4章 剥がれた顔


 カムジェッタ・ホテルの特別スイートルーム。その一角にダリオさんが寝泊まりしている部屋はある。


「もー嫌です!」

「あ!? 拒否権はねーっつってんだろ!」

「嫌だ~!」


 逃げ出したくても、ダリオさんに首根っこを掴まれているせいで逃げられない。


 ……私は今、ダリオさんが抱えている仕事の手伝いをしていた。

 書類整理に意味がわからない数字とグラフをパソコンでデータ化。

 カムジェッタ語の文章をヴァンリーブ語に書き起こしたり、エトセトラ、エトセトラ。

 私が最も苦手とするデスクワークばかり押しつけられている。

 地獄だ。

 しかも、それだけじゃない。

 仕事の手伝いをしながら、お経のようなCDを聞かされている始末。


 指名手配犯が話していた言語を特定するために……と、各国の言語を大体一時間ずつ聞かされているのだ。


「あと少しで終わるだろ。終わったら、これ食べるの許してやるから」


 嫌がる私をなだめるように、ダリオさんはコーヒー片手にチョコレートをちらつかせてくる。

 私は恨めしげにダリオさんを睨みつけた。


「……ダリオさん、デスクワーク苦手なんでしょ」


 ぴくりとダリオさんがコーヒーを飲む手が止まる。


「だから私にぜーんぶまわしてるでしょ!」

「…………」


 ダリオさんは思いっきり明後日の方角を向いた。


 図 星 だ 。


「ひどい……! ダリオさんも手伝って下さい!」

「オマエ、使用人なんだからオレに頼るな。言われた仕事くらい、ちゃんと1人でやれよ!」

「それはそうですけど……でもっ!」


 私の周りにはうずたかくコピー用紙やらCD-ROMやらが積み上がっている。

 少しでも振動を加えれば、ばさ~っと倒れてきそうなくらいの量だ。

 こんなにたくさんの量をここ一週間、私は毎日こなしている。

 どれくらいの量かって、朝の九時からやり始めて夜の十時に終わるか終わらないかという量だと言えば、その多さをわかってもらえるだろうか。


 しかもそれにプラスして、ホテルスタッフとして清掃・配膳などもおこなっているという何ともハードスケジュール。


 これまでデスクワークなんてやってこなかった私からしてみたら、鬼のような仕事量だ。


「ったく、しょうがねえな」


 ダリオさんはブツブツ文句を言いながら、私の向かい側のソファへ着席する。


「ていうか、こんなんオレじゃなくて他のヤツに回せよって思わねーか? 上官、オレが事務処理苦手なの知ってんだぜ?」

「思います。ええ、思います。もしダリオさん以外にこの仕事が回ったら、私がこうしてやることもなくなりますから」

「……上等だ。オマエ、この一週間で言うようになったじゃねーか」


 そう言いつつも、ダリオさんからは本気の怒りを感じない。


 ……ダリオさんと私の関係は、グレイさん曰く『いい喧嘩友達』というやつらしい。


 昼はカムジェッタ・ホテルのスタッフとして。


 そして夜十時からはダリオさんの使用人として働くことになって、瞬く間に一週間が経過した。


 まあ、昼間もダリオさんの部屋つきスタッフに任命されているため、実質朝から晩までダリオさんの使用人みたいな扱いを受けていたりするのだが。


 ちなみに、特別スイートルーム階同じ階に宿泊しているアマネ様たちに対しては、あくまで“密輸系の指名手配犯と鉢合わせた”ということで押し通している。


 くれぐれも、王室排斥派の組織が~なんて言わないように、と念を押されていた。


 王室排斥派の組織と言ってもどういった類いの組織なのかさえ、ダリオさんは情報を与えてくれない。

 そのため、誰かに聞かれたところで何も返答することができない状態だったり。


 ……めんどくさいのか、深入りさせたくないのか。


 どんな思惑があるのかはわからないが、取り敢えず教えてくれないのでもう聞かないことにしている。


 現実逃避してみたところで消えることはない目の前を圧迫する、この書類の山、山、山。


 気が遠くなりそうだ。


 遠い目をする私の目と鼻の先に、ぴらりとダリオさんの直筆サインが入った用紙がつきつけられる。


「ほら」

「はい」


 ダリオさんから受け取った用紙に必要事項を記入し、それをハンディスキャンでパソコンに読み込ませ、文字入力を進めていく。


「……これ、間違ってるぞ」

「ダリオさんこそ、これ間違ってますよ」


 二人で神妙な面持ちをしてグラフや数字が書いてある書類と格闘する。


 絶妙なコンビネーションでもって、いつもなら夜十時に終了するかしないかの仕事が、なんと八時に終了した。


「やった、終わりました!」

「オレが手伝ってやったおかげだな。感謝しろ!」

「はいはい、感謝感謝」

「心がこもってねー! やり直せ」

「か、ん、しゃ、し、ま、す」

「一語ずつ言えば良いってもんじゃねえよ、『バカ』」

「『バカ』ってなんですか、ダリオさんの『アホ』」

「ああ!?」


 私とダリオさんは、互いにガルル……と睨み合った。


 と、そこに電話がかかってくる。


「なんだ」


 すぐさま電話に応答するダリオさん。彼はそのまま窓際によって、夜景を見ながら何事か指示を飛ばしているようだった。


 ……私が見ている限り、二時間に一回はダリオさんのスマホには電話がかかってきている。


 それから二十分ほどが経ち、ようやく電話が終わったダリオさんは「はあ……」と溜め息を吐いた。


 そしてソファまで戻ってきて、彼がコーヒーカップを手に取った――と同時に、またスマホが鳴った。


「なんだ」


 コーヒーをテーブルに置き直し、ダリオさんは再び電話に出る。


「は? 国王の海外公務とバーンハードの国内行事がバッティングしてる? いつだ。……そのまま待て」


 素早くノートパソコンを開いて片手で操作し、ダリオさんは指示を飛ばす。


「その日はオレが空いてる。国内行事の方はオレだけで回す。……あ? 海外公務の方をノアに? ダメだ。アイツはその日、他の任務に当たってる」

「そうだな……パーミット辺りを手配しておけ。他は? ……ないんだったら、切るぞ。じゃあな」


 事もなげに彼は言い切り、電話を切った。そして、軽く息を吐いた。


「……大変そうですね。朝も昼も夜も仕事ばかりで」


 思わず気持ちが口をついて出てしまった。

 するとダリオさんは、テーブルに置いていたチョコレートを摘みながら答える。


「こちらは夜でも、あちらは真っ昼間だからな。……というか、オマエも一日中仕事してるだろ。一緒だ」


(一緒。ダリオさんと私が……?)


 冗談ではない。


 ダリオさんの仕事量は私より遥かに多い。

 比較するのも恐れ多いくらいだ。


「オマエも食べろよ。このチョコレート、ブルダム王国限定品なんだ。アマネにもらった」

「え!? いいんですか!?」

「仕事終わったら、やるって言っただろ」

「わー、ありがとうございます!」


 遠慮することなく、私はチョコレートに手を伸ばす。

 包み紙を開けると、コロンと転がってくる一口サイズの繊細なデザインのチョコレート。


「これ、1つ1つショコラティエが作ったヤツらしい。全部デザインが違うんだと」

「わぁ~、食べるのがもったいない……食べるけど。いただきます!」


 鼻孔をくすぐるカカオの香りが、幸せを運んできてくれる。


「お、お、おいしい!」

「ブルダム王室御用達のショコラティエらしいから、うまいのは当然だ」

「王室御用達って……やばい、いっぱい食べとかないと」

「オイ、オレの分まで取るな!」

「ダリオさんはまたアマネ様からもらえるんじゃないですか? ……私、今を逃したら一生ありつけないかもしれないんです。譲って下さい」

「な……っ。強欲女!」

「失礼なこと言わないで下さい」

「今の発言は、誰が聞いても強欲女だと思うだろ!」


 そんなことを言いつつ、明日の分の書類を少しでも片付けようと手をつけた。





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 数時間後――。


 ダリオさんはスマホのアラームを止める。

 0時を告げるアラームだ。


「時間か……お疲れ。上がって良いぞ」


 マドカ

「でも……契約では午前二時までのはずじゃ……」


 昨日もその前の日もその前の前も。

 ここ一週間、毎日0時きっかりにアラームが鳴り、ダリオさんに言われて上がっていた。

 本来なら二時まで働かなくてはならない契約なのにも関わらず、だ。

 ダリオさんは早く仕事を切り上げようが、必ず二時までの給料を日払いで支払ってくれる。

 それがちょっと、申し訳ない。

 私が困ったような顔をすると、ダリオさんは肩を竦めた。


「はあ? 二時までなんて……冗談だろ。オレは0時には寝る準備をするようにしてるんだ。それに合わせてオマエも上がらせる。文句言うな」


 さっさと部屋に帰れ、と手で「しっしっ」としてくるダリオさん。

 発言だけ聞くとイラッと来るが、こちらとしては非常にありがたい申し出だ。

 ここまで言われながらも、「でも、私……きっちり働きます!」

 なーんて、健気に言うような一生懸命さ、私は持ち合わせていない。


「はあ……それでは、失礼致します。おやすみなさいませ」

「返事は『はい』だろ! ったく。じゃあな」


 テーブルの上に広げてある書類に目を通しながらダリオさんは、ヒラヒラと手を振ってくる。

 私はそんな彼に一礼し、部屋を後にした。





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 自室として与えられたダリオさんの隣室。

 広々としており、非常に快適だ。


 しかも、バスルームは大理石でできちゃっているという豪華っぷりである。


(実家とは、大違い)


 豪華絢爛。シャンデリアが煌めく、何もかもが高価なもので飾り立てられた部屋。

 女性なら誰でも憧れるようなステータスの部屋だ。

 しかし――……。


(寂しい)


 しんと静まり返った部屋の中は、孤独感を強める。

 隣にあるはずのダリオさんの部屋からは物音一つしない。防音ばっちりだ。

 私の実家なんて、二階にいても一階で誰かが話していたら聞こえるくらいなのに。

 お風呂に入り、柔らかいベッドで大の字になってリラックスするも、何だか眠れない。

 携帯で現在の時刻を確認すれば、まだ深夜一時。


 十五歳から十年間、この時間はずっと働いてきた。


 そのため、体内時計がそのように合っているのか、眠気が全く襲ってこない。


 ――部屋の中には何もない。


 実家から送ってきた荷物の中には、着替えやスキンケア用品など、必要最低限のものだけだった。

 調香道具はないし、暇つぶしするのに最適なものは一切ない。


(サロンだったら、雑誌とかもあるから暇つぶしになるかな……)


 そう思い、私は音を立てないように気をつけて部屋を後にした。


 皆が共有できるようになっているサロンは常時明かりがついており、いつの時間でもくつろげるようになっている。

 バーコーナーもあるのでそこで飲み物を作ることも可能だ。

 グレイさんたちは皆、寝静まっているはずなので、抜き足・差し足・忍び足……を合い言葉に廊下を歩く。

 ようやく目的地に辿り着くと、そこには――……。


「…………」

「せ、セルジュ様……っ?」

 

 声を荒げないよう気をつけつつ、囁くように名前を呼んだ。

 セルジュ様は読んでいた分厚い本を閉じ、こちらを向いた。

 さして驚いた様子はない。


「――……なんで君がいるの?」

「あの、眠れなくて……セルジュ様も……もう1時過ぎてますけどお休みにならないのですか?」

「……君と一緒」


 端的にセルジュ様は答える。


「眠くないから、眠らない」


 さらりと彼は言うと、沈黙した。会話が途切れてしまう。


(き、気まずい)


 ダリオさんといるといつも騒がしいため、このような沈黙をどう対処すれば良いかわからない。


「――どうして、こんな時間にアンタがいるんだ」


 ハッとして振り返ると、そこにはアマネ様が佇んでいた。

 彼はビシッとしたスーツを着ている。


「おかえりなさいませ」

「ああ」


(どうしてこんな時間に、二人と鉢合わせるの――……)


 ただ静かに、眠気が来るまでサロンで過ごそうと思っていただけなのに。


「アマネ王子、お帰り」

「セルジュさん……まだ起きていらっしゃったんですか」

「この子にも同じこと言われた。……ちょっと眠くなったかも。寝ようかな。……おやすみ」


 そう言って、セルジュ様は持っていた分厚い本を小脇に抱え、サロンを後にする。


「お、おやすみなさい……」


 自由気ままなセルジュ様の後ろ姿に、私は小さく呟いた。


「アンタたちは下がっていい」

「はっ」


 アマネ様は後ろに控えていたSPに下がるように命令した。


「……で?」


 ぐっと唇を引き結んで、アマネ様は私に向き直った。


「どうしてここに? ダリオはいつも0時に仕事終了させてるって言ってたけど。今日は残業?」

「いえ、仕事は終わってます。ただ、ちょっと眠れなかったからサロンでくつろごうかと……」


 ちらりとアマネ様は私のラフな部屋着を見て納得したのか、そうか、とだけ答えた。


「アマネ様は……今まで視察ですか?」

「ああ――うん。テレビ収録があったんだ。かなり時間が押した。……カムジェッタって、のんびりしてる人達が多いんだな」


 アマネ様の顔に、“疲労困憊”の四文字が浮かんで見える。


「そうですね。時間に対してルーズな人が多いです」

「――――俺には……合わない」


 アマネ様の国・ブルダム王国は時間に正確な人が多いと聞いたことがある。


 のんびりであっけらかんとした――悪く言えば時間にルーズで気まま人間が多いカムジェッタは、彼に合わないのだろう。


「お疲れ様です」

「本当にな」


 苦笑気味でアマネ様はダリオさんの部屋がある方面を見やる。


「ダリオはまだ仕事中?」

「私が出たときにはまだ仕事をされていました」


 噂をすればなんとやら。

 ダリオさんの部屋のドアが開いた。


「あ」

「…………」


 ダリオの部屋から出て来たのは、ダリオさんではなく――私を窮地から救ってくれた恩人・ノアさんだった。

 彼は一寸も表情を変えることなく、こちらに歩いてくる。


「アマネ王子、お久しぶりです。ヴァンリーブ王国警察・ノアと申します。数回お会いしたことがあるのですが、覚えていらっしゃるでしょうか? ダリオ・ドゥーガルド警部にご報告したいことがありまして、こちらにお伺いさせて頂きました。夜分に申し訳ございません」

「……そうか」


 アマネ様は心得たというような顔をして首肯した。

 私は慌ててノアさんに頭を下げた。


「あの……! この前は助けて頂いてありがとうございました! お礼を言うのが遅くなってしまい、申し訳ございません」

「ああ……いや」


 そう言って、ノアさんは私から視線を逸らす。


「ほんの気持ちではありますが、今度カムジェッタの銘菓をお渡ししますね!」

「……銘菓。お礼……」


 ぽつりと呟いたノアさんは私の言葉を反復したと思ったら……ハッとしたように顎に手を当てた。


「ちょうどいい。銘菓も捨てがたいが――……」

「?」





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 数日後――。


「何してんだ?」


 いきなりダリオさんに声をかけられた私は、ギクリと肩をハネ上げた。

 今日は午後からお休みのシフトだったので、ヒマだった&皆出払っていたため、サロンで各国の言語が入ったCDを聞き流しながら調香をしていたのだ。

 調香道具は母に電話して送ってもらった。

 私はごそごそと調香道具をしまう。


「別に何でもありません。おかえりなさいませ、ご連絡頂ければお迎えできたんですが」

「連絡しなくても気配で察しろ」

「エスパーじゃないから無理です」

「そんなことはどうでもいい。……で?」

「?」

「その、後ろ手に隠しているものはなんだ」

「……ただの暇つぶしです」


 しかしその態度が悪かったのか、彼はズンズンと近づいてきてヒョイッと後ろ手を覗き込んでくると調香道具をマドカの手から取り上げた。


「いじめっ子!」

「な……って、これ……なんだ?」


 ダリオさんは物珍しそうに遮光ビンに入ったアロマオイルを陽にかざした。

 そのビンをひったくりながら、私は渋々答える。


「調香道具です」

「調香道具っていうと、あれか。香水とか作る道具か?」

「ダリオさんも一応持ってるんですね、そういう一般知識。そうです、香水を作ったりする道具です」

「……なあ、オマエ、オレが一応、要人扱いってこと忘れてないか……?」


 口をひくつかせながらダリオさんは言った。


「そんなことありません。……あの、もう今日は午後からお休みのシフトなので……調香、続けても良いですか?」

「ああ、いいぞ」


 さっぱりとした返事だ。


「ありがとうございます」


 ダリオさんはきちんと仕事とそうでないところの区別をつけてくれる。

 横暴な俺様かと思ったら、そうでもなく。

 使用人としては非常に働きやすい。

 グレイさんあたりなら……。


 ――ボクが帰ってきたんだから一緒に遊ぼうよ~。


 ……とか言ってくるはずだ。

 想像しただけで疲れる。


(ていうか、この前言われたっけ)


 その時はちょうど場に居合わせたベルナルト皇子が待ったをかけてくれたから助かったが、もしベルナルト皇子がいなければ、休み返上でグレイさんの話し相手にならなければならなかった可能性が非常に高い。


 そんなことを思いつつ、私は母が記した調香ノートを見ながらアロマオイルを配合していく。

 この過程が、魔法使いにでもなった気がして好きだ。

 香りと香りが掛け合わさって、別の香りが生み出される瞬間。

 一つではそんなに良い香りに思えないものも、三つ、四つと掛け合わせていくうちに芳醇な香りを放つ。


「すげー……魔法みてぇ」


 ハッとした。

 私の心の声が漏れたのかと思った。

 しかし、それはダリオさんの言葉で。

 ダリオさんは私が調香しているのを近くのソファで見ていたらしい。

 キラキラした目でアロマオイルを調香したビンを見つめている。

 気恥ずかしくなってしまい、私は目を伏せた。


「そ、そうですか?」


 ああ、とダリオさんは私の手で揺れているビンを見つめながら頷く。


「絶対合わないだろって思ってた香り同士が合わさるなんて――調香ってすげえんだな」

「……母が昔、教えてくれたんです」


 私はポツリと言った。


「母親が?」

「はい。私の母、昔は調香師をやっていたんです。すごく心に響くような香りを調香できる人で……尊敬してます!」


 ぐっと拳を握りしめ、思わず私は笑顔になる。


「母みたいになりたくて、今だ独学で勉強をしてて……いずれは貯めたお金で母と二人、パフュームショップをオープンさせるのが夢なんです――――」


 そこまで熱く語ったあと、私はハッと我に返った。

 ダリオさんを見ると、目を丸くしてる。


「す、すみません。熱く語ってしまいま――」

「オレは香水ってあんま詳しくないけどさ」

「オマエ、今まで見た中で一番良い顔してるぞ。本当に調香、好きなんだな」

「はいっ」


 自然と、笑顔が零れる。

 ダリオさんは頬杖をついて笑った。


「そんなに好きなら、調香師を目指せば良かったんじゃないか?」

「いえ……調香師は、浮き沈みが激しい職業ですから。……不安定な給金では暮らしていけないので」

「……そうか」


 暗いトーンでダリオさんは言葉を返してきた。

 しかし、私はちっとも暗い気分になんてなっていない。

 自分の瞳が夢で輝いているのが、自分でもわかる。


「ダリオさん、だから私、仕事頑張ってるんです」

「え?」

「がむしゃらに働いてお金を得て、調香師として雇われる過程をすっ飛ばしてパフュームショップを経営するつもりなんです! そのためなら、朝も昼も夜も働くのだって苦じゃありません!」


 元調香師の母もついてますし、と力強く言う私に対し、ダリオさんは思いきり相好を崩した。


「すげー! ガッツあるな、オマエ」


 彼はそう言うと、グイッと私の肩に腕を回してきた。

 ……まるで、男友達にそうするかのように。


「今回オマエが鉢合わせたヤツらはヴァンリーブ警察の威信にかけて、オレがサッサと捕まえてやる。そしたら気兼ねなく昼も夜も働いて――オマエの夢、絶対実現しろよ。そしたら、まあ……カムジェッタに来た時くらいは立ち寄ってやってもいい」


 とても不遜な言い方だ。

 でも…………嫌味じゃない。

 屈託ない笑顔が、私の心を明るく照らしてくれる。


 指名手配組織。

 ヴァンリーブ警察への証言。

 そして、自分の身の安全。


 不安は常に付きまとって、消えてくれない。


 しかし、ダリオさんの笑顔を見ていると、何だか不思議と全てどうにかしてくれそうに思えてくる。


「はい!」


 私は弾むような声で返事をした。


 ――と、一度聞いたことがあるような言語が耳に響いてくる。


 ハッとして、CDを流しているオーディオへ目をやった。

 音に集中してみると、やはり……間違いない。

 指名手配犯たちが話していた言語と似た雰囲気の言語だ。

 まるっきり同じ文法ではないし、聞き覚えのあるフレーズもない。だが、構成が似ているように感じる。


「……ダリオさん、今流している言語はどこの国の言語ですか?」

「ん? あーっと……ブルダム王国の一地方で使われている言語らしい。現在はあまり使われることがないみたいだが……って、まさか……」

「いえ、私が聞いた言語とは違うんですが、なんか似たような雰囲気が感じられるんです。……自信ないけど」

「でかした! すぐに警察本部へ連絡して似たような言語サンプル送ってもらう!」


 私が最後に付け加えた一言はスルーして、ダリオさんはスマホで連絡し始めた。


「ドゥーガルドです。倉間がブルダム王国ガブリーズ地方の言語の雰囲気と例の組織が使用していた言語が似ていると言っております」

「至急、同じようなリズム・構成の言語サンプルをメールにて送って頂くよう指示して頂けますでしょうか。……はい…………え?」


 意気揚々と話していたダリオさんだったが、最後の最後で嫌そうな顔をする。


「……しかし、別にバーンハード王子には関係ないことではないでしょうか。…………はい。…………承知、致しました」


 ダリオさんは渋面のまま電話を切ると、心底嫌そうにスマホを操作し、耳に当てた。


「ああ、オレだ。一応、ブルダム王国ガブリーズ地方の言語に似ていたという証言が取れた。これからガブリーズ地方で使われている言語と同じような響きの言語をピックして聞かせる。……いいか、ちゃんと伝えたからな。じゃあな」


 相手の返答を待たず、ダリオさんは通話を切った。


「……バーンハード王子ですか?」


「ああ。バーンハード王子も情報を知りたがっていたから連絡入れろって言われた。……別に入れなくてもいいと思うんだが。上層部は王室のご機嫌取りに必死だ」


 鼻にシワを寄せて、忌々しげに言うダリオさんを見ていると、どれだけダリオさんがバーンハード王子を苦手としているかがよくわかる。


「はー、マジでプルーシェ帝国系の言語じゃなくて良かったぜ」

「え?」

「もしこれがプルーシェ帝国の言語だったら、プルーシェ帝国へ手を協力を要請する必要があるだろ? だが、こっちとしては口が裂けてもあの国とは手を結びたくない」

「いやー、ホントについてるぜ」

「ダリオさんとベルナルト皇子が仲悪いだけじゃなく、国同士も仲悪いんですね……」

「そうだな。先の世界大戦で争ったくらいだからな」


 数十年前、ヴァンリーブ王国とプルーシェ帝国は全世界を巻き込む戦争を起こしたことがある。

 どちらも国力が疲弊してしまったことによって、結局は勝敗がつかないまま戦争は終わったが、今も両国間の中は冷えている。


「ですが、調香に使う原料が豊富なヴァンリーブと、調香が盛んなプルーシェって……結構接点多いんじゃないですか?」

「……オマエの言うとおりだ」


 ダリオさんは首肯した。


「ヴァンリーブの国民感情的には、輸出してほしくないみたいだけどな。国益のために輸出を制限することはできない……って、あ。忘れてた」


 いきなりダリオさんは、ポンと手鼓てづつみを打った。







「……ノアのヤツ、15時過ぎに到着するって連絡あったぜ」








 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-






 太陽の光がまぶしい。

 外の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、私は横を歩くノアさんの顔を見つめた。


 どうして彼がここにいるかと言うと――……。


 ノアさんと再会したあの晩、彼は私に「別に銘菓は要らないから、ジェラートショップへ付き合ってくれ」と言ってきたのだ。


 ダリオさん経由でいつ休みか教えてほしいと言われたため、ダリオさんに自分の休みを伝えた結果、今日ジェラートショップへ行くことになった。


 ノアさんはキョロキョロと周囲を見回す。


「ふーん。仕事以外でカムジェッタの街歩いたことなんてなかったが……新鮮だな」

「あのう」

「なんだ」

「ジェラート、好きなんですか?」

「ああ。カムジェッタのジェラートは最高だ」


 最高だ、とは言いつつも、彼の表情は全く変わらない。

 嬉しそうな声でもない。

 きっと、あまり感情を表に出す人ではないのだろう。

 ダリオさんとは大違いだ。


「それにしても……良かったんですか? SPの人たちも一緒じゃなくて」

「いいだろ。ダリオからも良いって言われてるし、第一ずっと一緒だと息が詰まるだろ。オマエも」


 サラリとノアさんは言ってのけた。

 私のためにSPを外すようダリオさんに頼んでくれたのかも! と勝手に解釈し、ニヤけそうになる。


「あ、ノアさん。ジェラートショップをお礼の場所に選んで下さってありがとうございます」

「?」

「私、これから行くジェラートショップ……給料日の唯一の楽しみで毎月通ってるところなんです!」


 そうなのだ。


 ノアさんが行きたいお店と私の行きつけのお店は偶然にも同じだった。

 私にとってはノアさんへのお礼でもあるし、自分自身にとっても嬉しい外出でもある。

 まあ、本当は1人でゆっくり味わいたいのだが……そんな贅沢は言ってられない。


「…………」


 ノアさんは私のお礼に対し、微かに頷いてみせた。






 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-





 ジェラートショップへ到着すると、そこにいるのは見事に女性ばかりだった。

 なるほど、ノアさんが私に付き合って欲しいと言った理由がなんとなくわかる。

 きっと、この女性陣の中で一人突入するのが憚られたんだろう。


「ほら、選べ」


 ショーケースの中に並んでいる、色とりどりのジェラート。

 目移りしてしまう。


「あ、新発売のイチゴショートケーキ味!」

「それにするのか?」

「でも、鉄板のチョコレートも捨てがたいし……」

「味、二種類まで選べるって書いてあるぞ。その二つにす――」

「う~ん、でもなあ。この前食べたヨーグルト味もおいしかったし」

「あ・バタークッキー味もかわいいし美味しそう! ……迷うなぁ~」

「……」





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 たっぷり三十分ほど悩んだ挙げ句、結局イチゴショートケーキとチョコレート味のダブルにした。

 いい加減、悩み過ぎてノアさんに「早くしろ!」とキレられるかと思ったが、彼は


「まだか?」

「……もう、それでいいだろ」


 とは言うものの、私が選び終えるまで粘り強く待っていてくれた。

 そんな彼の手にも私と同じように、ダブルジェラートの乗ったワッフルコーンが握られている。


(結局ノアさんヨーグルトとバタークッキー味にしたんだよね……うらやましい)


「お、結構うまいな」


 ヨーグルト味とバタークッキー味の組み合わせは美味しい。

 以前食べたことがあるから、間違いない。

 ノアさんがふとこちらを向いた。無意識のうちに、ノアさんの持っているジェラートカップをじっと見ていたようだ。

 ノアさんは自分のジェラートと私を交互に見つめ、すっとジェラートカップを私へ差し出した。


「やるよ」

「へっ?」

「オレ、そんなに甘いものたくさんは食えないんだ。だから、残り……やるよ」

「……本当に、いいんですか?」


 ああ、とノアさんは頷いた。


「あ、ありがとうございます。本当はこっちも食べたかったんです! ……んー、おいしい!」


 もっと遠慮した方が良かったかもしれないが、ジェラートの美味しそうな誘惑に勝てなかった。私は迷いなくジェラートへかぶりつく。


「良かったな」

「はい、本当に嬉しいです……って」


(これ、間接キス!?)


 食べ終わってから気づいてしまい、一人慌てふためく私。

 ノアさんはそんなこと全く気にしていないのだろう。

 次はカムジェッタでも有名なアーケードで物価などを見てみたい、とガイドブックを見ながら言っている。


(ど、動揺するな、私。きっと、ノアさんにとってはこんなこと日常茶飯事なんだ)


 そうは思っても、こんなドキドキシチュエーションにはとんと免疫がない私は落ち着かない。


「ノアさんって、すごくお優しいんですね」


 ドキドキしていることを悟られないように笑顔を作り、私は出し抜けに言った。


「え……」


 ガイドブックから視線を剥がし、ノアさんがこちらを見る。


「すごく素敵だと思います。……変な意味はなく」

「……どうも」


 一切の表情を変えることなくノアさんは小さく肩を竦めてガイドブックへ視線を戻す。


「ダリオさんと同期って聞きましたけど……ホント、ダリオさんとは大違いですね! ダリオさん、口悪いし俺様だし、ノアさんとは正反対です」

「…………あ、ああ……」


 ノアさんの口許が若干引き攣った。


「でも…………」


 私はダリオさんが先程見せた屈託ない笑顔を思い返ししみじみと言った。


「口悪いし最低男だと思う部分はありますけど……本当のほんとーの根っこの部分は優しいと思ってます」

「…………」


 何だかノアさんは居心地悪そうにしている。

 同期が褒められているのが、くすぐったいのかもしれない。


 ――と、その時。


 私とノアさんが座っていた芝生から少しだけ離れたところに座っていた男性が立ち上がった。

 彼はカバンを置いたまま立ち去ろうとしている。

 私は思わず、そのカバンに近づき――。


「あの! 待って下さい。カバン、忘れ――――」

「触るな!」


 ノアさんはそう言うと、私の手を引いてその場から駆け出す。



 そして、すぐ近くにあった噴水の中に飛び込んだ。



 水しぶきが跳ねる音に混ざって、心臓に響くような重低音……というより、爆発音が耳に木霊した。


 一体何が起こったかわからず、噴水の水面から頭を出した。


 すると、先程まで私たちがいた周辺が一面土埃まみれとなっていた。

 芝生の面影もない。全てが、吹き飛んだような……。


「……爆発……?」


 映画の一シーンによくある爆発シーン後のような状態だ。

 公園にいた人々は騒然としており、悲鳴を上げている女性や子供もいる。

 私が拾おうとしたカバンはどこにも見当たらない。


「ノ、ノアさん。もしかして、さっきのカバンが爆発したんですか……?」

「………………」


 ノアさんは顔を押さえたまま何も言わない。


「もしかして、怪我したんですか!?」


 慌ててノアさんの顔を覗き込んだところ、ガシッと手首を掴まれてそのまま噴水から引き上げられた。

 その間も、ノアさんは顔に手をやったままだ。




 彼は私の手首を掴んだまま、大混乱となっている公園から駆け出した。







 ━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-






 ノアさんに手を引かれるまま、私と彼は路地裏に辿り着いた。


 ……路地裏は嫌いだ。銃口を向けられたことを思い出してしまう。

 その時のことを思い出すつもりはないのに、瞬きする度にあの時の光景が瞼裏に表れては消える。


 ノアさんは沈黙を保ったまま。

 私の手首を掴んでいない方の手はいまだ顔から離さない。


「あの……ノアさん。やっぱり、顔に怪我を――……」


 私はそこまで言って、言葉を切った。




 なんと、ノアさんの顔の一部が……剥がれていたのだ!




 まるで薄皮を剥ぐかのように、ノアさんの顔が全て剥がれ終わった後に現れたのは……。










「…………ダリオさん…………?」







 私の目の前にはノアさんではなく、気まずげな顔をしたダリオさんがいた。









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