4.



 ――そんなこんなで一ヶ月が経ち。



 こうして今、式典パーティースタッフとして動き回っている。


「倉間さん、2階にいらっしゃる方々へドリンク持って行って!」

「はい……っと」


 ドリンク係のスタッフからトレイを受け取った瞬間、よろけそうになってしまった。


「だ、大丈夫……?」

「はい……ご、ご心配なく」


 私はどうにか笑顔を取り繕い、階段をのぼった。


(二階がない会場だったら良かったのに……)


 式典パーティーは出席する人数も多い。また、ダンスタイムもあるということでカムジェッタ・ホテル内で最も広い会場がメイン会場としてあてがわれている。


 この他にも複数のサブ会場が用意されており、どの会場も満員だった。


 メイン会場ここの2階にあるバルコニー。



 そこは酒に酔った人々が頭を冷やしたり、良い感じになった男女が愛を囁くのにうってつけの場所らしい。

 私は一歩一歩、転ばないよう気をつけながら階段を踏みしめる。

 階段の踊り場付近で皆を見下ろしながらダンスを楽しむのはさぞ気持ちが良いかもしれないが、ドリンクを運ぶスタッフの立場から言わせもらうと、

 ぶつかってしまうかもしれない、と気が気じゃなかったり。




━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-




 無事、何事もなくドリンクサービスを終えた私は空っぽのグラスをいくつかトレイに載せて階段を降り始めた。


「わしは謝らんぞ。そこまで言うなら……お前を親善大使として任命してやる。だから、お前が謝ってこい!」


 息巻くような荒々しい声が後ろから聞こえてくる。

 きっと、貴族同士の喧嘩か何かだろう。気にせず階段を下っていると、ドンッと後ろから来た誰かと肩がぶつかってしまった。


「申し訳ございませ――っ!」


 気を抜いた一瞬を突かれた。

 足がふらついてしまう。


 右足が空を切り、重心が前へ傾いた。

 私とぶつかった老人は、立ち止まる素振りすら見せず階段を下っていく。


(やばい、落ちる……!)


 受け身を取る余裕なんてない。このまま、顔面から階段を転がり落ちてしまう……!


(というか、グラスが……っ)


 そう思った私は、咄嗟にグラスとトレイを抱き込み、ぎゅっと目を閉じた。




 刹那、誰かが私のお腹に手を回したような感触がした。




「……?」


(あれ? 落ちてない……?)


 何が起こったかわからず、薄目を開けると……。


 視界に飛び込んできたのは、私のお腹を支える透き通りそうな青白さの骨張った手。

 首を後ろに捻ると、人形然とした銀髪碧眼の男性がいた。


 心臓が抉られそうになるほど彼は美しかった。

 まるで、人間に似せて精巧に作られたビスクドールのような、人間離れした凍りつくような美しさだ。


「…………」


 細かい光が底に沈殿したような碧の瞳に吸い込まれそうになる。

 フッと、彼は瞳を伏せた。そこでようやく、ボーッとしていた頭が回転し出す。


(いけない、ちゃんとお礼を言わないと)


 男性はスッと私のお腹に回していた右腕を外す。

 彼は私が抱え損ねたグラスもキャッチしてくれたらしい。丁寧な動作でグラスを手渡してくれた。


「あ、ありがとうございます」


 階段から落ちそうになったことに加え、人形みたいに綺麗な男性に助けられたことで鼓動が速くなる。

 男性の唇がうっすら開いた。


「カムジェッタ国一の高級ホテルが聞いて呆れる。お前のような者を雇っている時点で、二流だ」


 ……今、なんと言われたのだろうか。


「信じられんな、不愉快だ」


 男性は仕立てが良いと一目でわかるスラックスのポケットに両手を突っ込み、忌々しげに言い放った。

 あまりに酷い言いぐさに、二の句が継げない。

 そこへ、黒スーツに身を包んだがっちりした体格の男たちが階段を駆け上がってきた。

 インカムをつけたサングラス集団。このホテルではよく見かける集団――SPだ。


「ベルナルト皇子、おけがはありませんか!?」


 SPの一人が固い口調で男性に頭を下げた。


 次いでもう一人のSPも、サングラス越しでもわかるくらい動揺した表情で頭を下げる。


「ベルナルト様、申し訳ございません! 下賤げせんな者と王子を接触させてしまいました……」


 他にも幾人もの青い顔をしたSPがやって来て、男性にひたすら謝っている。


(……ベルナルト、皇子? ベルナルト皇子って……え!?)


「おい、貴様! この方がプルーシェ帝国の皇太子孫こうたいしそんであることを承知の上での狼藉か!? ベルナルト様に触れるなど……」


「え、いや……え!?」


 動揺して、言い訳も何も出てこない。頭の中は真っ白だ。

 ベルナルト皇子と言えば、プルーシェ帝国の皇帝の孫で……一度も公に姿を見せたことがない人物で……。


 そんな人物が、目の前にいるのだ。


(この人はベルナルト皇子で、私は彼に助けてもらって。それで……え……?)


 動揺しない方がおかしい。

 というか、これはもしかしなくてもめちゃくちゃヤバいんじゃないだろうか。

 プルーシェ帝国は非常に身分の差が激しい国だと聞いている。

 皇族の手をわずらわせてしまったのだ。罰せられるのでは……と、血の気が引いた。


「貴様、聞いているのか?」

「落ち着け。一般人が俺の顔を知っているわけないだろう」

「本日の皇室インタビューの様子が全世界にリアルタイムで中継されております。ベルナルト様のお顔は知れ渡っているかと」

「ああ……そうだったか」


 興味なさげにベルナルト皇子は肩を竦めた。


「来い。お前にはプルーシェ帝国の法に則って罰を――」


 SPたちは私を取り囲むように迫ってきた。圧迫的なその態度。ひっと小さく悲鳴を上げそうになる。


「良い。関わるだけ無駄だ」


 ベルナルト皇子はサラッとそう言ってのけ、こちらを見向きもせずに颯爽とした足取りでその場を後にした。


「お、お待ち下さい、ベルナルト様!」


 SPたちは慌てて彼の後に続いた。


(助かった……)


 嵐のような展開に、思考がついていかない。

 私は手すり伝いにズルズルと階段を下り、踊り場までたどり着くと思わずへたり込んでしまった。

 腰が抜けてしまい、立ち上がることができない。


 ……そんな私に、スッと手が差し伸べられた。


「大丈夫ですか?」


 顔を上げて、手の主を仰ぎ見る。

 幼さの残る男性が、こちらへ手を差し伸べていた。

 ああ、まつげが長いな……なんてぼんやりと思う。

 柔和な笑顔を湛えた優しい眼差しと視線がかち合った。

 ホッとする笑顔に気が緩みそうになるも、彼の後ろにもさきほどのベルナルト皇子についていたSPと同じくらいの人数のSPが控えていて。それ見た瞬間、体が強張ってしまった。


「不安に思うことはない。ほら……掴まってください」


 男性は朗らかに言い、私の手を優しく取ると、立ち上がるのを手伝ってくれた。


「す、すみません……」


 申し訳なさ過ぎて、お礼ではなく謝罪の言葉が口をついた。

 すると、男性は眉を八の字にして肩を竦める。


「いいえ、貴方が謝る必要などないですよ。まったく……ベルナルトにも困ったものです」


 彼はSPに視線を送った。するとSPの1人がすぐさま反応し、階段の下で事の成り行きを見ていたらしい先輩スタッフのもとへと駆け寄る。

 先輩スタッフは戸惑いつつ、こちらへやって来た。


「倉間さん、大丈夫?」

「はい……」

「階段を落ちそうになった時、どこか怪我をしているかもしれません。診てあげて頂けますか?」

「はい! わたくしどもホテルスタッフへのお気遣い、誠にありがとうございます! ……ほら、倉間さんも!」

「は、はい。ありがとうございます」

「いいですよ。というか、そんなにかしこまらなくていいので……」

「……っ。モルテザー様……痛み入ります。では――失礼致します」


 うわずった声で先輩スタッフがますます深く頭を下げる。それにならい、私も頭を下げた。


「本当に、ありがとうございました」

「はい。お気をつけて」


 柔らかな空気を身に纏った男性は小さく手を振ってくれた。




━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-




「ほら、足見せて」

「大丈夫です。痛くも何ともないですし……」

「そう? 怪我をしてないなら良いのよ。……本当に無事で良かったわ」

「はい。ご迷惑をかけてしまってすみません」


 先輩スタッフは首を横に振る。


「いいのよ。わたしこそ、すぐに助けられなくてごめんね。でも、プルーシェ帝国の関係者とだけは関わりたくなかったから……」


 彼女はカムジェッタ・ホテルで働き出してから10年くらい経つベテランだ。

 そんな大先輩が関わりたくないと言うのだから、きっとプルーシェ帝国の客人というのはかなり悪名高いに違いない。


 まあ、階段から落ちそうになったのを助けてもらったのだから、悪く言うことはできないのだけれど。

 それにしてもベルナルト皇子……酷い言いぐさだったなあと考えていると、


「倉間さん、よく無事だったわよね。鞭打ちの罰を与えられるんじゃって気が気じゃなかったの……。前にプルーシェ皇帝へ粗相をしたスタッフが鞭打ちされたことがあって。頬を張られるぐらいはするかと思ったわ」

「わ、私……運良いみたいですね……ハハ」


 乾いた笑い声を上げると、先輩スタッフも私同様に乾いた笑い声を上げた。


「あ……でも、モルテザー様が近くにいたから、ベルナルト皇子に頬を張られそうになったら庇って下さっていたかもしれないわね」


「モルテザー様?」

「あらやだ。あなたを助けてくれた方よ。イムリバ王国の有力一族の三男・モルテザー様」


 誰が誰だかよくわかっていない私に、先輩スタッフは肩をすくめる。


「あなた、運が良いのか悪いのかわからないわね……。ベルナルト皇子に怖い目に遭わされて、モルテザー様に助けられて……。どちらにしても彼らと話せて羨ましいわ」


(全然嬉しくないんですけど)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る