5.

「追加のビアでございます」

「ああ」


 無造作に客人がトレイからビアを取っていく。私は客に一礼し、グラスの空いている他の客人のもとへ向かった。


 ――それにしても……。


 私はチラッと自分の足を見た。

 意地を張らずに先輩に足を診てもらっておけば良かった。

 どうやら、モルテザー様が危惧していたとおり、階段で足をくじいてしまっていたようだ。今頃になって足首がしくしく痛む。


(いま何時かな~……っと)


 私はチラリと腕時計を確認した。

 式典の目玉・各国代表者スピーチが予定されている時刻まで、あと十五分。

 挨拶時、スタッフは裏へ戻ることができる。それまでの辛抱だ。


 ……と、ドリンクをバーカウンターに置いて、空いたお皿などを下げに行こうとした瞬間。

 ズキン、と非常に強い痛みがつま先を襲った。


「――……っ!!」


 何とか踏ん張るも、すぐ近くにいた人の肩に当たってしまう。


「申し訳ございません!」

「……気をつけろ」


 艶のある髪が揺れた。

 アッシュカラーの髪に深海みたいに濃い青の瞳。その物憂げな双眸を縁取る長いまつげ。すっと通った鼻梁。

 モロ、私の好みである。


(あ、やばい。仕事中でしょ、自分)


 よこしまなことを考えてしまった自分を、心の中で叱咤する。

 かなり近くにある彼の顔に、胸がドキドキと高鳴った。喉から心臓が出て来そうだ。

 ベルナルト皇子も美形だと思ったが、目の前にいる彼の顔は、理想そのもの。どストライクである。

 ドキドキが止まない。


「す、すみません!」


 声を裏返しながら、体勢を戻す。

 男性はそんな私の様子を見て嘆息し、腕を組んだ。


「アンタ、ここがどこだかわかってんの? マジで気をつけた方が良いよ」

「ここ、普通のパーティー会場じゃないんだか………………ら」


 気だるげだった男性の表情が見る見る変わり、驚愕の色を帯びる。


「その、香り……」


 彼は震える声でそう言った。

 男性は唇を小刻みに震わせ、奇異なものでも見るかのような眼差しで私を見てくる。


(何を驚いていらっしゃるんだろう? まあ、とにかくお礼を……)


「あの、本当に助かりました。心から感謝致します」

「あ、ああ……」


 彼はハッとしたように表情を引き締めると大きく咳払いした。


「というか――どうしてここに? どう見ても、ここのスタッフじゃないだろ?」


 やはり、見る人が見れば私が一流スタッフでないことは明らかなようだ。


「ええっと……その…………」


 コソコソと周囲を見渡した。

 サービス以外の私語は厳禁、とガーレさんが口を酸っぱくして言っていたのが脳裏にひらめく。

 このまま会話を続けても良いものか、非常に迷った。


 ――でも、このまま立ち去るのは助けてくれた男性に失礼だし……。


 頭がグルグルしてきた。

 男性はそんな私の様子に片眉を上げる。


「俺が遮ってるから、アンタがここにいるのは他のスタッフから見えない。会話してても大丈夫だろ。ていうか……この人混みの中、アンタが俺と喋ってるのを見つけることができる奴はほとんどいないと思うけど」

「は、はあ……。えっと、本来は他ホテルで働いているのですが……主要国全ての言語を扱えるので、今回の式典スタッフとして臨時採用されまして……」


 歯切れ悪く言うと、男性は目を丸くした。


「へえ……」


 そう言うと、彼は私をぶしつけにジロジロと見てくる。そして――。


「誰でも一つくらい、取り柄があるもんなんだな」

「……!」


 嫌味か?

 嫌味なのか?

 私は思わず、言い返しそうに――……。


 とんとん。


「……はい?」


 後ろから肩を叩かれたので、何かと思って振り向くと。


 ぷにっ。


「……………………」

「やっほー♪ マードカちゃん♪」


 頬を押してきた人物……グレイさんはペロリと舌を出している。


「……………………マドカ?」


 そんなグレイさんの横で、男性は囁くように私の名を呼んだ。まるで、何かを探るように。


「…………は、はい?」


 何故、いきなり私の名前を呼んだのだろう。彼の真意がわからず、彼の顔を見つめる。

 瞳と瞳が合わさった瞬間、空気が止まったような気がした。


「ちょっと、ちょっと! アマネくん。勝手にちゃん口説かないでよ~」


 私とアマネ様の間に割り込んできたグレイさんは、私に抱きついてきた。


「アマネくんとばっか話してないで、ボクともお話しようよ! こんなイイ男、そうそういないよ~。優良物件だよ~」

「ちょっと……やめてください!」


 お き ま り の 流 れ で あ る 。


「グレイさん」


 声を荒立てているわけでもない――深みのある声で、アマネ様はグレイさんの名を呼んだ。そして、私に抱きついているグレイさんの腕をグッと掴む。


「彼女、嫌がってますよ。離してあげたらどうですか?」

「ええ~? 口説いてたんだけどなあ。カムジェッタ国の男たるもの、美しく輝いてる女性は口説くのが礼儀なん――」

「嫌がっている女性を無理矢理口説くなんて……カムジェッタ国男性の良識が問われますね。心底、軽蔑します」

「おいおい! アマネくん、それは酷いよ。ていうか、マドカちゃん! 見てみて!」


 グレイさんはそう言って、正装した姿を見せつけるように胸を張る。


「どう? 惚れ直した?」


 自信満々で言ってくるグレイさんには大変申し訳ないが、私としては正装しようが何だろうが、変な客という認識しかしていない。


「惚れ直すも何も、惚れてません。というか、ただ正装してるだけじゃないですか」

「ええっ!? ……マドカちゃん。ボクのこの格好見ても、わかんないの!? てか、気づいてて邪険にしてる?」

「何を気づくと言うんですか?」


 本当にわからなかったので、小首を傾げてグレイさんを見つめる。

 すると、グレイさんは雷に打たれたような……奇天烈な物体でも見るかのような眼差しをこちらに向けた。

 そして、横にいたアマネ様に私に聞こえるくらいの大きさでヒソヒソ話しかける。


「ねえ、アマネくん……この子……マジで言ってんのかな?」

「はあ。そうじゃないですか? グレイさんの知名度も落ちたものですね」

「酷いよ、アマネくん! しばらく会わないうちにすっかりひねくれちゃって。昔はあんなに……」

「……はあ……」


 何やらわからないが、グレイさんに絡まれているアマネ様は、溜め息を零した。


(わかります、アマネ様……。その気持ち、ものすごくわかります……! 鬱陶しいですよね、グレイさんって……!)


 心の中で、アマネ様に同情する。

 そんな失礼なことを思っているとも知らず、グレイさんはアマネ様の肩に腕を回した。


「じゃあボクのことは置いといて……。彼のことは知ってる?」

「えっと、先ほどグレイさんが“アマネ”様と呼んでいたのはお聞きしました。転ぶ寸前のところを助けていただき……本当に、感謝してもしきれないです」


 ぺこりと頭を下げる。

 そんな私を見て、グレイさんは静かに「マジか……」と呟いた。


「マドカちゃん、あのね。ボクたちは――――」

「別に、言わなくていいでしょう」


 何か言おうとしたグレイさんを、アマネ様が手で制した。


「いや、でもさー……」

「俺達のことを知って、彼女に何かメリットでも?」

「いや、それはないけどさー……」


 納得できていない様子のグレイさんを黙らせたアマネ様は、すっと私に向き直った。


「……にしてもアンタ」


 また嫌味でも言ってくるのだろうかと身構えた私に彼が放った言葉は、予想の斜め上をいく言葉だった。


「品の良い香をつけてるな」

「!」


 まさか、そんなこと言われるとは思ってもみなかった。自然、笑顔になってしまう。


「ありがとうございます! これ、私が調香したんです! 母が昔、調香師をやっていて、その道具を借りて……って、お二人ともどうなさったんですか?」


 二人とも、面食らったような顔をしている。


「あ……いや。その……」

「これはこれは……中々に良い笑顔♪ そんなカワイイ顔しちゃってると、食べちゃうぞ~」


 グレイさんのおちゃらけた言い方に、場の空気が和らいだ……と思ったら。


「オイ待て、止まれ!」


 鋭いナイフのような声が、和やかな空気をぶつ切りにするように横入りしてきた。


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