがっくりと肩を落とした。


「やっぱり。おかしいと思ったんですよ。あの部屋も何だか囚人を監視するような部屋だし」

「悪い。バーンハードの野郎が容疑者の1人として扱えとか意味がわからねえことを……」

「あー……」


「お待たせしました~」


 語尾にハートマークがつきそうなくらいキャピキャピした声で、カフェスタッフはダリオさんの前に注文したメニューを置いた。

 そして、彼女は私の前にズラリとメニューを並べていく。

 フレンチトーストにベーコンエッグ、ポテトサラダとオニオンスープ。そしてハンバーグとナポリタンにピ――。


「食い過ぎだろ!」

「普通ですよ。朝はこれくらい食べないと元気が出ないんです」

「いやいやいや。オレより食ってんぞ、オマエ!」

「ダリオさんはもっと食べた方が良いですよ」


 ダリオさんの前に並んでいるのはトーストとゆで卵、そして海藻サラダにウインナー。それからポタージュだけ。ものすごーく少ない朝食である。


「オレの注文したメニューは二十代男性の平均的な量だ!」


 ったく、まあ媚びるような少食な女よりは良いけど……とブツブツ文句を言いつつ、ダリオさんは食事を口に運ぶ。

 私もそれに倣って食事に手をつけた。






「そう言えば、ダリオさん。私思ったんです」

「何をだよ。てか、ナポリタンが口の周りについてるぞ」


 ダリオさんの声を無視して私は言葉を紡ぐ。


「よくよく考えたんですが、お母さんが元ブルダム王室お抱え調香師っていうこと……かなり宣伝効果ありそうだと思いません?」

「?」

「ほら、お母さんとパフュームショップを出したいって言ってたじゃないですか。それです、それ」

「あ、ああ……あれか」

「元調香師がオープンさせたパフュームショップ! っていう宣伝よりも、ブルダム王室お抱えだった調香師が作ったお店、の方がインパクトありませんか?」

「……嬉しそうだな、オマエ……」

「そりゃもう……すごく……っ」


 噛みしめるように私は言った。

 母がこれまでブルダム王室に仕えていたことを隠していたのには何かしらの理由があるのかもしれないが、もしもブルダム王室お抱えの調香師だったことを公にしていいのであれば、パフュームショップをオープンさせた時に客を引き寄せるのにはもってこいだ。


(多分)



(ていうか、ブルダム王室お抱えの調香師だったんなら……何も異業種に転職しなくても良かったんじゃ……?)



 ふと、そんな疑問が頭をもたげる。

 調香師は給料に変動がある仕事だ。しかし、王室お抱えの調香師だったというなら話は別。仕事が枯渇することはなかったろうに。


「でも、宣伝文句だけ考えてもダメだろ。具体的なプラン練ってんのか?」

「え? ええっと……まだ構想段階ですけど――」


 私は朝食を頬張りながら、ダリオさんにパフュームショップのことについて小一時間かけて力説した。







「…………さて」


 ようやく私の話が終わったところで、ダリオさんは手を挙げた。ウェイターがすかさず傍へやって来る。

 ……会計が終わると、ダリオさんは私の方へ手を伸ばした。


「?」

「オマエを今から良いところに連れてってやる」

「良いところ?」

「ああ。現在特殊犯罪組織アイツらの動きも鎮静化してるからな。長官にもお許しを頂いたし、大丈夫だろ。――――行くぞ」


 ダリオさんは言うが早いか、私の手を握ってサッサとカフェを後にした。




 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-




「ここ……」

「王城が近いからか、あんまり人が寄りつかない穴場」


 どこまでも続く丘陵地帯。草原を駆け抜ける風はどこまでも澄み渡っている。

 私はゆっくりと深呼吸をした。


「素敵です」


 ダリオさんは大きな木の根もとに腰を下ろした。


「ここ、オマエが言ってたセロシア花畑に似てるだろ。……セロシア・キャンドルはないけど」

「あ、そういえば……って、なんでダリオ様が私の思い出の場所を知ってるんですか?」

『……セロシアの花畑って言ったら、あの場所しか“なかった”からな』


 苦虫を潰したような顔をして、ダリオさんは呟いた。


「え?」

「いや、何でもない」


 ざあっと風が吹いたと思ったら、草原に生えている花が空高く舞い上がった。


「…………思い出の中の花畑とここ、どっちがキレイだ?」

「いきなりですね。それはもちろん、思い出の花畑です」


 私が迷うことなく答えると、ダリオさんはムッとした眉根を寄せ――すいっと視線を地平線へ向けた。


 ダリオ

「いつか……この草原を、オマエの記憶にあるセロシアの花畑以上のところにしてやる」

「セロシアの花畑以上の、ですか?」

「ああ、約束だ」


 そう言って、ダリオさんは小指を差し出した。

 私は彼の小指に自分の小指を絡める。

 刹那、びりっと何かが脳内を駆け巡った。



 ――約束だ。




 ――……と。

 ダリオさんが私の髪を優しく梳いたと思ったら、髪に口づけを落とし、思いきり抱きしめてきた。


「――ど、どうしたんですか! 突然」


(鎮まれ心臓!)


 念じてみても、私の心臓は早鐘を打ったまま。

 少しでも声を出せばそのまま心臓が口から飛び出てしまいそうだ。

「もう、ちょっと――――」






 ――オレの命はこの国のものだ。それ以上でも、それ以下でもない。


 ――マドカ。――――は、この――――を守りたい。この国を守れるなら、命だって惜しくない。

 ――約束だ。ちゃんと帰ってくる。






「…………あの……っ」

「?」

「さっきの約束にプラスしてもう一つ、約束してほしいことがあるんですけど」

「なんだよ、言ってみろ」


 約束できかねる可能性もあるけどな、とダリオさんが耳許で笑った。

 かあっと耳が熱くなる。

 しかし、この約束は……どうしても、交わしておきたくて。


「生きるって、約束してください」

「…………」

「前にダリオさん言ってましたよね。“オレはこの国のものだ。それ以上でも、以下でもない”って」


 ダリオさんは迷いなく首肯する。

 私は、下唇を湿らせて思いの丈を口にした。


「私にとって、ダリオさんは――――ダリオさんです。国のものでも誰のものでもない、ダリオ・ドゥーガルドです」

「!」

「もしこの先、この草原が私の記憶にあるセロシアの花畑以上の場所になったとしても。この場所に、ダリオさんがいないとか……あれなんで……勘弁してくださいね」

「…………あれってどれだよ」

「あれはあれです」

『バカ』

『ダリオさんのアホ』

「マジで……オマエはあれだな」

「あれってどれですか」


 ダリオさんは私を抱きしめる腕の力を強める。彼の心臓の音が聞こえた。力強く――脈打つ命。

 ――国のために命をなげうつ覚悟を決めている彼。

 そんな彼が「生きる」という約束を交わしてくれるとは思いがたかった。それでも私は約束が……確証がほしかったのだ。


(……彼は、とても危うい)


 俺様で、短気で、口が悪くて。どこまでも強い人。

 だからこそ――――彼は躊躇わない。厭わない。怖がらない。






 ――――アノ人ト、同ジヨウニ――――






 それがとても、私には危うく思えた。


(………………行かないで………………)

















 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-






 暗がりに二つの影がうごめく。


「――遅い」

『ももも申し訳ございません、ボス! これまで、かなり巧妙に足取りをごまかしていたようで……』

『ふーん……“篠嶋しのじま”、か』

『はい、元々は篠嶋という名字だったようです。そちらの報告書にありますとおり、例の事件後、名前を変えてカムジェッタに紛れていました』

『報告ご苦労。じゃあ、これをマスメディアへ売っておいで。あと……例のことについても』

『かしこまりましたっ』


 一つの影が慌てた様子で走り去っていった。

 ボスと呼ばれた男は、ゆったりとしたソファにもたれかかる。


「……お前がいけないんだよ、倉間マドカ――いや、篠嶋マドカ。しぶとく生き残って……生き恥をさらすなんて、ね。爆破で死んでしまったほうがいっそ、幸せだったかもな」


 男は手元にある書類に目を落とす。


「……もう全部、終わりにしてしまおう」


 そう言うが早いか、彼は種類の端をライターであぶって火をつけた。





「plav bareneya,aa,finyukok!」








 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-




『本当にいいんですか?』


 恐る恐る尋ねると、警備部の室長は笑顔で頷いてくれた。


『ああ、いいよ。もうだいぶ特殊犯罪組織の行動も収まってきてるしね』

『…………じゃあ、お言葉に甘えて……』


『……一緒に行こうか?』

『うん、それがいいよ。ダリオは来訪したアマネ王子の護衛に就いてるし、ノア中佐も海外任務に就いてるみたいだし……心配だよ』


 ルイスさんとクリストファーさんが心配げに声をかけてくれた。


『大丈夫ですよ。すぐそこまで調香道具を買いに行くだけですから』

『だが、何かあったら……』

『僕らがダリオに怒られちゃうからついてく!』

『ルイスもクリスも……。倉間さんだって1人で行動したいときだってあるだろう?』


 ですが、とルイスさんは口ごもる。すると、室長は冗談めかした雰囲気で『そんなに気になるなら、倉間さんを尾行すれば良いじゃないか』と笑う。


『そうですね、そうします!』

『おいおいおいクリス、冗談だよ? 実行したら、ストーカーだよ?』


『じゃあ、行ってきますね~』


 仲良く話している彼らに頭を下げて私は市警察署を後にした。




 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-




 調香道具を売っているお店は警察署がある場所からほど近い場所にある。

 徒歩十五分くらいだろう。


 ヴァンリーブ産の豊かな調香原料が揃っている店内。見て回るだけでも楽しかった。

 カムジェッタではアロマオイルなどの調香に使用するアイテムは高価だ。しかし、原料が豊富なこの国ではかなり安く買うことができる。

 店員さんとも仲良くなれたし、海外への通信販売もおこなっているそうだから……カムジェッタへ帰国したあとでも原料を安く手に入れることができそうだ。

 私はホクホク顔で歩いていた。


 と、そのとき。

 バイブレーションモードにしていた携帯が鳴った。

 画面を見ると、どえらい数の着信件数が表示されている。

 何事かと思い、着信を入れてきた人物――クリストファーさんへ折り返した。


『あ、クリストファーさんすみません。調香道具見るのに夢中で――』

《マドカさん、そのままこっちに戻ってこないで!》


 私は思わず立ち止まる。


《とりあえず、調香道具を売ってるショップの中に隠れてて!》

『…………無理です。もう、警察署のすぐ傍まで来ちゃってます』

《! すぐ離れて! 早く!》

『え、は――――――』

『いたぞ! 彼女だ!』


 あっという間に私は大勢の人に囲まれた。

 何がなんだかわからないまま、人々の顔を見渡すも――見知った顔は一つもない。


『倉間マドカさんですよね?』

『は、はい……』


 パシャパシャとカメラのシャッター音が響く。

 無数のマイクが顎に当たって痛い。

 反射板みたいなものが眩しくて、私は思わず目を瞬かせた。


『お母様はブルダム王室お抱えの調香師で、お父様はブルダム王室の護衛官だったと伺っております』

『…………?』


 どうしてこの人たちはそんな情報を持っているのだろうか。

 父がどんな職業に就いていたのかなんて、私は覚えていない。そのため、何も答えられなかった。


 女1

『倉間マドカさん、あなたが我が国の転覆を狙っている特殊犯罪組織の一員である可能性があるとのリークが入ったのですが。それは真実でしょうか?』

『え!?』

『ヴァンリーブ警察に身柄を押さえられていると聞きましたが……』


 何がどうなっているのだろう。恐怖が忍び寄ってくる。


『やはり、ブルダム王室の悲劇を引き起こした元凶である父親を持っているだけありますな! 国家転覆を謀らんとしている組織に与するなんて、血は争えませんね!』


(ブルダム王室の、悲劇……? 国家転覆……?)


 知らない、わからない。


 …………知りたく、ない。







 ――マドカ、父さんはブルダム王国を守りたい。そのためなら、命も惜しくない。








 オモイダシタク、ナイ。







 開きそうになる記憶の扉。それを押さえ込むように――――私はぎゅっと自分の体を抱きしめた。




「何してんだ、てめえら……」

「ダリオ、落ち着け」


 マスコミを掻き分け、姿を現したのはダリオさんとアマネ様だった。

 アマネ様の周囲にはダリオさんを始めとするSPがズラリと並んでいる。屈強なSPにひるむことなく、マスコミたちはダリオさんとアマネ様にマイクを向けた。


『ダリオ警部、少々お伺いしたいことが――』

『…………話は後で』


 ダリオさんは女性が向けてくるマイクを手で押しやると、私をマスコミから庇ってくれた。

 パシャパシャと鳴り響くカメラの音と人の声が耳に響く。


『ダリオ警部、倉間マドカさんはヴァンリーブ警察が拘束しているのですか?』

『――るせえ』

『はい?』

『うるせえって言ってんだ! 聞こえねえのか! 公人であるオレやアマネ王子を囲むのは一向に構わない。だが、コイツは一般人だぞ。プライバシー侵害してるって、わかってやってんのか?』

『しかし、その女性はブルダム王国の――』

『だったらなんだ。ここはヴァンリーブだ』


 絶対零度の怒りが、ダリオさんの声から、体から迸っている。


『コイツに手出しするのは許さない。……たとえ、誰であろうとな』


 低い声で彼は言った。


「ちょっと目を離したらこれだ。オマエ、マジで運ないな」

「……そんな、こと……っ」


 ダリオさんたちが来たことでホッとして、ボロボロと涙が零れた。

 彼といると涙腺が緩くなってしまう。


「……アマネ王子にお伺い致します。やはりさんはあの十三年前の事件と――」

「無関係です」


 アマネ様は記者の質問を一刀両断した。


「ですが、倉間マドカさん……篠嶋しのじまマドカさんのお父様は……」

「彼女のお父上は、たしかにブルダム国王つきの護衛官として勤務していました」

「いいえ、あの事件については彼女のお父上は関係ありません。それを裏付ける証拠も発見できています。一部報道が過熱し、真実がねじ曲がって伝わっただけです」

「しかし、真実でないのであればさんたちは名字を変える必要も、ブルダム王国から逃げる必要もなかったのではないでしょうか? 現在はカムジェッタ国民として暮らしているとの情報がありますが――」


「いくら私が真実を伝えても!」


 静かでひんやりとしたアマネ様の声が響き渡った。


「あなたたちが、虚実を真実だと言い張ったんだ。そのせいで、彼女たち家族は追い込まれた」

「アマネ王子、我々は決して――……」

「これ以上の追求は、私への侮辱として扱う」

「………………分かりました、アマネ王子。その件に関しては我々はもう追求致しません」


 国家同士の問題に発展するだろうことを予想したらしい記者は、そう言っておもむろにダリオさんを見た。


「アマネ王子、もう1つお聞きしたいことがあるのです。お答え頂けますでしょうか?」

「……なんでしょうか」

「そちらにいらっしゃる、ヴァンリーブ王国の警察官――ダリオ・ドゥーガルド警部が、ヴァンリーブ国王の実子というのはご存じでしょうか?」

「証言は取れています。ダリオ・ドゥーガルド警部は、我が国の“正統なる”王位継承者……エメリー・シルヴェスター・ヴァンリーブ様ですよね? そのことについて、コメントをお願い致します」





 ダリオさんとアマネ様の顔から、表情が消えた。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る