3章 深夜の初体験
「ぷはーっ」
カムジェッタ・ホテルのロビーにて、私は堪えていた息を思いきり吐き出した。
危ない危ない。
このまま窒息するかと思った。
いきなりサングラス集団に囲まれて、カムジェッタ・ホテルに連れてこられたと思ったら、待っていたのはヴァンリーブ王国の王子からの厳しい尋問。
一方的に悪者にされそうになって、かなりピンチな状況だったが……。
ダリオさんからの手助けにより、こうしてあの場所から逃げ出すことに成功した。
「あー肩凝った。お疲れだったな、オマエも」
「いえ。ダリオさん、助かりました。GPSの件は非常に不愉快ですが、助けてもらったことには変わりないのでお礼を言っておきますね」
『……減らず口が』
ダリオさんはそうヴァンリーブ語で悪態吐きながら舌打ちした。
「……まあ、あれだ。うちの国の王子が迷惑かけたな。もう二十二時回ってるし、これから仕事だろ。バーまで送ってやるからついてこい」
――瞬間、私はフリーズした。
ダリオさんはロビー入り口の回転ドアまで歩いて行ったものの、後ろに私が続いていないことに気が付いて戻ってくる。
「オマエなぁ~! 早くしろよ!」
こめかみに青筋を浮かべすごんでくるダリオさん。
その顔を見ても、ちっとも怖いとは思わない。
だって、それよりもっと怖いことが、起こっているのだから。
私はダリオさんを無視し、静かに携帯をバッグから取り出して、クローバー・ホテルへと連絡を入れる。
ちょうど支配人が電話に出てくれたのだが、トラブルに巻き込まれたとだけ伝えて心から謝罪したところ、笑って許してくれた。
十年勤続してくれてるんだから、と。
普段、話が長くて煩わしいと思う支配人ではあるが、こういう大らかさは本当に有り難い。
私は厚くお礼を言って、電話を切った。
問題は――……。
ごくりと唾を呑み込み、バーへと電話をかける。
二コール目で、バーの店長が電話に出た。
「店長、申し訳ございません。倉間です」
《……うん》
「本当に申し訳ございません。どうしても遅刻するご連絡を入れることができない状況でして……」
《怪我して病院に運ばれたとか?》
「いえ、そうではないのですが……その……」
《お疲れ様。今までありがとうね。今月分の給料を計算して、明後日には振り込むから。じゃあ》
プツッと電話は途切れた。
ツーツーツー、と空しい音が耳元で鳴り響く。
(…………やっぱり…………)
「……オイ」
「クビになっちゃいました。ハハハ」
私はそう言って、おどけたように笑ってみせる。
「いきなりだな。…………」
ダリオさんは気まずそうに頭を掻いた。
「………まさか、無断で遅刻したせいか……?」
コクンと私は頷いた。
私が勤務している――いや――していたバーには、無断欠勤や無断遅刻は即刻クビという決まりがある。
時給が良いため、それについて文句を言うスタッフはいない。大体、無断で遅刻したり欠勤したりしなければ良いだけの話なわけで。
バーに勤務し出して三年経つが、自分が無断欠勤・無断遅刻することはないと高をくくっていた。
(まさか、こんなことになるなんて……)
……ヴァンリーブ王国の王子に尋問を受けてましたと話せば理解してもらえるだろうか。
「オレから事情を説明できればいいんだが、今回の事件のことを正直に話すことはできかねる」
「ですよねー……」
「……あー、そうだ。適当にひったくりがーとか他の事件に関わってしまったという感じで話を持ってってやろうか?」
「大丈夫ですよ! てか、ダリオさん嘘下手そうだし」
「んなことねえよ。きっちり嘘ついてやる。バーに電話かけろ。オレが話をつけてやる」
バーの店長はかなり勘が鋭い。
これまで無断遅刻・欠勤をしてしまった数々のスタッフたちの嘘を全て見抜いてきた店長は、ダリオさんの嘘を見破るだろう。
バーの店長は今までとても良くしてくれた。だから――嘘なんて吐きたくない。
(全部が終わったあとに、ちゃんと謝罪しに行こう)
「いいですよ~。別のバイト先見つけますから。最近、バーの仕事も飽きてきてたんです。だからちょうど良かった」
私はそう言うと、ふらふらと足を動かし始める。
(これから、お金どうしよう)
「ダリオさん、家まで送っていってもらっても良いでしょうか。ちょっと疲れちゃいました」
(バーの仕事ほど給料が良いバイト、私の学歴・職歴で受かるかな……)
上手く笑えているだろうか。
明るい口調で言えているだろうか。
不安そうな、震え声になっていないだろうか。
「……ああ、もちろん。送ってやる」
ダリオさんはそう言って、カムジェッタ・ホテルの貴賓客用駐車場へと私をいざなった。
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車内は重い沈黙に包まれている。
「ちょっと寄り道するから」
「あ、はい」
こちらの都合を聞くことなく、ダリオさんは私の家がある方向とは逆方向に車を走らせる。
車窓に流れる景色がとても綺麗だ。
中学を卒業した十五歳のときからずっと、こんな素敵な夜景をじっくり見る余裕なんてない、働きづめの毎日だった。
彼氏ができたこともあったけれど、多忙過ぎる私に愛想を尽かして去っていったっけ。
(ああ、涙出そう)
しかし、ここで泣くわけにはいかない。
運転席には、ダリオさんがいるんだから。
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車を走らせて数十分。
ダリオさんはスッとブレーキを踏んだ。
「ほら、降りろ」
「え……?」
「ちょっと気分転換しようぜ。バーンハードのせいで、気分台無しだろ。あー、ありえねー。めっちゃ疲れた」
彼はそう言って、車をサッサと降りる。
目の前に広がっているのは、海岸だった。
寄せては引いていく波の音が心地いい。
――と、私が海に注目している間に、ダリオさんは少し離れたところに停まっている移動販売車の前にいて。
車の横に置かれた看板にはホットドッグの絵が描いてある。ジャンクフードを取り扱っている車のようだ。
ダリオさんは移動販売車の店主から何かを受け取ると、そのままこちらへUターンしてくる。
彼は砂浜へと降りる階段のところに腰かけた。私もダリオさんの横に腰をおろす。
「おごりだ、有り難く食え」
「……ありがとう、ございます」
ダリオさんから差し出されたホットドッグを受け取り、頬張ると、じわりとソーセージの肉汁が滲み出した。
その旨みが舌から胃に落ちていき、空腹を和らげてくれる。
(そう言えば、今日は朝から何も食べてなかったな)
染み入るような温かさを感じさせてくれるホットドッグ。
――これから、どうすれば良いのだろうか。
バーの仕事がクビになった以上、代わりの仕事を探さなければならないのはわかっている。
わかっているのだが……途方に暮れてしまう。
「私、こうやって夜の海岸でホットドッグ食べるの、初めてです」
「へえ。オレはバイトの帰りとかによく食ってたぜ」
「おいしい……ですね」
バーンハード王子の冷たい視線。
それを制止するでもなく、でくの棒のように立っているSPや警察官たち。
事情聴取という名目で、また呼び出されたらどうしよう、という不安が消えてくれない。
色んな思いが心と頭を支配し、ない混ぜ状態だ。
――堪えきれず、涙が零れた。
「……っく」
ダリオさんに泣いていることを悟られないように声を出さず泣くことを試みたものの、嗚咽が漏れてしまった。
「…………」
「……す、すみませ……」
「絶対、何とかしてやる。取り敢えず……昼の仕事はカムジェッタ・ホテルへ移れ」
「え……?」
「オレが甘かった。穴だらけのカムジェッタ警察の警護なんてあてになんねーってことが今回のことでよくわかったぜ。オマエを
「それは……確かに」
「カムジェッタ・ホテルならセキュリティーは万全だし、オレもあそこを拠点にして動いてるから目が届く」
潮風がダリオさんの美しい栗色の髪を揺らしている。
ダリオさんはそう言って、ぐっとこぶしを握った。
「カムジェッタ・ホテルは、クロバル・ホテル……だっけか? オマエの勤めてるホテルの大元だろ。ガーレにも、今オマエが勤めているホテルにも、話をつけておいてやるから」
「…………ですが……」
カムジェッタ・ホテルには、きっとバーンハード王子がいる。
彼と顔を合わせるのはちょっと遠慮願いたい。
そうは言っても、そんなわがままを聞き入れてもらえないということは十分理解している。
憂鬱だが、我慢するしかないだろう。
「ああ、バーンハードの野郎に会うのが嫌だってんなら、別に心配する必要ねえぞ」
私の思いを的確にくみ取り、ダリオさんは言った。
「国王からバーンハードに対して帰還命令が出てる。事件が勃発したカムジェッタに王子を残しておくのは不安なんだと。だから……安心しろ」
「はい……」
「バーの仕事の方は――他の仕事先を斡旋してやる。バーの仕事と同条件の案件が見つかるまでは……オレの手伝いでもしてればいいんじゃねえか? ちょうど一人くらい小間使い欲しかったところだ。バーの仕事と同じくらいの給金出すぜ」
「ダリオさん……。……小間使いって……めっちゃコキ使う気でしょ……」
「あったりまえだろ!」
ダリオさんは言い切って、微かに笑った。
そして、私の頭をわしゃわしゃと掻き混ぜる。
「大丈夫だ。ちゃんと元の生活に戻れるようにしてやる。オレが言うんだ、間違いない」
ダリオさんから放たれた、自信に満ちあふれた言葉たち。
それにちょっと感動していた……が。
「だから泣くなよ! オマエの泣き顔、めちゃくちゃ汚ねえから――……って、いってえええええ!」
私の感動を返せ、とばかりに、ぎゅうっとダリオさんの足をパンプスのかかとで踏んづけてやった。
「……ホント、ダリオさんって一言余計ですよね」
きっと、痛いはずだ。
……されたことないからわからないけど。
「あ」
「ああ!?」
「……思い出した」
「何がだ! オレに対する謝罪の言葉をか!?」
「いえ、違います。路地裏で話してた二人組が言ってた言葉、聞き取れなかったんですけど……一つだけ聞き取れた単語があったんです」
ダリオさんの表情が、一気に引き締まる。
「でも、なんて単語だったかまで……思い出せなくて……」
「思い出したら教えろ。ていうか、よく知らない言語の単語を拾えるな。オレ、絶対無理」
「そうですね、ダリオさんは公用語であるカムジェッタ語も怪しいですもんね」
「あ!? こうやってちゃんと喋れてるだろうが!」
ダリオさんのツッコミを聞き流し、私はホットドッグを頬張った。
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翌日――。
そんなこんなで、私はクローバー・ホテルからカムジェッタ・ホテルへ異動することになった。
ダリオさんの手配は迅速で、昨日の今日でカムジェッタ・ホテルへ出勤する段取りがすっかり整っていることに驚きを隠すことができない。
朝、「今日からカムジェッタ・ホテルへ出社しろ」という電話がダリオさんから来たときは、文字通り飛び上がって驚いてしまった。
なお……。
私は現在、ヴァンリーブ王国へ帰国することになったバーンハード王子の見送りに、ダリオさんとカムジェッタ空港へ来ていたりする。
「やっぱり、ヴァンリーブ王国に彼女を連れて行った方が……カムジェッタにいるより守りやすいんじゃないか?」
「あーはいはい。さっさと行けよ。国王が待ってるぜ」
ダリオさんは先程から繰り返されるバーンハード王子の言葉に、耳を傾ける素振りも見せなかった。
最後の最後まで、「ダリオも一緒に」と言って聞かなかったバーンハード王子に対し、ダリオさんは完全拒否の姿勢を崩さない。
バーンハード王子は私に厳しい表情を向けてくる。
「私はまだ、君に対する嫌疑を捨て去ったわけじゃないから」
そう吐き捨てて、彼は自家用ジェットに乗り込んだ。
……八つ当たり同然の態度である。まあ確かに、ダリオさんが帰国しないのは私の件が関係しているのは間違いないけれど。
「やっと行ったか。マジでうぜえ」
ダリオさんはそう言うと、まだ離陸前の自家用ジェットを見送ることなく踵を返す。
「え、いいんですか? 飛び立つまで見送らなくても……」
「ああ。どうせ、機内で朝飯の準備でもさせてるだろうから、外になんて意識向けねえよ」
「はあ……」
そういうものなのだろうか。
これまでの人生で一度も飛行機に乗ったことがない私には、機内の様子なんて想像もつかない。
(私だったら、きっと……飛行機が飛び立つのをワクワクして窓の外眺めながら、今か今かと待ってるんだろうな~)
そんなイメージを膨らませつつ、私は空港を後にした。
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ああ、そう言えば……と空港からカムジェッタ・ホテルへ向かう途中、ダリオさんが口を開いた。
「オマエ家まで付け狙われてるっぽいから、カムジェッタ・ホテルで寝泊まりさせることにした」
「……え?」
「え? じゃねえよ。既にご家族へ連絡して、オマエの荷物をカムジェッタ・ホテルに送ってもらう手筈になってる」
「いやいや……そんないきなり……って、え!? 家族に言ったんですか!?」
「ああ。カムジェッタ・ホテルに引き抜かれて、研修のため泊まり込みって説明した」
なるほど。それなら、家族も安心してくれそうだ。
もし、犯罪組織に狙われているかもしれないから……という理由を話そうものなら、母あたりは卒倒してしまうだろう。
拒否権なんて私にはないだろうから、素直に黙って従うことにした。
……命、惜しいし。
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……つい先日、臨時スタッフとして雇用されたカムジェッタ・ホテル。
一流ホテルとして非常に有名なこのホテルで働くことができるのは一握りの人間のみだ。
ダリオさんの颯爽とした足取りに続き、私はカムジェッタ・ホテルのロビーへと続く階段を一歩踏み出した。
ロビーの中央に差し掛かったあたりで、ダリオさんは足を止めた。
彼の前にはガーレさんが佇んでいる。
彼はダリオさんに対して会釈し、
「お疲れ様です。お部屋まで案内させて頂きます」
と、優雅に言った。
「ああ、頼む」
ふと、ガーレさんは視線をこちらへ向けて肩を竦めた。
「ダリオ様から大方の話は聞いた。ヴァンリーブ王国の密売組織に出くわしたんだって? ……災難だね」
「はい」
(そういうことになってるのか……)
「とりあえず、あなたの部屋はダリオ様のご指示のもと、彼の隣室を手配した。で、昼間の仕事は――」
ちらりとダリオさんを見、ガーレさんは苦笑を洩らす。
「ダリオ様の強いご要望で、彼のいる階の清掃や雑務を担当してもらうことになったから」
「な…………っ!?」
「はい。………………え?」
「ガーレ、オレは強い要望を出した覚えはない! 訂正しろ!」
(まさか、ウソですよね?)
と、ガーレさんに目で訴えかけるが、思いきり逸らされてしまう。
ダリオさんも、言い方は否定しているものの根本的なことは否定していない。
どうやら、ダリオさん担当というのは本当なようだ。
たしかに、指名手配中の組織から守るのに、ダリオさんの近くにいるのが安全だというのはわかる。
わかるのだが。
「………………はあ」
気が重い。
私はやんやとガーレさんに文句を言っているダリオさんの背中を見つつ、溜め息を吐いた。
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ガーレさんが案内してくれたのは、一般のお客さんやスタッフでは入ることができない場所にあるエレベーターだった。
カチ、カチ、と階数ランプが上へ上へと上昇していく。
そして――最上階で停まった。
(なんとなく想像がついてたけど……やっぱり特別スイートルームか……)
カムジェッタ・ホテルの最上階は、ホテルでも選ばれた人物たちのみが宿泊することを許される特別スイートルームとなっている。
どんなにお金を積んだとしても、ホテル側が宿泊させるに値しないと判断したら泊めてもらえない……という極上の階。
そこへ出入りできるホテルスタッフは非常に限られており、支配人自らがそこに泊まっている方々の客室係をすることもあるらしい。
――ということを、つい先日、臨時スタッフとして雇われた際に知識として叩き込まれた。
臨時スタッフの身分でそんなところに出入りすることは絶対ないけど、と思っていたのに。
私は今、絶対に出入りすることはないと思っていた最上階にいる。
(しかも、ここの階の一室で寝泊まりするんだ……)
カムジェッタ・ホテルの客室は通常階も非常に豪華で洗練されている。が、ここの階の比ではない。
「ここはホテルにとって特別なお客様――各国要人の方々がほとんどなんだけど――のみ宿泊することを許されている階……って、この前さらっと教えたから知ってるか。あ、そこがサロン。談話するためのリビングルームのようなものだよ」
ガーレさんが指差した先にあるサロンは、想像以上にものすごく非常に広かった。
私の部屋10個分以上あるのではなかろうか。
ダンスパーティーでも開けそうなレベルである。
「他にわからないことがあったら……ダリオ様がご存じだから、わからなかったら聞くように」
「オイ、ガーレ。オレは客だろ? なのに、なんでオレが教えなきゃ――」
「でさー! もう、びっくりしちゃったよ! 女の子たちから、こ~んな大きいお菓子もらっちゃって……いやあ、人気者は大変大変♪」
「………………」
ダリオさんの言葉を遮るように、明るく弾んだ声がサロンの奥まったところから聞こえてきた。
ガーレさんは私に同情の眼差しを送ってくる。
「あなたは本当に運が悪い。……まあ、保護されたのがグレイ様ではなくダリオ様だったのはマシだったかもな」
「マシってなんだよ、ガーレ。オマエ――マジでさっきから失礼極まりねえぞ!」
ガーレさんはダリオさんの抗議を物ともせず、スッとサロンの奥へと目を転じた。
彼の目線の先には、こちらに向かってサロンの奥から手を振るカムジェッタ国の王子・グレゴリウス様――もとい、グレイさんの姿があった。
ガーレさんは大きな溜め息を一つ吐くと、私の肩を叩いた。
「じゃあ、私はこれで。明日は六時から仕事だから。これ、スタッフカード。更衣室へ行く際はここへ宿泊しているのが知られないよう、一旦裏口に回ってから入るように。じゃあ……頑張って」
「ありがとうございます……って……」
(ええ!? ガーレさん、行っちゃうの!?)
サロン手前で踵を返すガーレさんを引き留めたくて手がウズウズする。
そんな私に目を向けることなく、ガーレさんは従業員専用のエレベーターへと続く扉の向こう側に消えた。
……心細いことこの上ない。私はぎゅっとスカートを握りしめる。
「ダリオー、マドカちゃーん! こっちこっち」
そんな私の気持ちに気づくわけもなく。
グレイさんはテンション高くこちらに呼びかけてくる。
つかつかとそちらへ向かうダリオさんに続き、私もグレイさんがいる方へと足を運んだ。
「グレイさん……いえ、グレゴリウス王子、これまでのご無礼をお許し下さい」
「え!? 何、いきなり」
「これまで気安く『グレイさん』などとお呼びしていたので……」
「えー! 十年もの付き合いになるのに、そんな今更かしこまらないでよ~!」
「……ですが」
「いいから、いいから。これまでどおり『グレイさん』で良いって! ていうか、十年もボクの正体に気づかなかったんだから、もう良いじゃん」
何がどう良いのかさっぱりわからないが、私としてもグレイさんをグレゴリウス様呼びするのにはかなり抵抗があるので、そう言ってもらえるのが有り難い。
「……十年もの付き合いがあるにも関わらず、王子とわからなかったなんて、テレビも雑誌も見ないのか。無教養者」
「…………」
めちゃくちゃ失礼な言葉が後ろから飛んで来た。
この辛辣な言葉。
つい最近味わったことがある気がするのは気のせいだろうか。
恐る恐る振り返ってみると……。
予期したとおり、そこには水タバコを咥えたベルナルト皇子の姿があった。
(やっぱり……ベルナルト皇子だ……。感じわる)
私の視線に気づいたのか、ベルナルト皇子は新聞から目を外してこちらへ目を向けた。
「ん? ……ああ、ヴァンリーブ王国に確保された憐れな女はお前だったのか」
「え? ベルナルトってマドカちゃんのこと知ってるの?」
グレイさんはキョトンとして首を傾ける。
「だから、昨晩言ったじゃないですか。ダリオが保護したお嬢さんは、ベルナルトが失礼なことを言ったお嬢さんですよ、と」
窓辺で本を読んでいたモルテザー様が呆れたように嘆息する。
「失礼なことを言った覚えはないな。階段から転がり落ちそうになった上、俺の手をわずらわせたという無礼さを指摘したまでだ」
「……細かすぎると思うけど」
ベルナルト皇子の言葉に、彼の横でスマホをいじっていたアマネ様がボソリとツッコミを入れる。
その言葉に、ベルナルト皇子は眉根を寄せた。
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
アマネ様は笑いながらベルナルト皇子の問いに答えていたが、その目は笑っていない。
「オイ、ベルナルト。タバコ吸うな。空気が汚れるだろ!」
「禁煙ではないはずだ」
「オレがタバコ嫌いなの、知ってんだろ!? サッサと消せ」
「指図される
ダリオさんとベルナルト皇子の間に、バチバチと飛び散るスパンコールが透けて見える。
「……ねえ」
「ひっ!」
いきなり耳元で声がしたことに驚き、変な悲鳴を上げてしまった。
振り向くと、そこにはセルジュ様が佇んでいた。
「……君が、ダリオの使用人になる子?」
「はい」
ふーん、とセルジュ様は呟くと、最近カムジェッタで話題になっている栄養補助食品・カロリキットを私の手のひらに落とした。
「大変だろうから、1つあげる。……まあ、グレイじゃなくて良かったね」
セルジュ様はそれだけ言うと、スッとサロンを後にした。
「ちょっと、セルジュ! 言い捨てはダメだよ、言い捨ては!」
グレイさんはそう怒りながらも、私を見て嬉しそうに顔をほころばせた。
「ダリオにマドカちゃんを雇うことにしたって聞いたから……キミが来るんならって、ボクもこのスウィートルーム借りることにしたよ~!」
「は、はあ……? ……グレイさんはともかく……どうして皆さんがお揃いなんでしょうか?」
「ん? ああ、これから1ヶ月くらい皆カムジェッタで見聞広げるんだって~。要は外交活動ってヤツ?」
グレイさんはそう言いつつ、私にじわじわ近づいてきていた。
そんな彼から離れるべく、私もじわじわと後退する。
「ああもう! キミって子は、ボクが王子ってわかってもつれないんだから~」
グリグリと私の頭を撫でてくるグレイさんを、本気で殴り飛ばしたい。
が、曲がりなりにもこの国の王子だ。身分を知ってしまったのだから、簡単に殴り飛ばすわけにはいかない。
私が抵抗しないため、調子に乗ったのだろう。グレイさんはグイグイ肩を抱いてくる。
「失敗したなぁ。ダリオより先に、ボクが手を打つべきだったよ。そしたら、キミと色々できたのに……ね?」
グレイさんの言葉に、ここまで腕を組んだまま口を閉ざしていたダリオさんが間に入ってくる。
「オイ、グレゴリウス。王子だからって調子のってんじゃねえぞ」
その声はめちゃくちゃドスがきいていた。
私は思わず縮み上がる。
しかし……。
「はいはーい」
ダリオさんから言われた当の本人であるグレイさんは大してダメージを受けていないのか、呑気な返事をした。
「お前も、たかがヴァンリーブ国家警察の一員のくせに、調子に乗るな」
「あ!?」
「……ふん」
(うわあ……)
ダリオさんとベルナルト皇子……やっぱり超 絶 仲 悪 い。
似たような性格してそうなのに……と思ったが、口に出したら絶対二人にドヤされそうなので敢えて言わないでおく。
(ていうか……)
ちょっと、違和感を覚えた。
ダリオさんがヴァンリーブ王国の警察組織において、将来を有望視されている人だということはわかっている。
が、地位はあると言っても国の最高責任者候補というわけでもない。
なのにどうして、各国の次期元首・首相候補のような人たちと仲良くしているのだろうか。
「あの……何だか皆さん仲良いんですね」
「どこが!」
ダリオさんとベルナルト皇子の声が綺麗にハモる。
そういうところがだよ、と心の中で突っ込んだ。
「マドカさんは、ダリオがこの面々の中で馴染んでいることに違和感があるんでしょう?」
私の考えなんて全てお見通しだ、と言わんばかりにモルテザー様が鷹揚に頷く。
「ダリオは昔からぼくたちと、それなりに交流があるんです」
「そうなのですか?」
はい、とモルテザー様は首肯した。
「……別に、んなことはどうでもいいだろ。取り敢えず、オマエは給料分めちゃくちゃコキ使ってやるから覚悟しろよ」
「……え……」
(ダリオさんのコキ使うって……本気でやばそうな気がするんだけど)
私はガンガンする頭に手をやり、ふらりと倒れそうになった……が、
キラキラした目で両手を広げて待ち構えているグレイさんを横目見るや否や、寸でのところで踏みとどまった。
ちぇっとグレゴリウスが残念そうに舌打ちをするのが聞こえてくる。
ぞぞっと鳥肌が立った。
「オイ、挨拶は済んだ。とっとと仕事しろ。早く来い! 油売ってるヒマねぇぞ!」
ダリオさんの怒鳴り声がサロンの入り口から聞こえてきた。
彼はいつの間にあそこへ移動したのだろうか。
慌てて後を追おうとする私に、グレイさんがこそっと囁いてきた。
「大変だったね、マドカちゃん。ヴァンリーブ王国の指名手配犯を見かけちゃったんでしょ? 密輸系の」
ガーレさん同様、グレイさんたちにも私が目撃したのは密輸組織だということにしているらしい。発砲された&王室排斥を企んでいる組織うんぬんは伏せてるようだ。
下手に答えたらボロが出てしまう可能性がある。私は曖昧に笑みを浮かべて乗り切ることにした。
「ていうかさ、ちょっと聞いておきたいんだけど……」
「……?」
グレイさんは私の肩にヒジをかけ、顔を寄せてくる。
「ダリオのヤツ、『倉間さんは足の怪我を手当てしないまま帰った』ってガーレから聞いて、キミを追いかけたみたいなんだけど……ちゃんと手当てしてもらった? ダリオに何回確認しても答えてもらえなかったから、気になっちゃってさぁ」
私が答える前に、グレイさんは言葉を続けた。
「ま・式典が終わってからすぐにキミのあとを追ってホテルの外に出たくらいだから、きっと手当てしたんだろうけど……もう痛みは引いてる?」
「は、はい……」
……知らなかった。
ダリオさんがカムジェッタ・ホテルの外にいたのは……偶然だとばかり思っていた。
彼は、私を捜してくれていたのだ。
そのおかげで……私は命拾いした。
たしかに、ダリオさんは私がパーティー会場で足を痛めていることに気づいていたようだったが、そこまで気にしていてくれたとは思いも寄らず。
「あーやっぱり!? ねーねー、ダリオって口悪いけど本当は世話焼きなんだよ~。本当に良いヤツなんだ~!」
「グレイさん、ちょっと……あまりにも距離が近すぎ――」
アマネ様の制止の声は最後まで続かなかった。
「オイ」
後ろから、グイッと肩を引かれる。
トン、と後ろにいる人物の胸板に背中が当たった。
スッとする清々しい香りが鼻孔をくすぐる。
頭を上げると、憮然とした表情をした、ダリオさんの端整な顔があった。
「グレゴリウス。オマエ、どうやらオレを怒らせたいらしいな! オマエも律儀に答えてるんじゃねえよ!」
「な、なんで私が怒られるんですか!」
「オレはコイツを心配して外に出たワケではなくて――」
「あーはいはい」
反論しようとするダリオさんに、グレイさんとモルテザー様が声を合わせてニヤニヤする。
「く……っ」
皆から生ぬるい目を向けられたダリオさんは歯ぎしりした。
「ていうか、マドカちゃん。ダリオが横暴なこと命令してきたらすぐボクの部屋へ来るように! ボクの部屋、ダリオの隣の部屋だから……あ、何ならサブカードキー渡しとく? もちろん、ボクの部屋へ来たら……朝まで部屋から出られないから、覚悟しておいてね♡」
ゾゾッと鳥肌が立ってしまった私はしきりに腕をさすり上げる。
そんな私を庇うかのように、ダリオさんは一歩前に踏み出した。
「この、女好きが……っ。コイツはヴァンリーブ警察が預かった人間だぞ。変なことしようなんて企むな!」
「ホテルスタッフに対し誘いをかけるとは……王子としてあるまじき行為だな」
ダリオさんの言葉にベルナルト皇子も同意する。
アマネ様は心底蔑んだ目で「……変態」と、一言だけ呟いた。
「こんな王子を持って、カムジェッタ国民は憐れですね」
眉をハの字にして、モルテザー様が嘆くように言ったと思ったら、いつの間にかサロンに戻ってきていたセルジュさんも、哀れむような視線をグレイさんへ向ける。
ちょっと可哀想になるくらい、グレイさんに対する皆の対応は酷かった。
こてんぱんだ。
「ちょ……ひどくない!? 助けて~マドカちゃ~ん」
「あいにくですが、私自身も皆様と同意見ですのでお助けできません」
「そんな……本気なのに」
「余計悪い!」
ダリオさんはグレイさんに向かって、近くのソファに転がっていたクッションを投げつけた。
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