第16話 ごめんよ

 両親が向かったのは騎士団の駐屯地もある街の方角だった。

 しかし魔物達が向かって来ているのは反対の方角から。どうも父に伝えられた報告と食い違っているような気がする。


 あちらはあちらで魔物と戦っているのだろうか。だから誰も助けに来てくれないのか。

 この大群だ、気付かないわけがない。町には多くの冒険者がいて騎士団だっている。全員が全員、この千を超すであろう魔物の大群に気付かないはずがないのだ。


 これではまるで、突然そこに魔物が発生したかのようではないか。


 考えたところで事態が好転するとも思えないし、俺の頭では現状を打破する孔明的な閃きにも期待できない。重要なのは二人をどう守るか。そして生き抜いてどの体位で童貞を捨てるかだけである。


 ふざけているわけではない。絶望的な状況において生存率を上げる精神的テクニックだ。ネズミを泳がせる実験をしたところ、救助された経験のあるネズミとそうではないネズミでは、前者は六十時間以上も耐えるが、後者は十五分で諦めて溺れてしまったそうだ。生きる希望がある限り生物は簡単にはあきらめない、想像を超えた胆力を発揮する場合がある。だから俺はこの窮地におかれても希望を失わない。

 

 脱童貞へのイメージトレーニングは完璧に仕上がっている。これ以上ないほど綿密に練り上げられた千を超える童貞卒業に至るまでのストーリーライン。同じ本を取ろうとして手と手が触れ合あった瞬間に始まる「些細な切っ掛け系」ラブストーリーからはじまり。ゴードンさんの捨てたバナナを踏んでしまったアリーシャが滑った拍子に俺の上に乗りたまたまイキリ散らしていた愛棒がうっかりパンツの横からごめんくださいと処女膜のれんを貫いてお邪魔してしまう「ラッキースケベ系」。さらには暴漢(ゴードン)との激しい戦いを制し見事打倒し、意識はあるが動けない暴漢(ゴードン)の前で激しく唇を吸いながらまぐわう「娘眼前調教疑似寝取り系」など多岐にわたる。


 しかし、いやらしい妄想は幾千としてきたが、参ったことにこういう荒事を想定した妄想は、教室にテロリストが侵入してきた時の対処法とコンビニバイト中に強盗が来た時の撃退法ぐらいしか妄想したことがない。そもそも千の魔物を相手にするイメトレなどするわけがない。そんな場面に陥る可能性など教室にテロリストが侵入するよりも低いのだから。


「ユノくん逃げようよ!」

「急いで父さんたちのところに向かいましょう!」


 そうしたほうが扉のない家にこもるよりは生存率は上がるな。


「うん……そうだね」


 しかし人生とは儘ならぬもの。相手は魔物だ、どうしたって子供の足で逃げきれるわけがない。


 仮に逃げきれたとして、その先でも魔物と戦っている可能性がある。運よく両親や駐屯騎士団に保護されれば何とかなるかもしれないが、どちらも見つからなかったら終わりだ。冒険者たちは子供という余計な足手まといが増えて、自分達の生存率を下げることを嫌うだろう。むしろ、おとりになってくれた方が自分たちの生存率が上がると判断するだろう。


 冒険者が冷酷というわけでも非情なわけでもない。人は遊びで生きているわけではないのだから、自分や大切な人たちの命が第一だ。見知らぬ子供を守って死ねる人間がこの世にどれぐらいいるかという話である。


 そもそも一般的な冒険者たちは戦いにおいての実力は騎士団よりも数段劣る。騎士は戦うことを生業とし、冒険者は冒険をすることを生業としている。冒険者は未開の地を探索する者がほとんどで、戦わなくていいのならば極力戦闘は避ける。うちの両親はたまたま戦う才能があり、それを磨いた稀有な人たちなのである。


 子供を守りながら魔物の軍勢と戦える冒険者など、それこそこんな村に滞在しているわけがなく、もっと実入りの良い土地に行くはずだ。それに無いとは思いたいが、最悪は同じ理由で駐屯騎士団にも見捨てられる事も想定しなければならない。捨てられるのは童貞だけにしたいものだ。「アンタの童貞はアタイが捨ててやるよ!」などと俺の初めてを奪ってしまうショタチンポに目がないビキニアーマー美女騎士がいるというなら最高速で街へと向かったのだがな。


「兄さんどうしたんですか!? 急がないと魔物が! もうすぐそこまで!」


 危機的状況に陥り悲観的になりながらも、最終的には幸せな妄想を始めていた自分に恐れ入る。何が、その童貞はアタイが捨ててやるよ、だ。そんな剛毅で気風のいい女性が本当にいたなら童貞どころか処女まで捧げるわ。


「よし、決めた――――二人は先に行くんだ。あいつらは僕が食い止める」

「ッ――ダメだよ兄さん! いくらなんでも魔物が多すぎます!」

「心配ないさ。実は魔力を使うコツが掴めてきたんだ。例えば、こんな感じかな」


 そう言って五本の指先にそれぞれ炎を灯し、小指から順に炎を消し、また親指から順につけるという曲芸をしてみせる。


「……っ!?」

「……っ!?」

「……っ!!」


 ルイスは言葉を失い、俺も想像以上に上手くいったので驚いて言葉を失ってしまった。アリーシャはなんか喜んでる。


「大多数を相手にした秘策も浮かんでいる。だから僕に任せてくれ」


 純度百%混じりっけなしの虚勢だ。童貞が非童貞の振りをするぐらい虚しいが、ここで男と虚勢を張れないようなら愛棒など去勢されても文句は言えない――や、去勢されたらさすがに文句は言う。何の権限があってお前が去勢すんだよ、と。


「さ、流石だと思います……でも駄目なんです! 上手くいっても死んでしまうんでしょう!? 兄さんは死ぬつもりなんでしょ!」


 なんて優秀で兄想いの弟なんだろう。妹だったらキスをしていたところだ。もうこの際弟でもいいからキスしてしまおうか。逆に俺が姉になるという手もある。新ジャンル、オネショタBLだ。帯には「チンチンがついてるお姉さんは嫌いですか?」とでも書いてもらおう。


「ユノくんやだ!」


 アリーシャが抱きついてくる。目には大粒の涙を浮かべ、目が合うと顔をうずめて俺の服に涙をしみ込ませる。


 勿体無い。服に飲ませるぐらいなら俺に舐めさせてくれればいいのに。


「なんで死んじゃうの!? どうして!?」


 ルイスめ、アリーシャを焚きつけるためにわざと死を強調したな。五歳とは思えない智謀だ――ちぼう? ちぼう……乳房ちぼう……乳房ちぶさ!? いや、なにも驚く点はなかった。俺も混乱しているようだ。


「大丈夫、あいつらを何とかしたら必ずアリーシャのところに行くよ。ほら、僕が約束を破ったことはないだろう?」

「ない……でもやだぁ! やだよ!」


 約束は破らないが処女は破るつもりだ。だから死にはしない。この説得力が伝わらないのがもどかしい。


「僕一人ならどうとでもできるけど、二人がいたら巻き込んでしまうかもしれないんだ。扱いに慣れてきたとはいったけど、この数を相手にするとなると周囲に気を回していられないかもしれない」


 俯くルイス。きっと葛藤してくれているのだろう。

 自分がいても何も出来ない。

 ここにいても邪魔になるだけだ。

 だけど離れたくない――とか、そんなところかな。

 まったく、できた弟だ。何故ルイスは妹じゃないのだろうな。そうだ、弟が妹になっちゃう魔法とかないのかな? 女の子になっちゃえ~とか言って気軽に性別変わらないかな。

 試しに念じようかと思ったがいきなり股間が爆散したりしたら取り返しがつかないのでやめておこう。


「アリーシャも急いでくれ。アリーシャを巻き込みたくないんだ」


 何とかするとは言ったものの時間稼ぎが関の山だろう。この間にも魔物たちは迫ってきている。時間を稼いでいる間にできるだけ遠くに逃げてほしい。


「やだぁ……やだよぉ」


 涙を流し続け、泣きじゃくりながらしがみついて離れないアリーシャの赤い髪に指を通し頭を撫でる。


 卑しく情けのない話、アリーシャの覚醒に期待したい。けれど、やはりこの子を危険な場所にはさらせない。少しでも安全な場所に身を置いてほしい。本当なら自分の後ろにおいて最後まで守ってやりたかったけれど、守り切れる自信がないのだから無責任な事は言えないしアリーシャには嘘をつきたくない。嘘はつきたくないがバックから突きたい。


 抱きついてるアリーシャを無理やりに離すと絶望の表情を浮かべていた。

 確実にトラウマの一種を植えつけた感触がある。突き放される恐怖を覚えさせてしまった。突いてぶっ放される快感で上書き保存してあげたい。


「うぅーッ! やだっ、お願い! 離れないで、離さないで!!」


 そんな顔をしないでくれ、胸が痛いよ。

 笑顔になるまで下腹部をくすぐるぞ。


「じゃあアリーシャこういうのはどうかな」

「なに……?」


 泣き顔のままだがわずかな期待にすがっているのが見て取れる。感情表現がどこまでもストレートだ。


「また会った時に叶える二人の約束をするんだ」

「帰ってきたらする約束? たとえばなぁに?」

「うん、次に会ったら結婚しよう……とかぁ……なんとかぁ……」


 油断して伝説級レジェンドクラスの死亡フラグを立ててしまったことに言ってから気付き言葉尻が弱々しくなっていく。

 レジェンダリーフラグな上に六歳の子供が言っても最高に陳腐なセリフでどの角度からも救いようがない。

 言った後に恥ずかしくなってきた。穴があったら入りたい。アリーシャの中に隠れたい……そうだ、アリーシャの体でかくれんぼしようとか、そういう約束にしておけばよかった。


「するっ! するから! ユノくんのお嫁さんになるから、わたしずっとなりたいと思ってたから! だから……いかないで、お願いぃ!」


 子供同士では今すぐ結婚出来るわけがないので死亡フラグにはならないと信じたい。


「戻ってくるなら……約束をしてくれるなら、母さんに習って兄さんが大好きな野菜シチューを作って待ってますっ……」


 死亡フラグを補強するなルイス。アストナージはとっておきのサラダを作っていたせいで恋人を失ったんだぞ。


 ここで死ななかった場合でも安心はできない。婚約をしたことでバッター『死亡フラグ』くんに代わりまして、代打『寝取られフラグ』くん背番号69番が颯爽とバッターボックスへと向かうんだ。

「私、婚約者がいるのに……こんなの駄目なのに……」という寝取られ物の鉄板パターンが待ち受けている。これはどっちに転んでも俺が泣きを見るパターンだな?


 こうでも言わなければ号泣お漏らし娘は納得しないと思ったが、言ったところで納得はしてくれず死亡フラグをたてただけであった。


「ユノくん私をおいていかないでぇ……やなの、離れたくないよぉ」


 あぁあ、大泣きだよ。上も洪水、下も洪水なーんだ。正解はアリーシャ。


「戻ってくるからいい子にしてるんだぞお漏ら……アリーシャ」


 あぶねー、言うところだった。こんな大事な場面でお漏らし娘とか言われたら、俺が死んだ後はサクッと切り替えて別の男にいけるだろうな。


「ルイス、一方的で申し訳ないんだけど……シチューはいいからアリーシャを守ってくれると約束してくれないか」


 死亡フラグを一つ潰す。俺はケーラにはならない。


「わかりました。命に代えても守ります。何者からも守ってみせます。約束も、アリーシャも僕が守ります。だから兄さんも、命に代えてでも自分の命を守って帰ってきてください……ね」


 おかしな事を言う弟だ。

 俺が死ぬ覚悟を決めたのを理解しているのだろう。本当に賢く聡い子だ。


 ルイスが守ってくれると誓ったのなら大丈夫だ。

 俺が死んでもアリーシャを必ず守り続けてくれるはずだ。ルイスはそういう子だからな。


「いくぞアリーシャ」

「やだ、やだぁ!!」


 ルイスがアリーシャの手を引いていく。アリーシャはずっとこちらを泣きながら見て何かを叫んでいる。ちゃんと前向いて走らないと死ぬぞ。前世でよそ見運転の車に何度か殺された俺が言うんだから本当だ。


 アリーシャなら勇者の力でルイスなど簡単に跳ね飛ばせるだろうにそうしないのは、昼に力を使いすぎているからだろう。俺が瀕死の重傷を負い、それを癒すために力を使い果たしているのだと予想する。


 勇者が一緒に残ってくれるならこれ以上に頼もしいものもないが、それが守りたい女の子ならば頼めるはずもない。そんなの奢る予定のデートでお金が足りずに払ってもらうようなものだ。


 二人が十分に離れたことを確認してから、向かってくる魔物の軍勢と向き合う。


「さて……」


 そりゃあ俺だって死にたくないさ。人生これからってところで好き好んで死にたい人なんていやしない。でも、人生これかっらてときでも大切な人のためなら死ねるって人はいるだろ。


 自己満足のために死に急ぐなんて人生をかけた盛大な自慰行為だな。

 人が幸せを感じられるのは生きているからこそだ。生きていれば辛いことも当然ある。辛さを知っているからこそ人は幸せを感じられる。つまり人生とはソフトSMとみつけたり。焦らされるから興奮して感度が増すのである。


 死んでしまったら最後、もう何も感じられやしない。それはとても悲しいことだ。

 だからアリーシャとルイスにはもっと感じていてほしい。色んな意味で感じまくっていてほしい。感じ続けていてほしい。


 二人を救う為に俺の命を使おう。二人を生かすために俺一人が死ぬのなら割りにはあっているだろ。これが俺の生き方で、それが俺の幸せなんだ。


「さてと、一発やろうか」


 シコ猿と戦った時のように魔力をの存在を意識して下腹部に集中すると、腹の奥に熱の塊を感じ始める。

 

 魔物の大群を消滅させる魔術だ。周辺がどうこうなどとは言っていられない。幸い周囲に人は住んでいないので地形が変わるなどのの被害には目を瞑っていただきたい。


 町はまた作ればいい。家はまた建てればいい。

 だけど命は、アリーシャとルイスの命は失われたらそれで終わりだ。

 アリーシャたちには一匹だって近寄らせない。一匹残らず隈なく残さず余さずに全て消滅させてやろう。


 消滅とは何か。浮かぶイメージは酷く曖昧だった。

 消しさればいいといっても、そんな科学知識も自然現象も俺の記憶にはない。

 もしかしたら、思い出す時間さえあれば思い至っていたかもしれないが状況が状況で思い起こすには余裕がない。


 あれこれと考えている内に魔力が溜まり切ったのを感じる。溢れる程に漲る力は今にも体から噴出してしまいそうだった。漏れ出てしまうのを感覚で必死に抑えこみ、両手を魔物の軍勢の直上に向けて固定する。


 イメージするのはこことは違う空間。あらゆるものを吸いこんでしまうもの。たとえばブラックホールのような…………関係ないけどさ、マンホールって女子に声に出して言ってほしい公共物ナンバーワンだよな。満員電車もマン淫殿射とか少し脳内でカスタムすればいける。でもぶっちぎりは満腔まんこうかな。満腔はもう漢字からして強い。満腔の謝意とか満腔の怒りとか例文も最強クラスだった記憶がある。


「生きて帰れたら全部アリーシャに言ってもらおう」


 ――数瞬の後、魔術の発動は成功する。魔物の軍勢の直上、ひび割れた空間から覗ける無数の星々。


 あれは宇宙だろうか。

 空はいつの間にか暗くなり本物の星が煌めいていた。

 偽物の宇宙に魔物たちが次々に飲み込まれていくのが見える。


「良かった、上手くいった……のかな」


 周りの木々も飲み込まれ、やがて自分の体も吸い上げられて浮き上がる。

 抵抗しようにも指一本動かせない。魔力が尽きてしまったか、魔術回路とかいうものが焼き切れてしまったのかもしれない。


 力なく伏したまま偽物の宇宙空間へと体が吸い込まれ飲み込まれていく。

 ブラックホールならば現れた瞬間に俺は消えていたはずなので、だからこれは別の何かで、俺の妄想の産物か。


 だとしたらなかなかのものだな。デジョンみたいでかっこいい。バニシュデジョンで確殺だ。


 ここで吸い込まれようと、吸い込まれまいと俺は死ぬ。体に力の杯あらない空っぽな感じは、いつもの死ぬ前の感覚と一緒だ。


 もしかしたら生きれるかも……なんて、そんな気持ちは微塵もない。


(父さん、母さん、優しくしてくれて、大切に育ててくれたのに……ごめんなさい。アリーシャ、ルイス、約束を守れなくてごめん……。大切にしてあげられなくてごめんよ)




 ……童貞、また捨てられなかったな。

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